三菱銀行人質事件

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三菱銀行人質事件
MUFG Bank Kitabatake branch.jpg
場所 三菱銀行北畠支店
(現:三菱UFJ銀行北畠支店)
日付 1979年1月26日金曜日
標的 民間人、銀行員、警察官
攻撃手段 銃撃
武器 ショットガン
死亡者 5名(犯人、銀行員2名、警察官2名)
動機 借金の返済

三菱銀行人質事件(みつびしぎんこうひとじちじけん)は、1979年昭和54年)1月26日三菱銀行北畠支店に猟銃を持った男が押し入り、客と行員30人以上を人質にした銀行強盗および人質猟奇殺人事件である。

概要[編集]

1979年昭和54年)1月26日に、単独犯人の梅川昭美大阪府大阪市住吉区万代二丁目の三菱銀行北畠支店に銀行強盗目的で侵入した。客と行員30人以上を人質として立てこもり、警察官2名、支店長と行員、計4名を射殺(国内での人質事件では初の人質に死者が出たケースとなった)し、果てには女性行員を裸体にさせて行内の接客カウンター前で横一列に立ち並ばせ、籠城を続けた。

大阪府警察本部は投降するように交渉を続けたが、事件発生から42時間後の1月28日、SATの前身である大阪府警察本部警備部第2機動隊・零(ゼロ)中隊が梅川を射殺した。日本国内で発生した人質事件で犯人射殺により解決した事件は1970年5月12日瀬戸内シージャック事件1977年10月15日長崎バスジャック事件、本事件の計3件のみ(2018年現在)であり、本事件の解決以降は一例も存在しない。

ただし、本事件の解決以降も1980年1月31日熊野一族7人殺害事件(犯人が人質を取り籠城後に自殺。自殺前に人質は全員殺害された)[1]1985年3月24日三菱銀行横浜支店立てこもり事件(犯人1人逮捕、1人自殺)[2]1987年9月28日八大産業立てこもり発砲事件(人質1人死亡、犯人は後に自殺)、1992年7月8日町田市立てこもり事件 (1992年)(警官1人死亡)、2000年5月3日西鉄バスジャック事件(人質1人死亡)、2002年9月14日福岡県二丈町立てこもり事件(人質1人死亡)、2003年9月16日名古屋立てこもり放火事件(人質1人、警官1人、犯人1人死亡)、2004年5月18日栃木県宇都宮市立てこもり発砲事件(犯人自殺、同棲中の女性も死亡)、2007年5月17日愛知長久手町立てこもり発砲事件(警官1人死亡)のように犯人・人質・警察官が死亡した事件は存在する。また、一般犯罪での警察官による被疑者への発砲・死傷事件は毎年発生している。

本事件後、三菱銀行では2度の大型合併が行われたが[3]、事件のあった店舗は「三菱UFJ銀行北畠支店」として現存している。事件後に内部の全面改装が行われたが、建物自体は現在も当時のまま使用されている[4]

詳細[編集]

1月26日[編集]

事件発生状況[編集]

1979年1月26日、銀行の閉店時間である15時前ごろに、テラピンチ(当時、ゴルフをする際に被られていたハット・中央帽子製)を被り黒スーツに黒サングラス、白マスクの犯人こと梅川が5000万円を強奪する目的で銀行に押し入り、ニッサン・ミロク社製の猟銃(上下2連式12番口径)を天井に向けて2発発砲した。

梅川は現金をリュックサックに入れるように行員を脅したが、その際に非常電話で通報しようとした20歳男性行員を見つけ射殺(長時間意識はあったものの救出が間に合わず死亡)し、また流れ弾により男性行員と女性行員を負傷させた。観念した男性行員が現金を詰め込み、梅川は警察が到着する前に銀行から逃走する計画であったが、逃げ出した客が自転車で警ら中の住吉警察署警邏課係長に通報し、事件は発覚した。

通報から籠城まで[編集]

梅川の予想より遥かに早く楠本正己警部補が銀行に駆けつける。楠本警部補は犯人に銃を捨てるよう要求し天井に向けて威嚇発砲をしたが、梅川は楠本警部補の顔と胸を撃って射殺した。その前後に店から脱出した行員が近隣の喫茶店に飛び込み110番通報を依頼、行内の別の行員も警察直通緊急通報ボタンを押して通報。直後に阿倍野警察署パトカー阿倍野一号で駆けつけた巡査及び巡査長にも梅川は発砲し、前畑和明巡査を射殺した。もう一人の巡査長は防弾チョッキを着ていたため無事だった(予算の関係でパトカーのトランクには防弾チョッキが一着しか積まれていなかった)。

午後2時35分に大阪府警に銀行の異常事態が通知され、3分後には大阪府内の全署に緊急配備指令発令。緊急配備から2分後には武装警官およそ320名が銀行を包囲し、銀行付近500メートルの道路を閉鎖。すると梅川は行員にシャッターを下ろすよう命じ、銀行の出入口を閉鎖したが、その際現場に到着していた警察官がとっさに近くにあった看板や自転車等をシャッターの下に置いたため、シャッターは40cmの隙間を残して完全には下りなかった。

シャッターが閉じられた店内には客12人と行員31人の合計43人が梅川に人質に取られたが、うち親子連れと妊婦の客4人はすぐに解放されたため、人質の人数は39人になった。また人質とは別に梅川に気付かれずに貸し金庫室などに隠れた客5人が店内に残された。店内の状況は凄惨で、梅川によって殺害された者の遺体が人質たちのそばにあったままだった。

店内の状況[編集]

銀行に籠城した梅川は、猟銃で威嚇しながら、人質たちに対して、行内の机や椅子で、非常用出口や階段を塞ぐバリケードを作らせる。また、射殺した警官が所持していた拳銃を女性行員に命じて奪わせた。バリケード完成後、全員を整列させて点呼させ、「金を用意しなかったのが悪い」と言って支店長を至近距離で射殺した。その後、梅川は、狙撃隊から自分の身を守るために、男性行員全員を上半身のみ裸、女性行員には電話係を除く19人全員を全裸にさせ、『肉の盾』となるよう命令する。女性行員についてはただ脱がせただけではなく、ブラウス、ブラジャー、パンティに至るまで、ストリップを観るかのごとく、じりじりと楽しむように服の脱ぎ方の順番までも指示していった。行員はトイレに行くことも許されず、カウンターの隅で済ませるしかなかった。その後、梅川は、片親の女性行員1人にのみ服を着ることを許している。

やがて、梅川は、こういう状況の中でも冷静沈着な最年長の男性行員に対して、生意気だと怒り再び猟銃を発砲した。狙われたこの行員は、とっさに身体をずらしたため銃弾は急所をはずれたが、右肩に重傷を負った。この行員は態度だけが理由で撃たれたわけではなく、バリケードを作る際に梅川を怒らせまいと周りの銀行員たちを励まし指図しており、これを覚えていた梅川が後々抵抗されると厄介だと判断したことも狙われた理由とされている。梅川は、別の男性行員にナイフでとどめをさして、肝を抉り取るように命じるが、命令された行員は狙われた行員を守るために「もう死んでいる」と嘘をついた。

すると、梅川は、映画『ソドムの市』で死人の儀式を行うワンシーンの話を出した上で、「そんならそいつの耳を切り取ってこい。死んでるなら切れるだろ」とナイフを差し出して新たな命令を出す。命じられた行員は、激しく抵抗したが、散弾銃で撃たれた者の遺体と猟銃で狙われている恐怖により応じた。死んだふりをしていた行員は命じられた行員が来ると「かまわん」と小声で言う。命じられた行員は小声で何度も「すみません」と泣きながら耳元で呟き左耳を半分切除した。そして、その耳を梅川に差し出した。しかし、梅川は、耳を口にすると、まずいと言って吐き出した。耳を切り取られた行員は、失神し多量の出血となったものの事件解決後の緊急治療により、一命を取りとめた。また、撃たれた右肩は治療で二の腕にかけて人工骨が入れられ、12粒ほどの銃弾が摘出不能のために体内に残ったままとなった[5]。この行員は、激痛から夜明けに目覚め、左耳から流れる血液で、「Y(妻の名前) ツヨクイキロ コドモタチモツヨクイキロ」と遺言を書くも、後から流れ出る血液で遺言は消えてしまったと後にマスコミのインタビューに答えている。

その後、梅川は、行員らに向けて威嚇発射をするなど、いたぶって喜んでは、些細なことで癇癪を起こして「殺すぞ」と怒鳴りながら、真剣な顔をして銃口を突きつけたりした。

警察の対策[編集]

事件をうけて警察は銀行の2階の事務室に現地本部をかまえた。当時の大阪府警本部長の吉田六郎大久保清事件山岳ベース事件などの事件発生時に群馬県警本部長を務めた人物であり、本事件では自らが現地本部長を務めた。本部となった銀行2階の事務室から1階の梅川と電話で会話できるようホットラインを設置。外から当初パトカー113台、警官644名が銀行を包囲、銀行の半径1km内の交通をすべて遮断。本部は銀行の図面から、建物の北と東のシャッターと2階のドアなどに手動のドリルで小さな穴を7つ開け、外から中の様子を観察しようと試みた。午後6時半、ようやくひとつの穴から行内が見渡せるようになったが、店内は警官や行員の遺体が転がり、そのそばで「肉の盾」が動いている異様な光景が見えた(このシャッターの穴から見えた梅川の写真は後に毎日新聞がスクープ報道する)。そのほかに現金自動支払機を動かしその隙間からも室内を偵察していた。また店内放送のスピーカーの回線を逆にして梅川と人質の会話を傍受することに成功した。

吉田はこの年の3月で退官する予定だったが、事件発生当時は2府2県本部長会議の出席のため京都へ出張しており、吉田が出張先から戻るまでの間は刑事部長だった新田勇が現場指揮にあたった。吉田が出張先から大阪へ戻った時点でも梅川の素性は不明であったが、深夜岐阜県多治見市内で職務質問された男の自供から、梅川に頼まれてライトバンを盗んだこと、さらには銀行強盗の相棒を頼まれたが断ったこと、短気で感情を爆発させると何をするかわからない性格であることを多治見署ですべて供述していたことで梅川の素性が判明した。また男の証言通り、梅川が15歳で強盗殺人の罪で服役していたことが判明する。

夜、梅川が要求した400グラムのサーロインステーキとワインが届けられる。人質にはカップラーメンが差し入れられたが、「栄養がない」と梅川が怒り、代わりにサンドイッチや胃薬が差し入れられた。このカップラーメンは後に梅川が食べている。午後9時半、ひどい風邪をひいていた女性行員が解放された。警察は梅川が要求したビーフステーキに睡眠薬を入れることを検討したが、捜査員がステーキソースに液体の睡眠薬を混ぜて味見したところ、舌先に刺激を感じたこと、なにより梅川は用心深く、の混入を警戒し差し入れられた食事は全て人質に毒味をさせていたため、警察はこの方法を断念している。

1月27日[編集]

日付は変わり、しばらく膠着状態が続いていたが深夜2時頃、人質の客(76歳男性)がトイレに行かせてくれと申し出たところ梅川は年齢を聞くと解放。同じ頃、捜査本部は銀行の3階の女子更衣室に作戦指揮室を開設して指揮に当たった。

数時間後、ラジオの差し入れが遅いことに腹を立てた梅川はロッカーに向けて発砲。流れ弾により客と男性行員の2人が負傷。夜明け前にラジオが差し入れられ、そのラジオのニュースで自分の実名が誤った読み方で報道されていたことに激怒し、捜査本部に「俺の名前はテルミやない!アキヨシいうんや!報道のやつらにアキヨシだと言っておけ!」と言い放った。

1月27日の午前8時前に人質の客(41歳女性)が解放、9時30分には退職した大阪府警察本部捜査第一課の元刑事(57歳男性)が解放される。梅川に職業を聞かれた元刑事は身分を大工と偽っていたが、梅川はまったく疑わなかった。だがラジオが差し入れられてから、いつ梅川が自分の嘘に気づいて激怒して猟銃を発射するかと思うと生きた心地がしなかったと、マスコミのインタビューで述べている(事件が解決するまで、この事実は公表されなかった)。

10時半頃、梅川の母親と亡き父の弟が捜査本部に到着し説得を始めるも梅川が電話を切ったため失敗。手紙で母親が説得すると梅川はトイレの使用を認めるようになり(20秒だけであり、梅川本人は床に紙を敷いて済ませていた)。用を足しにきた行員らに、警察は2階から励ましたり作戦計画を伝えていた。梅川は全員に服を着ることを許可して、昼までに2人の人質(いずれも女性客)を解放した。

その後差し入れられた朝刊を女性行員に朗読させ、銀行にあった500万円の現金を用意させると、梅川は借金の支払い先を書いたメモを男性行員に渡し、借金を返済してくるよう命じる。午後1時半、弁当の差し入れと引き換えに人質の客(24歳女性)を解放。午後3時前、梅川の借金返済のため男性行員がハイヤーで出発し(同日午後10時ごろ銀行に帰る)覆面パトカーが追跡。ハイヤーに乗った男性が人質の銀行員らしき情報が報道陣に流れるも、この借金返済についてマスコミが知ったのは事件解決後であった。また、この借金返済は法律上無効であり、借金返済の金は警察により回収され銀行に戻された。

午後3時半、リポビタンDの差し入れの後に人質の客(19歳女性)解放。しばらくして行員の申し出により3人の男性行員の負傷者が解放される。3人のうち2人は大阪府立病院に、残る1人は阪和記念病院救急車で搬送。それから1時間後の午後5時前、最後の人質の客(25歳男性)を解放。梅川はこの人質が最もお気に入りだったらしく、この人質をKちゃんと愛称で呼ぶほどだった。午後6時、梅川に気づかれずに隠れていた客(合計5人)が、応接室、貸し金庫室、カウンターから捜査員の誘導により無事に脱出した。梅川は5名の存在も脱出も知らなかった。この際民間の錠前技術者が捜査本部の要請により技術協力し通用口等の鍵を解除、脱出支援を行った。

梅川は月見うどん、マカロニグラタン、ポタージュスープ、ローストビーフなどの夕食とボルドーワインのシャトー・マルゴー(当時、このワインの名を知る者は少なかった)を要求したが、銀行の向かいの酒屋にこのワインがなかったため、シャトー・ランゴア・バルトンとなる。午後7時、梅川がシャッターの穴に気づき、行員に穴を塞ぐように命じる。だが東のシャッターの穴だけは唯一、気づかれず事件終結までこの穴から梅川や行内の監視が続けられた。深夜、遺体の腐敗臭が強くなると、梅川と行員が協力し合って遺体を移動させる。1月28日の午前0時から、捜査本部は人質の苦痛はすでに限界と判断して突撃作戦を開始する。午前2時3分、救急隊員が行内に入り遺体を搬出。警察はこの時の混乱に乗じて梅川を狙撃逮捕する作戦を練ったが、梅川は人質の男子行員に自分の服を着せ、弾を抜いた猟銃を持たせ、自分は人質の服を着て拳銃を持ち人質に紛れ込む偽装工作をしていた。

1月28日[編集]

特殊部隊の突入[編集]

朝から機会を伺っていた警察は、人質の見張り役が前夜外出した行員と交代した直後、突入準備を開始した。トイレに来た行員から「今回はチャンスがあると思うので合図しますからよろしく」との伝言を受け、大阪府警察本部警備部第二機動隊・零中隊(SAT前身部隊)に待機させた。直後、梅川の至近距離にいて射撃の際に被弾する可能性のあった女性行員がお茶を入れるために離れた。のぞき穴から監視していた警察官からの報告を受け、吉田本部長は強行突破を指示した。零中隊員7名は、トレーニングウェアを着用して匍匐前進で侵入した[6]

1月28日午前8時41分、警察の作戦を知らされていた唯一の男性行員が、新聞を読みながら居眠りをし猟銃から手が離れていた梅川を確認、警察に掌を上下させ合図した。その直後、7名の零中隊員が人質に「伏せろ!」と叫ぶとともにバリケード代わりのキャビネットの隙間からカウンター内に突入する。零中隊員は拳銃[7] で計8発を発射し、そのうち3発が梅川の頭と首、胸に命中、梅川は床に崩れ落ちた。担架で固定された瀕死の梅川を逆方向にして、前を救急隊員、後ろを刑事が担いで運び出すが、救急車にたどりつく寸前で後方の刑事が転倒した。この転倒が致命傷となり梅川は死亡したという説や、すでに銀行内で即死していたという説もあるが、公式発表は出されなかった。梅川は天王寺大阪警察病院に搬送、意識不明の重体であったが脳波は確認され、2600㏄の輸血と銃弾の摘出手術を受けるも、右の頸部の貫通銃創が致命傷となり同日午後5時43分に死亡が確認された。梅川は人質に自分の服を着せて、弾を抜いた猟銃を持たせるという偽装を行い、自身は人質の服を着て人質の中に紛れ込み「人質解放や!」と叫んで混乱に乗じ脱走する計画を練っていたが、これは警察に見抜かれていた。

この事件の解決のため、大阪府警察本部刑事部は、現地本部に100名を派遣。時間外勤務手当6000万円、給食費220万円、梅川の入院治療費90万円など1億800万円の費用が投入された。殉職した二名の警察官には警察以外に総理大臣と関西財界から2000万円が贈られたほか、一般人3000人から3000万円が寄贈された。

事件の経過[編集]

昭和54年(1979年)1月26日(金曜日)[編集]

午前10時

犯人・梅川昭美(当時30歳)が大阪市住吉区の自宅マンション「長居パーク」を出る。筋向いの食料品店でコーヒー牛乳を飲む。その後、隣の理髪店パーマをかける。

午後0時

スナック焼飯を注文。店主に「忙しいので待って」と言われると「あとで来るわ。港区の友達に映写機を返しに行く」と言って出る。その後、近くの寿司屋ナマコを食べ日本酒を飲む。

午後2時30分 

梅川が大阪市住吉区万代東1丁目15番地の三菱銀行北畠支店西側駐車場にダイハツ・シャルマンバンで乗り付け、同支店1階に侵入。

午後2時31分 

猟銃(ニッサンミロク上下二連散弾銃)を2発、天井めがけ発射。ナップザックカウンター内に投げ込み「10数える間に5千万円を出せ」と要求。支店2階にいた支店長(当時47歳)が銃声を聞いて階下に下りる。1階にいたのは行員34人(男性14人、女性20人)、来客17人(男性7人、女性10人)の計51人。主婦A(当時61歳)は地下貸金庫室に身を潜め、主婦B(当時51歳)はカウンターの陰に伏せる。1階応接室にいた会社経営者(当時69歳)と長男(当時32歳)はそのまま応接室に隠れる。

午後2時32分

梅川は「早く出せ。出さんと殺すぞ」と脅迫、カウンターにいた窓口係・行員A(当時20歳)が2階に電話しようとしたのを見つけ、2発発射。うち1発がA行員に命中、死亡。もう1発は貸付係・行員B(当時26歳)の後頭部に命中、重傷。この間に定期預金の入金手続きに訪れていた主婦C(当時52歳)と来客係の女子行員(当時52歳)、男子行員(当時39歳)が脱出。

午後2時33分

自転車で支店東側を通りかかった住吉警察署警ら係長・楠本正己警部補(当時52歳)が主婦Cから事件の一報を受ける。

午後2時34分

楠本警部補が東通用口から支店1階に入る。行員はキャビネット上の現金を集め、梅川はカウンター上の現金12万円をポケットに入れる。

午後2時35分

楠本警部補が「銃を捨てろ」と威嚇。梅川の「撃つなら撃ってみろ」との返答に1発威嚇発射。弾は命中せず。梅川が1発発射し、楠本警部補の胸に命中。同警部補は「110番、110番……」と言いつつ死亡。脱出した男子行員が東側歩道の電話ボックスから、女子行員が西側の喫茶店「ハリマ」から110番通報。支店内の行員も非常ボタンを押す。

住吉署は発生配備、付近6警察署(阿倍野、西成、住吉、大正、堺北、松原)は周辺配備。本部関係109台、511人。住吉署14台、143人。阿倍野警察署15台、131人。その他の署30台、345人。総計車両168台、人員1130人が現場包囲。

午後2時37分

大阪府警通信指令室から指示を受け、阿倍野署警ら二係・前畠和明巡査(当時29歳)と永田幹生巡査長(当時34歳)のパトカー「阿倍野1号」が支店北側に到着。

午後2時38分

前畠巡査、行内に入る。梅川はカウンター内から前畠巡査に1発発射、同巡査は胸に被弾し死亡。

午後2時39分

阿倍野署警ら二係(西田辺派出所勤務)・東康正巡査部長(当時30歳)、能登原芳夫巡査(当時29歳)が交通指導取り締まり現場から自転車で支店に到着。東通用口から入る。この時、永田巡査長が北通用口から入ろうとしたが、梅川がすぐ近くにいるのに気付き「危ない」と叫ぶ。永田巡査長が身を伏せた直後、梅川の発射した散弾が傍の壁に命中。

午後2時40分

梅川が猟銃に実包を装填している間に「撃つぞ」と言い、東巡査部長が1発発射するも当たらず。梅川はシャッターを閉めるよう命じ、相談窓口係・行員C(当時47歳)が東、北通用口のシャッターを降ろし始める。

午後2時41分

東巡査部長は支店の外に出る。自転車や立て看板をシャッターの下に置き、シャッターは約40センチの隙間を残して止まる。府警第二方面機動警ら隊第一中隊第二小隊隊長・寺田伸司警部補(当時37歳)が北通用口から入った直後、至近距離から梅川が発砲。寺田警部補は防弾チョッキを着けており、慌てて着用したため下にずれたところに弾が当たる。C行員がシャッターの開閉ボタンから指を離したため、北通用口のシャッターも隙間を残して停止。

午後2時45分

住吉署の斎藤寛署長、藤田英雄刑事課長、田中義勝警ら課長らが到着。非常階段で2階へ。2階の行員から事情聴取開始。

午後2時48分

梅川、女子行員に射殺した楠本警部補の拳銃を奪わせる。

午後2時49分

カウンター陰に伏せていた主婦D(当時32歳)と長男(当時7歳)、次男(当時5歳)を見つけた梅川は「ボク、立てや」と言い、3人を解放。

午後2時50分

梅川、行員をカウンター内に一列に並ばせ「責任者は誰や」と訊ねる。支店長が「私です」と名乗り出ると「金を出さないからこうなるんや。お前の責任や」と言い、至近距離から発砲。支店長は右肩に被弾、死亡。

午後2時51分

梅川、男子行員に命じて2階に通じる階段前にスチールを並ばせバリケードを築く。田中警ら課長が大を持ち支店1階に入り、近くにいた行員を手招きするが行員は「警官が来たら殺される」と拒否。

午後2時52分

梅川、人質を並ばせ点呼を命じる。37番で終わる。「病人はおるか」との問いに来客の妊婦が「妊娠しています」と答えると解放。

午後2時55分

大阪・泉州地区で起きた連続放火保険金詐欺事件の容疑者岐阜県で逮捕されたため、名古屋市中区の中部管区警察局に出張、検討会を開いていた坂本房敏・府警捜査一課長と伊藤忠郎・捜査一課管理官に事件の一報。

午後3時

京都市の国際会議場の近畿本部長会議に出席中の吉田六郎・府警本部長に第一報。

午後3時5分

B行員がカウンター内で倒れているのを見た梅川、女子行員に「チリ紙で血を止めたれ」と命じる。新田勇刑事部長、三井一正警備部長、木口信和捜査一課調査官ら府警幹部が現場に到着。支店西駐車場で梅川が乗ってきたライトバン発見。事件の2週間前の1月12日夜、三重県四日市市焼肉店経営者(当時58歳)が自宅前で盗まれたものと判明。

午後3時10分

支店2階にいた斎藤署長ら「人質はまだバラバラでバリケードも完全ではない。突入するなら今だ。猟銃は二連だから犯人に2発だけ危険のない方へ撃たせるとよい」と考え、住吉署員による突入を計画したが、到着した新田刑事部長が無線で斎藤署長を呼び出したため中止。

午後3時11分

田中警ら課長が2階から1階支店長席に電話。梅川は出ず、応対した行員から死者4人、うち警官2人、行員2人であること、けが人が2人いることを聞き出す。

午後3時16分

支店東50メートルの路上に停めた多重無線車内に新田刑事部長を最高責任者とする「特別捜査本部」を設置。

午後3時25分

梅川、楠本警部補の拳銃を天井に向けて試射。

午後3時30分

特別捜査本部を支店2階支店長席に移動。この時、府警の警備体制は警察官636人、車両113台。

午後4時5分

多重無線車内に警察庁とのホットライン開設。負傷者救出に備え大阪消防局に手配要請。住吉、天王寺、南、東など各消防署に14の救急隊を編成、待機。一隊は救急車1台と隊員3人。府立病院、昭和病院、警察病院など大阪西南部27の医療機関に緊急搬送受け入れを要請。

午後4時46分

梅川、110番。「俺は犯人や。責任者と代われ」と要求。通信指令室の井上正雄管理官(警視)が出ると「もう4人死んどる。警官が入ってきたら人質を殺すぞ」と言い、電話を切る。

午後4時50分

梅川、C行員に金のありかや銀行の構造を訊くも返事が曖昧だったため「お前、生意気や」と言い、発砲。C行員は避けたが右肩に被弾し重傷。梅川は持っていた折り畳みナイフを男子行員に渡し、「とどめを刺せ」と命じる。行員が機転を利かして「もう死んでいます」と答えると「そんなら切れるやろ。耳を切れ」と命じたため、行員は「すまん。生きていてくれ……」と呼びかけつつC行員の左耳を半分切り落とす。

午後4時52分

梅川、女子行員に命じて「警官が見えたら、その都度、行員を1人ずつ殺す」と書いたメモを2階の警官に渡す。女子行員、「近づくのはやめて。警察が来れば人質を1人ずつ殺すと言っています」と110番。特捜本部が折り返し電話すると「電話なんかしないで。何もしないでよ。そうしないと、うちらが殺されるんよ!」。人質は警官の接近を競うようにして梅川に知らせ、外の報道陣にまで銃声と女の悲鳴が聞こえる。

午後5時10分

梅川、男子行員に「警官が1人でも入ったら人質を殺す」と110番させる。

午後5時30分

吉田本部長、坂本捜査一課長、伊藤管理官らが相次ぎ到着。吉田本部長は「私が前線で指揮を執る。1階がどんな状況かつかめ。死者とけが人を外に出せる方法を考えるよう」と幹部に指示。警察は負傷者手当てのため医師の立ち入りを求めるが梅川は拒否。

午後5時56分

梅川が発砲、女子行員に衣服を脱がせる。「片親のもんと電話係は脱がんでええ。他は全部脱げ」と命じ、女子行員18人を全裸にさせる。梅川は支店長席に陣取り、人質の女子行員を机の上に座らせる。3人の女性を周囲に立たせ、銃口を1人の背中に突き付けたまま「この銃は国産やが最高級や。すごい威力やで」。

「俺は遊び人やからオナゴの裸はようけ見てきとる。いまさら、ヌードの女が見とうて脱がせたんやないで。お前らは俺の家来や。家来は殿様の言うことはなんでもきかなあかん。それを証明するのに裸にしただけや。妙な気はあらへんよって、その辺の心配はせんでええ。けど、マスコミの奴らがどう書くかは保証でけへん。あいつら、エロ記事を書きさえすりゃ売れると思うてるさかい、面白おかしゅう書き立てるかもしれへん。そこまでは俺の責任やない」

午後6時40分

ライフル装備の府警狙撃隊が2階に入り待機。

午後6時45分

捜査一課特殊捜査班員が手動ドリルで東側シャッターに穴を開ける。1つの穴を開けるのに20分以上かかる。午後11時までに北、東に計7つの穴が開く。当初、レーザーの使用や硫酸でシャッターに穴を開けることも検討されたが、レーザーはトラック1台分の設備が必要で人間に照射した場合即死する可能性もあること、硫酸は垂れ落ちて溶解しなかったことから断念。

梅川、2階の支店次長に電話。「400グラムのステーキワインを持ってこい」と要求。特捜本部、要求を受け入れ、レストランから取り寄せる。同時に警察病院から液体睡眠薬を取り寄せ、ステーキソースに混ぜて坂本課長が毒見したが、舌先に刺激を感じたため睡眠薬で眠らせる作戦を断念。

午後6時54分

梅川が猟銃を発砲。客8人を東通用口に面したカウンターに沿って並ばせ、ロビーの監視を命じる。男子行員には北通用口と階段下の監視を命じ、「ポリの姿を見たら合図せい。少しでも遅れたら誰かが死ぬことになるで」。人質をトイレに行かせず、カウンターの外で済ませるよう命じる。自身は床に紙を敷いて済ませ、大便はゴミ箱にした後、臭気が漏れるのを防ぐためビニール袋をかぶせる。

午後7時

サーロインステーキとワインを差し入れ。15年前に支店が完成した際に工事に関わった建築、内装、電気、空調業者が呼ばれ、集まる。「大阪錠前技術研究所」の所員が支店南裏の地下貸金庫室に通じるドアの開錠作業を開始。

午後7時14分

警察が多重無線車近くの路上で記者会見。公報担当幹部が「犯人は、女子行員の何人かに上着を取らせている模様」と発表。

午後7時25分

梅川が猟銃を発砲。

午後8時

2階支店長室が手狭なため、特捜本部を3階女子更衣室に移動。吉田本部長、新田刑事部長、三井警備部長、友清三千夫刑事部庶務課長、木村好次警備一課長、中島元警備二課長、坂本捜査一課長、木口調査官、伊藤管理官が入る。

この頃、北通用口の西隣の通用口が施錠されていないことが判明。トレーニングウエア姿で裸足の捜査員がここから行内に入り、匍匐前進したが、行員に「近寄らないで」と言われ引き返す。その後も潜入捜査は続けられる。

午後8時26分

梅川、2階支店長室に「警察の偉いもんと代われ」と電話。木口調査官が出て「下の者は元気か」と問うと「みんな元気や。警官の姿が見えたら人質を殺す」と答える。木口調査官が「要求があるなら言え」「けが人を早く出せ」と言うと「けが人なんかおらへん。6人死んどる」と言い、電話を切る。

午後9時

吉田本部長、「今から1時間半以内に、どのようにすれば犯人を逮捕し、人質を救出できるか、最善の方法を考えるよう」と指示。木村、中島、坂本、伊藤、木口が協議に入る。

テレビ中継を見ている全国の視聴者から警察に抗議の電話が殺到。「警察は何もたついてるんや。催涙弾をぶち込んでいぶり出したらええのや」「カレーライスに睡眠薬を入れろ。カレーなら多少苦くても分からへん」「俺たちは暴走族だ。いつも警察と喧嘩ばかりしてるが犯人の残忍さに腹が立ってきた。防弾チョッキを貸してくれれば決死隊を集める。電気を消して突っ込めばうまくいく」。現場に突入しようとして機動隊に制止される酔っ払いも。

午後9時10分

梅川が発砲。

午後9時15分

応接室に隠れた会社社長から「犯人は時々発砲している。そちらの対策はどうなっているか」と書かれたメモが応接室の窓越しに捜査員に渡される。

午後10時

シャッターの「のぞき穴」から観察した結果、カギ型に並べた机の上に人質の女子行員が正座させられ、人間バリケードが築かれていることが判明。

午後10時45分

坂本一課長らが協議終了。「強行突入しかない」と吉田本部長に進言。同本部長は了承。突入は27日午前零時に決定。跳弾を避けるためライフルは使わず拳銃を使用し、突入隊は西側通用口から廊下伝いに入る。第二機動隊訓練指導担当・松原和彦警部が陣頭指揮に当たり、岩沢匡祐・警備一課管理官が「のぞき穴」からチャンスをうかがい、突入時期を判断。松原警部に無線で報告。突入班は33人。うち松原ら6人が突撃隊に決定。松原ら6人は3階会議室を1階に見立てて訓練を開始。警察庁から派遣された仲三男・刑事調査官課長補佐(警視正)が特捜本部に入る。

午後11時

梅川が発砲。

午後11時30分

岐阜県多治見市国鉄多治見駅前をうろついていた共犯の男(当時31歳)を多治見警察署駅前派出所所員2人が職務質問。共犯は「大阪の銀行強盗に使われた車は自分が盗んだ」と供述、同署に連行。

午後11時35分

田村隆司・警察庁刑事調査官特殊事件捜査指導官(警視)が特捜本部に入る。

昭和54年(1979年)1月27日(土曜日)[編集]

午前0時

のぞき穴から内部を見ていた捜査員から「梅川は自分の背後にも人質を並べた」と報告が入る。坂本一課長の「いけるか」との問いに松原警部は「無理」と答え、突入作戦は見送られる。

午前0時15分

人質行員から特捜本部に「犯人は警官を見たら殺す。疑うなら顔を出せと言っている」との電話。

午前0時25分

梅川から2階支店長室に「階段の下に要求書が置いてある。30分以内に持ってこい」と電話。要求書の内容は「ラジオアリナミンAカルシウム、人質の食事を差し入れよ。室内暖房をもう少し強くしろ」。その末尾に男子行員の追伸として「(犯人は)極悪非道そのものである」。

午前0時30分

伊藤管理官が1階支店長席の梅川に「要求は分かった」と電話。梅川は「死体がようけゴロゴロしてまっせ」と言う。

午前0時45分

多治見署が共犯を窃盗容疑で緊急逮捕。共犯は「梅川は小学校の同級生で、昨年12月23日に銀行強盗に誘われた。車は1月12日に三重県四日市市で盗んだ」と供述。岐阜県警から特捜本部に一報が入る。特捜本部は機動捜査隊員を住吉区の梅川の自宅マンション「長居パーク」に派遣。梅川が不在であることを確認し、犯人は梅川と断定。

午前0時52分

梅川が行員を通じて洋酒1本、日本酒一升、缶ビール2本を要求。折り返し伊藤管理官が梅川に電話。差し入れはビールだけと説得。

午前1時

特捜本部からカップめん10個と熱湯の入ったポットが差し入れ。女子行員が熱湯の入ったカップめんを同僚に差し出そうとすると「何しとる。お客さんを先にせんかい。それが当たり前やろ」と梅川が怒鳴る。「最初の差し入れがラーメンや。えらいお粗末やな。警察もケチなことをしよる」「ええか、これで分かったろ。サツなんてこんなもんや。俺を捕まえることに必死で、お前らのことなんて何も考えてへんのや」。

午前2時

震えている人質に梅川は「寒かったら、その辺に転がってる死体に灯油をかけて火をつけたらいいんや」と言う。女子行員は全裸、裸足。男子行員は上半身裸。「寒いもん、疲れたもん、おったら手を上げい」。思わず2,3人が手を上げるが「文句の多いやっちゃな。いっそ死んでもうたら寒くもつらくもないで」。

「小便したいもん、おらんか?」との問いに誰も手を上げず。梅川は笑って「今後はトイレの使用を許可する。ただし、1人20秒だけや。1秒でも遅れたら誰かが死ぬことになるさかい、よう覚えておき」。

午前2時5分

サンドイッチ10人分を差し入れ。続いてアリナミン、胃腸薬が届く。梅川、「こいつは疲労回復に効くさかい、みな必ず呑むんやで。まだまだ先は長いんやから」。

午前2時32分

行員が「ビールを早く。暖房を強めて」と電話。

午前2時40分

人質の男性会社員(当時76歳)が「トイレに行かせてくれ」と梅川に頼む。梅川は「お前、いくつや」と訊き「76」と答えると「帰ってもええ。ごくろうさん。長生きせえよ」と言い解放。

午前2時55分

「ビールが届かない。早く」と催促の電話。

午前3時

缶ビール1本を差し入れ。梅川は男子行員に毒見させ、15分後、異常がないことを確かめてから一息に飲み干す。

午前3時25分

梅川が「10分以内にラジオを入れろ。要求が通らない時は人質を殺す」と2階に電話。

午前3時53分

ラジオが届かないことに腹を立てた梅川が発砲。ロッカーに当たって跳ね返った散弾が庶務係の行員D(当時54歳)の顔に命中。D行員は床に倒れ、そのまま死んだふりをする。

午前3時55分

梅川、「10分以内にラジオを持ってこい」と2階に電話。

午前4時

梅川の母親(当時73歳)が香川県にいることが判明。特捜本部が香川県警に協力要請。県警は大内警察署に捜索を指示。

午前4時30分

女子行員から「殺されます。早くラジオを入れてください」と2階に電話。

午前4時45分

梅川は突然、「ビールのお返しや」と言い、客の女性事務員(当時24歳)を解放。

午前4時55分

女子行員から「お願いです。ラジオとお酒を早く。もう限界です。早く……」と2階に電話。

午前5時7分

梅川が「警察は何を考えとるんや。ラジオはどないなったんや」と電話。

午前5時15分

梅川が発砲。

午前5時50分

近畿管区警察局保安部長がキャッシュコーナーの現金自動預け払い機のキャビネットを外し、幅5センチ、長さ1メートルの隙間を作る。ここから梅川の姿を捉えることに成功。

午前6時

梅川が「ラジオと酒を入れんと、もう1人殺す」と電話。

午前6時12分

梅川が「何をしとるんや。早う持って降りてこい。言うてんのが分からんのか。これが最後や」と電話。

午前6時15分

特捜本部がトランジスタ・ラジオを差し入れ。梅川はしばらくラジオに耳を傾けていたが、「俺の名前はテルミやない。アキヨシ言うんや。ラジオじゃ俺の名前はテルミになっとるがな。今度、名前を間違うたら人質を殺す」と電話。

午前6時25分

梅川が酒を要求。

午前6時37分

梅川が2階に電話。「警察の責任者を出せ。強行突破するんやろ」。

午前6時55分

梅川が伊藤管理官に「被害を少なくするのがお前の役目やろ。酒を入れたら帰す」と電話。

午前7時

伊藤管理官が梅川に電話。「酒を入れる代わりに人質のうち客全員を解放しろ」。この後、ニュースで身元が判明したのを知った梅川は「もうバレたか。バレたらしゃあない。方法を考えんと……」とつぶやき、以後、電話や机についた指紋の拭き取りをやめる。

梅川、女子行員に洗面器に水を入れてくるよう命じる。坂本一課長、「のぞき穴」から観察。顔を洗うときは両手が塞がり、しかも水で視界が曇る。突入のチャンスだったが、梅川は右手で顔半分を洗い、左手で残りを洗う。銃は片手に握ったまま。同じようにしてタオルで顔を拭う。その様子を見たベテラン捜査員が「こいつは大した男やで。どうしても生きたまま捕えて調べてみんとな。暴発性と慎重さを備えた太夫さんは、そうザラにはいてへん。貴重な参考資料になるで」。

午前7時24分

カップ酒1本を差し入れ。

午前7時29分

男子行員から2階に「警官が顔を出さない限り、発砲はしないと犯人が言ってます」と電話。

午前7時40分

ラジオ差し入れの見返りに主婦E(当時41歳)を解放。行員には「最後は皆殺しや」と言う。

午前8時10分

錠前業者が地下貸金庫室に通じる銀行裏のドアを開け、隠れていた客を救出。

午前8時18分

梅川が2階に電話。「コーヒーまだか」。

午前8時30分

コーヒー35人分を差し入れ。

午前8時47分

梅川が伊藤管理官に電話。「玉出(西成区)の交差点の手前にレストランがある。その前に俺のマツダ・コスモが停めてある。トランクの中に知り合いの男から借りた8ミリの撮影機がある。俺は死ぬから、本人に返してくれ。トランクの中には散弾も入れてあるが、これは警察で処分してくれ」。この後、行員に車のキーを階段に置かせる。

午前9時5分

客の無職男性(当時57歳)を解放。この男性は元警官だったが、梅川には「大工の手伝いをしている」と答える。解放後もラジオで身元が判明することを恐れ、事件解決まで身を隠す。

午前9時15分

梅川が知人男性(当時33歳)に「カメラと自動車は返す。もう一生会えんやろ」と電話。この後、行きつけの喫茶店主(当時40歳)とミナミのスナック経営者(当時34歳)らに「借金を返す。女を人質に取ると、警察には効果があるで」と電話。

午前9時30分

特捜本部がレストラン前のコスモを発見。撮影機1台と散弾120発を回収。梅川が「朝刊をすぐに持ってこい」と電話。

午前9時38分

朝刊を差し入れ。

午前9時50分

大阪府警のヘリコプターが梅川説得のため母親を乗せて香川県引田町の住民総合グラウンドを離陸。

午前10時

梅川は女子行員に着衣を許可。

午前10時20分

梅川が電話で「ビールくれ」。ヘリコプターが支店東南2キロの長居公園グラウンドに着陸。

午前10時29分

母親が現場に到着。坂本一課長の「説得してもらえるか」の言葉にうなずき、「撃たれて死んでも構いません。下へ降ります」と言う。

午前10時38分

行員に命じてビール要求の電話。以後7回、同じ要求を繰り返す。

午前10時58分

梅川、ビールが届かないことに怒り発砲。

午前11時4分

伊藤管理官、梅川に「ビールは入れた。おふくろさんが心配して駆けつけた」と電話。梅川は「おふくろが来たら一緒に死んでもらう」。

午前11時48分

主婦F(当時25歳)をビールの見返りに解放。

午後0時8分

共犯を多治見署から住吉署に護送、到着。

午後0時30分

梅川が「おふくろへの遺産として500万円、俺の借金500万円を返したいが、あとで警察に没収されては何にもならん。没収されんような合法的な方法を考えるんや」と男子行員3人に検討させる。「銀行が融資したという形にしてはどうか」との意見が出る。梅川は「人質を解放する謝礼として、三菱銀行が自由な意思で金を出すということにして、上司の決裁をもらってこい」と行員に指示。行員は2階に上がり、支店次長と相談。次長は了承。

午後0時35分

行員が1階に戻る。

午後1時13分

特捜本部が弁当33人分を差し入れ。

午後1時45分

差し入れの見返りに客の女性事務員(当時24歳)を解放。

午後1時47分

伊藤管理官、梅川に「おふくろさんに代わる」と電話。母親が「もしもし」と呼びかけるも梅川は返事をせず切る。

午後2時42分

梅川が愛人への100万円など金の配達先8ヵ所を業務係長・行員E(当時40歳)にメモを取らせ、浪速区のスナック経営者(当時34歳)に「銀行員をあんたのところへ行かせる。道案内を頼む」と電話。E行員に配達を命じ、一時解放。その際、「相手に金を受け取らせるかどうかは、お前のやり方ひとつや。それで人質の命がどうなるか決まる。失敗したら人質全員を殺す。金を渡したら、そのたびに電話してこい」と指示。

午後2時45分

E行員、支店を出発。

午後2時55分

女子行員に命じて「リポビタンDを3本入れろ。代わりに人質を出す」と電話。

午後2時58分

特捜本部が母親の書いた手紙を1階に届ける。梅川は女子行員に代読させるが、首をかしげるのを見て「おふくろはそんな字しか書けへんのや」と話す。さらに「俺にはおふくろしかおらんのや。俺は子供の頃からおふくろと一緒に苦労したんや。おふくろは大好きや。一緒に暮らしたいんや」「俺は子供の時、勤め先の人妻を刺し殺して刑務所に入ったことがある。俺が殺すのは男だけと思うな」「銀行強盗は18日か19日にやるつもりやった。都合が悪くなって延びた。猟銃で脅したら2,3分で金を出すと思っていた。乗ってきた車で逃げるつもりで、着ていたコートを脱いだら服装も変わるので、客に交じって逃げるつもりだった」などと話す。

午後3時12分

リポビタン差し入れの見返りに客の女性事務員(当時19歳)を解放。

午後3時15分

行員が負傷した行員B、C、Dら3人の解放を懇願。梅川が「あかん」と拒絶すると倒れていたC行員が「出してくれ」と起き上がる。梅川は「お前、まだ生きとったんか。殺したる」と猟銃を向けるが、行員が「出してやってください」と頼むと「3人を出したれ」と指示。

午後3時35分

負傷した3人が解放される。

午後4時

E行員から梅川に「予定通り配っている」と電話。

午後4時5分

E行員、支店次長に同様の電話。

午後4時24分

梅川が「月見うどん17、マカロニグラタン1、ポタージュスープ9、ローストビーフ1、シャトーマルゴーの69年ものワイン。シャトーがなければシャンテミリオンオブリオン。ワインはボネール(現場近くのレストラン)にある」と差し入れ要求の電話。

午後4時38分

人質を通じて電話。「人質は死んでいると思ったが、生きているので出した」。

午後4時54分

客の鉄工所所員(当時25歳)を解放。

午後5時40分

人質から「夕刊を届けて」の電話。夕刊を差し入れ。

午後6時5分

応接室にいた社長父子がドア越しに捜査員の誘導で廊下伝いに西側通用口から脱出。ローストビーフ、ワインなどの差し入れ。梅川は人質に「これが最後の晩餐会や」。

午後6時30分

E行員、梅川と特捜本部に電話。「配るのは10時頃までかかる」。

午後6時45分

カウンターの陰に隠れていた主婦Bが這いながら廊下伝いに脱出。

午後7時1分

梅川、女子行員に「寝てもいい。12時までに決着をつける」。

午後7時7分

正露丸パンシロンを要求。

午後7時18分

薬を差し入れ。

午後8時15分

うどんの差し入れを要求。

午後8時30分

うどんを差し入れ。

午後9時

E行員、伊藤管理官に「5件の借金を返した。残りは明日返す」と電話。伊藤管理官が梅川に電話で伝える。

午後9時37分

風邪をひいてのひどい女子行員(当時24歳)を解放。

午後9時39分

E行員、特捜本部に入る。警察はEに突入計画を伝え、「チャンスがあれば合図をくれ」と説得。

午後10時10分

E行員、支店1階に戻る。

午後11時5分

E行員の報告に満足した梅川、発熱していた女子行員(当時40歳)を「これが最後や」と解放。この時点で人質は男子行員7人、女子行員18人の計25人。

昭和54年(1979年)1月28日(日曜日)[編集]

午前0時4分

梅川、射殺された前畠巡査の拳銃を取ってくるよう男子行員に指示。C行員の耳を削がせたナイフを渡し「これで吊り紐を切れ」。試射を試みるも安全ゴムが引き金にはめられているのに気付かず「故障しとるわ」と机の上に投げ出し、実弾5発を抜き、うち4発を楠本警部補の拳銃に装填。前畠巡査の拳銃をキャンプ用具で解体。

午前0時25分

ズボンを脱がされていた営業係の男子行員(当時19歳)に梅川は自身がズボンの下に履いていた変装用の緑のジャージを渡して履かせる。

午前0時55分

梅川、2階に電話。「ブラシ乳液カミソリ石鹸パッチ、タオルを差し入れろ」。まもなく特捜本部が差し入れ。

午前2時3分

行内に放置されたままの4人の遺体が腐臭を発したため、男子行員が「外に出してください」と懇願。梅川は了承。

午前2時33分

捜査員が階段下に担架を置き、男子行員が支店長とA行員の遺体を乗せ、2階に運び上げる。その後、支店西駐車場に待機していた救急車で住吉署3階講堂の安置室に搬送。

午前2時40分

楠本警部補、前畠巡査の遺体が住吉署仮安置室に搬送。

午前3時25分

女子行員に命じ、ビタミン剤と朝刊の差し入れを要求。

午前3時50分

女子行員2人が洗顔の際に外したコンタクトレンズを入れるケースが必要になり、女子行員1人が特捜本部のある3階女子更衣室に取りに行く。梅川は「戻らなければ1人殺す」と脅迫。特捜本部、女子行員から簡単な事情聴取。

午前4時

梅川、人質に「お前ら、顔色が悪い」と言い、ラジオ体操をさせる。男子行員には逆立ちを命じる。体操をせず居眠りしていた男子行員に「みんな逃げた。残っているのはお前だけや。殺してやる」とからかう。

午前4時42分

仮安置された4遺体、司法解剖のため阿倍野区の大阪市大法医学教室に搬送。

午前4時45分

梅川が人質に「メシを食おう。お前ら、何でも好きなもん注文せえ。豪華メニューで行こ」と言い、女子行員にメモを取らせる。

午前5時10分

梅川が電話。ステーキやメロンなどの注文を読み上げる。この時、警察の対応が気に入らないと言い、1発発砲。特捜本部の問い合わせに「眠気覚ましの一発や」。

午前5時14分

梅川が「7時15分なのに、なんで朝刊を差し入れんのや」と電話。伊藤管理官が「いま5時すぎやないか」と答えると「俺の間違いや」と電話を切る。

午前6時40分

梅川、女子行員に洗顔を許可。自身もポットの残り湯で髭を剃る。

午前6時57分

特捜本部、おにぎり20個、スパゲティ3皿、味噌汁12杯、トースト3枚、きつねうどん1杯、バター1本、あられ3袋、アイスクリーム25個、メロン5玉を差し入れ。人質はほとんど手をつけず。

午前7時10分

1階トイレに来る行員に捜査員が「突入する。その時は身を伏せろ」と指示。

午前7時30分

前日、借金の返済後に突入作戦への協力を依頼されていたE行員がトイレへ。「今回はチャンスがあると思います。合図をしますのでよろしく」と捜査員に伝える。

午前7時53分

朝刊差し入れ。梅川は支店長席に座り、女子行員に読ませる。

午前8時

E行員、見張りに立つ。のぞき穴から見ていた捜査員が「チャンスあり」と特捜本部に報告。突入隊の松原警部以下6人が臨戦態勢に入る。余計な物音を消すためを脱ぎ、動きやすくするためヘルメットは被らず防弾チョッキのみ。

午前8時1分

梅川が人質全員に「後ろを向け」と指示。自分が着ていた背広帽子サングラスを男子行員に着けさせ、自身は行員の服を着て変装する。さらに行員に弾を抜いた猟銃を持たせ、自分は楠本警部補の拳銃を持ち、「この格好で“人質解放や”言うて表に出るんや。うまいこと逃げられるやろ」と言う。

午前8時15分

梅川の偽装工作に驚いたE行員は「このままでは身代わりの行員が撃たれる」と判断。西通用口から入ってきた突入隊に「今はダメだ」と合図を送る。

午前8時20分

梅川が男子行員と再び服を交換。元の服装に戻る。突入隊が再び接近開始。

午前8時25分

梅川、猟銃に再び実包を装填。

午前8時30分

梅川、メロンを食べた後、支店長席に座り、猟銃を片手に新聞を自分で読み始める。E行員、「チャンス」と手招き。

午前8時40分

梅川の傍で机の上に座らされていた女子行員が、を汲みに行くよう命じられ、梅川から離れる。突入隊と梅川の間に人質がいなくなる。

午前8時41分

のぞき穴から監視していた岩沢管理官が無線で松原警部に報告。松原は「突入」と隊員に伝え、6人がカウンター越しに8発発射。梅川は頭と首に3発被弾。「殺すぞ」と呻きながら床に倒れる。捜査員が一斉に突入し、人質全員を確保。

午前8時49分

血まみれの梅川が担架で行内から運び出され、救急車で搬送される。

午前9時18分

梅川を乗せた救急車が天王寺区大阪警察病院災害救急センターに到着。医師10人による緊急手術開始。左側頭部から縦に入った一弾を首から、右肩から縦に入った一弾を右胸から摘出。もう一弾は右首から左胸に貫通。

午前9時41分

人質が次々に救急車で大阪市内の7ヵ所の病院に搬送。

午前11時

住吉署講堂で吉田本部長らが記者会見。「事件は一応の解決をみたが、4人もの生命が奪われたことは痛恨のきわみだ。今回の事件は従来の人質事件と違い、犯人の目的が理解できなかったので苦労した。犯人とは電話で直接接触をつづけたが、反警察的な言動が終始変わらなかったこと、人質と服装を取り替え逃走する気配がみえたこと、それに睡眠不足でまどろんできたことで突入に踏み切った。解決にあたっては瞬時に行動を抑制し、生きたまま確保するのが理想だが、口で言うようにうまくいかない。拳銃の使用は正当だったと信じている」。

午前11時30分

梅川の母親が20分だけ面会を許され「もうあかんでしょう」。

午後5時43分

梅川の死亡確認。

特記[編集]

  • 本事件はNHK大阪毎日放送朝日放送関西テレビ読売テレビの5局が解決まで中継放送している。突入→狙撃(当然ながら映っていない)→血まみれの犯人搬送→人質解放の一部始終はVTRと16mmフィルムの両方で保管されているが、読売テレビのみがVTRで保管していなかったため同局に限りVTR映像がない。この一件で読売テレビのローカル報道の取り組みが遅れていることが露呈され、これをきっかけにローカルワイドニュース番組が編成されることになったといわれている[8]。またサンテレビ[9]では本事件による番組差し替えは行われなかった。
  • 1979年1月27日の事件当日、TBS系列局では夜9時からドラマ『Gメン'75』の放送を予定していたが、同日の放送内容が銀行強盗をテーマとしていたため、急きょ同番組を放送中止とし、本事件の報道特別番組に差し替えた。
  • 1979年1月26日の事件発生から4日後、日本テレビ及び同時ネット局では夜9時からドラマ『大都会 PARTIII』第17話として予定されていた「警官ギャング」を、本事件の影響を受けて「誘拐」と差し替えて放送した。放送予定だった「警官ギャング」は2週遅れのかたちで2月13日に放映された。
  • 1979年1月28日の突入実行時、TBS系列局では『時事放談』を放送していた。突入するや制作局のTBSテレビは放送を中断して毎日放送の映像に切り替えた。同番組の放送中断はこの日のみだった。中断に際しては出演者に事前承諾は得ており、番組進行役の細川隆元は番組冒頭に「いつ、画面が切り替わるか分からんが…」と発言していた。
  • 梅川が人質をとって立てこもった後大阪府警は北畠支店のシャッターに穴をあけて写真を撮影していたが、この写真を解決後に毎日新聞が入手し、スクープ記事として全国に配信している。
  • 本事件については逸見政孝が『逸見の情報案内人・素敵にドキュメント』(朝日放送)で「私が(フジテレビ在籍期に)報道番組でお伝えした数多くの事件の中で最も衝撃のあった事件です」と、発言している。逸見の出生地である大阪市阿倍野区阪南町と、本事件が起きた三菱銀行北畠支店がある大阪市住吉区万代は徒歩圏内で近接しており、現場付近では北側の南港通が両区の境界となっている。また、北畠は阿倍野区の地名である。
  • 梅川は高校を半年で中途退学しており高学歴では無かったが、毎月本に1万円を費やすほどの読書家であり、自宅から「ヒトラー」「ムッソリーニ」「スターリン」「チャーチル」「ドストエフスキー」「ニーチェ」などの伝記物、大藪春彦などのハードボイルド小説、六法全書経営学医学などの書籍が600冊出てきた。中学・高校の成績は平均以下だったが、本好きのため国語だけは高かった。また、バーテンやツケ取り立て人として長い間不特定多数の客と接してきた経験から記憶力が高く、39名の人質の顔と姓名を全部覚えていた。
  • 梅川が15歳で大竹市強盗殺人事件を起こして逮捕されたが、強盗殺人罪なら本来は死刑または無期懲役判決になるところ、少年法により1年半ほどで中等少年院送致だけで済み、少年法第60条による少年時代の殺人歴が銃刀法第5条の不許可条項に該当しなかったため住吉警察署より猟銃所持許可を出されていた。後のマスコミのインタビューで、人質たちが異口同音に少年法改正を訴えたが、全国紙では梅川の前歴には触れても、短期間で仮退院していたことや少年法の問題に触れることはなかった。
  • 本事件発生当時は俳優田宮二郎の猟銃自殺[10]がまだ大きな話題となっていた時期であり、その最中に猟銃を使用した本事件が発生したことから世間に与えた衝撃はより大きなものとなった。ただし、田宮の猟銃自殺と本事件で梅川が猟銃を使用したこととの関連性は不明である。
  • 2009年3月1日にフジテレビが報道特別番組フジテレビ50ッスth!』で本事件を取り上げた際に梅川を狙撃した警察官として登場した人物が実際には突入狙撃班には入っていなかったことが判明し、3月13日に訂正放送が行われた。
  • 本事件を題材とした映画『TATTOO<刺青>あり』は、犯人と付き合っていた女性の中には、3代目山口組田岡一雄を銃撃したことで知られる鳴海清が付き合っていた女性がいると示唆するストーリーである[11]。事件後に取材をした毎日新聞の記者もこの情報を得ていた[12]

脚注[編集]

  1. ^ 三重・一族7人殺し
  2. ^ 第876話【時折今日の横浜】3月24日 | YOKOHAMA xy通信
  3. ^ 1996年東京銀行との合併で東京三菱銀行へ商号変更。2006年に東京三菱銀行とUFJ銀行との合併で三菱東京UFJ銀行に商号変更した後、2018年に三菱UFJ銀行に商号変更。
  4. ^ 三菱UFJ銀行北畠支店
  5. ^ 耳を切り取った行員の行為自体は、傷害罪の構成要件に該当するものであるが、切り取られた側の行員が被害届を出さなかったことと事件の状況を考慮し、立件はされなかった。
  6. ^ 『戦慄 昭和・平成裏面史の光芒』(著者麻生幾、新潮社、1999年)によれば、大阪府警察本部の零中隊は事件当時、専用のアサルトスーツ(突入服)を装備していたが、部隊の存在を秘匿するため突入服を着用せず、代わりにトレーニングウェアを着用したと記載されている。
  7. ^ 『戦慄 昭和・平成裏面史の光芒』(著者麻生幾、新潮社、1999年)によれば、この時、零中隊が使用した拳銃はスミス&ウエッソン(S&W)社製の45口径拳銃だったと記載されている。 事件当時の警察が使用していた拳銃で該当するものは、S&W社の「M1917」回転式拳銃である。この銃はニューナンブM60が配備される以前に、米軍から支給されたものである。
  8. ^ 本事件発生当時、読売テレビを除く在阪3局は、すでにローカルワイドニュースを平日に編成していた(毎日放送『MBSナウ』、朝日放送『たいむ6』、関西テレビ『アタック630』)。
  9. ^ 本来は兵庫県が放送対象地域であるが、スピルオーバーにより大阪府も視聴可能地域となっている(当時、テレビ大阪は未開局)。
  10. ^ 前年暮れの1978年12月28日に発生。
  11. ^ 文藝春秋社週刊文春』2009年4月2日号
  12. ^ 文藝春秋』2010年10月号 p,306

関連書籍[編集]

関連項目[編集]

  • ストックホルム症候群:本事件においても、見張り役をさせられた行員が警官の侵入に対し「入るな」や「警官がいます」など、犯人に協力する姿勢を示すということがあった。このような行動は、期待可能性不存在を理由に、犯罪とはされない。
  • 水谷勝海:元毎日放送アナウンサー。この事件解決までの2日間の中継リポートを担当した。

外部リンク[編集]