1997年ヨーロッパグランプリ
| レース詳細 | |||
|---|---|---|---|
|
| |||
| 日程 | 1997年シーズン第17戦 | ||
| 決勝開催日 | 1997年10月26日 | ||
| 開催地 |
ヘレス・サーキット スペイン ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ | ||
| コース長 | 4.423km | ||
| レース距離 | 69周(305.187km) | ||
| 決勝日天候 | 曇り(ドライ) | ||
| ポールポジション | |||
| ドライバー | |||
| タイム | 1'21.072 | ||
| ファステストラップ | |||
| ドライバー |
| ||
| タイム | 1'23.135(Lap 30) | ||
| 決勝順位 | |||
| 優勝 |
| ||
| 2位 | |||
| 3位 | |||
1997年ヨーロッパグランプリ (1997 European Grand Prix) は、1997年のF1世界選手権最終戦として、1997年10月26日にヘレス・サーキットで開催された。
概要
[編集]前戦日本GPでジャック・ヴィルヌーヴが受けた失格処分が確定したことにより、ドライバーズチャンピオン争いはミハエル・シューマッハがヴィルヌーヴを1ポイントリードして最終戦を迎えた。土曜午前中のフリー走行では、ヴィルヌーヴがシューマッハのチームメイトであるエディ・アーバインに走行を邪魔され、フェラーリのピットに文句を言いにいくという一幕があった。
この年限りでワークスエンジンの供給活動を終えるルノーにとっては最後のグランプリとなる。レース前には供給先のウィリアムズとベネトンのマシンをホームストレートに並べて、関係者とともに記念撮影を行った。
予選
[編集]展開
[編集]予選では最初のタイムアタックでヴィルヌーヴが1分21秒072を記録。続いてアタックしたシューマッハとハインツ=ハラルド・フレンツェンも1000分の1秒まで同タイムを記録するという、F1世界選手権が始まって以来の珍事が起こった(1000分の1秒差でも距離にして5cm余りの違いでしかない[1])。「予選同タイムの場合、先に記録した順のグリッドとなる」というレギュレーションにより、ポールポジションはヴィルヌーヴ、2位シューマッハ、3位フレンツェンと決まった。その後、同タイムによるポールポジション獲得は、2024年カナダグランプリでも起こった(1位ジョージ・ラッセル、2位マックス・フェルスタッペン)。
デイモン・ヒルは途中計時で3人のタイムを上回っていたが、最終コーナーでスピンした片山右京を避けたためにタイムロスして4位に終わった。
結果
[編集]| 順位 | No | ドライバー | チーム | タイム | 差 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 3 | ウィリアムズ・ルノー | 1'21.072 | ||
| 2 | 5 | フェラーリ | 1'21.072 | +0.000 | |
| 3 | 4 | ウィリアムズ・ルノー | 1'21.072 | +0.000 | |
| 4 | 1 | アロウズ・ヤマハ | 1'21.130 | +0.058 | |
| 5 | 9 | マクラーレン・メルセデス | 1'21.369 | +0.297 | |
| 6 | 10 | マクラーレン・メルセデス | 1'21.476 | +0.404 | |
| 7 | 6 | フェラーリ | 1'21.610 | +0.538 | |
| 8 | 8 | ベネトン・ルノー | 1'21.656 | +0.584 | |
| 9 | 14 | プロスト・無限ホンダ | 1'21.735 | +0.663 | |
| 10 | 7 | ベネトン・ルノー | 1'22.011 | +0.939 | |
| 11 | 23 | スチュワート・フォード | 1'22.167 | +1.095 | |
| 12 | 22 | スチュワート・フォード | 1'22.222 | +1.150 | |
| 13 | 2 | アロウズ・ヤマハ | 1'22.234 | +1.162 | |
| 14 | 16 | ザウバー・ペトロナス | 1'22.263 | +1.191 | |
| 15 | 15 | プロスト・無限ホンダ | 1'22.351 | +1.279 | |
| 16 | 11 | ジョーダン・プジョー | 1'22.740 | +1.668 | |
| 17 | 12 | ジョーダン・プジョー | 1'22.804 | +1.732 | |
| 18 | 17 | ザウバー・ペトロナス | 1'23.281 | +2.209 | |
| 19 | 20 | ミナルディ・ハート | 1'23.409 | +2.337 | |
| 20 | 21 | ミナルディ・ハート | 1'23.854 | +2.782 | |
| 21 | 19 | ティレル・フォード | 1'24.222 | +3.150 | |
| 22 | 18 | ティレル・フォード | 1'24.301 | +3.229 | |
- 予選通過タイム 1'26.747
- タイムが全く同一だった場合、先にタイムを出した方が上位のグリッドに着く
決勝
[編集]展開
[編集]スタートではポールシッターのヴィルヌーヴが出遅れ、2番グリッドのシューマッハに先行を許した。ヴィルヌーヴはフレンツェンに次ぐ3番手に後退し、以下ハッキネン、クルサード、ヒル、アーバインと続いてオープニングラップを終えた。シューマッハがリードを5秒に広げると、8周目にフレンツェンに道を譲られヴィルヌーヴが2位に浮上した。
シューマッハとヴィルヌーヴは22周目から23周目にかけて最初のピットインを行い、フレンツェンとハッキネンの後方でレースに復帰した。ここでフレンツェンがラップタイムを落として後続を抑えた結果、シューマッハとヴィルヌーヴの差が1秒以内に急接近した。ウィリアムズは前戦日本GPでフェラーリにしてやられた「チームプレー」を逆にやり返した。日本GPでシューマッハをアシストしたアーバインはペースが遅く、今回はチームの戦力になれなかった。
フレンツェンとハッキネンがピットインすると、以後は逃げるシューマッハと追うヴィルヌーヴという緊迫したマッチレースになった。30周目にはヴィルヌーヴが周回遅れのフォンタナに引っ掛かって差が3秒余りに広がるが、ヴィルヌーヴはそれ以上の逃げを許さなかった。43周目から44周目にかけて両者が2回目のピットインを終えるとシューマッハのペースが鈍り、47周目には完全なテール・トゥ・ノーズの状態となった。

48周目、裏ストレートでヴィルヌーヴはシューマッハのスリップストリームから抜け出し、鋭角なドライサック・ヘアピンへのハードブレーキングでインを突いた。シューマッハはこれを阻もうとステアリングを切り込むが、すでにヴィルヌーヴの方が半車身前に出ており、ウィリアムズ・FW19の左サイドポンツーンにフェラーリ・F310Bの右前輪が接触。シューマッハはコース外に弾き出され、サンドトラップにはまって後輪が空転し、脱出不能となってリタイアした。
これでヴィルヌーヴは6位以内でチェッカーを受けるとチャンピオン決定[2]となったが、接触のダメージを懸念してペースを落とし、更にタイヤにブリスターが発生したため、レース終盤には後方からマクラーレン勢が接近して行く。
ファイナルラップとなる69周目、チェッカーまで残りわずかのアイルトン・セナ・シケインでハッキネンが仕掛けてトップを奪い、クルサードもこれに続き、マクラーレン勢がそのまま1-2フィニッシュを決め、ハッキネンはF1参戦99戦目(出走95戦目[3])での初優勝を飾った。これはティエリー・ブーツェンの参戦96戦目を更新する、当時としては最も遅い初優勝記録であった。また、マクラーレンのワンツーフィニッシュは1991年の日本GP(優勝ゲルハルト・ベルガー、2位アイルトン・セナ)以来6年ぶりとなった。そしてヴィルヌーヴが3位でチャンピオンを決めたのに続き、引退(この時点では休養)を表明しているベルガーが4位で最後のレースを締めくくった。同じくラストレースとなった片山も17位で完走した。
レース後の表彰式では小柄なヴィルヌーヴがマクラーレンの2名に肩車され、ドライバーズタイトル獲得を喜んだ。チームの記念撮影ではウィリアムズのメカニックたちが、ヴィルヌーヴの髪の色に合わせた金色のかつらを被って祝福した。ヴィルヌーヴとの接触でリタイアしたシューマッハだったが、二人は翌朝まで酒を飲み交わしていたという[4]。
結果
[編集]| 順位 | No | ドライバー | チーム | 周回数 | タイム/リタイア | グリッド | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 9 | マクラーレン・メルセデス | 69 | 1:38'57.771 | 5 | 10 | |
| 2 | 10 | マクラーレン・メルセデス | 69 | +1.654 | 6 | 6 | |
| 3 | 3 | ウィリアムズ・ルノー | 69 | +1.803 | 1 | 4 | |
| 4 | 8 | ベネトン・ルノー | 69 | +1.919 | 8 | 3 | |
| 5 | 6 | フェラーリ | 69 | +3.789 | 7 | 2 | |
| 6 | 4 | ウィリアムズ・ルノー | 69 | +4.537 | 3 | 1 | |
| 7 | 14 | プロスト・無限ホンダ | 69 | +1'07.145 | 9 | ||
| 8 | 16 | ザウバー・ペトロナス | 69 | +1'12.961 | 14 | ||
| 9 | 23 | スチュワート・フォード | 69 | +1'17.487 | 11 | ||
| 10 | 15 | プロスト・無限ホンダ | 69 | +1'18.215 | 15 | ||
| 11 | 12 | ジョーダン・プジョー | 68 | +1 Lap | 17 | ||
| 12 | 19 | ティレル・フォード | 68 | +1 Lap | 21 | ||
| 13 | 7 | ベネトン・ルノー | 68 | +1 Lap | 10 | ||
| 14 | 17 | ザウバー・ペトロナス | 68 | +1 Lap | 18 | ||
| 15 | 21 | ミナルディ・ハート | 68 | +1 Lap | 20 | ||
| 16 | 18 | ティレル・フォード | 68 | +1 Lap | 22 | ||
| 17 | 20 | ミナルディ・ハート | 68 | +1 Lap | 19 | ||
| Ret | 5 | フェラーリ | 47 | 接触 | 2 | ||
| Ret | 1 | アロウズ・ヤマハ | 47 | ギアボックス | 4 | ||
| Ret | 11 | ジョーダン・プジョー | 44 | 冷却水漏れ | 16 | ||
| Ret | 22 | スチュワート・フォード | 30 | ギアボックス | 12 | ||
| Ret | 2 | アロウズ・ヤマハ | 11 | スピンアウト | 13 |
- ファステストラップ ハインツ=ハラルド・フレンツェン 1'23.135(Lap 30)
- ラップリーダー ミハエル・シューマッハ (LAP 1-21,28-42,45-47) 、ジャック・ヴィルヌーヴ (LAP 22,43-44,48-68) 、ハインツ=ハラルド・フレンツェン (LAP 23-27) 、ミカ・ハッキネン (LAP 69)
レース後の出来事
[編集]シューマッハへの処罰
[編集]In lieu of any further penalty or fine, Michael Schumacher agreed to participate in the FIA European road safety campaign for a total of seven days in 1998.
48周目のヴィルヌーヴとシューマッハの接触について、レーススチュワードは通常のレーシングアクシデントとして処理した。しかし、シューマッハが最初のワールドチャンピオンを獲得した1994年オーストラリアGPでも、デイモン・ヒルと接触事故を起こした経緯があったため、相打ちを狙ってわざとヴィルヌーヴにマシンをぶつけたのではないかとの疑念が絶えなかった。
国際自動車連盟 (FIA) は11月11日に行われた世界モータースポーツ評議会にシューマッハを召還し、事情聴取を行った。その結果シューマッハの行為は「本能的な反射的行動であり、故意ではあるが、悪意や予謀によるものではない」と判断。「深刻な過失」への罰則として「1997年度のF1ドライバーズ選手権の結果からシューマッハを除外する」「FIAの交通安全運動に7日間参加する」という裁定を下した。シューマッハはドライバーズランキング2位を剥奪されたが、各レースの勝利や得点などの個人記録、およびフェラーリのコンストラクターズ選手権ポイントは保持された。
ヘレスゲート
[編集]シューマッハへの裁定が下される3日前の11月8日、イギリスの『タイムズ』紙にウィリアムズとマクラーレンのチーム無線を傍受したテープの内容が掲載された。レース終盤にピットとドライバーの間で交わされた会話は、優勝者の入れ替えを示唆するものだった。
マクラーレンチームとクルサードの交信内容は「ハッキネンを優勝させるべく順位を譲れ[6]」というチームオーダーであった。クルサードはヴィルヌーヴに次ぐ2位を走行していたが、チームの指示に従い67周目にハッキネンを先行させた。後にクルサードは新聞のコラムでこの件に触れ、「僕もカッとして振舞えたらよかったと思うことが2回ある。それは1997年のヘレスと翌年のメルボルンだ[7]」「レース前に話し合っていない指示をされた[8]」「数周に渡り無線で議論したが、譲らなければチーム内での立場がまずくなるだろうと言われた[8]」と述べている。
ウィリアムズの場合、ダメージを負ったマシンでチェッカーを目指すヴィルヌーヴに対して、担当エンジニアのジョック・クリアが「DC(デヴィッド・クルサード)がアーバインを抑えているところだ[9]」「今ハッキネンが2位にいるのは分かってるだろうな。たぶん勝ちたがっているはずだぜ。何とかしてやれよ[9]」と呼びかけていた。
この談合疑惑は「ヘレスゲート[10]」と呼ばれることになる。当時のピット無線は原則非公開であり、何者かに盗聴されていたものとみられる。世界モータースポーツ評議会はシューマッハの裁定と同日にこの議題を討議した結果、「ヨーロッパGPの結果を操作するような合意がなかったことを証明した[5]」として両チームを不問にした。
このようなテープがマスコミに流出した背景には、コンコルド協定の更改条件に同意していなかった3チーム(ウィリアムズ、マクラーレン、ティレル)へ圧力をかける意図があった、という見方もある[6]。
フォンタナの告白
[編集]ザウバーから出走したノルベルト・フォンタナは周回遅れになる際、1コーナーでシューマッハに道を譲ったが、その後はコース半周ほどヴィルヌーヴの前を走った。フォンタナは2006年に地元アルゼンチンの雑誌インタビューにおいて「レース前にフェラーリ代表のジャン・トッドが訪れ、『来年もザウバーがフェラーリエンジンを使い続けたければ、シューマッハが優勝できるようヴィルヌーヴを妨害しなければならない』と告げられた[11]」と暴露した。
ザウバー代表のペーター・ザウバーは「フェラーリはシューマッハの競争相手をトラック上で妨害するような要求を示したことはない[12]」として、フォンタナの発言を否定した。
最後のヘレス開催
[編集]波乱のヨーロッパGPはレース後の表彰式でも騒動が起こった。地元の市長が表彰式に割り込み、プレゼンターとして招かれていたメルセデス・ベンツ会長ユルゲン・シュレンプの面目を潰した[13]。この一件後、FIAは「今後F1世界選手権はヘレス・サーキットでは行われない」と決定した[13]。
脚注
[編集]- ↑ 『F1速報 R17 ヨーロッパGP』 ニューズ出版、1997年、58頁。
- ↑ ヴィルヌーヴが6位(1ポイント)入賞だと両者78ポイントで並ぶが、その場合は優勝回数の差(ヴィルヌーヴ7勝、シューマッハ5勝)が最終的な判定基準となる。
- ↑ エントリーした99戦中、予選落ち2戦、決勝不出走1戦、失格1戦を除く。
- ↑ 『オートスポーツ 2014年 1月31日号 No.1373』 三栄書房、14頁および15頁。
- 1 2 “11-11-1997 - World Motor Sport Council - 11 November 1997” (PDF) (Press release) (英語). FIA. 1997年11月11日. 2006年11月2日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ. 2012年8月16日閲覧.
- 1 2 ティモシー・コリングス著・熊倉重春訳 『ピラニアクラブ F1マネーに喰らいつけ』 二玄社、2003年、295頁。
- ↑ David Coulthard: Mark Webber airing his dirty laundry in public is risky strategy - Telegraph(英語)(2010年7月13日)2012年8月16日閲覧。
- 1 2 "Sebastian Vettel made a mistake in beating Red Bull team-mate Mark Webber but it is now time to move on" - Telegraph(英語)(2013年3月26日)2013年3月27日閲覧。
- 1 2 『ピラニアクラブ F1マネーに喰らいつけ』、297頁。
- ↑ 『ピラニアクラブ F1マネーに喰らいつけ』、276頁。
- ↑ The truth will out? - Grandprix.com(英語)(2006年9月19日)2012年8月16日閲覧。
- ↑ Sauber contradicts Fontana - Grandprix.com(英語)(2006年9月21日)2012年8月16日閲覧。
- 1 2 Turks fined only $5m - Grandprix.com(英語)(2006年9月19日)2012年8月16日閲覧。
| 前戦 1997年日本グランプリ |
FIA F1世界選手権 1997年シーズン |
|
| 前回開催 1996年ヨーロッパグランプリ |
次回開催 1998年ヨーロッパグランプリ |