ピウス2世 (ローマ教皇)

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ピウス2世
第210代 ローマ教皇
ピウス2世
教皇就任 1458年8月19日
教皇離任 1464年8月14日
先代 カリストゥス3世
次代 パウルス2世
個人情報
本名 Enea Silvio Piccolomini
出生 1405年10月18日
イタリアの旗 イタリア シエナ
死去 1464年8月14日
イタリアの旗 イタリア アンコーナ
その他のピウス

ピウス2世Pius II 1405年10月18日 - 1464年8月14日)は、ルネサンス期のローマ教皇(在位:1458年 - 1464年)。本名はアエネアス・シルウィウス・ピッコローミニAeneas Silvius Piccolomini, イタリア語:Enea Silvio Piccolomini)。

シエナ出身で、シエナ大学で学ぶ。元々人文主義者の代表的な人物で、詩人、歴史家として高名であり、神聖ローマ帝国に仕え、皇帝の側近、外交家としても知られていた。教皇エウゲニウス4世時代のバーゼル公会議に神聖ローマ帝国の宰相として参加し、教皇派と公会議首位派の対立を収束させるべく尽力した。その後聖職者となり、カリストゥス3世の死後、教皇に選ばれ、ピウス2世を名乗る。

1459年枢機卿ヨハンネス・ベッサリオンの尽力を得てヨーロッパ諸国に呼びかけ召集したマントヴァ教会会議で、オスマン帝国に対する十字軍遠征を提唱する。消極的な神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世に対してはかなり強硬な態度で参加を迫ったにも拘わらず、彼をはじめ応じる君主・国は殆どなかった。1463年、十字軍を提唱する教書を再び発表、1464年には十字軍の出発地として決定されたアンコーナに赴くが、同年8月に逝去。直ちに遠征は中止された。

シエナ共和国にある故郷の町(コルシニャーノ、のち教皇の名に因んで「ピッコロミニ」と改称)を理想の都市にしようと考え、1459年フィレンツェの建築家ベルナルド・ロッセリーノに設計を依頼する。これによってピオ2世広場、ピッコロミニ宮殿(1469着工)などが造られ、ルネサンス建築の並ぶ都市が生まれた(トスカナの宝石ともいわれる小さな都市で、現在は世界遺産に登録されているピエンツァ歴史地区)。

当時の因習であるネポティズムに従い、甥のフランチェスコを枢機卿に登用した。彼は後に教皇ピウス3世として選出された。

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