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'''弘忍'''(ぐにん/こうにん、[[602年]]([[隋]]・[[仁寿 (隋)|仁寿]]2年) - [[675年]]([[唐]]・[[上元 (唐高宗)|上元]]2年))は、[[中国]][[禅宗]]の五祖。没後に[[代宗 (唐)|代宗]]の時代になって、大満禅師の[[諡|諡号]]と、法雨塔の塔号を賜る。 |
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黄梅県([[湖北省]][[黄梅県]])出身(『[[宋高僧伝]]』では、 |
[[蘄州]]黄梅県([[湖北省]][[黄岡市]][[黄梅県]])出身(『[[宋高僧伝]]』では、あるいは[[江州 (江西省)|江州]]潯陽県([[江西省]][[九江市]][[柴桑区]])の出身という)で、俗姓は周。 |
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若年で出家し、12歳(『[[楞伽師資記]]』では7歳)で東山の四祖[[道信]]の弟子となり、後に黄梅県の |
若年で出家し、12歳(『[[楞伽師資記]]』では7歳)で東山の四祖[[道信]]の弟子となり、後に黄梅県の馮茂山(東山)に住して化導に専心し、中国禅宗の本流となる'''[[東山法門]]'''を発展させ、中国禅宗発展の下地を作った。『[[続高僧伝]]』にも既に、師の道信の墓塔を造った弟子として、その名が見える。『[[伝法宝紀]]』や『[[楞伽人法志]]』による限りでは、弘忍は道信の下で肉体労働もした朴訥な人柄であり、文記を出す事がなかったといわれるが、彼の説とされる『[[修心要論]]』があり、晩年には国都の多くの貴顕が帰依したと伝えられる。 |
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弟子に両京の法主となる大通[[神秀]]、後に自らが七祖になろうと画策した弟子の[[荷沢神会]]により六祖にされた曹渓[[慧能]]がいる。それぞれの門流は後に北宗、南宗と呼ばれ、[[唐|唐代]]・[[北宋|宋代]]を中心に禅宗を発展させた。 |
弟子に両京の法主となる大通[[神秀]]、後に自らが七祖になろうと画策した弟子の[[荷沢神会]]により六祖にされた曹渓[[慧能]]がいる。それぞれの門流は後に北宗、南宗と呼ばれ、[[唐|唐代]]・[[北宋|宋代]]を中心に禅宗を発展させた。 |
2018年9月10日 (月) 07:14時点における版
弘忍 | |
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602年 - 675年 | |
諡号 | 大満禅師 |
尊称 | 禅宗第五祖 |
生地 | 蘄州黄梅県 |
宗派 | 禅宗 |
寺院 | 馮茂山(東山) |
師 | 道信 |
弟子 | 神秀、慧能 |
弘忍(ぐにん/こうにん、602年(隋・仁寿2年) - 675年(唐・上元2年))は、中国禅宗の五祖。没後に代宗の時代になって、大満禅師の諡号と、法雨塔の塔号を賜る。
蘄州黄梅県(湖北省黄岡市黄梅県)出身(『宋高僧伝』では、あるいは江州潯陽県(江西省九江市柴桑区)の出身という)で、俗姓は周。
生涯
若年で出家し、12歳(『楞伽師資記』では7歳)で東山の四祖道信の弟子となり、後に黄梅県の馮茂山(東山)に住して化導に専心し、中国禅宗の本流となる東山法門を発展させ、中国禅宗発展の下地を作った。『続高僧伝』にも既に、師の道信の墓塔を造った弟子として、その名が見える。『伝法宝紀』や『楞伽人法志』による限りでは、弘忍は道信の下で肉体労働もした朴訥な人柄であり、文記を出す事がなかったといわれるが、彼の説とされる『修心要論』があり、晩年には国都の多くの貴顕が帰依したと伝えられる。
弟子に両京の法主となる大通神秀、後に自らが七祖になろうと画策した弟子の荷沢神会により六祖にされた曹渓慧能がいる。それぞれの門流は後に北宗、南宗と呼ばれ、唐代・宋代を中心に禅宗を発展させた。
伝記資料
師:道信 | 禅宗 | 弟子:神秀・慧能 |