泉ピン子

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いずみ ぴんこ
泉 ピン子
本名 武本 小夜(本名)
江口 小夜(旧姓)
別名義 三門 マリ子(旧芸名)
生年月日 (1947-09-11) 1947年9月11日(76歳)
出生地 日本の旗 日本東京都中央区
血液型 B型
職業 女優
活動期間 1966年 - 現在
配偶者 あり
主な作品
おしん
渡る世間は鬼ばかり
おふくろ先生の診療日記シリーズ
 
受賞
第26回菊田一夫演劇賞
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泉 ピン子(いずみ ピンこ、1947年9月11日 - )は、東京都中央区出身の女優コメディエンヌ漫談家。現在は熱海市に在住している。所属はケィ・サイド血液型B型。身長154cm。

本名・武本 小夜(たけもと さよ)、旧姓・江口(えぐち)。

デビュー直後の芸名は三門 マリ子(みかど マリこ)。

親族

  • 夫は消化器内科医の武本憲重。
  • 泉とは別の愛人との間に二人の娘がおり、長女は義母である泉の仕事に興味をもった。現在、泉沙織(いずみ・さおり)としてアマチュア・エンタテインメントで活動している[要出典]
  • 父は浪曲師の広沢竜造。
  • 継母は浪曲師の三門お染。

来歴

日本音楽高等学校中退。

1966年牧伸二に師事して、『三門 マリ子』(みかど まりこ)の芸名で歌謡漫談家としてデビューするも、キャバレー回りが続く。小林幸子は当時から互いの低迷時代の苦労を知っている親友である。

1975年に『テレビ3面記事 ウィークエンダー』(日本テレビ系)の番組レポーターを担当したのを機に、改名し「泉ピン子」となる。その後、女優業に転身し、歌謡曲の歌手としても1977年に「哀恋蝶」が40万枚のヒットを記録している。

1983年NHKで放送された連続テレビドラマおしん』に母親役で出演したことがきっかけで女優として評価を得る。加えて同作の脚本を書いた橋田壽賀子に高く評価されたことにより、以降は橋田作品のドラマや映画に数多く出演する。

1990年に『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)が放送開始、以後20年以上に渡りシリーズ化で放送され泉の代表作の一つとなる。長いセリフにも動じない安定した演技で、以来現在まで橋田ファミリーの旗頭的な存在である(後述「橋田ファミリー関連」参照)。

現在、女優業の傍ら『渡る世間』でのおとなしい嫁役とは相反し、バラエティ番組では元コメディエンヌとしての才を活かし、テンションも高く時に辛口コメントを交えながら達者なトークで活躍。

人物

歌謡漫談家時代

歌謡漫談家のネタの中にはコント55号が作成したものもある。ある日、街角でキャバレーの呼び込みに「うちで働かない?」と声をかけられたが、「はばかりながら、こっちはもっといい商売やってんだよ!」と一蹴した。キャバレーの呼び込みは、「いけね。トルコ嬢に声かけちまった」と言ったという。

芸名について

「泉ピン子」の芸名は芸能人であることをずっと反対していた父親が「芸人にはピンからキリまであるのだから、志しの一番なピンの芸人になれ」と、泉に話したことから。ただし、本人によると理由として他に「顔が丸くて麻雀牌のイーピンみたいだから」「泉の部分は『過去に泉という名前で売れた芸能人がいないので、お前で試す』と言われた」とも語っている[1]

元芸人として

元々はコメディエンヌコメディアン)であったのにかかわらず、その過去はなかった事にして、自身を「女優」と公言する姿に『ウィークエンダー』で共演した桂ざこばなどから「生意気だ」と批判されていた(ちなみにピン子とざこばとは現在も不仲で関係が修復しておらず、彼女のドラマ以外の発言では否定的である)。一方では、漫談家としてデビューした当時の先輩芸人とのエピソードを嬉々として語る[2]など、2011年現在は自身が芸人出身であることをまったく隠していない。

エピソード

橋田ファミリー関連
  • 「橋田ファミリー」の一人としても有名であるが、泉自身は「“ファミリー”って嫌いなんですよね。(マスコミや視聴者など)皆がつけちゃったんで、ファミリーじゃないわよ」と発言している[3]
  • 橋田とは赤木春恵などと共にプライベートでも一緒に旅行に行くなどの交友があり、さらに橋田の熱海の家に遊びに行くうちに泉も熱海にマンションを購入し移住することとなった。なお、泉の話では購入したマンションの金額よりマンションの改造費用の方が高かったとのことである。
  • 同じ橋田ファミリーのえなりかずきにスボンにシャツを入れるよう強要し、2009年現在も彼にそれを守らせている。
  • 元々愛煙家だったが禁煙を始めてから徐々に太り始めてしまったそうで『渡る世間は鬼ばかり』に出演期間中、急激なダイエットで痩せてしまったことに対し、脚本家である橋田壽賀子が役柄である小島五月は太っていてこそ小島五月だと、泉のダイエットにかなり不満をもっていた。
対人エピソード
  • 2005年、TBS系列特別ドラマ『美空ひばり物語 - おでことおでこがぶつかって』でひばりの母親役を演じるために16kgものダイエットに成功。生前、ひばりからはとても可愛がられていたそうで、岸本加世子と一緒にカラオケに行ったときには多くの歌を岸本とリクエストした。それについて『ひばりさんにカラオケでリクエストして生で歌ってもらったのは私たちだけだった』とひばりの23回忌法要出席時に岸本と語っていた。
  • 矢沢永吉の熱狂的なファンであり『アリよさらば』では特別出演を果たし、矢沢と共演して嬉しさのあまり感極まったという。現在でも矢沢のライブへは毎回出かけるそう。
  • ドラマ共演が縁で宮沢りえ仲間由紀恵を公私共に実の娘の様に可愛がっていて親交が深く、メル友でもあるそう。
番組エピソード
  • テレビ朝日系列バラエティ番組『愛のエプロン』に3度出演。2005年10月12日放送回では初登場にして特エプ獲得、同年11月23日放送回ではトップクラスの一角・杉本彩に僅差で勝利し、料理の実力を見せ付けている。そして2006年6月14日放送回では、「和・洋・中の三ジャンル」及び「全ての出場回」で特エプを獲得する、という前人未到の記録を達成した。
  • ぴったんこカン・カン』ではぴったん子さん(ピン子扮する派手な化粧のバスガイド)で登場時に、お店の人から無料で出来合いの商品を貰って食べていた。しかし、これがテレビの批評で非常に叩かれてしまい、2010年10月22日放送から、自分の財布を持って払うようになった[4]
  • 値切り交渉や人を持ち上げるのが得意で『紳助社長のプロデュース大作戦!』(TBS系)で宮古島の民宿「夢来人」に行った際も値切って買い物をした。また、民宿のエントランスが殺風景だったので民宿造りに協力した建設会社へ行き、エントランスに使う石と花の手配を依頼、即エントランスの改造作業に取り掛からせた。結構強引だが、値切った店をPRする等気遣いも忘れない。
  • フジテレビ系列バラエティ番組『ペケ×ポン』の2012年4月6日放送回に出演した際、上田晋也くりぃむしちゅー)の代役として出演した上田啓介(上田の兄)に対して、「お前より何千倍もの収入を稼いできた。お前の年収なんか1日で稼ぐ」「あたし、嫌いな人間を簡単に消せるのよ」「くだらねえことをペラペラペラペラ。似てりゃいいってもんじゃねえ。熊本に引っ込んでろ」「何だド素人、コラ!」などと数多くの暴言を吐いたことにおいて、「見ていて不愉快だった」「演出だとしてももっとやさしくすべき」などの批判が起こった[5][6]
夫とのエピソード
その他
  • 元々は巨人ファンだったが、1985年阪神タイガース日本シリーズ制覇した時に阪神ファンになった。
  • 鳥が大の苦手(幼少のころ、ニワトリに追いかけられトラウマになったのが原因)。この事を暴露された『サタデー・ナイト・ライブ JPN』内ではドッキリとしてカラスの置物を取り出したり、ニワトリのお面を被って近づいただけでパニックに陥りタイトルコールも満足に言えなかった。また、鶏肉も苦手(『アメトーーク』口軽い芸人より)。

おもな出演

テレビドラマ

NHK

日本テレビ

TBS
フジテレビ
テレビ朝日
テレビ東京

映画

バラエティー番組

舞台

  • おんな太閤記(2007年)
  • 渡る世間は鬼ばかり

声優

  • 日米合作長編人形アニメーション「サンタのいないクリスマス」(1981年12月24日、朝日放送)

ラジオ番組

  • ピン子の笑う世間に福来たる!(2012年2月4日 -、 毎日放送)

CM

脚注

  1. ^ ダウンタウンDX』(日本テレビ系)2010年7月22日放送
  2. ^ さんまのまんま』(関西テレビ系)2011年8月13日放送
  3. ^ 爆笑問題の日曜サンデー』2009年6月28日放送
  4. ^ 2010年10月22日放送回『ぴったんこカン・カンあんたは北海道を捨てた人間だ』スペシャルより。
  5. ^ 泉ピン子「なんだ素人、コラ!」 上田兄罵倒でブログ「炎上」騒ぎ(J-CASTニュース、2012年4月9日)
  6. ^ 読売新聞 2012年4月13日分朝刊27面 放送塔「言葉遣いの悪さ、がっかり」
  7. ^ 「ぴったんこカン・カン」出演時の発言より。

外部リンク