慶應義塾高等学校

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慶應義塾高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 慶應義塾
設立年月日 1948年
創立者 福澤諭吉
共学・別学 男子校
中高一貫教育 併設型
慶應義塾普通部との関係)
連携型
慶應義塾中等部との関係)
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 2学期制
高校コード 14523J
所在地 223-8524
地図
北緯35度33分5.16秒 東経139度38分58.7秒 / 北緯35.5514333度 東経139.649639度 / 35.5514333; 139.649639座標: 北緯35度33分5.16秒 東経139度38分58.7秒 / 北緯35.5514333度 東経139.649639度 / 35.5514333; 139.649639
外部リンク 公式ウェブサイト
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慶應義塾高等学校(けいおうぎじゅくこうとうがっこう、: Keio Senior High School)は、神奈川県横浜市港北区日吉四丁目に所在する私立高等学校

略称は、内外で、塾高(じゅくこう)、慶應日吉高など。高校野球などでは、原則として新字体を用いることになっているため、校名表記は慶応である。

概要

慶應義塾普通部慶應義塾中等部からそれぞれ大半の男子の内部進学者と、外部の中学校から入試を経て入学する外部進学者から構成される。内部進学者数は年ごとに多少変動があるが、2017年時点で1学年の人数は約720人、全校生徒は約2200人であり、マンモス校と見なされることがある[1]。内部進学者と外部進学者との間では、高等学校第1学年から混合してクラスを編成する。

1898年に設立された旧制・慶應義塾普通学科(のちに普通部に改称、5年制)が戦後の学制改革で、中学校の慶應義塾普通部、「慶應義塾第一高等学校」「慶應義塾第二高等学校」となり[2]1949年(昭和24年)、「慶應義塾高等学校」となり発足[3]

使用されている校舎は元々旧制大学予科の校舎で、1934年(昭和9年)に竣工。発足直前まではGHQにより接収されていたという経緯をもつ。「かながわの建築物100選」に指定されており、建て替えや改築が禁止されている。

国会議員(現役)や一部上場企業社長(現役)を務める卒業生の数は、全国の高校で最多であるとされる[4][1]

慶應義塾普通部から大半の入学者約240名、慶應義塾中等部男子から大半の入学者約130名、外部の中学校からの入学者約370名から構成される。そのため1学年の人数が700名を越すマンモス校であり、一学年のクラス数はA組 - R組の18クラス、生徒総数は約2200人である。内部進学者と外部進学者との間では、高等学校第1学年から混合してクラスを編成する。

慶應義塾の一貫教育校であり、卒業すればほぼ全員が慶應義塾大学に推薦入学できる。ただし学部ごとに定員が決まっているため、医学部に入学するには上位20名程度の高い成績が必要となる。

慶應義塾では大学とともに独立した一組織という位置付けとなっている。実際には90%以上の卒業生が慶大へ進学しており、事実上は大学を中心とした附属校ともいえる。

沿革

制服・校則

  • 制服は男子校の伝統でもある金ボタン5個仕様の黒詰襟学生服。学帽も制定されているが、現在は自由化されている。
  • 明文化された校則はほとんどない。しかし、トイレで同個室に複数人で入ると停学処罰される(喫煙防止が目的:通称「ワンボックス」)、カーディガン禁止(英国紳士は自宅でしかカーディガンを着ないという理由だとも言われるが、教員でさえ正確には分かっていない)など、ユニークな校則もある。

施設

  • 慶應義塾大学日吉キャンパス内において他の大学施設と一体化しており、高校独自の校門が存在しない。
  • 広大な校地に、アメリカンフットボール場、体育館、バレーボールコート場、南側グラウンド、日吉会堂、柔道場を有している。
  • 運動場の下には地下壕が現存しており、戦時中には連合艦隊司令部、海上護衛総司令部が置かれていた。現在月1回程度、地下壕見学会が行われ、学外者にも公開されている。
  • 学食も設置されている。
  • 高校の図書室だけで、10万冊の蔵書がある。
  • 慶應義塾高校の学生証で大学図書館(メディアセンター)に入館できる。また、大学生協学生食堂といった大学の他の施設を利用することもできる。

データ

校長は慶應義塾大学高等学校教諭の古田幹

教育

課業

授業は1日6時限(1時限50分)で週5日制。8:20から授業開始、終了は14:50である。HRは木曜日の7時間目にある。

教育課程

2年次より第二外国語、3年次より選択教科目が導入されている。3年次に「卒業研究」(大半の講座は論文形式)が卒業の要件として義務付けられている。

2003年から2008年まで文部科学省指定のスーパーサイエンスハイスクールに指定されていた。

慶應義塾では水泳が大学や小・中で重視されているが、高校では水泳の授業はない。プールは部活動施設として利用されている。

入試

高校入試には一般入試と推薦入試の2つがある。一般入試では募集定員が約330名、第1次試験は国語、数学、英語の3科目で、第2次試験は面接で合否判定される。推薦入試では募集定員が約40名、第1次試験が書類審査、第2次試験が作文と面接で合否判定される。

進路

卒業生のほとんどが、慶應義塾大学に推薦入学する[7]

行事

慶早戦

六大学野球慶早戦が行われる時、慶早戦が1勝1敗で月曜日以後に持ち越しとなった際には決着が付くまで休講となる(現在はカリキュラム変更に伴い、優勝が懸かった場合のみ休講)など、独自の文化に根ざした運営を行っている。

校歌

「慶應義塾塾歌」とは別に、高等学校独自の校歌(「慶應義塾高等学校の歌」)が存在する。しかし、その校歌が実際に歌われることは一切なく、歌詞やメロディーはおろか、その存在すら知らない者もいるとされる。また、野球の試合(県大会や甲子園)で塾高が対戦校に勝利した際は、塾歌が「慶應義塾高校校歌」として歌われる。

日吉祭

2009年日吉祭
日吉祭会場

日吉祭(文化祭)は、毎年11月に行われる。来場者数は2日間で1万人を超える。

選択旅行

全校的学外活動としては、一般の修学旅行に当たる選択旅行がある。選択旅行に参加しないと卒業できない。

部活動

部活動には文科系と体育系がある。参加する生徒が多く、とても盛んである。

文科系クラブ

ギター・アンサンブル、クイズ研究会、ディベート部、フォトフレンズ、マンドリンクラブ、ライブラリー・クラブ、ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ、仏教青年会、化学研究会、吹奏楽部、地学研究会、奇術部、情報科学研究会、放送研究会、数学研究会、文芸部、映画部、書道部、棋道部、楽友会、演劇部、漫画研究会、生物学研究会、福澤研究会、美術部、英語会(E.S.S.)、茶道部、鉄道研究会、電子工学研究会、音楽鑑賞会。

体育系クラブ

アメリカンフットボール部、ゴルフ部、サイクリング部、スキー部、スケート部(スピード)、スケート部(フィギュア)、スケート部(ホッケー)、ソッカー部(サッカー)、ソフトテニス部、ハンドボール部、バスケットボール部、バスケットボール部B、バドミントン部、バレーボール部、バレーボール部B、フェンシング部、ホッケー部、ボクシング部、ヨット部、ラクロス部、レスリング部、剣道部、卓球部、合氣道部、器械体操部(トランポリン)、器械体操部(器械体操)、射撃部、少林寺拳法部、山岳部、庭球部、弓術部(和弓)、應援指導部、拳法部、柔道部、水泳部(水球)、水泳部(競泳)、水泳部(葉山)、水泳部(飛込)、洋弓部(アーチェリー)、相撲部、空手部、端艇部(ボート)、競走部(陸上競技)、自動車部、航空部、蹴球部(ラグビー)、軟式野球部、重量挙部、野球部、馬術部。

  • 慶應義塾高校では、野球部・端艇(ボート)部・ラグビー部・映画部といったクラブだけでなく、高校では珍しい自動車部や航空部、慶應義塾ならではの福澤研究会といった、特色ある部が存在する。その反面、部員ゼロという状態が続く部も少数ながら存在する。
  • 明大中野高等学校暁星高等学校などと共に、一部の在学生が初期のチーマー文化を形成した。
  • 演劇部、ESS、楽友会、ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ、マンドリンクラブ等の文化系部活動は、慶應女子高と協同で行っている。活動場所も、部活動によっては三田の慶應女子高校舎を利用している。
  • ゴルフ部は同じ日吉内にある慶大の練習場を借りて行っている。
  • アメリカンフットボール部が、2005年度全国高等学校アメリカンフットボール選手権大会で22年ぶり3度目の優勝。
  • バスケットボール部は1970年のインターハイで準優勝。
  • 吹奏楽部が東関東大会金賞。
  • マンドリンクラブが、2004年に第34回全国高等学校ギターマンドリンフェスティバルで朝日新聞社賞を受賞。
  • ラクロス部は日本で初めてのラクロス部として1985年に発足。現在関東学生(大学生)2部リーグに所属している。
  • 弓術部(弓道部)が、平成18年度国民体育大会・少年の部優勝。
  • 2007年に映画部のメンバーが中心となり、数名で制作されたコメディ作品『ワッショイ!』が、第2回高校生映画コンクール(映画甲子園)において、最優秀作品賞(グランプリ)・中央出版株式会社賞などの賞を獲得し、6冠に輝いた。
  • またその翌年、別の生徒有志によって制作された『第三の眼』が、同大会において最優秀作品賞、最優秀美術賞を獲得した。
  • クイズ研究会が2013年の第33回全国高等学校クイズ選手権優勝。全国高等学校野球選手権大会と全国高等学校クイズ選手権大会を制した学校は、静岡県立静岡高等学校愛媛県立西条高等学校に次いで3校目となる(私立高校では初)。
  • 端艇(ボート)部が2016年に第27回全国高等学校選抜ボート大会の男子ダブルスカルの部において優勝。
  • フェンシング部が2018年度全国高等学校選抜フェンシング大会のフルーレ種目において団体優勝。

硬式野球部

1888年創部の三田ベースボール倶楽部を起源とする。1948年の高等学校開設とともに高等学校野球部となり、現在に至る。旧制時代は慶應義塾普通部と慶應義塾商工学校が別にあり、選手権大会ないし選抜大会にはいずれかの野球部が出場していたため、現在の高等学校野球部としては旧両校の出場回数を合算した上での出場回数となっている。また、高校野球の応援席で男子校としては珍しく、慶應義塾女子高等学校のチアガールも受け入れられている。

部訓は「エンジョイ・ベースボール」。自由かつ伸び伸びと野球を楽しむことを日頃から重視している。坊主頭でない部員も多い。

塾高がモデルになった作品や自伝その他

  • 石原慎太郎の小説『太陽の季節』 - 著者の弟・裕次郎の塾高における友人とその日常をモデルに書かれた作品。
  • 加山雄三の自伝『湘南讃歌』 - 塾高時代はボクシングやバンドなどを始め、また冬の季節になると海から山に興味関心が湧き移りスキーを始めた。後の慶應大学時代には、スキーで念願の国体蔵王大会に出場した (p.28 - 40)。
  • 松本隆の小説『微熱少年』 - 東急東横線沿線にある「小高い丘の上」の大学の附属高校が舞台になっている (p.79 - 80)。その一節より、「学生服のボタンを見ただけで、初対面の女の子たちの応対が変わるのが厭だった。彼女達の評価してるのは、自分の服で、中身でないような気がした」(p.80)。

高校関係者一覧

交通アクセス

脚注および参照

  1. ^ a b 「日本一の社長輩出」慶応義塾高 次は異端を創る”. 日本経済新聞社 (2017年8月30日). 2019年3月19日閲覧。
  2. ^ 2つの高校を設置したのは、1校あたりの定員数が制限されていたため(『慶應義塾百年史』 下巻、166頁)。
  3. ^ 慶應義塾高等学校略史”. 慶應義塾. 2019年3月19日閲覧。
  4. ^ 『読売ウィークリー』2005年2月27日号
  5. ^ 一校あたりの定員数が緩和されたため(『慶應義塾百年史』 下巻、166頁)
  6. ^ 『慶應義塾百年史』 下巻、167頁
  7. ^ 慶應義塾大学への推薦と進路”. 慶應義塾. 2019年3月19日閲覧。
  8. ^ “【甲子園】慶応OB「目指せ優勝」 10年前のエース田村さん | 高校野球”. カナロコ|神奈川新聞ニュース. https://www.kanaloco.jp/article/entry-34393.html 2019年3月10日閲覧。 
  9. ^ “慶応プラカード「応」の字に誤り 大会本部が謝罪/センバツ”. SANSPO.COM (産業経済新聞社). (2018年3月23日). https://www.sanspo.com/baseball/news/20180323/hig18032321130028-n1.html 2019年3月10日閲覧。 
  10. ^ “慶応春夏連続 夏は10年ぶり18度目/北神奈川 - 夏の地方大会 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/201807300000249.html 2018年7月31日閲覧。 

関連項目

外部リンク