春日野道駅 (阪神)

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春日野道駅
西口(2009年9月)
西口(2009年9月)
かすがのみち - Kasuganomichi
HS 30 岩屋 (1.1km)
(1.3km) 神戸三宮
HS 32
所在地 神戸市中央区吾妻通一丁目
駅番号 HS 31
所属事業者 阪神電気鉄道
所属路線 本線
キロ程 30.8km(梅田起点)
駅構造 地下駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度-
10,917人/日
-2006年-
開業年月日 1905年明治38年)4月12日*
* 地上駅としての開業日。現在の地下駅としての再開業日は、1934年昭和9年)5月1日

春日野道駅(かすがのみちえき)は、兵庫県神戸市中央区吾妻通一丁目にある、阪神電気鉄道本線。駅番号はHS 31。本項では、1968年昭和43年)まで存在した神戸市電春日野道電停についても記述する。

駅構造[編集]

国道2号の真下に相対式ホーム2面2線を有する地下駅である。分岐器絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。

2004年平成16年)9月25日始発から新ホームに切り替えられ、三宮方に西改札口が新設された。2005年(平成17年)8月6日までは仮供用の状態でホーム有効長が19 m級の阪神車両5両編成分しかなく、平日朝に停車する東須磨準急6両編成は三宮方1両をドアカットしていた。東改札口および新地下道設置工事が進捗した同年8月7日から旧ホームと同様に阪神車両6両編成が停車可能となった。ただし、2006年(平成18年)10月のダイヤ改正以降は6両編成の停車はなくなっている。21 m級の近畿日本鉄道車両6両編成の停車は不可能である。

2004年までの旧ホームは、ホームから線路を挟んだ反対側(上下線間)に一部施設が未撤去の状態で残っており、ホームから見ることができる。

のりば
ホーム 路線 方向 行先
1 本線 上り 尼崎大阪(梅田)難波奈良方面
2 本線 下り 神戸(三宮)明石姫路方面

実際には構内に上記ののりば番号表記はないが、公式サイトの構内図では上りホームが1番線、下りホームが2番線とされている。

春日野道駅配線略図

梅田方面
春日野道駅配線略図
三宮・元町方面
凡例
出典:[1]



「日本一幅の狭いホーム」[編集]

旧ホーム(2004年8月8日)。幅が電車よりも狭い。

1934年(昭和9年)から2004年まで、当駅は島式ホーム1面2線の地下駅であり、ホームの幅はわずか2.6 mだった。これは電車の車体の幅(約2.8 m)よりも狭い。「日本一危ない駅」や「日本一怖い駅」として、『投稿!特ホウ王国』などの全国ネットのテレビ番組で取り上げられたこともある。

岩屋 - 三宮間地下化工事は、大林組の施工により1931年2月着工、1933年6月に開通した。春日野道新駅は、地下化の翌年である1934年5月1日に開業した。

社史類には記述はないが、この狭いホームは以下のような経緯で成立したと言われている。 春日野道駅は、1933年岩屋駅以西が地下化される際に廃止される予定であった。しかし、当時駅周辺は川崎製鉄などの工場地帯で、沿線住民に加えて多くの工場労働者が当駅を利用しており、その反対を受け、地下化直前に駅存続へと方針転換されたという。

しかし、実際には1929年8月の施工認可申請の時点で春日野道新駅設置の計画は既にあり[2]1930年11月時点でも計画に変更は無かった[3]。当初は幅3 m×長さ120 mでホームが建設されたが、その後の車体拡幅によりホームが上下各0.2 m削られ、幅2.6 mになった。1986年に公布された鉄道事業法ではホームの幅を原則3 m以上と規定している。

こうして線路に挟まれた幅わずか2.6 mのホームが出来上がったが、さらにホーム中央には一定間隔毎に地下トンネル特有の太いコンクリート柱があったため、柱からホームの端までは子ども1人が両手を横に広げた程度であった。当駅を電車が通過する際は、幅の狭さと地下駅ゆえの強い列車風により、危険であったため、阪神も以下に挙げられる様々な対策をとっていた。

  • 待合用のベンチはホームではなく改札口横の一角に設置され、その場所が待合空間として利用されていた。ホームには柱間に金属製の安全柵が設置された。
  • 電車接近時の案内放送は、以下の通りだった。
    • 待合空間では、到着電車接近時に、「まもなく、(大阪/神戸)方面行電車がまいります。ホームへお越し下さい」という駅独自の自動音声が、ホームまでの階段移動時間も考慮して流れるようになっていた。自動音声の直前に阪神標準の電車接近予告メロディが流れたが、この待合空間だけは到着電車の接近を知らせるにもかかわらず、通過電車接近用のメロディが使われていた。
    • ホームでは、電車接近時に他駅と同様の自動音声並びに冒頭のメロディに加えて、踏切警報機音と壁に設置された電車接近を知らせる電光表示器(橙色の「電車が来ます・ご注意下さい」のLED表示と4つの矢印が時間差で点滅)により、聴覚的・視覚的に到着および通過電車の接近を警告した。
  • 通過電車は長らく75 km/h程度で通過していたが、やがて45 km/hに制限され、駅進入時に警笛を鳴らすようになった。

幅の狭い危険なホームであったが、阪神による上記の対策、及び駅構造を要因とする利用者自身の注意喚起があった結果、設置から廃止までの70年間、無事故であった。

新ホームへの切り替え[編集]

旧ホームが廃止された背景として、危険の回避、ダイヤ編成上のネックの解消がある。また、地下化時の当駅存続運動のきっかけとなった近隣の工場群が移転し、跡地がHAT神戸として再開発が進んだことも挙げられる。再開発の計画時期には阪神・淡路大震災が発生し、建設されていた公営マンションに家を失った多くの人々、とりわけ高齢者が暮らすようになった。これを機に、バリアフリーユニバーサルデザイン・災害時の避難経路複数確保を考慮に入れたホームを含めた駅全体の改良工事が必要になり、諸検討の結果、「既設の島式ホームは廃止し、相対式ホームを新設するのが適当」となった。

新ホームは、線路は従来のままに存置し、かつ営業運転を継続したままで、旧ホームの反対側の地下トンネルの壁を開削・拡幅して、旧ホームの線路を挟んだちょうど反対側に設置されることになった。鉄道駅総合改善事業により法的に神戸高速鉄道が事業主体となることで国・兵庫県神戸市から補助金を受け、2001年(平成13年)11月6日に改良工事が開始された。そして、2004年9月25日初発から新ホームに切り替えられ、日本一幅が狭いと言われた旧ホームはその役目を終えた。同時に、通過電車の速度も開業時の75 km/hに戻されている。旧ホームはその後安全柵が撤去されて補強用柱などが取り付けられたものの現存し、新ホームや電車内から見ることができる。またコンコースには旧ホームや周辺の風景が掲示されている。

新ホームは、旧ホームよりも約1両分大阪側にずらして設置された。新ホーム使用開始時に、ホームの有効長が一時的に5両編成分しかなかったのは、開削することになった大阪側1両分のトンネルの壁がアーチ構造、つまり線路と新ホームの間に立ちはだかる壁だけで上層部を支えていたことによる。この壁を撤去するにはアーチごと撤去しなければならないが、アーチ上層部には旧ホームにとって唯一の改札口があったため、壁を撤去する前に改札口を別に確保する必要があった。そこでまず西改札口および新ホームのうち、アーチ構造に関係しない5両編成分のみを完成させてアーチ撤去期間中の改札口を確保し、そして実際にアーチごと壁を撤去することになったのである。そして、撤去されたアーチの跡地には東改札口が開設され、新ホームとの間を連絡するエレベーターと上りエスカレーターが設置された。なお、地下道の一部は旧ホーム時代のまま残っている。

利用状況[編集]

各年11月の1日平均乗降人員は下記の通り。

年度 1日平均
乗降人員
出典
1996年 9,897 [4]
1999年 8,182 [5]
2001年 9,590 [6]
2002年 9,018 [7]
2003年 10,553 [8]
2004年 10,341 [9]
2005年 10,790 [10]
2006年 10,917 [11]
2007年 10,065 [12]
2008年 11,290 [13]
2009年 11,811 [14]
2010年 11,573 [15]
2011年 12,432 [16]

HAT神戸の開発進展と前後して、利用者数は増加傾向にある。2011年時点では、阪神本線の各駅停車のみが停車する駅の中では最も利用者数が多い。

駅周辺[編集]

阪急電鉄神戸本線にも同じ駅名の春日野道駅があるが、JR神戸線の線路を越えたところにあり、直線距離で約450 m離れている。両駅の間には春日野道商店街がある。なお、阪急春日野道駅もホームの幅が狭く、阪神側が改良されてからは阪急側の方が狭くなっている。

東口[編集]

西口[編集]

  • 葺合警察署
  • 神戸日暮通郵便局
  • 大安亭市場(おおやすていいちば)
  • 神戸ものづくり職人大学

バス路線[編集]

神戸市電春日野道電停[編集]

1910年明治43年)4月5日に、神戸電気鉄道(現在の神戸電鉄とは無関係)が開通した際に設置された。当時は南北方向の終点であったが、1932年昭和8年)9月21日には敏馬(廃止時には脇浜町)まで開業した際に東西方向の途中停留所となった。当停留所近くには車両基地があった。1968年(昭和43年)4月21日に神戸市電東部国道線が廃止となった際と同時に廃止となった。阪神春日野道駅改札外地下通路に写真が掲げてあり、当時の阪神春日野道駅の出入口と隣接する車両基地が写っている。写真は阪神の地下入口があるため昭和9年以降のものであると推測される。

歴史[編集]

阪神電気鉄道[編集]

神戸市電[編集]

  • 1910年(明治43年)4月5日 - 神戸電気鉄道の開業と同時に開業。開業当初の春日野道電停は旧阪神春日野道駅南側直角になっていた。現在の春日野道商店街のすぐ東側にあった[19]
  • 1913年大正2年)5月1日 - 神戸電気へ社名変更時に同社の電停となる。
  • 1917年(大正6年)8月1日 - 神戸市電気局へ組織名変更時に同局の電停となる。
  • 1932年(昭和8年)9月21日 - 神戸市電東部国道線開業時に春日野道電停は国道沿いの現在の阪神春日野道駅の地上付近に移転。
  • 1942年(昭和17年)5月19日 - 神戸市交通局へ組織変更時に同局の電停となる。
  • 1968年(昭和43年)4月21日 - 神戸市電廃止と同時に同電停も廃止。

隣の駅[編集]

阪神電気鉄道
本線
直通特急・特急・快速急行
通過
普通
岩屋駅 (HS 30) - 春日野道駅 (HS 31) - 神戸三宮駅 (HS 32)
* 地上駅時代は、岩屋駅と当駅の間に脇浜駅が、当駅と三ノ宮駅(旧)の間に新川駅が、それぞれ存在した。

かつて存在した路線[編集]

神戸市交通局(神戸市電)
東部国道線
吾妻通4丁目 - 春日野道電停 - 脇浜3丁目
神戸電気鉄道
南本町1丁目 - 春日野電停
*春日野道電停が終点だった頃は阪神旧駅に対し直角となっていた。

脚注[編集]

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  1. ^ 『東海道ライン 全線・全駅・全配線 第7巻 大阪エリア-神戸駅』 川島令三 編著、講談社〈図説 日本の鉄道〉、2009年ISBN 978-4-06-270017-7 23頁
  2. ^ 神戸新聞1929年8月6日「愈設計が出来たので地下乗入を急ぐ阪神 : 免許指令を待たず施行認可を申請 : 岩屋新三宮駅間に停留所は一個所」神戸大学附属図書館 デジタルアーカイブ新聞記事文庫
  3. ^ 大阪朝日新聞1930年11月2日「濃厚な大阪色 : 迷わぬ「色」の停車場」(神戸大学附属図書館 デジタルアーカイブ新聞記事文庫) 佐藤 博之、浅香 勝輔『民営鉄道の歴史がある景観1』(1986年7月、古今書院)p.189によれば、大林組所蔵の1931年当時の資料には「十月上旬 特命 阪神電気鉄道株式会社 神戸岩屋増設線、春日野道停留所工事」などの記述がある。
  4. ^ 「ハンドブック阪神 1997」阪神電気鉄道株式会社、1997年
  5. ^ 「ハンドブック阪神 2000」阪神電気鉄道株式会社、2000年
  6. ^ 「ハンドブック阪神 2002」阪神電気鉄道株式会社、2002年
  7. ^ 「ハンドブック阪神 2003」阪神電気鉄道株式会社、2003年
  8. ^ 「ハンドブック阪神 2004」阪神電気鉄道株式会社、2004年
  9. ^ 「ハンドブック阪神 2005」阪神電気鉄道株式会社、2005年
  10. ^ 「ハンドブック阪神 2006」阪神電気鉄道株式会社、2006年
  11. ^ 「ハンドブック阪神 2007」阪神電気鉄道株式会社、2007年
  12. ^ 「ハンドブック阪神 2008」阪神電気鉄道株式会社、2008年
  13. ^ 「ハンドブック阪神 2009」阪神電気鉄道株式会社、2009年
  14. ^ 「ハンドブック阪神 2010」阪神電気鉄道株式会社、2010年
  15. ^ 「ハンドブック阪神 2011」阪神電気鉄道株式会社、2011年
  16. ^ 「ハンドブック阪神 2012」阪神電気鉄道株式会社、2012年
  17. ^ ヤマダ電機HPテックランド神戸本店
  18. ^ 阪神電鉄 春日野道駅の改良工事に11月6日着手」阪神電気鉄道・神戸高速鉄道、2001年10月25日。この資料に「改良工事は、鉄道駅総合改善事業として国、兵庫県および神戸市の補助を得て、神戸高速鉄道が事業主体となり実施するもので、工事の施行は神戸高速鉄道から委託を受け、阪神電気鉄道が行う」という記述が見られる。
  19. ^ 實地踏測神戸市街全圖(昭和5年6月10日印刷、昭和5年6月20日発行) - 国際日本文化研究センター 所蔵地図データベース

関連項目[編集]

外部リンク[編集]