慶應義塾志木高等学校

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慶應義塾志木高等学校
慶應義塾志木高等学校の正門
過去の名称 慶應義塾農業高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人慶應義塾
校訓 独立自尊
設立年月日 1948年
創立者 福澤諭吉
共学・別学 男女別学男子校
中高一貫教育 併設型
課程 全日制の課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 2学期制
高校コード 11504F
所在地 353-0004
埼玉県志木市本町4-14-1
電話番号 048-471-1361
FAX番号 048-471-1974
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
  

慶應義塾志木高等学校(けいおうぎじゅくしきこうとうがっこう 英語名: Keio Shiki Boys' Senior High School)は埼玉県志木市に所在する私立高等学校1958年開校の慶應義塾農業高等学校を前身とする。

学校法人慶應義塾が設置する男子校。1学年6クラスで計約250名、全校生徒数は約750名である。高校受験では一般約190名、自己推薦約40名を募集しており、これに内部進学者が加わる。高校卒業後、そのまま慶應義塾大学に無試験で進学できる。略称は「志木高(しきこう)」(主に塾内での呼称)「慶應志木(けいおうしき)」。

目次

[編集] 歴史

[編集] 経緯

松永安左ェ門君像

1858年慶應義塾が創立した。1944年、日吉キャンパス内に慶應義塾獣医畜産専門学校が開設された。当初は大学農学部の予定であったが、戦時下における政府の方針などから農業専門学校に短縮された経緯がある。翌年アメリカ軍により日吉キャンパスが接収されたため、川崎市蟹ヶ谷の旧海軍東京通信隊の施設を借用して授業を再開した。1947年、塾員松永安左エ門によって寄贈された埼玉県志木の地に移転した。1948年、戦後の学制改革により農業高等学校に転換し、1957年には普通科高校に転換、慶應義塾志木高等学校となった。その際慶應義塾大学への無試験での進学が認められるようになった。

[編集] 基礎データ

[編集] 教育方針・目的

[編集] 教育方針

教育方針は以下の4項目である[1]

  • 塾生としての誇りを持たせること
  • 基礎的な学問の習得
  • 個性と能力をのばす教育
  • 健康を積極的に増進させること

[編集] 目的

生徒手帳の1頁目には、「慶應義塾の目的」という福澤諭吉の文章が載っている。内容は以下の通りである。

慶應義塾ハ単ニ一所の学塾として
自から甘んずるを得ず其目的は我日本国中ニ
於ける気品の泉源智徳の模範たらんこと
を期し之を実際にしては居家処世立国の
本旨を明にして之を口ニ言ふのみニあらず躬行
実践以て全社会の先導者たらんことを欲する
ものなり 以上は曾て人に語りし所の一節なり 福澤諭吉書

[編集] 校風

校則が無く自由な校風である。例えば制服は定められているが普段の服装は自由(系列校で唯一式典等以外での着用義務がない)、休講となった授業の時間は学校に全く拘束されない(要するに大学と同様)など。頭髪などの容貌に関する規定も無いに等しく、カラーやパーマ、イヤリングを施す生徒がいても注意されるという話は聞かれない。同時に自己責任が問われることも事実である。これは福澤諭吉の建学精神である「独立自尊」に由来する。また、緑豊かな環境、原則全員が慶應義塾大学に進学できるため進路の心配がないことなどが、時に「校風はゴーイング・マイウェイ」と言われるほどのびのびとした校風を形成している。また式典が少なく、始業式や終業式に関しては一切無く、学期の初日から通常の授業が始まる。期末試験終了と同時に長期休業に入るため、通信制を除けば年間の登校日が日本一少ない高校である[要出典]。上履きがなく、校舎内も土足である。掃除の時間もない。

[編集] 環境

校内の畑と田んぼ

校内の敷地は広大(37000坪)で、県有数の森や竹林があり、植生が豊かである。数多くの植物のほか、、まれにモグラなども見かける。農業高等学校の名残から、校内に作られた畑で耕作授業も行われている。このような恵まれた自然環境は本校の特徴のひとつである(生徒一人あたりの敷地面積は他の高校と比べると非常に広い)。スズメバチが多量に生息しており、近年駆除を行ったが未だに校内でよくみられる。

農業高等学校時代に農地だった土地は現在グラウンドとして活用されている。また以前は野火止用水が流れていたが、現在は暗渠化されている。現在の敷地面積は農業高等学校時代と比べると半分ほどに減っている(慶應義塾の財政難の対策として所有していた土地を売ったため)。

[編集] 象徴

校門前の校舎に続く白い斜め階段、大きな敷地が象徴となっている。

[編集] 校歌

独自の校歌はないが、『慶應義塾塾歌』がこれに相当する(入学式などの式典時に斉唱する)。

[編集] スクールカラー

塾旗に由来する青赤青の横縞の並びである。学生服の裏にはこの模様がデザインされている(ただし、いわゆる詰襟であればボタンの付け替えだけで一般的なものを使用出来る)。 ちなみに学校で販売される詰襟の腕の部分の裏はこのスクールカラーである。

[編集] マーク

ペンマーク」と呼ばれる、2つのペンを交差したマークである。「ペンは剣よりも強し」を表現している。学生証、学生服のボタンなど様々に用いられる。 だが校章はないのでアピールしづらい。

[編集] 入学と卒業

[編集] 入学

入学する方法によって、入学生は内部進学者と外部受験者の二つに分けられる。

内部生

慶應義塾普通部あるいは慶應義塾中等部から本校へ進学した者。(慶應幼稚舎卒を含む)

外部生

入学試験を受験し、合格して入学した者。多数の生徒がこれに当たる。

本校の入学試験には以下の3種類がある。

ほぼ全員が慶應義塾大学へ進学できること、慶應義塾高等学校(日吉)に比べ募集枠が少ないことなどから人気が高い。また、一般入試の試験日が他の高校と比べ早期であることから、開成高校や国立、他の早慶大の付属高校を併願する受験生のほとんどが慶應志木高校を受験するため、受験者のレベルが高くなり、受験首都圏で難関校のひとつとして位置付けられている。

[編集] 進路

本校卒業生全員が学校長から慶應義塾大学への推薦を受けられるため、主に他大学を受験する生徒を除いた(他大学を受験する場合、推薦を辞退しなければならない)卒業生の殆どが慶應義塾大学の各学部へ進学する。進学する学部は基本的に各人の志望が尊重されるが、実際には在学中の成績・出欠状況を考慮したうえで、各学部毎に設けられた定員に従って決定される。特に、医学部と法学部は例年人気が集中し、進学を希望してもそれが叶わない場合がある。一方で、経済学部、商学部、理工学部、文学部、薬学部、総合政策学部、環境情報学部、看護学部を志望した場合には、卒業条件さえ満たせば進学が認められる場合が多い。

また、慶應義塾大学の理工学部医学部薬学部のいずれかに進学するためには、第二学年及び第三学年で必修選択科目で化学物理を選択することの他に、第三学年での自由選択科目で定められた理系科目(理工学部、薬学部と医学部では多少異なる)をとることが条件となっている。

[編集] 通学手段

なお、かつては自宅からの距離が遠いため通学困難な生徒のために学生寮が併設されていた。ただし、全寮制ではなく、通学生の比率の方が高かった。寮は有隣寮と高翔寮の2棟があり、有隣寮は1962年、高翔寮は1964年に完成。当時の慶應義塾の一貫教育校で寮を持つのは志木高が唯一であった。しかし、公共交通機関の発展等の影響から年々入寮者が減少したため、1987年度の新入生を最後として募集を終了、1990年に閉鎖された。寮のあった敷地は売却したため現在はマンションなどが建っている。

[編集] 年間行事

  • 4月
    • 入学式
    • 新入生歓迎会
    • クラスマッチ
  • 5月
    • 研修旅行(一年生)
  • 7月
    • 志木演説会
  • 8月
    • 志木の森ツアー(自由参加)
  • 10月
    • 研修旅行(二年生)
    • 見学旅行(三年生)
    • BLS講習(一年生のみ)
    • 収穫祭(文化祭)*11月にわたる場合もある。
  • 12月
    • マラソン大会
    • 志木演説会
  • 2月
  • 3月
    • 卒業式
    • 志木の森ツアー(自由参加)
クラスマッチ
各クラスが5つ程度の球技で優勝を競う。球技大会。しかし、雨天の場合などには中止、もしくは大幅な規模縮小で行われる。優勝チームなどは教員チームとの対決が行われるが、決まって生徒チームが勝利する。行われるのはドッジボール、バレーボール、サッカー、ソフトボール、ソフトテニスなどである。
研修旅行・見学旅行
本校では毎年国内へ旅行する。一年生と二年生は研修旅行、三年生は見学旅行に行く。
研修旅行
校外へ赴き、総合的な学習やさまざまな科目(理科が中心だが、他に芸術体育の研修もある)の学習を行う。行き先は一年生は例年箱根方面、二年生は2006年度は東北方面(志津川・歌津)である。課題、レポートが課せられるため、安易に楽しめないようである。
見学旅行
他校で言うところの修学旅行に相当する。研修旅行と異なり、あくまで観光目的の旅行である(レポートなどはない)。2006年度の行き先は北海道である。
志木演説会
年二回、さまざまな分野の専門家の講演を拝聴する。『三田演説会』に倣ったもの。
志木の森ツアー
林業三田会所属の本校11期卒業生、吉田善三郎より寄贈された三重県の山林(福澤記念育林会所有)に出かけ、林業体験の合宿生活を送る。植林活動やプロット調査が主な目的だが、カヌーや野外料理、サイクリングなどを通じて自然との触れ合いを体験する。
BLS講習
救急救命の講習会を受ける。BLS(Basic Life Support)教育は慶應義塾全体で取り組んでいる活動である[2]
収穫祭(文化祭)
各クラスやクラブ、団体による展示や発表が行われ、毎年5000人もの来場者が訪れるとされている。昔農業学校であった名残から今なお「収穫祭」と呼んでいる。通常、10月末から11月はじめにかけた土・日の二日間で行われる。過去に同じ志木駅の反対側にある立教高校と同日程で開催した際、志木駅で女子高生の勧誘で両校でもめたことがあり、それ以降1週間ずらして開催している。なお「収穫祭の歌」という歌があり同校唯一のオリジナルソングである。
15年ほど前まで体育館で應援指導部が2時間以上のステージパフォーマンスを行い、観客の志木高生と女子高生が肩組み踊り続けるという「後夜祭」が開催されていたが、その騒ぎを良く思わなかった一部の教員により収穫祭そのものの開催を中止検討されたことがあった。現在はおとなしい後夜祭で開催されている。
マラソン大会
体育の一環として校外にて約10kmのマラソンを行う。
3年生は少し免除される。

[編集] 授業

卒業すれば学校長から慶應義塾大学の各学部への推薦を受けられるため、受験・テストのための勉強は多くの場合しない。カリキュラムも独特で、個性ある教員によってユニークな授業が展開される。中には全く教科書に沿わずに授業を展開していく教員もおり、大学受験などを行うのは難しい環境になっている。また、理工学部進学に必要な化学と物理のカリキュラムは担当教員によってはかなり大学内容に踏み込んだ部分も存在している。

定期試験は年3回、学期末(本校では1年間を単一学期としているが、ここでは便宜上学期を3つに分ける)におこなわれる。公式には、成績は年度末のみ記録される。ただし、第1期, 第2期の期末にはその段階(学年始めからの通算)での習熟度の目安を示すために、成績評価が行われる。成績は各科目の通年の成績が算出され、8段階評価によってなされる。1と2は用いられず、3~10の成績が使用される。各学年において一度ずつだけ留年が許される(最長で6年間在籍可能)。留年の基準として、成績で3を1.0、4を0.5として、それらの合計が各学年の成績算出時に2.5を超える場合には留年となる(ただし、恩赦により仮進級処分となることもある)。さらに、二度続けて進級しないと学則により退学しなければならない。

「総合的な学習の時間」では2学年時に、言語や民族そして文化や歴史などに関する23の講座(以下の21の言語と文化に加え、アイヌ沖縄)がある。

語学の課外講座では以下の21の言語と文化が学べ、その言語を母語とする講師を招いている例もある。これは、本校の特色として注目される。

[編集] 語学課外講座として開講されている言語

[編集] クラブ

慶應義塾大学慶應義塾高等学校慶應義塾女子高等学校との合同練習がおこなわれるクラブもある。2008年度、以下の18の体育部と10の文化部、1の同好会(体育部)がある。

[編集] 体育部

[編集] 文化部

[編集] 同好会

[編集] サークル

まだ正式には存在を認められていない。

[編集] 著名な卒業生

[編集] その他

  • 石原慎太郎が弟石原裕次郎の生涯を描いた小説『弟』には、当時農業高等学校であった本校の様子を「その頃の慶應内の落ちこぼれたちの吹きだまり」と描写している。
  • 2004年、日本国内では高等学校として初めて自動体外式除細動器(AED)を校内に設置した[3]
  • 本校正門前の車道は「慶應通り」と名づけられている。
  • 校長は慶應義塾大学(特に法学部)の教授が兼任するのが通例である。現在の下村裕校長も法学部の教授である。
  • 東京六大学リーグの慶早戦の初戦は、1年生は球場で応援することが学年行事として設定されている。2,3年生は自由参加である。これをきっかけに多くの生徒が愛校心を培っている。

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • 慶應義塾編 『慶應義塾豆百科』 慶應義塾大学出版会、1996年。
  • 慶應志木会 『慶應志木会会報』vol.12 1994年

[編集] 外部リンク