1995年日本グランプリ (4輪)
レース詳細 | |||
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日程 | 1995年シーズン第16戦 | ||
決勝開催日 | 10月29日 | ||
開催地 |
鈴鹿サーキット 日本 三重県 鈴鹿市 | ||
コース長 | 5.86403km | ||
レース距離 | 53周(310.79359km) | ||
決勝日天候 |
雨のち晴れ (ウェット、ドライ) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | |||
タイム | 1'38.023 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | ミハエル・シューマッハ | ||
タイム | 1'42.976(Lap 33) | ||
決勝順位 | |||
優勝 |
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2位 | |||
3位 |
1995年日本グランプリ (1995 Japanese Grand Prix) は、1995年F1世界選手権第16戦として、10月29日に鈴鹿サーキットで決勝レースが開催された[1]。
概要
[編集]1月に発生した阪神・淡路大震災の影響で、4月に予定されていたパシフィックGPが前週の10月22日に日程変更されたため、この年の日本GPは同一国での2週連続F1開催という珍しいケースになった。パシフィックGPの終了後、F1サーカス一行は岡山県のTIサーキット英田から三重県の鈴鹿サーキットへ移動した。
パシフィックGPでミハエル・シューマッハの2年連続ドライバーズチャンピオンが決定しており、日本GPではベネトンとウィリアムズのコンストラクターズチャンピオン争いが注目された。ベネトンはウィリアムズを21ポイントリードしており、ここでシューマッハが優勝すればベネトンの初タイトルが決定する。
予選
[編集]シューマッハが第6戦カナダGP以来となるポールポジションを獲得し、ウィリアムズのデビッド・クルサードの5戦連続ポールポジションを阻んだ。虫垂炎の手術のため前戦を欠場したマクラーレンのミカ・ハッキネンが3番グリッドを獲得した。
予選2回目、リジェの鈴木亜久里がタイムアタック中にS字コーナー入口でスピンし、後ろ向きでバリアに激突。鈴木は背中を強打して病院へ搬送され、決勝は不出場となった。1988年にF1デビューし、1990年には3位表彰台を獲得した想い出の日本GPが、鈴木にとって最後のF1レースとなった。
マクラーレンのマーク・ブランデルは金曜・土曜ともクラッシュしてマシンを壊し、予選最後尾グリッドとなった。
結果
[編集]順位 | No | ドライバー | コンストラクター | 1回目 | 2回目 | 差 |
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1 | 1 | ミハエル・シューマッハ | ベネトン・ルノー | 1'38.428 | 1'38.023 | - |
2 | 27 | ジャン・アレジ | フェラーリ | 1'39.127 | 1'38.888 | +0.865 |
3 | 8 | ミカ・ハッキネン | マクラーレン・メルセデス | 1'39.127 | 1'38.954 | +0.931 |
4 | 5 | デイモン・ヒル | ウィリアムズ・ルノー | 1'39.032 | 1'39.158 | +1.009 |
5 | 28 | ゲルハルト・ベルガー | フェラーリ | 1'40.305 | 1'39.040 | +1.017 |
6 | 6 | デビッド・クルサード | ウィリアムズ・ルノー | 1'39.155 | 1'39.368 | +1.132 |
7 | 15 | エディ・アーバイン | ジョーダン・プジョー | 1'40.153 | 1'39.621 | +1.598 |
8 | 30 | ハインツ=ハラルド・フレンツェン | ザウバー・フォード | 1'40.010 | 1'40.380 | +1.987 |
9 | 2 | ジョニー・ハーバート | ベネトン・ルノー | 1'40.349 | 1'40.391 | +2.326 |
10 | 14 | ルーベンス・バリチェロ | ジョーダン・プジョー | 1'40.381 | 1'40.413 | +2.358 |
11 | 26 | オリビエ・パニス | リジェ・無限ホンダ | 1'40.838 | 1'41.081 | +2.815 |
12 | 4 | ミカ・サロ | ティレル・ヤマハ | 1'41.355 | 1'41.637 | +3.332 |
13 | 25 | 鈴木亜久里 | リジェ・無限ホンダ | 1'42.561 | 1'41.592 | +3.569 |
14 | 3 | 片山右京 | ティレル・ヤマハ | 1'41.977 | 1'42.273 | +3.954 |
15 | 9 | ジャンニ・モルビデリ | フットワーク・ハート | 1'42.623 | 1'42.059 | +4.036 |
16 | 29 | カール・ヴェンドリンガー | ザウバー・フォード | 1'43.634 | 1'42.912 | +4.889 |
17 | 23 | ペドロ・ラミー | ミナルディ・フォード | 1'43.387 | 1'43.102 | +5.079 |
18 | 24 | ルカ・バドエル | ミナルディ・フォード | 1'43.940 | 1'43.542 | +5.519 |
19 | 10 | 井上隆智穂 | フットワーク・ハート | 1'44.386 | 1'44.074 | +6.051 |
20 | 17 | アンドレア・モンテルミーニ | パシフィック・フォード | 1'46.869 | 1'46.097 | +8.074 |
21 | 21 | ペドロ・ディニス | フォルティ・フォード | 1'46.654 | 1'47.166 | +8.631 |
22 | 22 | ロベルト・モレノ | フォルティ・フォード | 1'50.097 | 1'48.267 | +10.244 |
23 | 16 | ベルトラン・ガショー | パシフィック・フォード | 1'48.824 | 1'48.289 | +10.266 |
24 | 7 | マーク・ブランデル | マクラーレン・メルセデス | 16'42.640 | no time | +15'04.617 |
決勝
[編集]展開
[編集]アレジの熱走
[編集]前年の日本GPと同じく、決勝はウェットコンディションでのスタートとなった。全車レインタイヤを装着してグリッドに並んだが、スタート時点では雨は上がり、天候も回復に向かっている。
スタートではポールシッターのミハエル・シューマッハ(ベネトン)以下、ジャン・アレジ(フェラーリ)、ミカ・ハッキネン(マクラーレン)、デイモン・ヒル(ウィリアムズ)が順当に1コーナーを通過した。先頭のシューマッハをアレジが追う展開となるが、3周目にアレジとゲルハルト・ベルガーにフライングスタートの判定が下された。フェラーリの2台は前後してピットインし、ピットロードで10秒ストップペナルティを消化した。
コースはレコードライン上が乾き始め、レインタイヤのラップタイムが落ち始める。ペナルティで後退したアレジは7周目にピットインし、いち早くドライタイヤに交換した。アレジは最終コーナーで大スピンを喫するが、すぐさまレインタイヤを上回るタイムを記録。そのタイムを見た他チームも続々とマシンを呼び入れ、タイヤ交換作業を行った。しかし、路面はまだ滑りやすく、13周目にティレルの片山右京がダンロップコーナーでクラッシュ。16周目のシケインではジョーダンのチームメイト同士が絡み、ルーベンス・バリチェロがスピンしてリタイアした。20周目のシケインではザウバーのハインツ=ハラルド・フレンツェンがジョーダンのエディ・アーバインに追突し、ノーズを壊してピットインした。
アレジは早めの交換が成功して、ペナルティストップのロスを挽回。10周目のシケインでヒルをかわして2位に浮上すると、ファステストラップを連発しながら、トップのシューマッハとの差を1周1秒のペースで縮めていく。両者の差は2秒以内にまで縮まったが、シューマッハもタイヤが温まるとファステストラップを出して応戦する。25周目、ヘアピンを通過したフェラーリ・412T2が白煙を吹き始め、アレジの猛追は無念のリタイアに終わった。
ウィリアムズの失態
[編集]30周目を過ぎると2回目のタイヤ交換が行われ、上位はシューマッハ、ヒル、クルサード、ハッキネン、ジョニー・ハーバートの順となる。天候は晴れとなり、路面もドライコンディションに回復したが、コース上に撒かれたオイルや砂に乗ってコースアウトするマシンが続出する。
36周目、2位のヒルはスプーンカーブ入口でサンドトラップに飛び出し、フロントウィング交換のためピットインして5位に後退した。40周目、チームメイトのクルサードも同じ箇所でオーバーラン。コースに復帰後、裏ストレートから130Rにむけて減速した際、スプーンカーブで拾った砂利がサイドポッドから噴き出し、それに乗ってクラッシュした。41周目、ヒルにピットレーン制限速度違反のペナルティが下されるが、その周に再びスプーンカーブで砂に乗ってスピンし、リタイアした。ウィリアムズ勢の自滅により、この時点でベネトンのコンストラクターズタイトル初制覇が決定した。
シューマッハはピットイン以外はトップを譲ることなく、独走で日本GP初優勝を果たした。前週のパシフィックGPとあわせて、日本での2連戦を連勝で締めくくった。今季の勝利数は9勝となり、1992年にナイジェル・マンセルが残したシーズン最多勝記録に並んだ。
2位ハッキネン、3位ハーバートまでが表彰台を獲得。以下、アーバイン、オリビエ・パニス(リジェ)、ミカ・サロ(ティレル)までがポイントを獲得し、地元勢では井上隆智穂が12位で完走した。
結果
[編集]順位 | No | ドライバー | コンストラクター | 周回 | タイム | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | ミハエル・シューマッハ | ベネトン・ルノー | 53 | 1:36'52.930 | 1 | 10 |
2 | 8 | ミカ・ハッキネン | マクラーレン・メルセデス | 53 | +19.337 | 3 | 6 |
3 | 2 | ジョニー・ハーバート | ベネトン・ルノー | 53 | +1'23.804 | 9 | 4 |
4 | 15 | エディ・アーバイン | ジョーダン・プジョー | 53 | +1'42.136 | 7 | 3 |
5 | 26 | オリビエ・パニス | リジェ・無限ホンダ | 52 | +1 lap | 11 | 2 |
6 | 4 | ミカ・サロ | ティレル・ヤマハ | 52 | +1 lap | 12 | 1 |
7 | 7 | マーク・ブランデル | マクラーレン・メルセデス | 52 | +1 lap | 23 | |
8 | 30 | ハインツ=ハラルド・フレンツェン | ザウバー・フォード | 52 | +1 lap | 8 | |
9 | 24 | ルカ・バドエル | ミナルディ・フォード | 51 | +2 laps | 17 | |
10 | 29 | カール・ヴェンドリンガー | ザウバー・フォード | 51 | +2 laps | 15 | |
11 | 23 | ペドロ・ラミー | ミナルディ・フォード | 51 | +2 laps | 16 | |
12 | 10 | 井上隆智穂 | フットワーク・ハート | 51 | +2 laps | 18 | |
Ret | 5 | デイモン・ヒル | ウィリアムズ・ルノー | 40 | スピン | 4 | |
Ret | 6 | デビッド・クルサード | ウィリアムズ・ルノー | 39 | スピン | 6 | |
Ret | 21 | ペドロ・ディニス | フォルティ・フォード | 32 | スピン | 20 | |
Ret | 27 | ジャン・アレジ | フェラーリ | 24 | ギアボックス | 2 | |
Ret | 17 | アンドレア・モンテルミーニ | パシフィック・フォード | 23 | スピン | 19 | |
Ret | 28 | ゲルハルト・ベルガー | フェラーリ | 16 | 電気系 | 5 | |
Ret | 14 | ルーベンス・バリチェロ | ジョーダン・プジョー | 15 | スピン | 10 | |
Ret | 3 | 片山右京 | ティレル・ヤマハ | 12 | スピン | 13 | |
Ret | 16 | ベルトラン・ガショー | パシフィック・フォード | 6 | ドライブシャフト | 22 | |
Ret | 22 | ロベルト・モレノ | フォルティ・フォード | 1 | ギアボックス | 21 | |
Ret | 9 | ジャンニ・モルビデリ | フットワーク・ハート | 0 | スピン | 14 | |
DNS | 25 | 鈴木亜久里 | リジェ・無限ホンダ | 0 | アクシデント |
- No.25はドライバー負傷のため決勝不出走 (Do Not Start)。
第16戦終了時点でのランキング
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- 注:ドライバー、コンストラクター共にトップ5のみ表示。
脚注
[編集]- ^ a b c Henry, Alan (December 1995) [1995]. “1995 Grands Prix: Japanese Grand Prix”. Autocourse 1995-96. Hazleton Publishing. pp. 222-223. ISBN 1-874557-36-5
- ^ “1995年F1第16戦日本GP結果”. Everyday F1. 2012年2月14日閲覧。
- ^ a b “日本GP 1995”. ESPN F1. 2012年2月14日閲覧。
- ^ “1995 Japanese Grand Prix” (英語). Formula1.com. 2012年2月14日閲覧。
前戦 1995年パシフィックグランプリ |
FIA F1世界選手権 1995年シーズン |
次戦 1995年オーストラリアグランプリ |
前回開催 1994年日本グランプリ |
日本グランプリ | 次回開催 1996年日本グランプリ |