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2021年9月26日 (日) 00:21時点における版

イングマール・ベルイマン
Ingmar Bergman
Ingmar Bergman
野いちご』撮影中のベルイマン(1957年)
本名 エルンスト・イングマール・ベルイマン(Ernst Ingmar Bergman)
生年月日 (1918-07-14) 1918年7月14日
没年月日 (2007-07-30) 2007年7月30日(89歳没)
出生地  スウェーデン ウプサラ
死没地  スウェーデン フォーレ英語版
職業 映画監督脚本家舞台演出家
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1944年 - 2005年
配偶者 Else Fisher(1943年 - 1945年)
Ellen Lundström(1945年 - 1950年)
Gun Grut(1951年 - 1959年)
ケビ・ラレテイ(1959年 - 1969年)
Ingrid von Rosen(1971年 - 1995年死別)
主な作品
第七の封印』(1957年)
野いちご』(1957年)
処女の泉』(1960年)
鏡の中にある如く』(1961年)
仮面/ペルソナ』(1966年)
叫びとささやき』(1972年)
秋のソナタ』(1978年)
ファニーとアレクサンデル』(1983年)
 
受賞
アカデミー賞
外国語映画賞
1960年処女の泉
1961年鏡の中にある如く
1983年ファニーとアレクサンデル
アービング・G・タルバーグ賞
1970年
カンヌ国際映画祭
監督賞
1958年女はそれを待っている
審査員特別賞
1957年第七の封印
詩的ユーモア賞
1956年夏の夜は三たび微笑む
国際映画批評家連盟賞
1960年『処女の泉』[1]
フランス映画高等技術委員会賞
1973年叫びとささやき
パルム・ドール・ドヌール
1997年
ヴェネツィア国際映画祭
審査員特別賞
1959年『魔術師
国際映画批評家連盟賞
1983年『ファニーとアレクサンデル』
栄誉金獅子賞
1971年
ベルリン国際映画祭
金熊賞
1958年野いちご
国際映画批評家連盟賞
1958年『野いちご』[2]
国際カトリック映画事務局賞
1962年鏡の中にある如く
ヨーロッパ映画賞
生涯貢献賞
1988年
全米映画批評家協会賞
作品賞
1967年『仮面/ペルソナ
1968年『
1974年『ある結婚の風景
監督賞
1967年『仮面/ペルソナ』
1968年『恥』
1970年『沈黙の島
脚本賞
1972年『叫びとささやき』
1974年『ある結婚の風景』
特別賞
1975年『魔笛
ニューヨーク映画批評家協会賞
作品賞
1972年『叫びとささやき』
監督賞
1972年『叫びとささやき』
1983年『ファニーとアレクサンデル』
脚本賞
1972年『叫びとささやき』
1974年『ある結婚の風景』
外国語映画賞
1983年『ファニーとアレクサンデル』
ロサンゼルス映画批評家協会賞
外国語映画賞
1976年鏡の中の女
1984年『ファニーとアレクサンデル』
英国アカデミー賞
アカデミー友愛賞
1987年
ゴールデングローブ賞
外国語映画賞
1959年『野いちご』
1960年『処女の泉』
1974年『ある結婚の風景』
1976年『鏡の中の女』
1978年『秋のソナタ』
1983年『ファニーとアレクサンデル』
セザール賞
外国映画賞
1984年『ファニーとアレクサンデル』
名誉賞
1976年
その他の賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞
監督賞
1973年『叫びとささやき
1978年『秋のソナタ
外国語映画賞
1959年『野いちご
1969年『
1973年『叫びとささやき
1978年『秋のソナタ
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エルンスト・イングマール・ベルイマンスウェーデン語: Ernst Ingmar Bergman, 1918年7月14日 - 2007年7月30日)は、スウェーデン映画監督脚本家舞台演出家[注釈 1]

「神の沈黙」「愛と憎悪」「生と死」などを主要なモチーフに、映画史に残る数多くの名作を発表した[3]

「ベルイマン」の発音は正しくは「ベーリマン」に近い[4]

生涯

イングマール・ベルイマンは1918年7月14日、スウェーデンのウプサラで生まれた。父は牧師であり、兄のダーグは外交官、妹のマルガレータはのちに小説家となった[5]。ベルイマン家は首都ストックホルムで生活しており、ベルイマンもそこで育ち、1937年にはストックホルム高等学校(現ストックホルム大学)の文学・美術史学科に入学して、舞台演出の道へと進んだ[6]

1942年には映画会社のスヴェンスク・フィルム社に入社し、1943年にはエルセ・フィシェルと結婚[7]。なお、1945年にエルセとは離婚し、その後も多くの女性と結婚と離婚を繰り返して、ベルイマンは通算で5度の結婚を行った。1944年アルフ・シェーベルイ監督の『もだえ』の脚本を手がけた。また同年、ヘルシンボリ市立劇場の主任演出家となり[8]、その後もヨーテボリ[9]ノーショーピングマルメ、ストックホルムなどの都市で舞台演出を行った[10]

1945年、『危機』で映画監督としてデビューし[11]、その後、数本の低予算映画の中で自らのスタイルを模索する。

1950年、『夏の遊び』の頃から映画監督ベルイマンとしてのスタイルを確立した。

1952年、『不良少女モニカ』でフランスヌーヴェル・ヴァーグの作家たちに賞賛される[12]

しかし、批評家から激賞されても興行的な成功を中々出せず、プロデューサーからも「次回作で興行的な成功がなければ二度と映画は撮らせない」と圧力を掛けられる。そんな中で制作した1955年公開の『夏の夜は三たび微笑む』でカンヌ国際映画祭の特設賞である「詩的ユーモア賞」(仏語:Prix de l'humour poétique)を受賞し、国際的な評価を得る[11]

1950年代後半、『夏の夜は三たび微笑む』での成功を糧に、映画制作の自由を得たベイルマンは立て続けに良作を発表。神の存在をテーマとした『第七の封印』では、カンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞し、2年連続でカンヌ受賞を果たす。人生の老いについて描いた『野いちご』では、ベルリン国際映画祭でグランプリにあたる金熊賞を受賞。権力と迷信の対立をコメディタッチに描いた『魔術師』では、ヴェネツィア国際映画祭審査員特別賞を受賞し、世界三大映画祭の主要部門を制覇。復讐と神の存在を描いた『処女の泉』は、第33回アカデミー賞にて外国語映画賞を受賞し、世界的な映画監督としての名声を不動のものにする。

1960年代、『鏡の中にある如く』、『冬の光』、『沈黙』の三作品、いわゆる「神の沈黙」三部作と呼ばれる[13]映画を発表、こちらも高い評価を得る。また、「神の沈黙」三部作以降は主に愛人であった女優リヴ・ウルマンを主役に据えて、人間の本質に迫る数多くの良質の作品を演出した。

1963年にはストックホルム王立劇場の総監督となる[14]1965年チャールズ・チャップリンと共にエラスムス賞を受賞。1966年にはゴトランド島の北にあるフォーレ島での生活を始めた[15]。その後も精力的に活動していたが、1976年にスウェーデン警察に脱税容疑で逮捕される。これは無実であり2ヶ月後には釈放されたものの、ショックを受けたベルイマンは入院し、回復するとスウェーデンを去ることを表明して、各国を回った後西ドイツミュンヘンに落ち着いた[16]。1978年にはスウェーデンで名誉回復がなされた[17]ため、のちに帰国した。

1982年、5時間超の大作『ファニーとアレクサンデル』を撮影後、映画監督業から引退[18]。その後は以前から映画製作と並行して手がけていたスウェーデン王立劇場での舞台演劇に専念、舞台演出家兼脚本家としての活動を続けた。ただし、『愛の風景』(1992年)、『日曜日のピュ』(1994年)、『不実の愛、かくも燃え』(2000年)など、自伝的作品を中心に脚本家として映画製作にも携わった。

1991年高松宮殿下記念世界文化賞を受賞[19]。1995年には最後の妻であるイングリドを亡くした[11]

2003年、突如として、20年ぶりの監督作品『サラバンド』を発表。この映画はベルイマンにとって最初で最後となるデジタルHD撮影による作品であり、監督としての健在ぶりをアピールした。

2007年7月30日、スウェーデンのフォーレ島にて死去。89歳だった[20]。8月19日には同島で葬儀と埋葬が行われた[11]

監督としての特徴

一般的に、イングマール・ベルイマンは20世紀を代表する映画監督の一人とみなされている。2002年に『Sight & Sound』が行ったアンケート調査によれば、ベルイマンは映画監督が選ぶ映画監督ランキングで第8位にランクインした[21]デンマークの映画監督であるビレ・アウグストは、黒澤明フェデリコ・フェリーニに並ぶ三大映画監督として、ベルイマンの名前を挙げている[22]ウディ・アレン[23][24]クシシュトフ・キェシロフスキなど、ベルイマンに影響を受けたと告白する映画監督は枚挙に暇がない。

『第七の封印』や『沈黙』のような、形而上学的とも言われる代表作から難解な作家とも評されるが、一方で(時に難解なテーマを伴ってはいても全体的には)わかりやすい作品も多い。また、女性を主役に据えた作品が多いのも特徴である。ベルイマンは正式な結婚を少なくとも5度行っており、そのような自身の女性遍歴を反映したかのような作品も数多く見られる。

ベルイマンの映画は舞台劇的と評されることが多いが、ベルイマン本人はあるインタビューの中で、自作の映画『ある結婚の風景』を舞台化するときに、構成やセリフのほとんどを書き換えなければならなかった例を挙げて、映画と舞台は別物であると訴えている[25]。ちなみに演劇では主にウィリアム・シェイクスピアアウグスト・ストリンドベリを好んで取り上げ、自らの劇団を率いて日本で大胆な解釈に基づく『ハムレット』とストリンドベリの『令嬢ジュリー』、三島由紀夫の『サド侯爵夫人』を上演したこともある。

作品

脚本のみ

関連ドキュメンタリー

受賞

部門 作品名 結果
カンヌ国際映画祭 1956年 詩的ユーモア賞 夏の夜は三たび微笑む 受賞
1957年 審査員特別賞 第七の封印 受賞
1958年 監督賞 女はそれを待っている 受賞
1960年 審査員特別賞 処女の泉 受賞
国際映画批評家連盟賞[26] 受賞
1973年 フランス映画高等技術委員会賞 叫びとささやき 受賞
1997年 パルム・ドール名誉賞 - 受賞
1998年 エキュメニカル審査員賞 全作品に対して 受賞
英国アカデミー賞 1956年 総合作品賞 『夏の夜は三たび微笑む』 ノミネート
1958年 総合作品賞 『野いちご』 ノミネート
1959年 総合作品賞 魔術師 ノミネート
1962年 総合作品賞 鏡の中にある如く ノミネート
1983年 外国語作品賞 ファニーとアレクサンデル ノミネート
1988年 アカデミー友愛賞 - 受賞
ボディル賞 1957年 非アメリカ映画賞 『夏の夜は三たび微笑む』 受賞
1959年 非アメリカ映画賞 野いちご 受賞
1974年 非アメリカ映画賞 『叫びとささやき』 受賞
1979年 非アメリカ映画賞 秋のソナタ 受賞
ベルリン国際映画祭 1958年 金熊賞 『野いちご』 受賞
国際映画批評家連盟賞[27] 受賞
1962年 国際カトリック映画事務局賞 『鏡の中にある如く』 受賞
ヴェネツィア国際映画祭 1958年 イタリア批評家賞 『野いちご』 受賞
1959年 審査員特別賞 『魔術師』 受賞
イタリア批評家賞 受賞
1971年 栄誉金獅子賞 - 受賞
1983年 国際映画批評家連盟賞 『ファニーとアレクサンデル』 受賞
アカデミー賞 1959年 脚本賞 『野いちご』 ノミネート
1960年 外国語映画賞 『処女の泉』 受賞
1961年 外国語映画賞 『鏡の中にある如く』 受賞
1962年 脚本賞 ノミネート
1970年 アービング・G・タルバーグ賞 - 受賞
1973年 作品賞 『叫びとささやき』 ノミネート
監督賞 ノミネート
脚本賞 ノミネート
1976年 監督賞 鏡の中の女 ノミネート
1978年 脚本賞 『秋のソナタ』 ノミネート
1983年 監督賞 『ファニーとアレクサンデル』 ノミネート
脚本賞 ノミネート
外国語映画賞 受賞
ゴールデングローブ賞 1959年 外国語映画賞 『野いちご』 受賞
1960年 外国語映画賞 『処女の泉』 受賞
1968年 外国語映画賞 『恥』 ノミネート
1972年 外国語映画賞 『叫びとささやき』 ノミネート
1974年 外国語映画賞 ある結婚の風景 受賞
1975年 外国語映画賞 『魔笛』 ノミネート
1976年 外国語映画賞 『鏡の中の女』 受賞
1978年 外国語映画賞 『秋のソナタ』 受賞
1983年 外国語映画賞 『ファニーとアレクサンデル』 受賞
監督賞 ノミネート
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 1959年 外国語映画賞 『第七の封印』 受賞
特別賞 - 受賞
1969年 外国語映画賞 『恥』 受賞
1973年 外国語映画賞 『叫びとささやき』 受賞
監督賞 受賞
1978年 外国語映画賞 『秋のソナタ』 受賞
監督賞 受賞
1983年 外国語映画賞 『ファニーとアレクサンデル』 受賞
マール・デル・プラタ国際映画祭 1959年 最優秀作品賞 『野いちご』 受賞
ナストロ・ダルジェント賞 1960年 外国監督賞 『野いちご』 受賞
1961年 外国監督賞 『第七の封印』 受賞
1965年 外国監督賞 沈黙 ノミネート
1968年 外国監督賞 『仮面/ペルソナ』 ノミネート
1974年 外国監督賞 『叫びとささやき』 受賞
1979年 外国監督賞 『秋のソナタ』 受賞
1984年 外国監督賞 『ファニーとアレクサンデル』 受賞
1996年 特別賞 - 受賞
キネマ旬報ベスト・テン 1961年 外国映画ベスト・テン 『処女の泉』 1位
外国映画監督賞 受賞
1962年 外国映画ベスト・テン 『野いちご』 1位
外国映画監督賞 受賞
ゴールデン・ビートル賞 1964年 作品賞 『沈黙』 受賞
監督賞 受賞
1967年 作品賞 『仮面/ペルソナ』 受賞
1973年 作品賞 『叫びとささやき』 受賞
1983年 作品賞 『ファニーとアレクサンデル』 受賞
監督賞 受賞
全米映画批評家協会賞 1967年 作品賞 仮面/ペルソナ 受賞
監督賞 受賞
脚本賞 2位
1968年 作品賞 受賞
監督賞 『恥』『狼の時刻 受賞
1970年 作品賞 沈黙の島 2位
監督賞 受賞
脚本賞 2位
1972年 作品賞 『叫びとささやき』 3位
監督賞 3位
脚本賞 受賞
1974年 作品賞 『ある結婚の風景』 受賞
脚本賞 受賞
1975年 特別賞 魔笛 受賞
1983年 作品賞 『ファニーとアレクサンデル』 2位
監督賞 3位
ニューヨーク映画批評家協会賞 1970年 作品賞 『沈黙の島』 次点
1972年 作品賞 『叫びとささやき』 受賞
監督賞 受賞
脚本賞 受賞
1974年 作品賞 『ある結婚の風景』 次点
監督賞 次点
脚本賞 受賞
1978年 監督賞 『秋のソナタ』 次点
外国語映画賞 次点
1983年 外国語映画賞 『ファニーとアレクサンデル』 受賞
監督賞 受賞
ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞 1974年 外国監督賞 『叫びとささやき』 受賞
1984年 外国映画賞 『ファニーとアレクサンデル』 受賞
外国監督賞 受賞
外国脚本賞 受賞
1986年 ルキノ・ヴィスコンティ賞 - 受賞
カンザスシティ映画批評家協会賞 1974年 外国語映画賞 『叫びとささやき』 受賞
監督賞 受賞
1976年 外国語映画賞 『ある結婚の風景』 受賞
ロサンゼルス映画批評家協会賞 1976年 外国語映画賞 『鏡の中の女』 受賞
1983年 外国語映画賞 『ファニーとアレクサンデル』 受賞
セザール賞 1976年 外国映画賞 『魔笛』 ノミネート
名誉賞 - 受賞
1979年 外国映画賞 『秋のソナタ』 ノミネート
1984年 外国映画賞 『ファニーとアレクサンデル』 受賞
2004年 EU作品賞 サラバンド ノミネート
全米監督協会賞 1983年 長編映画監督賞 『ファニーとアレクサンデル』 ノミネート
1990年 生涯功労賞[28] - 受賞
ヨーロッパ映画賞 1988年 生涯貢献賞 - 受賞
国際フィルム・アーカイヴ連盟 2003年 FIAF賞 - 受賞

その他

脚注

注釈

  1. ^ Ingmar Bergmanのスウェーデン語による発音については、外部サイトを参照のこと。[1]

出典

  1. ^ 13th Cannes Film Festival”. Fipresci.org. 2020年1月4日閲覧。
  2. ^ 8th Berlinale”. Fipresci.org. 2020年1月4日閲覧。
  3. ^ 大辞泉』の「ベルイマン」の項目より
  4. ^ Ingmar Bergman RIGHT PRONUNCIATION 2018年5月4日参照。
  5. ^ 『ベルイマン』p12-13 小松弘著 清水書院 2000年11月 ISBN 978-4389411664
  6. ^ 『ベルイマン』p19 小松弘著 清水書院 2000年11月 ISBN 978-4389411664
  7. ^ 『ベルイマン』p25 小松弘著 清水書院 2000年11月 ISBN 978-4389411664
  8. ^ 『ベルイマン』p31 小松弘著 清水書院 2000年11月 ISBN 978-4389411664
  9. ^ 『ベルイマン』p38 小松弘著 清水書院 2000年11月 ISBN 978-4389411664
  10. ^ 『ベルイマン』p62-63 小松弘著 清水書院 2000年11月 ISBN 978-4389411664
  11. ^ a b c d スウェーデンの巨匠 映画監督イングマール・ベルイマンの葬儀が行われる”. www.afpbb.com (2007年8月19日). 2021年7月2日閲覧。
  12. ^ 『ベルイマン』p65 小松弘著 清水書院 2000年11月 ISBN 978-4389411664
  13. ^ 『ベルイマン』p118 小松弘著 清水書院 2000年11月 ISBN 978-4389411664
  14. ^ 『ベルイマン』p129 小松弘著 清水書院 2000年11月 ISBN 978-4389411664
  15. ^ 『ベルイマン』p154 小松弘著 清水書院 2000年11月 ISBN 978-4389411664
  16. ^ 『ベルイマン』p172-173 小松弘著 清水書院 2000年11月 ISBN 978-4389411664
  17. ^ 『ベルイマン』p218 小松弘著 清水書院 2000年11月 ISBN 978-4389411664
  18. ^ 『ベルイマン』p188 小松弘著 清水書院 2000年11月 ISBN 978-4389411664
  19. ^ イングマール・ベルイマン - 高松宮殿下記念世界文化賞”. www.praemiumimperiale.org. 日本美術協会. 2021年7月2日閲覧。
  20. ^ スウェーデンの巨匠 映画監督イングマール・ベルイマン死去”. www.afpbb.com (2007年7月30日). 2021年7月2日閲覧。
  21. ^ Sight & Sound、“The Directors' Top Ten Directors[リンク切れ]”、2002年。(参照:2009年9月11日)
  22. ^ BBC NEWS、“Film director Bergman dies at 89”、2007年7月30日。(参照:2009年9月11日)
  23. ^ Richard Corliss、“Woody Allen on Ingmar Bergman”、2007年8月1日。(参照:2009年9月11日)
  24. ^ 故イングマール・ベルイマン監督へ、米映画界から賞賛の声”. www.afpbb.com (2007年7月31日). 2021年7月2日閲覧。
  25. ^ G・ウィリアム・ジョーンズ編/三木宮彦訳「ベルイマンは語る」青土社 p142 5行目「……映画用のシナリオを舞台用の台本にアレンジしたのですが、結局シナリオからはセリフを五つもらっただけだし、舞台化そのものも失敗作に終わりました。」
  26. ^ 13th Cannes Film Festival”. Fipresci.org. 2020年1月4日閲覧。
  27. ^ 8th Berlinale”. Fipresci.org. 2020年1月4日閲覧。
  28. ^ https://www.afpbb.com/articles/-/2262073?cx_part=search 「故イングマール・ベルイマン監督へ、米映画界から賞賛の声」AFPBB 2007年7月31日 2019年11月3日閲覧

関連書籍

  • イングマール・ベルイマン著、木原武一訳『ベルイマン自伝』、新潮社、1989年1月、ISBN 978-4105210014
  • 小松弘著『ベルイマン』、清水書院、2000年11月、ISBN 978-4389411664
  • G・ウィリアム・ジョーンズ編/三木宮彦訳『ベルイマンは語る』青土社、1990年4月2日、ISBN 978-4791750719

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