煕子内親王

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凞子内親王

続柄 後鳥羽天皇皇女
称号 深草斎宮、大谷斎宮
全名 凞子(ひろこ)
身位 内親王准三宮
出生 元久2年(1205年
死去 不明
父親 後鳥羽天皇
母親 丹波局
役職 伊勢斎宮
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凞子内親王(ひろこないしんのう、元久2年(1205年) - 薨年不詳)は、鎌倉時代中期の皇族後鳥羽天皇皇女、母は丹波局。順徳天皇朝の伊勢斎宮深草斎宮、また大谷斎宮と号した。

経歴[編集]

建保3年(1215年)3月14日、順徳天皇即位に伴い11歳で斎宮卜定。同年9月21日、左近衛府初斎院入り。同4年(1216年)9月20日、野宮に入る。同5年(1217年)9月14日、伊勢群行。同6年(1218年)2月14日、准三后承久3年(1221年)4月20日、順徳天皇譲位により17歳で退下、同年8月21日帰京。寛喜2年(1230年)1月28日、26歳で出家

斎宮退下の後の消息は『明月記』にしばしば登場し、藤原定家神祇伯家と親しい関係にあったことが知られるが、天福元年(1233年)、29歳の頃の記事が最後である。また、その翌年に誕生した義子内親王(仲恭天皇の遺児、後の和徳門院)を養育したとする話も伝えられている[1]が、その後の消息は不明。

脚注[編集]

  1. ^ 『日本女性人名辞典』「和徳門院」(p314.)

参考文献[編集]