ポスフール

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ポスフール(現:イオン)小樽店

ポスフールPosful)は、かつて北海道で展開していた総合スーパー(GMS)である。

企業名としてのポスフール2002年(平成14年)1月から[1]2007年(平成19年)8月20日まで使用され[2]、店舗名としてのポスフール2002年(平成14年)から2011年(平成23年)2月28日まで使用されていた[3]

2007年(平成19年)8月21日に企業名はイオン北海道に商号変更され[2]、イオングループの店舗名統一により2011年(平成23年)3月1日にジャスコサティと共にイオンへ転換され約9年で屋号自体が完全に消滅した[3]

本項では、前身のホクホーおよび北海道地区のニチイ・サティについても記述する。

歴史・概要

創業から生活百貨店・サティの展開へ

1971年(昭和46年)に大川祐一が北海道後志管内の余市町に衣料百貨店「ヤマダイ」を設立して[4]1980年(昭和55年)3月[5] に他の地場スーパー3社と合併して[4]株式会社北峯百貨店[6]を設立して後に「株式会社ホクホー」となり[5]1978年(昭和53年)4月に設立された「株式会社北海道ニチイ」が1992年(平成4年)3月1日に「株式会社ホクホー」を合併し[5]1996年(平成8年)7月に「株式会社マイカル北海道」に社名変更した[5][6]

経営統合以前から当時の「ニチイ」が進めていた総合スーパーよりも百貨店に近い性格の生活百貨店・サティ業態[7]で出店を行っており、1990年(平成2年)10月27日に株式会社ホクホーが北海道最初のサティとして永山サティを開店していたほか[8]、旧北海道ニチイも1991年(平成3年)4月に「東苗穂サティ」を開店していた[6]

合併直後に大川祐一が開いた「ヤマダイ」をルーツとする[4]ニチイ余市店」を移転・拡張する形で1992年(平成4年)10月30日には「余市サティ」を開店し[9]1994年(平成6年)10月21日に「ニチイ釧路店」を「釧路サティ」に改称して新装開業して[6]年商100億円を達成し[10]1996年(平成8年)には3月に「ニチイ千歳ファミリーデパート」を大幅増床して「千歳サティ」に改称して新装開店した[11]のを皮切りに、春光サティ、岩内サティ、厚岸サティ、手稲サティ、紋別サティと相次いで業態転換を行って増収増益に繋げ[12]1996年(平成8年)9月19日に株式の店頭公開を果たした[13]

これらの業態転換店舗の中でも「釧路サティ」と「千歳サティ」は年商100億円を上げるなど順調に売上を伸ばしたため、1997年(平成9年)11月1日に「ニチイ江別店」の隣接地に新店舗を建設して[14]シネコン(複合映画館)ワーナー・マイカル・シネマズを北海道で初めて併設した[15]江別サティ」を開店して両店に続く年商100億円を目指し[10]1998年(平成10年)3月12日に「ニチイ帯広店」を「帯広サティ」に業態転換して十勝圏最大のショッピングセンターとして[16]有力ブランドも導入して百貨店レベルの顧客にも対応させて[7]直営部分の年商125億円を目指す基幹店舗として新装開店する[16]など生活百貨店・サティへの業態転換を進めて1999年(平成11年)2月期に北海道の小売業としては初めて年商1,000億円を突破し[7]1999年(平成11年)10月8日に「ニチイ大谷地店」を増床し「大谷地サティ」に業態転換して新装開業したことにより全店舗のサティへの業態転換が終了[17]

また、1999年(平成11年)3月11日にはマイカルグループの複合型大型商業施設マイカルタウンの一つとして開業した「マイカル小樽6番街」に「小樽サティ」を開店させ[18]2000年(平成12年)9月15日にはシネマコンプレックスの「ワーナーマイカル」を併設すると共に[19][20]有力ブランドを導入した[7]「北見サティ」を開店し[19][20]2000年(平成12年)11月30日には釧路サティをシネマコンプレックスも併設する[21]と共に店舗面積を1.6倍の約30,000m²に増床して若い女性に人気の衣料ブランドなども有力ブランドを次々と導入して2000年(平成12年)2月期の直営部分の売上高約130.5億円を更に伸ばして百貨店も含む大型小売店の「地域一番店」として競合他店の追撃を許さない弱点の見つけにくい売り場をつくり上げたほか[7]、同じ地方中核都市の帯広でも同様の店舗を展開して業績を伸ばした[7]

こうした生活百貨店化戦略を展開して業績を伸ばして[22]6期連続の増収増益を果たし[23]、2000年(平成12年)2月には東京証券取引所第1部上場に昇格している[22][23]。 そして、同年9月にはグループ企業の「根室ファミリーデパート」と「室蘭ファミリーデパート」の2社を吸収合併して大型店事業を全店直営化することになった[23]

また、そうした百貨店に近い店舗だけでなく、「余市サティ」などの商圏の小さな店舗ではファッションブランドの比率を下げてよりスーパー的な性格の店舗とし、大都市の札幌圏では都心の百貨店との競合もあるためその中間的な性格を持たせるなど同じ生活百貨店・サティであっても地域特性に応じた対応を行い、各々の地域の消費者を満足させることで2001年(平成13年)2月期に7年連続の増収増益となる売上高約1217.19億円(前期比9.1%増)、経常利益約39.52億円(前期比0.3%増)を上げた[7]

ポスフールとして自主独立へ

2001年(平成13年)8月28日に発行済式の58.84%にあたる645万株を「マイカル」が売却した[24]ことで「マイカル北海道」は同社の連結対象から離れた[25]

ただし、この時点では自主独立の運営で店舗の改廃などの経営判断は独自に行うものの、連結対象から外れてもマイカルグループから離脱せず、マイカル東北の一部店舗の引き受けの可能性も示唆していた[26]

しかし、翌月9月14日に「マイカル」が民事再生法の適用を申請して事実上破たんした際には、「自主独立色を強めた全く別会社となり、道内のサティ20店舗の営業には何ら影響はない」として営業への影響を否定し、同社の破綻と一線を画した[27]

そして、同年10月25日には「マイカルグループ」から離脱して北海道の地場資本として自主独立経営を目指すことを発表すると同時に、同年6月から金融機関を通してイオングループとの提携を打診されていたことを明らかにすると共にその案を拒絶することも表明した[28]

そのため、2002年(平成14年)1月1日に社名を「ポスフール」に変更し[1]2001年(平成13年)経営破たんしたマイカルの支援企業に「イオン」がなって「サティ」の店名を今後も残すことになった関係で店名使用料を求められるのを避けるため[29]2002年(平成14年)5月末までに(閉店が決まった大谷地サティを除く)全店舗名を「ポスフール」に改称して自立した経営に移行した[30]

2002年(平成14年)2月期に8年連続の増収となる売上高約1313億円を上げた[30]が、人口減少や消費の低迷など北海道の小売業を取り巻く環境の厳しさの影響を受けて[31]翌年からは4年連続の前年割れとなって2006年(平成18年)2月期に売上高約1201.78億円(前年度比2.0%減)にまで落ち込み[32]2005年(平成17年)2月期に上場以来初の赤字に転落してしまった[33]が、2006年(平成18年)も9年連続で北海道の小売業売上高首位を維持した[32]

2003年(平成15年)10月には2004年(平成16年)5月から物流業務を三井物産に全面委託することで物流コストを年間4億円 - 6億円削減を目指すと発表した[34]

イオン北海道へ

ところが、2003年(平成15年)11月10日にイオンが出資比率を30%に引き上げてポスフールと資本・業務提携し、店舗開発や商品のほか設備・資材などの調達、さらに物流などについて共同で取組むことになり、自主独立の経営に終止符を打つことになった[35]

この提携を受けて、イオングループとエア・ウォーターの物流子会社エア・ウォーター物流が提携して2004年(平成16年)5月14日に江別市に開設した物流施設「イオン北海道SD」を全店舗の食品・衣料品の検品・ピッキングから配送まで共同で利用してコストダウンを図る[36]

その後、業績の低迷を受けて2007年(平成19年)2月15日に岩内店を閉店する[37]などの再建策を進めた。

そして、2007年(平成19年)4月23日に既に筆頭株主だったイオンに第三者割当増資を行って出資比率を34%から53%に引上げて同社の子会社となった[31]

さらに、同年8月21日にイオン北海道に商号変更すると共に[2]総合スーパー8店とスーパーセンター3店[31]をイオン本体から会社分割して譲渡を受けることになった[2]

なお、この時点では企業名としての「ポスフール」は消滅することになったものの、店舗名は変更せず、従来通り「ポスフール」の店名が使用され続けた[3]

このイオンとの経営統合に伴って仕入れ業者の変更などの帳合変更は行わないものの仕入れ価格はイオングループ共通の水準を要求することでコストダウンを図り[2]、規模や駐車場の配置の問題を抱えて売上が低迷していた西岡店を[38]2008年(平成20年)2月に閉店する[39]など経営の建て直しを進めた。

2008年(平成20年)4月25日には「イオン名寄ショッピングセンター」の核店舗として「ポスフール名寄店」を開店し[40]、イオングループの電子マネーの「WAON」を導入するなどイオンの傘下入り後はグループへの統合が急速に進められ、2011年(平成23年)3月1日にイオングループの総合スーパーのブランド統一の一環としてポスフールも全店イオンへ店名も変更されて店舗名としてのポスフールも消滅してその歴史に終止符を打った[3]

名称の由来

この名称は一般公募したものの中から2001年(平成13年)11月8日に決定されたもので、Possibility Forever Universal Loveを略を組み合わせた造語である[41]

ロゴマークの製作は、グラフィックデザイナーの原田進が担当した[42]。 なお、ホクホー時代の店舗看板・ロゴマークはHをモチーフとしたマークにホクホーのロゴタイプを使用していた[43]

年表

  • 1971年(昭和46年) - 大川祐一が後志管内余市町に衣料百貨店「ヤマダイ」を設立[4]
  • 1978年(昭和53年)
    • 4月 - 株式会社北海道ニチイを設立[5]
    • 11月 - ニチイの北海道進出1号店として「ニチイ江別店」・「ニチイ千歳店」を開店[6]。「ニチイ江別店」は後に南側のレンガ工場跡地に店舗を新築。
  • 1979年(昭和54年)
    • 5月 - 「ニチイ帯広店」を開店[6]
    • 7月 - 「ニチイ藻岩店」を開店[6]
  • 1980年(昭和55年)
    • 3月[5] - 「ヤマダイ」など地場スーパー4社が合併して[4](株)北峯百貨店[6]を設立[5]
    • 紋別ローズタウンを開店[44]
  • 1981年(昭和56年)
    • 4月 - 「室蘭ファミリーデパート桐屋」を開店[45]
    • 7月 - 「ニチイ旭川店」を開店[6][46]
  • 1986年(昭和61年)4月 - 「ホクホー伊達店」を開店。
  • 1987年(昭和62年)12月1日 -「ホクホー釧路店」を開店[47]
  • 1989年平成元年)9月28日 - 「ニチイ大谷地店」を開店[48]
  • 1990年(平成2年)10月27日 - ホクホーが北海道地区のサティ1号店となる「永山サティ」を開店[8]
  • 1991年(平成3年)4月19日 - 北海道ニチイが「東苗穂サティ」を開店[49]
  • 1992年(平成4年)
    • 3月1日 - 北海道ニチイとホクホーが統合し、新生「北海道ニチイ」となる[5]統合に伴って、旧「ホクホー」の店舗は「ニチイ」に改称する。
    • 10月30日 - 「ニチイ余市店(旧・ホクホー余市店)」を移転・拡張して「余市サティ」を開店[9]
  • 1993年(平成5年)
    • 4月9日 - 「サッポロファクトリーサティ 住まいと暮らしの館」を開店[50][51]
    • 10月 - 「ニチイ厚岸店(旧・ホクホー厚岸店)」を移転リニューアルオープン。
  • 1994年(平成6年)10月21日 - 「ニチイ釧路店」を「釧路サティ」に業態転換して新装開業[52]
  • 1996年(平成8年)
    • 3月 - 「ニチイ千歳ファミリーデパート」を「千歳サティ」に業態転換[11]
    • 5月 - 「ニチイ旭川店」を「春光サティ」に改称・リニューアルオープン[12]
    • 7月 - マイカル北海道に商号変更[5]
    • 9月19日 - 株式を店頭公開[13]
    • 9月 - 「岩内サティ」に業態転換[12]、さらに、「ニチイ厚岸店」を「厚岸サティ」に業態転換[12]
    • 10月 - 「手稲サティ」に業態転換[12]。さらに、「ニチイ紋別店」を「紋別サティ」に業態転換[12]
    • 11月 - 「新琴似サティ食品館」を開店。
  • 1997年(平成9年)
  • 1998年(平成10年)
    • 1月 - 「ニチイ栗山店」を閉店[要出典]
    • 3月12日 - 「ニチイ帯広店」を増床して改装し、「帯広サティ」に業態転換[16]
    • 5月 - 「室蘭ファミリーデパート桐屋」を増床して「室蘭サティ」に業態転換[54]
    • 10月 - 「ニチイ伊達店」を「伊達サティ」に業態転換[要出典]
    • 11月 - 「ニチイ静内店」を「静内サティ」に業態転換[要出典]。東京証券取引所第2部に上場[55]
    • 2月 - 「サッポロファクトリーサティ」を閉店。
  • 1999年(平成11年)[要出典]
    • 3月11日 - マイカル小樽6番街に「小樽サティ」を開業[18]。ワーナー・マイカル・シネマズ小樽を併設。
    • 10月8日 - 「ニチイ大谷地店」を増床し「大谷地サティ」に業態転換して新装開業[17]
  • 2000年(平成12年)
    • 2月 - 東京証券取引所第1部へ上場[22]
    • 5月 - 「永山サティ」を新装開業[23]
    • 8月 - 「手稲サティ」を閉店[要出典]
    • 9月1日 - 「室蘭ファミリーデパート」と「根室ファミリーデパート」を合併[23][6]
    • 9月15日 - 「北見サティ」を開店[19][20]
    • 11月30日 - 「釧路サティ」を増床し、ワーナー・マイカル・シネマズ釧路を増設して新装開業[21]
  • 2001年(平成13年)
    • 1月 - 「新琴似サティ食品館」を閉店[7]
    • 8月28日 - マイカルの連結対象から離脱[24][25]
  • 2002年(平成14年)
    • 1月1日 - ポスフールに商号変更[1]
    • 5月 - 店舗名を「ポスフール」に変更[30]
    • 10月16日 - 「大谷地サティ」を閉店[56]
    • 11月[6] - ダイエー西岡店跡に[38]「ポスフール西岡バーゲン館」を開店[57]
  • 2003年(平成15年)
    • 3月1日 - 「ポスフール西岡バーゲン館」を「ポスフール西岡店」に改称し、正式に開店[57][58]
    • 9月5日 - 「ポスフール藻岩店」を増床し、新装開店[59]
    • 9月26日 - 十勝沖地震で「ポスフール釧路店」に被害が発生[60]
    • 11月10日 - イオンが出資比率を30%に引き上げて資本・業務提携[35]
  • 2004年(平成16年)11月3日 - 「ポスフール岩見沢店」を開店[61]
  • 2005年(平成17年)5月22日 - 「ポスフール東苗穂店」を閉店[要出典]
  • 2007年(平成19年)
    • 2月15日 - 「ポスフール岩内店」を閉店[37]
    • 4月23日 - イオンに第三者割当増資を行って子会社化[31]
    • 4月27日 - 「ポスフール釧路店」をリニューアルオープン[62]
    • 8月21日 - イオン北海道に商号変更すると共に[2]、総合スーパー8店とスーパーセンター3店[31]をイオン本体から会社分割して譲渡を受ける[2]
  • 2008年(平成20年)
    • 2月[39]24日 - 「ポスフール西岡店」を閉店[39]
    • 4月25日 - イオン名寄ショッピングセンターの核店舗として「ポスフール名寄店」を開店[40]。ポスフール店舗では初めて、電子マネー「WAON」を導入する。
    • 10月 - 既存店舗にもWAONを順次導入し、12月までに全店への導入完了[要出典]
  • 2011年(平成23年)3月1日 - 「ポスフール」全店舗を「イオン」に屋号変更[3]

店舗

イオンへ転換された店舗

道央圏

  • 藻岩店 - 札幌市南区川沿2条2丁目1-1
    1979年(昭和54年)7月にニチイ藻岩店として開店[6]
    2003年(平成15年)9月に新装開店[59][63]
  • 江別店 - 江別市幸町35
    1978年(昭和53年)11月にニチイ江別店が開店[6]。ニチイ北海道1号店。
    1997年(平成9年)11月1日に旧店舗の隣接地に新店舗を建設して[14]シネコン(複合映画館)ワーナー・マイカル・シネマズを北海道で初めて併設した[15]「江別サティ」を開店して両店に続く年商100億円を目指した[10]
    サティへの業態転換の際に広い駐車場とシネマコンプレックスを併設したことから札幌市内からの集客するなど商圏が拡大した[64]
  • 千歳店 - 千歳市栄町6-51
    1978年(昭和53年)11月にニチイ千歳ファミリーデパートとして開店[6]1996年(平成8年)3月に店舗面積約17,000m²に大幅に増床して千歳サティとなり[11]、年商100億円を上げる主力店舗の一つとなった[10]北海道中央バス「末広団地入口」停留所下車。
    2005年(平成17年)4月28日に「イオン苫小牧ショッピングセンター」が開店した[65]影響でオープン直後とGWは売り上げが1割程度落ちた[66]
  • 岩見沢店 - 岩見沢市大和4条8丁目1
    2004年(平成16年)11月3日開店[61]、ポスフールになってからの新店。
    開業時には岩見沢市内では初めての無料シャトルバスの運行を行っている[67]
    当店の開業は既存店の西友岩見沢店などに打撃を与え[68]、西友岩見沢店は 2009年(平成21年)3月31日に閉店となった[69]
  • 小樽店 - 小樽市築港11-6 ウイングベイ小樽6番街内
    1999年(平成11年)3月11日にマイカル小樽の核店舗の1つである小樽サティとして開店[18]
    2010年(平成22年)11月25日に4階の売り場を1~3階に移設して売場面積を縮小する開業後初の大規模な改装を行い、それに伴い同月19日から4階売場は閉鎖された[70]
  • 余市店 - 余市郡余市町黒川町12-62-1
    1971年(昭和46年)に大川祐一が衣料百貨店「ヤマダイ」を開店したのが始まりで[4]ホクホー余市店となった後、北海道ニチイ余市店として営業していた[9]
    旧店舗の約7倍の店舗面積約8,200m²に拡張して移転する[71]形で1992年(平成4年)10月30日には「余市サティ」を開店し[9]、ポスフールを経てイオン余市店。
    商圏の小さな店舗のためファッションブランドの比率を下げてよりスーパー的な性格の店舗として品揃えや運営がされている[7]
  • 室蘭店 - 室蘭市東町2-4-32
    市内輪西町に存在した桐屋呉服店がニチイとの共同出資で1981年(昭和56年)4月に「室蘭ファミリーデパート桐屋」として開店した[45]
    店舗看板・ロゴマークはニチイの鳩のマークに「桐屋(Kiriya)」のロゴタイプを使用していた[72]
    1998年(平成10年)5月に増床や呉服部門の廃止などの改装を行って室蘭サティとなり[54]2000年(平成12年)9月1日に合併してマイカル北海道の支店となった[6]道南バス「東町2丁目」停留所下車。
    店名が変更になった後も「桐屋」の名称で親しまれており[73]、親しみを込めて「桐屋さん」とさん付けで呼ぶ市民もいる[74]
  • 伊達店 - 伊達市末永町8-1
    1986年(昭和61年)4月開店、開店当初はホクホー伊達店。
  • 登別店 - 登別市若山町4-33-1
    開店当初は登別サティ。「室蘭ファミリーデパート」が開設した店舗である[73]。道南バス「富岸2丁目」停留所下車。
  • 静内店 - 日高郡新ひだか町静内末広町2-2-1
    開店当初はニチイ静内店。現店舗は1998年(平成10年)に町内の西部の郊外に移転したもので、当店の移転により静内の中心市街地の客足が遠のくことになったとされている[75]

道北圏

  • 永山店 - 旭川市永山3条12-2-11
    1990年(平成2年)10月27日に開店した[8]。開店当初は株式会社ホクホーによる永山サティで、北海道最初のサティとして開店[6]
    2000年(平成12年)5月に改装を行って新装開業した[23]
  • 春光店 - 旭川市春光町10
    1981年(昭和56年)7月[6][46]1日にニチイ旭川店として開店[6]
    北海道銀行の支店が隣接。ハローズが駐車場内に出店。グループ企業のピープルが3Fにスポーツクラブをかつて展開していた。道北バス旭川電気軌道「大町2条10丁目」停留所下車。
  • 名寄店 - 名寄市徳田80-1
    2008年(平成20年)4月25日にイオン名寄ショッピングセンターの核店舗として開店[40]。「ポスフール」としては最後の出店。
    イオン名寄ショッピングセンター出店にあたり、名寄市長や名寄商工会議所[76]、地元商店街の経営者が出店に反対の意思を示し、高橋はるみ北海道知事[77]日本商工会議所からも出店を自粛するよう要請される[78]
    併せて2007年(平成19年)6月21日の名寄市議会にて事実上の出店規制条例を制定した[79]が、条例施行20日前の7月10日に工事が着工された[80]
    市側からの再三の出店取り止め要請に対し、ポスフール側は地元より直営で約500人とテナントで200人から300人の雇用や地元特産の品は1億円程度の売り上げが見込めるとして名寄市側の反対を押し切って出店を強行[77]、一貫して反対していた名寄市や名寄商工会議所は着工式への出席を拒否する事態にまで発展し[80]、開店の式への出席は名寄市の副市長や名寄商工会議所の副会頭となった[40]

オホーツク圏

  • 北見店 - 北見市北進町1丁目1-1
    2000年(平成12年)9月15日に北見サティとして[19][20]有力ブランドを導入する[7]と共にワーナー・マイカル・シネマズ北見を併設して開店[19][20]
    中心商店街などの小売業者に与える影響が大きいとの地元意見を受けて審議会で申請より規模が縮小されたものの[81]、網走管内最大の大型店舗として出店することになった[82]
    そのため、 当店開店前の1998年(平成10年)12月時点の北見市の既存の第1種大規模小売店舗(店舗面積3,000m²以上)5店舗合計の店舗面積33,950m²の半分以上となる21,630m²という当地区最大の店舗で直営の年商100億円とテナント年商50億円を目指していた[83]
    初年度から黒字化するなど順調に売り上げを伸ばしたため[84]、北見市の既存店の売上を大幅に減少させると共に[85]、北見市中心部の商店街に空き店舗が急増するなど当店の開業は北見市の商業に大きな影響を与えた[86]
    開業当初からミドリ薬品がドラッグストアを出店しているが、2010年(平成22年)3月にイオン北海道直営のドラッグストアを開店させて医薬品の販売を始めたため、「出店時の約束に反する」として2010年(平成22年)4月13日に釧路地方裁判所北見支部に直営店での医薬品類の販売差し止めを求める訴えをミドリ薬品が起こしている[87]
    開業当初は当時流行し始めていたNTTドコモiモードを活用して最新の売場情報などを配信するサービスを全国で初めて導入していた[19]
    当店の立地する場所は北見市内では有数の文化財包蔵地である遺跡があったことから1997年(平成9年)7月から発掘調査が行われることになり[88]、着工は1999年(平成11年)9月となった[89]
  • 紋別店 - 紋別市花園町3-4-39
    1980年(昭和55年)にローズタウンとして開店[44]。開店時には紋別市内唯一のファストフード店だったフライドチキンとハンバーガーの店ゴールデンスキリットが2010年(平成22年)9月26日まで営業していた[44]

釧根圏

  • 釧路店 - 釧路郡釧路町桂木町1-1-7  
    1987年(昭和62年)12月1日にホクホー釧路店として開店し[47]1994年(平成6年)10月21日にニチイ釧路店を釧路サティに業態転換して新装開業して[52]2000年(平成12年)2月期に直営部分の売上高約130.5億円を上げて総合スーパーでは道内売り上げ1位となった[7]
    2000年(平成12年)11月には釧路サティを店舗面積を1.6倍の約30,000m²に増床してシネマコンプレックスも併設すると共に若い女性に人気の衣料ブランドなども有力ブランドを次々と導入して百貨店も含む大型小売店の「地域一番店」として競合他店の追撃を許さない弱点の見つけにくい売り場をつくり上げて若者達のデートスポットにもなっている[7]
    2003年(平成15年)9月26日 - 十勝沖地震で「ポスフール釧路店」に被害が発生した[60]
  • 厚岸店 - 厚岸郡厚岸町港町1丁目3
    開店当初はホクホー厚岸店。
  • 根室店 - 根室市常盤町3-9
    開店当初は「根室ファミリーデパート」であったが、1997年(平成9年)10月に増床して「根室サティ」に業態転換している[53]
    また、運営も根室ファミリーデパートとして独立した法人であったが、2000年(平成12年)9月1日に合併してマイカル北海道の支店となった[6]
    根室ファミリーデパート時代の店舗看板・ロゴマークはニチイの鳩のマークに「nemuro ファミリーデパート」のロゴタイプを使用していた[90]

十勝圏

  • 帯広店 - 帯広市西4条南20丁目1
    1979年(昭和54年)5月30日に[91]JR帯広駅裏に[16]ニチイ帯広店として開店[6]
    1997年(平成9年)3月14日に増床工事を着工し[92]1998年(平成10年)3月12日に帯広サティに業態転換して十勝圏最大のショッピングセンターとなり[16]、有力ブランドも導入して百貨店レベルの顧客にも対応した店舗として[7]142,556世帯387,809人を商圏に直営部分の年商125億円を目指す基幹店舗として新装開店した[16]

閉鎖店舗

イオンへの転換前に閉店した店舗

  • ファクトリーサティ住まいと暮らしの館 - 札幌市中央区北2条東4丁目 サッポロファクトリー
    1993年(平成5年)4月9日開店[50][51] - 1999年(平成11年)2月閉店[要出典]
  • 手稲店 - 札幌市手稲区手稲本町2条5丁目3-1
    2000年(平成12年)8月閉店[要出典]
    店舗跡は2005年(平成17年)6月に津司(りんごハウスグループ)の卸売スーパー手稲店が開業し、同年9月1日にオカモトグループの大型ゲーム施設「ヴァリオス手稲店」が開業した[93]が閉店し(卸売スーパーはダイエー手稲店跡に移転)、現在はジョイフィットとなっている[要出典]
  • 新琴似サティ食品館 - 札幌市北区新琴似8条10丁目1-22
    1996年(平成8年)11月開店 - 2001年(平成13年)1月閉店[7]
    店舗跡は北雄ラッキーが買収し[94]2001年(平成13年)3月9日に北雄ラッキー新琴似四番通店が開業[95]
  • 大谷地店 - 札幌市厚別区大谷地東3丁目3-20
    1989年平成元年)9月28日に「ニチイ大谷地ショッピングデパート」 として開店[48] - 2002年(平成14年)10月16日閉店[56]
    札幌市営地下鉄東西線大谷地駅とバスターミナルに隣接するマイカル北海道では最後のニチイ業態の店舗としてだった[17]
    1999年(平成11年)10月8日に「ニチイ大谷地店」を増床し「大谷地サティ」に業態転換して新装開業した[17]
    店舗跡は2003年(平成15年)4月16日に「キャポ大谷地」として開業し[96]、札幌東急ストア(現:東光ストア)大谷地店やツルハ等32店が入居した[97]
    閉店が決まっていたため、他の店舗が「ポスフール」に改称されても「サティ」のまま営業を続けた。
  • 東苗穂店 - 札幌市東区東苗穂3条2丁目5-25
    1991年(平成3年)4月19日に「東苗穂サティ」として開店[49]。 - 2005年(平成17年)5月22日閉店[要出典]
    イオンと提携後の2003年(平成15年)6月25日に「イオン札幌苗穂ショッピングセンター」が開業したため[98]、グループ内で競合する結果となった[99]
    店舗跡には2005年(平成17年)8月にキャッツアイ運営のレジャスポが開業することになった[100]
  • 岩内店 - 岩内郡岩内町栄7-3
    1996年(平成8年)に「岩内サティ」に業態転換し[12]2007年(平成19年)2月15日閉店[37]サティ時代は全国の店舗の中でも最小規模だった[要出典]
    店舗跡は2014年(平成24年)10月の開業を目指して介護付き老人ホームへの改築が進められている[101]
  • 西岡店 - 札幌市豊平区西岡3条3丁目4-1
    2002年(平成14年)11月に[6]ダイエー西岡店跡に[38]西岡ポスフールバーゲン館として開店し[57]、3月1日に「ポスフール西岡店」として正式に開店して[57]初年度に売上高約46.5億円を上げたがその後は駐車場の使いにくさや売場面積の中途半端さなどが影響して競合店との競争に敗れて低迷し[38]2008年(平成20年)2月[39]24日閉店した。その後、2年3ヶ月をかけて建物の改修を行い、2010年5月25日にジャスコ西岡店(現・イオン札幌西岡店)を核店舗としたイオン札幌西岡ショッピングセンターとして開業した。
  • ニチイ栗山店 - 栗山町
    店舗跡は1998年(平成10年)3月に「ラッキー栗山店」が開業した[102]

新規出店計画

網走市

2007年(平成19年)9月に網走市に新規出店を発表したが開店していない。地元の商工会議所などが出店に強く反対していた[要出典]

小樽ベイシティへの債権

なお、当社はマイカル北海道時代の出店時に出した店舗敷金と保証金の合計約61億円の他に、ポスフールとなってから日本政策投資銀行から買い取った約133億円の合計約194億円の債権を保有していた[103]

2001年(平成13年)9月27日に負債約490億円を抱えて民事再生法を申請した「小樽ベイシティ開発」[104]が無担保の再生債務292億円の98.5%の免除を受けた際に、別除権のある当社の担保付き債務約194億円についてはその対象とならず、2005年(平成17年)3月に同社が民事再生手続きの終結決定を受けた後も返済協定が結ばれていない状態のまま債務が残る形となった[105]

そのため、2007年(平成19年)8月10日に「小樽ベイシティ開発」がその債務の約90%の減免を求めて札幌地方裁判所に特定調停を申し立てた[105]

この特別調停で協議を進めた結果、2008年(平成20年)4月1日に債務を29億円に減額したうえで、北武グループの協力により北海道銀行の支援を受けて同年7月末までに一括返済する中間合意内容を正式に発表した[106]

ところが、同年9月17日に北武グループから再建への支援を得られなくなったことから、この計画はとん挫することになった[107]

その後、2009年(平成21年)1月27日に「小樽ベイシティ開発」が特定調停を取り下げたため、計上予定だった貸倒引当金の戻し入れ益がなくなったことなどで、当社の後身の「イオン北海道」が赤字に転落している[108]

さらに、債務返済を求めても「小樽ベイシティ開発」が応じない状況が続いたことから、2012年(平成24年)には「返済されないことで生じた利子分を相殺するための対応」として同年10月と11月の賃料の支払を停止している[109]

注釈

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  107. ^ “北武グループ撤退 ウイングベイ小樽 再建計画見直しも”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2008年9月18日)
  108. ^ “イオン北海道、21億円赤字 OBC特定調停不調で”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2009年1月27日)
  109. ^ “イオン、賃料払わず 旧マイカル小樽 OBCの返済遅れに対抗”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2012年11月15日)

関連項目

外部リンク