神路信号場
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神路信号場 | |
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かみじ Kamiji | |
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所在地 | 北海道中川郡中川町字神路 |
所属事業者 | 日本国有鉄道 |
所属路線 | 宗谷本線 |
キロ程 | 143.1km(旭川起点) |
開業年月日 | 1922年(大正11年)11月8日 |
廃止年月日 | 1985年(昭和60年)3月14日 |
神路信号場(かみじしんごうじょう)は、北海道中川郡中川町字神路にあった日本国有鉄道宗谷本線の信号場である。
開業当初は一般駅であったが、1977年(昭和52年)5月25日に信号場兼仮乗降場に格下げされ、1985年(昭和60年)3月14日に廃止された。
歴史[編集]
- 1922年(大正11年)11月8日 - 鉄道省の神路駅として開業[1]。一般駅。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1974年(昭和49年)10月1日 - 貨物取扱を廃止し旅客駅となる[2]。
- 1977年(昭和52年)5月25日 - 神路信号場となる[1]。仮乗降場として旅客扱いを継続[2]。
- 1985年(昭和60年)3月14日 - 廃止[2]。
駅の構造[編集]
相対式2面2線を持ち列車同士の交換可能な地上駅であった。現在の本線は当時の2番線に沿っている。
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地域名(字名)より。地域名は、集落対岸(天塩川左岸)の崖(現在の神居山)がアイヌ語で、「カムイルエサニ(kamuy-ru-e-san-i)」(神の・坂路が・そこから・浜に出る・所)と呼ばれていたものを意訳したものである[3][4]。
周辺[編集]
神路地区へは鉄道以外の交通機関がなく、1963年5月20日に国道40号線と同地区を結ぶ吊り橋、神路大橋が完成したが、わずか7ヶ月後の同年12月18日に神路地区周辺の山から発生する冬独特の気象(地方風)が原因で落橋した[5]。現在も橋はなく、天塩川を船などで渡ることも危険であり、事実上到達は不可能である。
このため、1965年までは住民が住んでいたが[6]、全戸撤退し、1973年に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』で「駅周辺には人家が一軒もないところ[4]」と紹介される状況にあった。
なお、一般の線路の歩行や構内立入は法令で禁止されており、当駅跡へ線路を歩いて訪れることは、危険かつ違法な行為である。
隣の駅[編集]
脚注[編集]
- ^ a b 『北海道鉄道百年史 下巻』1981年3月 日本国有鉄道北海道総局 編集・発行、第5編資料/1年表。
- ^ a b c 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』1998年10月 JTB編集・発行。
- ^ “アイヌ語地名リスト オニシベ~キタ P31-40P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月19日閲覧。
- ^ a b 『北海道 駅名の起源』日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、第1版、179頁。
- ^ 藤井 郁夫. “f01北海道 (PDF)”. PDF版 橋の情報と資料. 中日本コンサルタント. 2017年10月14日閲覧。
- ^ 『北海道大学 演習林60年の歩み』1963年(昭和38年)3月発行によれば、この土地は1922年(大正11年)から天塩第一演習林神路植民地として貸し付けられた。植民者には伐採事業の従事が義務付けられたが、多額の賃金が支払われ、自家用の薪が優先的に供給された。なお、当線を挟んで山側がすべて演習林。
関連項目[編集]
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