1994年オーストラリアグランプリ

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オーストラリアの旗 1994年オーストラリアグランプリ
レース詳細
日程 1994年シーズン第16戦
決勝開催日 11月13日
開催地 アデレード市街地コース
オーストラリア アデレード
コース長 3.780km
レース距離 81周 (306.180km)
決勝日天候 曇り(ドライ)
ポールポジション
ドライバー
タイム 1'16.179
ファステストラップ
ドライバー ドイツの旗 ミハエル・シューマッハ
タイム 1'17.140 (lap 29)
決勝順位
優勝
2位
3位

1994年オーストラリアグランプリ英語:1994 Australian Grand Prix)は、1994年F1世界選手権第16戦として、11月13日にアデレード市街地コースで決勝レースが開催された。

概要[編集]

前週行われた日本GPの結果、ドライバーズチャンピオンシップではポイント首位のミハエル・シューマッハと2位のデイモン・ヒルの差が1点に縮まり、最終戦オーストラリアGPで雌雄を決することになった。最終戦がチャンピオン決定戦となるのは1986年のオーストラリアGP以来で、1991年に全戦ポイント制が導入されてからは初のケースとなる。

コンストラクターズチャンピオンシップでも、ヒルが所属するウィリアムズとシューマッハが所属するベネトンの差が5点という状況。ウィリアムズはタイトル3連覇、ベネトンはチーム創設以来初のタイトル獲得を目指した。

予選[編集]

展開[編集]

土曜日の予選2回目が雨に見舞われたため、金曜日の予選1回目のタイムでスターティンググリッドが決定した。最速タイムはCARTから復帰したナイジェル・マンセルが記録。マンセル自身、1992年のオーストラリアGP以来のポールポジション獲得となった。シューマッハは最終アタックを開始した直後の第1シケインで縁石に乗り上げてスピンし、タイヤバリアに激突。ヒルよりも前の2番グリッドを確保したものの、ダメージを負ったモノコックを交換することになった。ヒルはハンドリングの不調でタイムを伸ばせず、3番グリッドからのスタートとなった。

チャンピオン争いへの関与を注目されることになったマンセルだが、記者会見では「チームメイトのヒルを援護するのか」との質問を「彼ら二人でやってくれ。俺は俺のレースをするだけだ」と受け流した。

結果[編集]

順位 No ドライバー チーム タイム
1 2 イギリスの旗 ナイジェル・マンセル ウィリアムズルノー 1'16.179
2 5 ドイツの旗 ミハエル・シューマッハ ベネトンフォード 1'16.197 +0.018
3 0 イギリスの旗 デイモン・ヒル ウィリアムズルノー 1'16.830 +0.651
4 7 フィンランドの旗 ミカ・ハッキネン マクラーレンプジョー 1'16.992 +0.813
5 14 ブラジルの旗 ルーベンス・バリチェロ ジョーダンハート 1'17.537 +1.358
6 15 イギリスの旗 エディー・アーバイン ジョーダンハート 1'17.667 +1.488
7 6 イギリスの旗 ジョニー・ハーバート ベネトンフォード 1'17.727 +1.548
8 27 フランスの旗 ジャン・アレジ フェラーリ 1'17.801 +1.622
9 8 イギリスの旗 マーティン・ブランドル マクラーレンプジョー 1'17.950 +1.771
10 30 ドイツの旗 ハインツ=ハラルド・フレンツェン ザウバーメルセデス 1'17.962 +1.783
11 28 オーストリアの旗 ゲルハルト・ベルガー フェラーリ 1'18.070 +1.891
12 26 フランスの旗 オリビエ・パニス リジェルノー 1'18.072 +1.893
13 4 イギリスの旗 マーク・ブランデル ティレルヤマハ 1'18.237 +2.058
14 12 イタリアの旗 アレッサンドロ・ザナルディ ロータス無限ホンダ 1'18.331 +2.152
15 3 日本の旗 片山右京 ティレルヤマハ 1'18.411 +2.232
16 24 イタリアの旗 ミケーレ・アルボレート ミナルディフォード 1'18.755 +2.576
17 29 フィンランドの旗 J.J.レート ザウバーメルセデス 1'18.806 +2.627
18 23 イタリアの旗 ピエルルイジ・マルティニ ミナルディフォード 1'18.957 +2.778
19 9 ブラジルの旗 クリスチャン・フィッティパルディ フットワークフォード 1'19.061 +2.882
20 25 フランスの旗 フランク・ラゴルス リジェルノー 1'19.153 +2.974
21 10 イタリアの旗 ジャンニ・モルビデリ フットワークフォード 1'19.610 +3.431
22 11 フィンランドの旗 ミカ・サロ ロータス無限ホンダ 1'19.844 +3.665
23 19 日本の旗 野田英樹 ラルースフォード 1'20.145 +3.966
24 31 オーストラリアの旗 デビッド・ブラバム シムテックフォード 1'20.442 +4.263
25 20 スイスの旗 ジャン=デニ・デレトラーズ ラルースフォード 1'22.422 +6.243
26 32 イタリアの旗 ドメニコ・スキャッタレーラ シムテックフォード 1'22.529 +6.350
DNQ 33 フランスの旗 ポール・ベルモンド パシフィックイルモア 1'24.087 +7.908
DNQ 34 フランスの旗 ベルトラン・ガショー パシフィックイルモア 7'40.317 +6'42.138

決勝[編集]

展開[編集]

接触によるタイトル決定劇[編集]

決勝当日のアデレードは薄曇りの天気ながらもドライコンディションでレースが行われた。

スタートではポールシッターのマンセルがホイールスピンにより出遅れ、シューマッハがトップに立つ。マンセルはさらに5位まで順位を落とし、シューマッハ、ヒル、ハッキネン、バリチェロ、マンセルの順でオープニングラップを終えた。シューマッハは得意の先行逃げ切りを図るが、ヒルも遅れることなく追走し、先頭の2台がファステストラップを出し合いながら3位以下を引き離す展開となった。マンセルは15周目にバリチェロ、21周目にハッキネンをかわし、6位のアレジまでが僅差の第2集団を形成する。その後、最初のタイヤ交換を遅らせたベルガーが4位に浮上し、シューマッハ、ヒル、マンセル、ベルガー、アレジ、ハッキネン、バリチェロの順となった。

シューマッハとヒルは18周目終わりに同時ピットインし、最初のタイヤ交換と燃料給油を終えて、同じ順位のままコースに復帰した。その後も両者の差は2秒以内で推移し、緊迫したマッチレースが続いた。

アデレード市街地コース。⑤の左コーナーでシューマッハがコースアウトし、続く⑥の右コーナーでヒルと接触した。

36周目、直角コーナーが連続するイーストテラスに差し掛かったシューマッハは、左コーナーでマシンを滑らせてコースオフ。ウォールに右タイヤをぶつけ、失速しながらよろよろとコースに復帰する。後方から追いついたヒルは好機を逃さず、続く右コーナーでインサイドを突いた。しかし、シューマッハも譲らず、アウト側からラインを被せた結果、コーナリング中に両者が接触。ヒルの左前輪に乗り上げたシューマッハのマシンは中に浮き上がり、そのままタイヤバリアに激突した。

シューマッハのリタイアによりヒルがこのレース初めてトップに立ち、5位(2ポイント)以上でフィニッシュすれば逆転チャンピオンを決められることになった。しかし、接触の影響から左フロントタイヤがパンクし、スロー走行のままピットイン。タイヤを交換したものの、左フロントサスペンションのアッパーアームが曲がっていたためピットでリタイアとなった。

両雄の相打ちにより、シューマッハのドライバーズタイトル初制覇が確定。リタイア後コースサイドに佇んでいたシューマッハは、緊張から解放され喜びを噛みしめた。一方、ピットでしばし呆然としていたヒルは、ウィリアムズのクルーや友人のジョージ・ハリスンに健闘を労われた。ベネトンは6周目にもう1台のハーバートもリタイアしていたため、コンストラクターズタイトルはウィリアムズに決定した。

シューマッハはコースアウトの際マシンにダメージを負っており、ヒルはもう少し待てばリスクを冒さずとも抜くことができた。しかし、その場面の前に2台の間隔がやや開いていたため、ヒルはシューマッハがウォールに接触する瞬間を目撃しておらず、とっさにパッシングを仕掛けたことが凶と出てしまった。片や、シューマッハは自分のアクションについて「ウォールにぶつかったときにステアリングがおかしくなった。でも、コーナーに来たところでマシンは突然ターンした。変な動きでね[1]」と弁明した。

マンセル復活優勝[編集]

トップ2台のリタイア後、優勝争いはマンセルとベルガーのベテラン同士の争いとなった。ベルガーはマンセルの2度目のピットインで54周目にラップリーダーとなり、自身のピットイン後も僅差でポジションを守った。しかし、64周目にバックストレート手前の右コーナーでオーバーランし、マンセルがトップを奪回した。ベルガーはなおもマンセルを追うが、周回遅れのフレンツェンに邪魔されマンセルには届かなかった(6位走行中のフレンツェンは、ベルガーを7位のアレジと勘違いしていた)。

結果、ベルガーに2.5秒差をつけ、マンセルが1992年のポルトガルGP以来となる自身通算31勝目のチェッカーフラッグを受けた(マンセルにとってはF1キャリア最後の優勝にもなった)。3位をキープしていたハッキネンはブレーキトラブルで戦列を離れ、替わってチームメイトのブランドルが表彰台に登った。4位バリチェロに続き、シリーズ16戦中15完走を遂げたルーキーのパニスが5位となった。

結果[編集]

[2]

順位 No ドライバー チーム 周回 タイム/リタイア グリッド ポイント
1 2 イギリスの旗 ナイジェル・マンセル ウィリアムズルノー 81 1:47'51.480 1 10
2 28 オーストリアの旗 ゲルハルト・ベルガー フェラーリ 81 +2.511 11 6
3 8 イギリスの旗 マーティン・ブランドル マクラーレンプジョー 81 +52.487 9 4
4 14 ブラジルの旗 ルーベンス・バリチェロ ジョーダンハート 81 +1'10.530 5 3
5 26 フランスの旗 オリビエ・パニス リジェルノー 80 +1 Lap 12 2
6 27 フランスの旗 ジャン・アレジ フェラーリ 80 +1 Lap 8 1
7 30 ドイツの旗 ハインツ=ハラルド・フレンツェン ザウバーメルセデス 80 +1 Lap 10  
8 9 ブラジルの旗 クリスチャン・フィッティパルディ フットワークフォード 80 +1 Lap 19  
9 23 イタリアの旗 ピエルルイジ・マルティニ ミナルディフォード 79 +2 Laps 18  
10 29 フィンランドの旗 J.J.レート ザウバーメルセデス 79 +2 Laps 17  
11 25 フランスの旗 フランク・ラゴルス リジェルノー 79 +2 Laps 20  
12 7 フィンランドの旗 ミカ・ハッキネン マクラーレンプジョー 76 ブレーキ 4  
Ret 24 イタリアの旗 ミケーレ・アルボレート ミナルディフォード 69 サスペンション 16  
Ret 4 イギリスの旗 マーク・ブランデル ティレルヤマハ 66 接触 13  
Ret 20 スイスの旗 ジャン=デニ・デレトラーズ ラルースフォード 56 ギアボックス 25  
Ret 11 フィンランドの旗 ミカ・サロ ロータス無限ホンダ 49 電気系 22  
Ret 31 オーストラリアの旗 デビッド・ブラバム シムテックフォード 49 エンジン 24  
Ret 12 イタリアの旗 アレッサンドロ・ザナルディ ロータス無限ホンダ 40 スロットル 14  
Ret 0 イギリスの旗 デイモン・ヒル ウィリアムズルノー 35 接触 3  
Ret 5 ドイツの旗 ミハエル・シューマッハ ベネトンフォード 35 接触 2  
Ret 32 イタリアの旗 ドメニコ・スキャッタレーラ シムテックフォード 21 ギアボックス 26  
Ret 3 日本の旗 片山右京 ティレルヤマハ 19 スピン 15  
Ret 19 日本の旗 野田英樹 ラルースフォード 18 オイル漏れ 23  
Ret 10 イタリアの旗 ジャンニ・モルビデリ フットワークフォード 17 オイル漏れ 21  
Ret 15 イギリスの旗 エディー・アーバイン ジョーダンハート 15 スピン 6  
Ret 6 イギリスの旗 ジョニー・ハーバート ベネトンフォード 13 ギアボックス 7  
  • ファステストラップ - ミハエル・シューマッハ 1分17秒140 (LAP29)
  • ラップリーダー - ミハエル・シューマッハ (LAP1-35) 、ナイジェル・マンセル (LAP36-53,64-81)、ゲルハルト・ベルガー (LAP54-63)

補足[編集]

F1最終戦[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『F1グランプリ特集』12月号、ソニーマガジンズ、1994年11月、6頁。
  2. ^ 1994 Australian Grand Prix - Formula 1.com(2012年8月1日閲覧)

参考文献[編集]

  • GPX オーストラリアGP号』 山海堂、1994年
前戦
1994年日本グランプリ
FIA F1世界選手権
1994年シーズン
前回開催
1993年オーストラリアグランプリ
オーストラリアの旗 オーストラリアグランプリ 次回開催
1995年オーストラリアグランプリ