光が丘 (練馬区)

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航空写真に見る光が丘近辺。1974年度(昭和49年)の撮影。まだ米軍基地が撤退して間もないため、建物がなく広大な空き地であったことが分かる(撮影の関係で、1989年度の写真と位置は若干異なる)
同じく航空写真に見る。光が丘近辺。1989年度(平成元年度)の撮影。航空写真においては、現在とあまり変わっていないといえる。上部の広大緑地は光が丘公園。

光が丘(ひかりがおか)は、東京都練馬区にある地名。一丁目から七丁目まである。郵便番号は、179-0072。当地域の人口は、28,977人[1]

目次

[編集] 地理

練馬区北部に位置する新興住宅地である。多くの団地が建ち並び、中心部には光が丘駅、ショッピングセンターIMAがある。団地内に多くの公園が点在し、光が丘駅北側には都立光が丘公園が位置する。光が丘公園は都内でも有数の面積を持ち、公園中に図書館体育館テニスコート野球場をそなえるなど人々の憩いの場となっている。都営大江戸線が全線開通してからは新宿青山六本木汐留などの都心部へも電車一本で行けるようになった。

南北方向に長大な区域のため、居住区域によって利用可能な駅は異なるが、東武東上線成増駅東京メトロ有楽町線副都心線 地下鉄成増駅地下鉄赤塚駅平和台駅西武池袋線練馬高野台駅が徒歩・バス等で利用可能である。

付近の主要幹線道路として北側に川越街道、西側に笹目通り、南側に目白通り、南東方向に環八通りがあり[2]環七通り関越自動車道練馬IC東京外環自動車道大泉JCT新大宮バイパスが比較的近く、アクセスが容易である。

交通の面において現在は鉄道、道路共に比較的便利な街といえよう。しかし1990年頃までは都営大江戸線、西武池袋線練馬高野台駅が存在せず、また道路においても東京外環自動車道全線と環八通りの一部区間が未開通(さらに環八通りは井荻トンネルも未完成で西武新宿線との交差で常に大渋滞)であったため、便利とはいい難い地域であった。

[編集] 歴史

元は武蔵国豊島郡上練馬村田柄高松および下土支田村(土支田)にまたがる地区で、広大な農地であった。

地区の中央部(現在の日本大学医学部付属練馬光が丘病院付近)には、西から東へ田柄川(江戸時代は土支田川と呼ばれる)および田柄用水(現在の光が丘第二アパート付近の分水堰で田柄川と分水)が流れ、流域の東部に水田が、北と南の一部には、練馬大根の畑があった。地区の北西部(ふれあい橋周辺)は、盛岡藩抱地で南部山と呼ばれる畑山があった。曲がりくねった農道と、屋敷森が随所に見られる農村地帯で、成増飛行場建設直前には、約80世帯が居住していた。

成増飛行場建設までは、以下の神社や道路があった。

  • 神社
    • 稲荷神社 - 現在の光が丘公園駐車場入口付近
    • 阿夫利神社 - 現在の夏の雲公園付近
  • 道路
    • 土支田通り - 旧導者道、現在の土支田通りの延長。現在の光丘高校角交差点から、ゆりの木通りを結ぶ。
    • 平林寺道 - 現在の光が丘公園西交差点と光が丘北交差点の中間点から、光が丘第八小学校付近で土支田通りと交差し、たがら公園南を結ぶ。
    • 学校道 - 現在の旭町南地区区民館から、夏の雲公園の北付近で長命寺道と交わる。
    • 長命寺道 - 現在の光が丘児童館南から、田柄高校角交差点、光が丘美術館前を通り、現在の光が丘消防署前交差点の南から、光が丘第三小学校前交差点付近までを結ぶ。
    • 長久保道 - 現在の夏の雲公園南の交差点から、セガワールド光が丘の南の道までを結ぶ。
    • 豊島園通り - 旧上練馬道。現在の田柄五丁目交差点から、田柄第三小学校の中央を通り、田柄高校角交差点を結ぶ。当地以外は、現在の豊島園通りと同じ。
      現在の田柄第三小学校の中央から、田柄高校角交差点までの間は、長命寺道と豊島園通りが重複する。

[編集] 地名の由来

練馬区のイメージである「緑と太陽のまち」にちなんで名付けられた。緑が丘・緑台・青葉台・若葉台・光が丘の五つの候補があった。

[編集] 沿革

  • 1939年(昭和14年)4月紀元2600年記念事業の一つである、東京府策定の環状緑地帯計画に、土支田田柄高松の地域一体を、大泉大緑地とする計画が盛り込まれた。
  • 1940年(昭和15年)2月:臨時府議会で東京緑地帯計画が可決されたが、同年3月30日付の内務省告示では、大泉大緑地のみが削除された。
  • 1942年(昭和17年):旧日本陸軍成増飛行場が現在の光が丘公園に建設される(現在のIMAの中央やや東寄りを、南北に滑走路が貫いていた)
  • 1945年(昭和20年):太平洋戦争敗戦により、成増飛行場連合国に接収される。
  • 1946年(昭和21年)3月25日東武啓志線が全線開通。
  • 1947年(昭和22年)3月3日:連合国軍が、成増飛行場跡地をグラントハイツと改称する。名称の由来は第18代アメリカ大統領グラント将軍にちなむ。
  • 1947年(昭和22年)4月:グラントハイツの建設着工。
  • 1948年(昭和23年)6月:グラントハイツが完成。アメリカ空軍の家族宿舎となる(このことから周囲には米軍関連の店も並んだ)。
  • 1952年(昭和27年)7月26日:日米政府間協定上の米軍施設名「グランド・ハイツ住宅地区」(FAC(施設)番号3006)として、練馬区土支田町、高松町、田柄町、春日町、旭町の一部が、米軍無期限使用施設に指定される[3]
  • 1958年(昭和33年)9月26日狩野川台風により田柄用水があふれ、グラントハイツが浸水被害。
  • 1959年(昭和34年)7月22日:東武啓志線が廃線。
  • 1960年代:グラントハイツの返還運動が高まる
  • 1961年(昭和36年)4月19日:日米政府間協定上の米軍施設名が「グラント・ハイツ住宅地区」に改まる[4]
  • 1964年(昭和39年)12月18日:練馬区長(須田操)が、東京都知事東龍太郎)にグラントハイツ開放を要請。
  • 1969年(昭和44年)8月27日防衛庁長官有田喜一)が、グラントハイツを視察し、米軍と話し合う。
  • 1969年(昭和44年)9月1日:当地区に住居表示を実施。田柄町一丁目、田柄町二丁目、高松町一丁目の一部、高松町二丁目の一部、旭町の一部をもって、光が丘が成立した[5]。この時をもって「光が丘」が正式の町名となった。この時点では光が丘には「丁目」の設定はなく、全体が光が丘1番街区であった。
  • 1971年(昭和46年)8月19日外務省にて日米合同委員会が開かれ、1974年3月を期限として、グラントハイツ全面返還を合意。
  • 1972年(昭和47年):敷地の半分を公園、半分を団地などの住宅地にする跡地の再開発計画の策定
  • 1973年(昭和48年)9月30日:グラントハイツの全面返還が完了[6]
  • 1977年(昭和52年)2月:都立光が丘公園の建設工事着工
  • 1980年(昭和55年)10月:練馬給水所完成、一部通水開始。
  • 1981年(昭和56年)3月-5月:住宅、清掃工場の建築着工。
  • 1981年(昭和56年)12月:都立光が丘公園が開園。
  • 1983年(昭和58年)3月1日:住居表示の変更を実施。従来の「光が丘」の大部分が、光が丘一丁目から七丁目となった[7]。この際、旧光が丘の一部が旭町一丁目33番、旭町二丁目1番および11番、田柄二丁目42番、高松五丁目24番に編入された。
  • 1983年(昭和58年)3月:ゆりの木通り完成。
  • 1983年(昭和58年)3月-4月:都営住宅・公団住宅の入居開始(地区内で初めての入居)。練馬区立光が丘第一小学校、光が丘第二保育園、旭町第二保育園開設。
  • 1983年(昭和58年)5月:練馬区清掃工場光が丘工場仮稼動開始。
  • 1983年(昭和58年)6月:光が丘公園野球場テニスコート陸上競技場利用開始。地下鉄有楽町線開通。
  • 1983年(昭和58年)7月:旭町南地区区民館開設(清掃工場の還元施設)。
  • 1983年(昭和58年)10月:清掃工場本格稼動開始。
  • 1984年(昭和59年)3月-4月:光が丘出張所、練馬区立光が丘第四小学校、練馬区立光が丘第一中学校、練馬区立光が丘第四中学校、光が丘公園派出所、光が丘第三保育園、光が丘あじさい学童クラブ開設。
  • 1984年(昭和59年)4月:バス運行開始。
  • 1986年(昭和61年):光連協発足(15団体加盟)。
  • 1987年(昭和62年):IMAオープン。
  • 1990年(平成2年):光が丘警察署開設。
  • 1991年(平成3年):都営地下鉄12号線(現・大江戸線)の開通。パチンコ店進出の反対運動始まる。
  • 1992年(平成4年):光連協がパチンコ店進出反対を決定。
  • 1993年(平成5年):光連協がパチンコ店出店反対要望書を区長・区議会・住都公団に提出。
  • 1994年(平成6年):光が丘地区区民館開設。光が丘体育館開設。
  • 1995年(平成7年):光が丘図書館開館。光が丘にパチンコ店がオープン。

[編集] 町名の変遷

地租改正後の記録として残る小字は以下のとおり。左が現町名、右が小字名である。

  • 光が丘一丁目 - 北神明(きたしんめい)
  • 光が丘二丁目 - 菅原(すがわら)、八丁原(はっちょうはら)
  • 光が丘三丁目 - 北高松、菅原、西田柄、東高松
  • 光が丘四丁目 - 庚塚(かねづか)、八丁原
  • 光が丘五丁目 - 菅原、大門山(だいもんやま)、八丁原
  • 光が丘六丁目 - 大門(だいもん)、大門山
  • 光が丘七丁目 - 北高松、大門、平松(ひらまつ)
実施後 実施年月日 実施前(特記なければ、各町名ともその一部)
光が丘 1969年9月1日 田柄町一丁目(全域)、田柄町二丁目(全域)、高松町一丁目、高松町二丁目、旭町
実施後 実施年月日 実施前(各町名ともその一部)
光が丘一丁目 1983年3月1日 光が丘
光が丘二丁目
光が丘三丁目
光が丘四丁目
光が丘五丁目
光が丘六丁目
光が丘七丁目

[編集] 光が丘パークタウン

光が丘パークタウン(ひかりがおかパークタウン)は、光が丘の多くの部分を占める集合住宅街。光が丘団地ともいう。

都市再生機構 (UR) と東京都住宅供給公社の分譲・賃貸住宅で構成され、一部板橋区に属している。光が丘一丁目から光が丘七丁目までが存在し、小学校は5校、中学校が4校、都立高校が1校ある。いずれは、老人ホームになることを視野に入れて建設されている。ごみ処理場の廃熱を活かした、地域熱供給も導入されている。

[編集] 高齢化

光が丘の65歳以上の人口(高齢人口)が占める割合(高齢者化率)は14%[8]と、全国平均の20.04%[9]と比べれば低めである。しかし、光が丘における非高齢人口に占める60-64歳の割合は9%、55歳-64歳だと22%になり今後5-10年の間に高齢化率は大きく上がってゆく可能性が高い。現に団地が分譲されたのが他より5年程度早かった光が丘五丁目の高齢化率は51%にまで達している。ただし賃貸住宅が多い丁目は高齢化率は低いので、高齢化は場所によって大きく異なってくることが予想される。

各丁目の高齢化率[10]

  • 光が丘一丁目 20%
  • 光が丘二丁目 12%
  • 光が丘三丁目 13%
  • 光が丘四丁目 (公園のため住民基本台帳上の人口は0)
  • 光が丘五丁目 51%
  • 光が丘六丁目 16%
  • 光が丘七丁目 12%

[編集] 光連協

光が丘には町内会・自治会にあたる東京都練馬区光が丘地区住民組織連絡協議会(略称:光連協)という住民組織が存在する。賃貸住宅の自治会と分譲住宅の管理組合計35団体が加盟し、総世帯数は12157世帯(2006年6月24日現在)に達する光が丘地区最大の住民団体となっている。この規模は通常の町内会・自治会等と比べてかなり巨大な部類に属する。光連協内部は自治会(賃貸住宅)が加入する自治会部会と管理組合が加入する管理組合部会に分けられ、それぞれの固有の問題が扱われている。他にも防災対策専門委員会や自転車問題専門委員会など光が丘地域の問題に密着した専門委員会も六つ設けられている。

[編集] 交通

[編集] その他

  • 光が丘公園入り口のM字のオブジェや光が丘の公園各所、団地内など、東映特撮スーパー戦隊シリーズ仮面ライダーシリーズなど)を初めとしたドラマによく使われている。これは近隣の大泉に東映の撮影所があるためで、交通の便利さはもちろん、エリア内に電柱がほとんどなく建物も新しかったこと、公園の広さと多さからくる景観の良さなどから重宝されていた。1980年代後半から東映ヒーローの撮影に毎週のように利用されていたが、近年は目新しさがなくなってきており、都内の道路事情の改善、各所に景観のよい場所も増えてきたせいか以前よりは登場頻度は減っている模様である。光が丘内で爆破やカースタントなどを含む危険な撮影はもちろん難しいため、いわゆる「変身前」の俳優による、戦闘シーン以外の撮影が主であるが、光が丘公園内で簡単なアクションや殺陣が撮影されることもあったため、ヒーローや専用のバイク、車両の姿がよく見かけられた。これに伴って、光が丘内の特定の建物(区民センター、郵便局警察署、病院など)が看板だけ別物をかぶせて架空の組織の本部などとして撮影されることも多かった。
  • 前述の東映撮影所との関連で、現在配信されている通信カラオケの映像にも光が丘で撮影されているものがある。
  • ニュース番組における都内住民へのインタビューにおいて頻繁に利用される。これはお台場赤坂などにある大手放送局から非常に交通の便がよく、団地の中心に駅とショッピングセンターという立地から短時間で多人数へのインタビューがとりやすいためである。練馬区は東京23区内で夏の最高気温を記録することが多いことでも有名で、同じく区内で知名度の高いとしまえんと並び、お天気コーナーのロケが入ることも多い。
  • 映画『踊る大捜査線 THE MOVIE』において、とある重要人物の住所として光が丘団地(2丁目)が撮影に使用された。劇中の設定で季節は冬であるのに対し、真夏の光が丘で撮影が行われたため、出演者は炎天下にもかかわらず真冬の服装・コートで撮影に参加している。
  • アニメ『デジモンアドベンチャー』ではしばしば重要な場所として登場した。練馬区はアニメを活用した観光振興の一環として、区民センター前にキャラクター入りの観光案内板を設置している。
  • 尾崎豊の「米軍キャンプ」(アルバム「壊れた扉から」収録)で「米軍キャンプ跡の崩れかけた工場」とうたわれているのはかつての光が丘の風景である。
  • 光ヶ丘」と表記されることがあるが、正式の表記はひらがなの「」を用いた「光が丘」である。なお光が丘・光ヶ丘ともに日本各地の地名として複数存在する。
  • 見通しが良く碁盤目状に整備された道路網が適しているためか、周辺地域の幾つかの自動車教習所で路上技能教習のコースとして利用される。

[編集] 脚注

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  1. ^ 2010年平成22年)2月1日現在
  2. ^ これらの道路は近いがいずれも接してはいない。
  3. ^ 同日、外務省告示第34号
  4. ^ 同日、調達庁告示第4号
  5. ^ 昭和44年12月16日自治省告示第197号
  6. ^ 昭和49年1月22日防衛施設庁告示第1号。
    国有地約1,034,059m²、公有地約9,283m²、民有地約2,452m²、民有地(イーズメント)約368m²、国有建物約107,484m²および付帯設備等が返還された。
    返還に伴う代替施設として、横田飛行場を米軍へ追加提供した。
  7. ^ 昭和58年3月19日、自治省告示第62号
  8. ^ 2005年1月1日現在・住民基本台帳
  9. ^ 2006年版 高齢化社会白書
  10. ^ 住民基本台帳より計算 2005年1月1日現在 小数点以下切捨て

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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