熊倉重春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

熊倉 重春(くまくら しげはる、1946年 - )は、日本自動車評論家モータースポーツ解説者1989年から1995年まで、自動車雑誌カーグラフィック(CG)』(二玄社)編集長。

来歴[編集]

専修大学卒業。1969年から自動車雑誌「カーグラフィック」編集部に在籍する[1]。1988年から同誌編集長を務めた後、1995年に独立してフリーランスの自動車評論家となった[1]

自動車評論[編集]

1970年に二玄社に入社、スポーツエディターとしてモータースポーツの取材の中心に活動を行う。1989年から1995年にかけて、CGの二代目編集長をつとめた。現在も『Web CG』などでの執筆を行っている。自動車一般の評論に関しては、日本の他の多くの評論家にみられるような、欧州車(特にドイツ車)偏重、あるいは国産車偏重な立場は取らず、比較的中立な評論を行っている。

F1ジャーナリスト[編集]

日本でF1専門雑誌が生まれる以前から、F1の報道を行ってきていたCG誌においてF1記事を担当していた、F1ジャーナリストの先駆け的存在。ナイジェル・マンセル自伝など訳書も手がける。自動車評論家出身とあってか感情的な物言いを嫌う傾向が強く、特に時に感情剥き出しの言動に走りがちな今宮純に対しては、度々批判的な発言を行うほどである。

冷徹な評論・解説に徹する所が「玄人好み」と言われる反面、「面白みには今ひとつ欠ける」、「物事が終わった後での分析やまとめに終始している」、「知識をひけらかし過ぎる」、との賛否両論に分かれる。また近年の複雑化したF1レースの戦略面には明るいとは言えず、特にその方面に詳しい川井一仁小倉茂徳に誤りを訂正されることもしばしばである。

1994年より、フジテレビが放送権を得た全日本F3000選手権の解説に抜擢された。1995年にそれまでF1中継の解説を担当していた今宮が、全日本F3000選手権の解説に異動したのを受けて、フジテレビF1中継(F1グランプリ)の解説者となった。しかし、上記のような一見冷徹で他人のことのように解説するため、ドライバーの立場から熱い語りを行う土屋圭市との間で、中継中にも関わらず感情的な激論となることがしばしばあった。翌1996年、今宮がF1解説に復帰したことに伴い、熊倉はフォーミュラ・ニッポン(この年に全日本F3000から名称変更)の解説者に戻った。

2003年より、CS放送(フジテレビ721フジテレビNEXT)での中継を独自に行うため、フジテレビ721放送分の解説者に就任し、主に東京のスタジオからの解説を担当している。現在では同チャンネルでの『F1 Legends』の解説も担当している。

F1中継におけるエピソード[編集]

  • 1995年のF1日本GPの中継において、ゲスト解説者として出演した土屋圭市違法競走型暴走族出身という経歴を元に、感情を露にする発言を多くしていたが、これに対して熊倉が放送中に批判的な発言に出た事で両者の関係は険悪となり、土屋は後に出演した番組内で暗に熊倉を批判する発言を行った。
  • もともと自動車専門誌の編集長であったため、一般車を中心とした体系的なコメント、持論が中心となっており、比較的FIAの意見を支持する傾向がある。実際の中継においても、チームなどの現場よりである元メカニックマンやモータースポーツジャーナリストとはしばしば激論が行われる。
  • 2000年に放送されたフジテレビ721の番組内で、自身はモータースポーツやF1の専業ジャーナリストではなく、自動車全般にまたがる「モータージャーナリスト」の立場であることを前置きしてコメントを述べる場面があった。これは自身が長いF1での取材歴を持つ一方で、決してF1の専門家というわけではないことを示唆する発言であり、番組に共演する今宮純、川井一仁、津川哲夫ら専門家への配慮と捉うことができる。

出演[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 自動車評論家・熊倉重春 三菱自動車(2006年10月)

外部リンク[編集]

先代:
小林彰太郎1962年4月〜1989年4月)
CAR GRAPHIC編集長
二代目:(1989年4月~1995年9月)
次代:
阪和明(1995年〜1999年)