筬島駅
筬島駅 | |
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駅舎(2017年10月) | |
おさしま Osashima | |
◄W61 音威子府 (6.3 km) (18.0 km) 佐久 W63► | |
所在地 | 北海道中川郡音威子府村大字物満内小字筬島 |
駅番号 | ○W62 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■宗谷本線 |
キロ程 | 135.6 km(旭川起点) |
電報略号 | サマ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1922年(大正11年)11月8日[1] |
備考 | 無人駅 |
筬島駅(おさしまえき)は、北海道(上川総合振興局)中川郡音威子府村物満内(ものまない)にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。電報略号はサマ。事務管理コードは▲121831[2]。駅番号はW62。
歴史
[編集]- 1922年(大正11年)11月8日:鉄道省天塩線音威子府駅 - 誉平駅(後の天塩中川駅)間開通に伴い開業[3][4][5]。一般駅[1]。
- 1924年(大正13年)6月25日:線路名を天塩南線に改称、それに伴い同線の駅となる[4]。
- 1926年(大正15年)9月25日:天塩南線と天塩北線を統合し線路名を天塩線に改称、それに伴い同線の駅となる[4]。
- 1930年(昭和5年)4月1日:天塩線を宗谷本線に編入、それに伴い同線の駅となる[4]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体日本国有鉄道(国鉄)に移管。
- 1977年(昭和52年)5月25日:貨物の取り扱いが終了[1][6][注釈 1]。
- 1984年(昭和59年)
- 1986年(昭和61年)11月1日:交換設備を廃止し無人化[7]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1]。
- 1980年代後半 - 1990年代前半:駅舎改築、貨車駅舎となる。
- 2012年(平成24年):駅舎外壁を改修[8]。
- 2016年(平成28年)
- 2017年(平成29年)
- 2020年(令和2年)12月9日:JR北海道が、2021年度より地元自治体(音威子府村)による維持管理に移行することを発表[JR北 1]。
- 2021年(令和3年)4月:音威子府村による維持管理に移行[新聞 4]。
存続議論
[編集]後述の通り、当駅の一日平均乗降者数は、2011年 - 2015年の11月調査日の平均で1人以下となっており、2016年(平成28年)7月上旬、JR北海道では当駅と南美深駅(美深町)、歌内駅(中川町)を2017年(平成29年)3月のダイヤ改正に合わせて廃止する意向を各地元自治体に伝えた[新聞 2]。これに対し、音威子府村長の佐近勝は「将来の通学利用が予想される」として廃止反対の意向を示した[新聞 3]。
駅の存続には、JRが実施してきた年間100万円から200万円のホーム修繕費を音威子府村が負担することが条件とされたが、同年11月25日、実際には修繕工事は行われていないことが判明し、条件面のすり合わせは一旦白紙状態となった[新聞 5]。
その後音威子府村は、当駅の維持管理費90万円を2017年度一般会計予算に盛り込み、2017年3月末に駅舎管理についてJRと協定を結んだ。しかし、同様な対応をとった美深町と異なり、歌内駅の所在する中川町はJRとの交渉を拒否した[新聞 3]。
2017年(平成29年)4月以降は、上記の3駅について、JR北海道が当面の間自社の費用で存続させる意向とされており[新聞 3]、本駅については他市町村の廃止候補駅との調整が整い次第、村が従来から負担していた駅前の除雪費用に加え、ホーム上の除雪・光熱費等の維持経費を負担し存続することとし、自然災害による損傷・破損については協議の上修繕していくこととしている[11]。
その後、2020年12月9日には、JR北海道が、当駅を含む18駅を、2021年度より地元自治体による維持管理に移行することを発表しており[JR北 1]、翌2021年4月より音威子府村による維持管理に移行された[新聞 4]。
駅名の由来
[編集]当駅の所在する地域名(字名)より。元来ここの地名は現在でも大字名となっている「物満内(ものまない)[注釈 2]」であったが別の名称が使われた。この経緯については1922年(大正11年)8月21日付で北海道鉄道建設事務所長より鉄道大臣に宛てて送られた「新線駅名改称具申文書」に「当所筬島駅は土地の名称をとって物満内駅を考えていたが、2字以上の駅名は事務上煩雑であるので、2字名に改称したい[13]」とあり、これによって「筬島」の名称が決まったとされている。
「筬島」の名称はアイヌ語に漢字をあてたものとされているが由来となった語は諸説あり、1973年に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』では、「砂・の中・川(細い砂浜を通っている川)」を表す「オタニコㇿナイ(ota-nikor-nay)」と「崖・の端・にある・川」を表す「ピラケㇱオマナイ(pira-kes-oma-nay)[注釈 3]」の両地名がそれぞれ転訛し、「オサニコンナイ」「ピラケシマナイ」となったものの混成、としている[14][15]。
別説として『駅名の起源』(1939年版)では、「川尻を下るところにある小沢」を意味する「オサシマナイ」という語の上部を採った説[16]。また『音威子府村史』では「オタニコㇿナイ→オタニコンナイ→オサニコンナイ→オサシマンナイとなり、オサシマに漢字の筬島を当てて駅名とした」とした説を示している[14]。
駅構造
[編集]単式ホーム1面1線を有する地上駅。分岐器を持たない棒線駅となっている[17]。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能駅であり[注釈 4][18]、現在は駅舎のある線路の南西側(稚内方面に向かって左手側、旧下り線)のホームを用いている[17]。
音威子府村管理の無人駅となっている。駅舎は無人化後にヨ3500形車掌車を改造したもの(トイレ付き[19])が旧駅舎の基礎の上に設置されている[17][19][20]。
-
外壁改修前の駅舎(2009年9月)
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ホーム(2017年10月)
-
駅名標(2017年10月)
利用状況
[編集]2017年(平成29年)現在、音威子府村内にある宗谷本線の駅の中でも特に利用が少ないとされている[11]。
乗車人員の推移は以下の通り。出典が「乗降人員」となっているものについては1/2とした値を括弧書きで1日平均乗車人員の欄に示し、備考欄で元の値を示す。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
年度 | 乗車人員(人) | 出典 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
1954年(昭和29年) | 18,487 | 52 | [21] | ||
1958年(昭和33年) | 18,313 | 50 | |||
1963年(昭和38年) | 23,501 | 64 | |||
1964年(昭和39年) | 23,356 | 64 | |||
1971年(昭和46年) | 40 | [22] | |||
1972年(昭和47年) | 40 | ||||
1973年(昭和48年) | 38 | ||||
1974年(昭和49年) | 34 | ||||
1975年(昭和50年) | 31 | ||||
1976年(昭和51年) | 26 | ||||
1977年(昭和52年) | 26 | ||||
1978年(昭和53年) | 23 | [23] | |||
1981年(昭和56年) | (8.5) | [24] | 1日乗降客数17人 | ||
1992年(平成 | 4年)(1.0) | [25] | 1日乗降客数2人 | ||
2004年(平成16年) | 0 | [22] | |||
2006年(平成18年) | 1 | [11] | 統計上、この年以降2020年JR調査で0.2人となるまで乗降なし[11]。 | ||
2015年(平成27年) | 「1名以下」 | [JR北 2] | |||
2016年(平成28年) | 0.0 | [JR北 3] | |||
2017年(平成29年) | 0.0 | [JR北 4] | |||
2018年(平成30年) | 0.0 | [JR北 5] | |||
2019年(令和元年) | 0.0 | [JR北 6] | |||
2020年(令和 | 2年)0.2 | [JR北 7] | |||
2021年(令和 | 3年)0.2 | [JR北 8] | |||
2022年(令和 | 4年)0.2 | [JR北 9] | |||
2023年(令和 | 5年)0.2 | [JR北 10] |
駅周辺
[編集]- エコミュージアムおさしまセンター BIKKYアトリエ3モア - 通称、砂沢ビッキ記念館。旧・筬島小学校をアトリエとして活動拠点とした彫刻家の砂澤ビッキの作品が展示されている[19][新聞 2]。
- 国道40号音威子府バイパス(建設中)筬島IC(事業中、仮称)
- 天塩川
- 筬島大橋
- 国道40号
- 北海道命名之地 - 探検家松浦武四郎が同地のアイヌの古老より聞いた話をもとに「北海道」の名を考案したとされる[新聞 6]。筬島大橋を渡り国道40号を佐久方面へ約2km[9]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『音威子府村史』(平成19年発行)では1982年(昭和57年)11月15日となっている。
- ^ アイヌ語で「流木が・ある・川」を意味する「モㇺニオマナイ(momni-oma-nay)」に由来するとされる[12]。
- ^ 連音化するため「ピラケソマナイ」とも表記することができる。
- ^ 当時は駅舎側(西側)が下り線、対向側ホームが上り線となっており(番線表示なし)、互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した。そのほか駅舎北側の荷物積卸場へ至る本線の稚内方から分岐した引込み線を1線、対向側ホームの外側に駅舎と反対側に存在した貨物積卸場への、貨物積卸用の副本線を1線有していた。
出典
[編集]- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、900-901頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、239頁。doi:10.11501/1873236 。2023年1月15日閲覧。
- ^ 大蔵省印刷局, ed (1922-11-03). “鉄道省告示 第154号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (3078) .
- ^ a b c d 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)179-180ページより。
- ^ a b 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 1 北海道』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年5月発行)47ページより。
- ^ 「きょうから客貨物取り扱いを廃止 旭鉄局の13駅」『北海道新聞』1977年5月25日、朝刊、道北版。
- ^ 書籍『無人駅探訪』(監修:西崎さいき、文芸社、2011年6月発行)149ページより。
- ^ “全駅DATA 石北本線②(上川~網走) 宗谷本線”. 週刊JR全駅・全車両基地 (朝日新聞出版) (No.60): pp.19-27. (2013-10-03).
- ^ a b “北海道命名の地 筬島まつり2017 開催”. 音威子府村 (2017年). 2017年10月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月7日閲覧。
- ^ “完売しました / JR宗谷本線「筬島駅」硬券入場券”. 音威子府村 (2017年). 2017年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月3日閲覧。
- ^ a b c d “特集 「鉄道の町」音威子府 鉄道、必要ですか?” (PDF). 広報おといねっぷ 514: pp.2-6. (2017-07) .
- ^ 本多 貢 (1995-01-25). 児玉 芳明. ed (日本語). 北海道地名漢字解. 札幌市: 北海道新聞社. p. 92. ISBN 4893637606. OCLC 40491505 2018年10月16日閲覧。
- ^ 音威子府村史編纂委員会 編『音威子府村史 上巻本編』音威子府村、2007年7月31日、961-962頁。
- ^ a b “アイヌ語地名リスト エン~オニシ P21-30P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2019年1月5日閲覧。
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、179頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 札幌鉄道局編 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、80頁。NDLJP:1029473。
- ^ a b c 『JR・私鉄全線各駅停車1』148ページより。
- ^ 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)183ページより。
- ^ a b c 書籍『北海道鉄道駅大図鑑』(著:本久公洋、北海道新聞社、2008年8月発行)216ページより。
- ^ 書籍『ダルマ駅へ行こう!』(著:笹田昌宏、小学館文庫、2007年5月発行)27ページより。
- ^ 音威子府村史 昭和51年12月発行 P498
- ^ a b 音威子府村史編纂委員会 編『音威子府村史 上巻本編』音威子府村、2007年7月31日、674, 677頁。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、889頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)183ページより。
- ^ 二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、148頁。ISBN 4-09-395401-1。
JR北海道
[編集]- ^ a b 『来春のダイヤ見直しについて』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2020年12月9日。オリジナルの2020年12月9日時点におけるアーカイブ 。2020年12月10日閲覧。
- ^ “極端にご利用の少ない駅(3月26日現在)” (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道. p. 6 (2016年3月28日). 2017年9月25日閲覧。
- ^ 「宗谷線(名寄・稚内間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)』、北海道旅客鉄道、2017年12月8日。オリジナルの2017年12月30日時点におけるアーカイブ 。2017年12月30日閲覧。
- ^ 『宗谷線(名寄・稚内間)』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2017年7月2日。オリジナルの2017年12月30日時点におけるアーカイブ 。2018年7月13日閲覧。
- ^ “宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
- ^ “宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人以上2,000人未満の線区(「黄色」8線区). 北海道旅客鉄道. p. 3・4 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月3日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月14日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月3日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2023年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月10日閲覧。
- ^ “宗谷線(旭川・稚内間) 事業の抜本的な改善方策の実現に向けた実行計画(2024(令和6)~2026(令和8)年度)” (PDF). 北海道旅客鉄道 (2024年). 2024年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月8日閲覧。
新聞記事
[編集]- ^ “「通報」●函館本線江部乙駅ほか49駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 1. (1984年11月9日)
- ^ a b c “無人駅の南美深、筬島、歌内 JR、来年3月廃止方針” (日本語). 北海道新聞. どうしんウェブ/電子版(経済) (北海道新聞社). (2016年7月29日). オリジナルの2016年7月29日時点におけるアーカイブ。 2016年7月29日閲覧。
- ^ a b c d “宗谷線の南美深、筬島、歌内駅 管理費JR負担で当面存続”. どうしんウェブ(北海道新聞). (2017年4月1日). オリジナルの2017年4月2日時点におけるアーカイブ。 2017年11月3日閲覧。
- ^ a b “無人18駅、自治体管理へ JR北海道 経営難で急拡大”. 北海道新聞. (2021年2月5日). オリジナルの2021年2月6日時点におけるアーカイブ。 2021年2月7日閲覧。
- ^ “実績ないホーム修繕費要求-音威子府・筬島駅-JRが撤回”. どうしんweb (北海道新聞社). (2016年11月26日). オリジナルの2016年11月27日時点におけるアーカイブ。
- ^ 山内浩司 (2017年7月16日). “「北海道」命名者、「カイ」に込めた思い 幕末の探検家”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社) 2017年10月22日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 筬島|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|鉄道・きっぷ|JR北海道- Hokkaido Railway Company