「大沼 (赤城山)」の版間の差分

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{{Infobox 湖
{{Infobox 湖
|名称 = 大沼
|名称 = 大沼
|画像 = [[画像:結氷した赤城大沼赤城神社.JPG|300px|大沼]]<br />結氷した大沼と[[赤城神社]]鳥居
|画像 = [[ファイル:大沼に浮かぶ赤城神社, Island of the Akagi shrine - panoramio.jpg|300px|大沼と赤城神社]]<br />大沼と[[赤城神社 (前橋市富士見町赤城山)|赤城神社]]
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}}大沼の位置</center>
}}大沼の位置</center>
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|周囲長 = 4.0<ref name="PREF_赤城公園"/>
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[[ファイル:大沼拡大図.jpg|thumb|right|300px|大沼周辺拡大図]]
'''大沼'''(おおぬま、おの)は、[[群馬県]][[前橋市]][[富士見町赤城山]]にある[[カルデラ湖]]。[[標高]]1,345mの[[赤城山]]頂にある。面積は88ヘクタール、深さは最も深い地点で16.5メートル。
{{Vertical_images_list
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|4=赤城大沼の夏と冬。写真右の山が地蔵岳、左は小地蔵<ref name="分県登山_27"/>
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'''大沼'''(おの<ref name="平凡地名_赤城山"/><ref name="大辞泉_おの"/><ref name="角川地名_赤城大沼"/>、おおぬま<ref name="旧百科_赤城大沼"/><ref name="角川地名_赤城大沼"/>、'''赤城大沼'''<ref name="旧百科_赤城大沼"/>)は[[群馬県]]の[[赤城山]]の山頂カルデラにある[[火口原湖]]で<ref name="旧百科_赤城大沼"/>、赤城山のカルデラ湖としては最大のもの<ref name="角川地名_赤城大沼"/>。


半島部の小鳥ヶ島には上州[[一宮|二宮]]の[[赤城神社 (前橋市富士見町赤城山)|赤城神社]]が鎮座する。観光案内や、そ通名上説明がたいこと等の理由で、便宜上「おおぬま」と呼称さるが正式には「お発音する
水系としては[[利根川]]に属し、湖水は北西の火口瀬から[[沼尾川 (赤城山)|沼尾川]]として流出、赤城山の西麓を流れ下って直接利根川に注ぐ<ref name="旧百科_赤城大沼"/>。半島部の小鳥ヶ島には[[赤城神社 (前橋市富士見町赤城山)|赤城神社]]が鎮座する。冬期ワカサギ釣りやスキー・スケート地とて知られ、1970年代には関東地方スキー場して多くのレジャー客を集めた
==呼称==
[[ファイル:Mount Akagi Mountaintop Relief Map, SRTM-1, Japanese.jpg|thumb|right|大沼周辺概略図]]
大沼の「正しい」読み方は「'''おの'''<ref name="大辞泉_おの"/><ref name="Portal_おの"/>」、小沼は「この」であるとされている<ref name="平凡地名_赤城山"/><ref name="赤城学_おの"/>。しかし近年は「おおぬま」「こぬま」の読み方をする者が増えている<ref name="赤城学_おの"/>。'''赤城湖'''という異称もある<ref name="大辞泉_おの"/>。


古い呼び名としては、「石垣沼」、「葛葉湖{{refnest|group="注"|『[[万葉集]]』では[[赤城山]]は「くろほ(の嶺)」と呼ばれている。[[万葉仮名]]では「久路保乃祢呂」(久路保の嶺ろ)と表す。これを詠みこんだ東歌として「上野の 久路保の嶺ろの 葛葉がた かなしけ児らに いや離り来も」(3431)がある。この「葛葉がた」は、「クズの葉」(植物)と解釈するものと、水域としての大沼(固有名詞)と解釈するものがある。}}」といったものもある<ref name="角川地名_赤城大沼"/>。
== 観光 ==

6月中旬につつじが見ごろ。 毎年8月初めは赤城山夏祭りが開かれ、[[花火大会]]などが行われる。秋には、ボートで、冬には氷上で[[ワカサギ]]釣り、[[スケート]]が行われる。
==地形==
赤城大沼は[[赤城山]]の山頂[[カルデラ]]内にあり、周囲を赤城山の[[中央火口丘]]である地蔵岳や[[外輪山]]の[[黒檜山]]に囲まれている<ref name="旧百科_赤城大沼"/>。山頂カルデラの大きさは南北約4キロメートル、東西約2.3キロメートル<ref name="新百科_赤城山"/>。湖面の標高は1310メートル<ref name="旧百科_赤城大沼"/><ref name="赤城学_VII"/>ないし1345メートル<ref name="角川地名_赤城大沼"/>。成因として[[火口原湖]]である<ref name="旧百科_赤城大沼"/>。

形状は「長い曲玉状<ref name="旧百科_赤城大沼"/>」「楕円形<ref name="角川地名_赤城大沼"/>」とされている。湖の東岸には「'''小鳥ヶ島'''」と呼ばれる半島状の岬があり、島全域を[[神域]]とする'''[[赤城神社 (前橋市富士見町赤城山)|赤城神社]]'''が鎮座する<ref name="旧百科_赤城大沼"/>。

周囲は約4.0キロメートル{{refnest|group="注"|資料によりばらつきがあり、4.0km<ref name="大辞泉_おの"/><ref name="PREF_赤城公園"/>、4.2km<ref name="ブリタニカ_おの"/>、4.5km<ref name="角川地名_赤城大沼"/>など。}}。面積は0.8<ref name="旧百科_赤城大沼"/>ないし0.9<ref name="大辞泉_おの"/>平方キロメートル{{refnest|group="注"|資料によりばらつきがあり、0.8平方km<ref name="旧百科_赤城大沼"/><ref name="ブリタニカ_おの"/>、0.88平方km<ref name="講談社_おの"/><ref name="PREF_赤城公園"/>、0.9平方km<ref name="大辞泉_おの"/>など。}}。赤城山山頂カルデラの湖のなかでは最も大きい<ref name="角川地名_赤城大沼"/>。

水深は、最深部で16.5メートル<ref name="旧百科_赤城大沼"/><ref name="角川地名_赤城大沼"/>{{refnest|group="注"|資料によりばらつきがあり、19m<ref name="PREF_赤城公園"/>など。}}。小鳥ヶ島の周辺は最も浅く、水深0.2メートル<ref name="角川地名_赤城大沼"/>。透明度は4メートル程度<ref name="角川地名_赤城大沼"/>。

夏季には、表層の水温は摂氏22度から25度、底部で5度。冬季は12月下旬ごろから4月上旬まで結氷し、氷の厚さは40センチメートル以上<ref name="角川地名_赤城大沼"/>、年によっては50センチ以上に達する<ref name="赤城学_氷"/>。厳冬期には氷が昼夜に伸縮して湖面に小規模な「[[御神渡]]」ができる。大沼は南北方向に長いため、氷の伸縮によって生じる「御神渡」は東西方向に発達し、高さ20センチメートルほどとなる<ref name="赤城学_氷"/>。

流入河川は[[覚満淵]]からくる覚満川のほかは小河川のみで、湖水の水源のほとんどは雨水と湖底の湧水である。そのために季節による水位の変動は少ない<ref name="角川地名_赤城大沼"/>。

湖水は大沼の北西端である「沼尻(湖尻)」でカルデラの外輪を破って火口瀬をつくり、'''[[沼尾川 (赤城山)|沼尾川]]'''として西方へ流出している<ref name="平凡地名_赤城山"/><ref name="角川地名_富士見村赤城山"/>。沼尾川は旧[[赤城村]](現[[渋川市]]赤城町深山)を貫流して津久田([[渋川市]])で[[利根川]]に注いでいる<ref name="平凡地名_沼尾川"/><ref name="河川大事典_沼尾川"/>。

東南岸の大洞(だいどう)地区には土産物店や旅館などが集まり、観光の拠点となっている<ref name="旧百科_赤城大沼"/><ref name="ブリタニカ_おの"/><ref name="角川地名_赤城大沼"/><ref name="新百科_赤城山"/>。地蔵岳山麓にはスキー場が整備されている<ref name="旧百科_赤城大沼"/>。北岸の沼尻地区には企業・学校の寮や厚生施設、山荘が散在する<ref name="旧百科_赤城大沼"/><ref name="角川地名_赤城大沼"/><ref name="新百科_赤城山"/>。

==形成史==
[[ファイル:赤城山の古大沼.jpg|thumb|right|200px|3万2000年前頃の赤城山山頂付近]]
赤城山は約50万年前<ref name="大地_赤城山I"/>から約40万年前<ref name="赤城学_II"/>に[[柏崎千葉構造線]](利根川構造線)始まった火山活動で、数万年かけて標高2500メートルほどの[[成層火山]]へと成長した<ref name="赤城学_I"/>。その後、約20万年前の大爆発と山体崩壊<ref name="赤城学_II"/>、その後の休止期をはさんで、15万年前に再び火山活動を活発化させ、現在の赤城山外輪山の最高峰である黒檜山(1828m)と駒ケ岳(1695m)などを形成<ref name="赤城学_III"/>。次いで12万年前に西方で大爆発と陥没が起き、深山カルデラができた<ref name="赤城学_IIII"/>。

いまの赤城山の山頂カルデラの生成が始まったのは約4万5000年前と推定されている。このときは山頂で起きた噴火によって膨大な量の噴出物を関東一円に堆積させ、軽石は[[栃木県]][[鹿沼市]]付近で[[鹿沼土]]となり、火山灰は[[関東ローム層]]を形成した。この噴火によって山頂部は陥没してカルデラとなり、現在の外輪山とカルデラの原型ができた<ref name="赤城学_V"/><ref name="赤城学_VI"/>。ここにできたカルデラ湖は現在の大沼の7倍ほどの大きさがあり<ref name="大地_赤城山I"/>、現存する湖の母体となった<ref name="赤城学_VII"/>。

約3万2000年前ごろから、この山頂カルデラ内で新たな火山活動が始まった。これにより地蔵岳、見晴山、長七郎山などの中央火口丘が出現し、山頂カルデラにあった湖が分断され、大小2つの湖となった。このうち北側は、現在の大沼と覚満淵や、現在の坂平方面にあった入江(新坂平湖)をあわせた広がりを持ち、「'''古大沼'''」と呼ばれている。古大沼は現在の覚満淵の東側に火口瀬があり、落差200メートルの滝をつくって[[渡良瀬川]]方面へ流出していた<ref name="赤城学_VII"/>。南側の湖は「オトギの森湖{{refnest|group="注"|「オトギの森」は山頂カルデラの南の辺縁部の森林の呼称<ref name="大地_赤城山I"/>。}}」と呼ばれている。この湖は今の[[小沼 (赤城山)|小沼]]と同じように粕川から南斜面へ流出していた<ref name="赤城学_VII"/>。

その後、古大沼の西側の入江(新坂平湖)は土砂の流入で埋め立てられた。また、外輪山の侵食によって西側に新たな火口瀬ができて、沼尾川として湖水が流出し、現在のように覚満淵と大沼に分断された<ref name="赤城学_VII"/>。

一方、南にあったオトギの森湖は埋め立てられて消失した<ref name="赤城学_VII"/>。その後、2万7000年前に新たな火口が出現し、これが直径約1kmの火口湖となった。これが現在の[[小沼 (赤城山)|小沼]]である。小沼はその後に侵食によって湖水がガラン沢(粕川)へ流出し、いまは直径300メートルほどに縮小している<ref name="赤城学_VIII"/>。これらよりさらに後に小規模な噴火があり、血の池という小さな火口湖も生まれた<ref name="赤城学_VIII"/>。

==自然環境==
[[ファイル:Lake Ono 02.jpg|thumb|right|湖岸の植生]]
===植物===
赤城山では標高1000メートル以上の地域では[[ミズナラ]]が代表的である。ただし山頂付近では、[[安山岩|角閃石安山岩]]が風化した酸性土壌のためミズナラが成長できず、[[シラカバ]]の純林が形成されている<ref name="赤城学_植物"/>。

大沼の周囲では針葉樹のコメツガがみられる。これは、大沼が数千年前まで今よりも大きく、湖面が高かった頃に形成された湖底堆積物の土壌に生育しているもので、現在の湖面から概ね30メートル高い位置まで分布している。これはミズナラ林に遷移する途中の段階の植生である<ref name="赤城学_植物"/>。

大沼の南東に位置する覚満淵の周辺は[[ミズゴケ]]や[[モウセンゴケ]]、[[ニッコウキスゲ]]などを中心とした湿原になっている。湿原の北側には[[泥炭]]が2メートルから3メートルの層を形成しており、[[高層湿原]]へと遷移する途上にある<ref name="赤城学_植物"/>。

かつて湖の一部だった新坂平は標高が1400メートルから1480メートルに位置している。ここは開拓されて乳牛を飼育する牧場(赤城白樺牧場)となった。この一体には[[レンゲツツジ]]が生育している。毒性があるレンゲツツジを乳牛は食べないので、結果としてレンゲツツジだけが牧場の敷地内に群落状に残ることになり、これが春の名物になっている<ref name="赤城学_植物"/>。

===動物===
貝類では[[マルタニシ]]<ref name="新百科_動物"/>、魚類では[[ワカサギ]]、[[ヘラブナ]]、[[コイ]]、[[ウグイ]]、[[ギンブナ]]、[[モツゴ]]、[[ドジョウ]]などが分布している<ref name="PREF_赤城公園"/><ref name="角川地名_赤城大沼"/><ref name="新百科_動物"/>。ウグイは繁殖期に覚満川を遡上する<ref name="新百科_動物"/>。両生類では[[ヒキガエル]]、[[ヤマアカガエル]]、[[ツチガエル]]が生息<ref name="新百科_動物"/>。鳥類では[[コガモ]]がつがいをつくる<ref name="赤城学_鳥"/>。

覚満川では[[ナミウズムシ]]、上流にあたる[[覚満淵]]には[[マメシジミ]]が生息<ref name="新百科_動物"/>。

===水質===
観光客の増加に伴って水質の劣化がみられ、宿泊施設からの排水の流入の影響が大きい。[[栄養塩]]に基づく分類では中栄養湖から富栄養湖へ遷移した<ref name="角川地名_赤城大沼"/>。

赤城大沼は群馬県によって環境基準の類型が指定が行われている。これは利水を行う水域について[[化学的酸素要求量]]( COD )に基づく分類を行ったもので、水質環境基準類型は1973年(昭和48年)に「湖沼A」を「5年以内で可及的速やかに達成」すべきものと指定を受けた。その後、1986年(昭和61年)に「累計II」を「5年以内で可及的速やかに達成」すべきとされた<ref name="PREF-水質"/>。2014年(平成26年)の調査でも環境基準を達成していない。なお、群馬県で指定を受けている湖沼は12水域あり、環境基準を達成していないのは自然湖沼である赤城大沼と[[尾瀬沼]]の2箇所となっている<ref name="PREF-水環境"/>。

水生生物保全水質環境基準としては、2010年(平成22年)に「湖沼生物A」を「直ちに達成」となった<ref name="PREF-水質"/>。2011年には、[[東日本大震災]]に伴う[[福島第一原子力発電所事故|原発事故]]の影響で赤城大沼で釣り上げたワカサギから放射性セシウムを検出、釣りは可能だが持ち出しは「自粛」となり、事実上の禁漁となった。その後、セシウム量が安定的に基準値を下回るようになり、2015年に「解禁」となった<ref name="産経20150829"/>。

==人文史==
[[ファイル:氷結した赤城大沼と地蔵岳.jpg|right|thumb|氷結した赤城大沼と地蔵岳]]
[[ファイル:赤城大沼の啄木鳥橋.jpg|right|thumb|小鳥ヶ島の赤城神社境内へと渡る啄木鳥橋]]
[[ファイル:Akagi-jinja (Fujimi) shoumen.JPG|right|thumb|赤城神社(拝殿)]]
[[ファイル:Akagi-jinja (Fujimi) motomiya bentengu.JPG|right|thumb|赤城神社の旧遷座地(元宮)の弁天宮]]
===伝承と信仰===
====赤城大沼と中禅寺湖====
赤城山の神と[[日光#栃木県の日光|日光]](栃木県)の神([[二荒山神社|二荒山]])が、赤城大沼や[[中禅寺湖]]をめぐって争ったとする伝承がある。この伝承にはさまざまな亜種があり、[[北関東|北関東地方]]の各地にこれにまつわる伝承の地がある。両神はかねてから仲が悪く、武力をもって衝突したり、ムカデや大蛇に化身して戦ったりした。[[戦場ヶ原]]がその戦地であるといった伝承や、[[坂上田村麻呂]]や[[鹿島神宮|鹿島神]]、[[猿丸大夫|猿丸]]が加勢したというエピソードもあるが、大筋では赤城山の神が敗れる物が多い<ref name="赤城学_伝説"/>。

これらの伝承は古代における[[上毛野国造]]と[[下毛野国造]]との領地争いや利水権をめぐる争いを反映したものであるとみなす者もある<ref name="赤城学_伝説"/>。
====赤城姫の伝承====
『[[神道集]]』(室町時代に成立)には、赤城大沼と[[榛名湖]]をめぐる伝承が採譜されている<ref name="平凡地名-榛名湖"/>。

[[上野国]]に「[[赤城神社|高野辺家成]]」(高野辺大将)という公卿が配流された。高野辺大将には美しい娘が3人いて、それぞれ「淵名姫<ref group="注">[[淵名荘]]も参照。</ref>」「赤城姫」「伊香保姫<ref group="注">「伊香保」は[[榛名山]]一帯の旧称。[[榛名湖#伝説]]も参照。</ref>」といった。娘たちの母はやがて亡くなり、高野辺大将は[[信濃国]]から後添いを迎えた。その後、高野辺大将は罪を免じられて上野国国司に任じられ、娘達を継母に委ねて出仕した<ref name="赤城学_伝説"/>。

ところがこの継母は3人の娘を疎んじ、弟の更科次郎兼光に命じ、3人の娘を殺害させた。長女の淵名姫が[[利根川]]に沈められて殺されると、次女の赤城姫は赤城山へ、末娘の伊香保姫は[[榛名山]](古名:伊香保山)へ逃げた。赤城姫は赤城大沼の竜神(または「晻佐羅魔女」)によって赤城明神に転生し、伊香保姫は榛名湖の竜神によって榛名明神となった<ref name="赤城学_伝説"/>。

3人の娘には都に出仕していた実弟がおり、事態を知って上野へ引き返すと更科次郎兼光を討ち、継母を捕らえて信濃に追放した。継母はその後[[冠着山]](姥捨山)で死んだという<ref name="赤城学_伝説"/><ref name="榛名学_伊香保姫"/>。

この弟は、赤城大沼の畔で、神となった淵名姫と赤城姫(赤城大明神)に再会を果たした。このとき淵名姫を乗せていた[[シギ|鴫]]は大沼に降り立って小鳥ヶ島へ姿を変えたという。弟はその後、庵を結んで3昼夜にわたり姉を祀った。その地を「三夜沢」と称したという<ref name="赤城学_伝説"/>。

====小鳥ヶ島の赤城神社====
[[平安時代]]に成立した『[[延喜式神名帳]]』([[延長 (元号)|延長]]5年・西暦[[927年]])には、[[上野国]]の[[名神大社]]として「[[赤城神社]]」が記載されている([[式内社]])。赤城山の周辺には「赤城神社」と称する主要な神社が3社あり、いずれを『延喜式神名帳』の赤城神社とするかは見解が分かれている。赤城山山頂の[[赤城神社 (前橋市富士見町赤城山)|赤城神社]]はその一つである。

旧来は湖畔に湖を背にして祀られていた神社だが、1968年(昭和43年)に現在地の小鳥ヶ島に遷座した<ref name="角川地名_赤城神社"/><ref name="平凡地名_赤城山"/>{{refnest|group="注"|この地にはかつて厳島神社があった<ref name="神社_由緒"/>。}}。

この赤城神社がいつ創建されたものであるかは不詳<ref name="旧百科_赤城大沼"/>。境内の[[安山岩|安山岩製]]の[[宝塔]](赤城塔)には[[応安]]5年(1376年)の銘がある<ref name="角川地名_富士見村中世"/>。社伝では[[崇神天皇]]の時代{{refnest|group="注"|[[崇神天皇]]の実在性や年代については議論がある。『日本書紀』の記述にしたがえば紀元前1世紀となる。[[上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧]]参照。}}に[[豊城入彦命]]が創建したとする<ref name="角川地名_赤城神社"/>。また、神社では[[大同 (日本)|大同]]元年(806年)に地蔵岳中腹から大沼の湖畔へ遷宮したという記録を有するとしており<ref name="平凡地名_赤城山"/><ref name="神社_由緒"/>、湖畔の地名「大洞」はこの年号に由来するという<ref name="神社_由緒"/>。近世には[[前橋城]](厩橋城)の歴代の城主の崇敬を受けており<ref name="旧百科_赤城大沼"/>、[[酒井家]]の時代には社殿造営を5回行っている<ref name="角川地名_赤城神社"/>。

もともとは赤城大沼と赤城山を祭祀していたもので<ref name="角川地名_赤城神社"/>、明治時代には赤城山周辺の小社を合祀<ref name="神社_由緒"/>、現在は[[豊城入彦命]]、[[大国主|大国主命]]、[[徳川家康|徳川家康公]]など6柱を祭神としている<ref name="旧百科_赤城大沼"/><ref name="角川地名_赤城神社"/>。

===観光地として===
[[ファイル:Ice fishing on Ōnuma 001.jpg|right|thumb|氷上ワカサギ釣り(2月)]]
明治時代から観光地として知られており、大正時代になると冬季スポーツの開催地として知られるようになった<ref name="旧百科_赤城大沼"/>。ただしもっぱら登山客が訪れる山だった<ref name="角川地名_山"/>。昭和初期には本格的な観光開発が始まり、公共交通機関や道路が整備され手軽な観光地となった。春の新緑、秋の紅葉など、四季を通じて観光客が集まる<ref name="旧百科_赤城大沼"/><ref name="角川地名_山"/>。

関東近郊では、自然に結氷する湖としてはもっとも早い時期から氷が張ることで知られている<ref name="角川地名_赤城大沼"/>。このため昭和初期までは採氷・製氷が行われていたほか<ref name="角川地名_赤城大沼"/><ref name="角川地名_山"/>、湖水を取水して天然水として利用されていた。[[スケート]]地としても早くから知られていた<ref name="旧百科_赤城大沼"/>。

一年を通じて釣りを楽しむことができ、とりわけ冬季の氷上[[ワカサギ]]釣りは赤城大沼の名物とされている<ref name="角川地名_赤城大沼"/>。このほか夏季にはボート遊びなどが行われる<ref name="旧百科_赤城大沼"/>。

湖周辺はミズナラ、シラカバ、ブナなどの[[落葉広葉樹林]]となっており、春の新緑、秋の紅葉が楽しめる<ref name="角川地名_赤城大沼"/>。6月中旬のレンゲツツジの見ごろにあわせてツツジ祭りも行われる<ref name="赤城学_行事"/>。 毎年8月初旬には、赤城神社の例夏大祭(8月8日)にあわせて「赤城山夏祭り」が開かれ、沼の神に神饌を献じ、緋鯉を供える。例祭のある週末には湖上で[[花火大会]]などが行われる<ref name="赤城学_行事"/>。このほか8月下旬にはマラソン大会、冬季にはワカサギ釣りの祭りが催されている<ref name="赤城学_行事"/>。

====文芸====
[[ファイル:赤城大沼の志賀直哉碑.jpg|thumb|right|湖畔の志賀直哉の石碑]]
赤城山では、[[明治元年]]に湖畔に定住をはじめたという「猪谷旅館」と「青木旅館」が知られている<ref name="角川地名_赤城山"/>。

南湖畔の大洞にあった猪谷旅館は、関東の文人が赤城山を訪れる際の宿所として知られており、1904年(明治37年)には[[与謝野鉄幹]]、[[高村光太郎]]、1915年(大正5年)には[[志賀直哉]]が投宿している<ref name="赤城学_人物"/>。

志賀直哉はこのとき湖畔に山小屋を欲し、旅館の[[猪谷六合雄]](1890 - 1986)がその建設を請け負った。志賀直哉はここで5月から9月まで夫妻で滞在し、小説『[[焚火 (小説)|焚火]]』の構想を練ったという<ref name="赤城学_人物"/>。
{{Quotation|Kさんは氷蔵から楢の厚い板を抱えて来た。四人は大きい樅の木に被われた神社の暗い境内を抜けて行く。神楽堂の前を通る時、Kさんはお札を売る人に、<br>「お湯にお入りなさい」と声をかけた。樅の太い幹と幹の間に湖水の面が銀色に光って見えた。<br>小舟は岸の砂地へ半分曳き上げてあった。昼の雨で溜まった水をKさんが掻き出す間、三人は黒く濡れた砂の上に立っていた。<br>Kさんは抱えて来た厚い板を船縁のいい位置に渡して、「お乗り下さい」と云った。妻から先へ乗せた。小舟は押し出された。<ref name="焚火"/>|[[志賀直哉]]|『[[焚火 (小説)|焚火]]』}}
作品には、黒檜山と鳥居峠に虹が架かる情景や、月あかりの下で小鳥ヶ島へ舟で渡る様子、岸辺の白樺の植生、周辺の牧場開発の様子などが織り込まれている<ref group="注">『焚火』が著された大正9年には、赤城神社はまだ小鳥ヶ島ではなく湖畔にあった。作中でも神社は湖畔に位置しており、夫妻は小屋を出て神社の境内をぬけ、岸辺の砂浜から小鳥ヶ島を目指して舟を出す。</ref>。夫妻のために湖畔に小屋を作る「Kさん」や画家の「Sさん」も登場する。湖中の赤城神社には『焚火』の石碑も置かれ、『焚火』の一節が刻まれている<ref name="赤城学_人物"/>。

一方、北西岸の沼尻にあった青木旅館も文人の宿として知られており、志賀直哉は高村光太郎のほか、与謝野鉄幹・[[与謝野晶子]]夫妻が訪れている<ref name="Portal_青木"/>。とくに与謝野晶子は赤城山を詠んだ作品を残している<ref name="赤城学_人物"/>。

====ウィンタースポーツ====
[[ファイル:Chiharu Igaya and Kunio Igaya 1950 Scan10015.JPG|thumb|right|[[猪谷六合雄]]・[[猪谷千春]]父子]]
[[ファイル:View from Akagi-sancho Station 2016-10.jpg|thumb|right|[[赤城登山鉄道]]廃線跡]]
[[猪谷六合雄]]はのちに[[スキー]]のプロとなり、とくに[[アルペンスキー|山スキー]]を得意とした。1929年(昭和4年)には、猪谷の設計で地蔵岳に建設された「地蔵岳大ジャンプ台」で、ノルウェーのスキー選手3名を招いて日本初の国際[[スキージャンプ]]競技大会が開催されている<ref name="Portal_雪まつり"/><ref name="角川地名_富士見村公園"/><ref name="Portal_スキー場"/>。

この大会のあと、赤城山には日本全国からスキーヤーが集まるようになった。翌1930年(昭和5年)からは[[明治大学]]のスケート部の合宿地となり、スケートの地としても知られるようになった<ref name="角川地名_富士見村公園"/>。関東近郊では自然に結氷する湖としてはもっとも早い時期から結氷することでも知られている<ref name="角川地名_赤城大沼"/>。

六合雄の長男[[猪谷千春]](1931 - )は幼少期より父からスキーの英才教育を受けて育ち、[[1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピック]]で日本人初の冬季オリンピックのメダリストとなった<ref name="Portal_雪まつり"/>。

厳冬季の赤城山山頂付近は降水量が少ないものの、平均気温が氷点下になるため、ウィンタースポーツにとって上質とされる[[アスピリンスノー]]となる。東京からは比較的アクセスもよいため、1970年代にはスキーリゾート地として賑わった。スキー場は3箇所整備され、とくに地蔵岳の山頂から大沼・黒檜山を観望しながら滑降する3キロメートルのコースは人気を博した<ref name="角川地名_富士見村公園"/>。

しかし時代が変わると利用客も減り、ゲレンデは閉鎖、ロープウェイは1998年(平成10年)に廃止となった。その後、スキー場はゲレンデ1箇所が再開され、「自称日本一小さいスキー場」と称して営業している<ref name="角川地名_富士見村公園"/>。

====群馬県立赤城公園====
[[ファイル:Akagi Visitors Center.jpg|thumb|right|赤城公園ビジターセンター(大洞)]]
1935年(昭和10年)、群馬県は大沼一帯の[[御料地]]を皇室から払い下げを受け、県有地とあわせて'''群馬県立赤城公園'''とした。1955年からは自動車用道路として有料道路[[赤城南面道路|赤城白樺ライン]](のちに無料化、現在の[[群馬県道4号前橋赤城線]]の一部)を整備、バスの運行がはじまった。さらに[[赤城登山鉄道]]([[ケーブルカー]]。1957年開業、1968年廃止)、地蔵岳山頂へは[[赤城山ロープウェイ]]やリフトも建設され<ref name="角川地名_富士見村公園"/><ref name="角川地名_山"/>、山麓から湖畔、山頂を経て山麓への周回コースができた<ref name="角川地名_山"/>。

1970年(昭和45年)には県営の国民宿舎が開設、1983年(昭和58年)には[[第38回国民体育大会|あかぎ国体]]が開催され、馬術や自転車競技の開催地にもなった<ref name="角川地名_富士見村公園"/>。

自動車が通行可能な道路が湖畔を一周できるように整備されている。一周は約5kmで平坦で、徒歩でも1時間半ほどで一周できる<ref name="赤城学_一周"/>。また、湖畔には散策路が整備されており、湖水が少ない時期には水辺を歩くこともできる<ref name="旧百科_赤城大沼"/><ref name="赤城学_一周"/>。

===赤城大沼用水===
[[ファイル:赤城大沼用水トンネル出口.jpg|thumb|right|赤城大沼用水の隧道出口]]
赤城大沼から自然に流出する川は北西端の沼尾川だけだが、赤城山の外輪山の下を穿って南斜面の白川(赤城白川)へ導水する灌漑用水路がある。これを'''赤城大沼用水'''という<ref name="旧百科_赤城大沼用水"/>。

広大な火山性の裾野をもつ赤城山の山麓では、河川は[[伏流水]]となってしまい、常に水不足に悩まされてきた。江戸時代には水を巡って村と村の争議が絶えなかった<ref name="赤城大沼用水土地改良区"/>。反面、常態的に[[水無川|枯れ川]]の白川は大雨の際の流下能力は小さく、集中豪雨などでは容易に氾濫した。1910年(明治43年)にも白川扇状地に洪水被害をもたらしていた<ref name="角川地名_富士見村用水"/>。

赤城大沼から水を引水するという構想は江戸時代末期からあり、赤城山南西山麓の[[富士見町原之郷|原之郷]](旧[[富士見村 (群馬県)|富士見村]])の名主、[[船津伝次平]]{{refnest|group="注"|[[船津伝次平]]は安政年間に赤城山に植林を行った人物<ref name="角川地名_富士見村用水"/>。}}に遡るという。その構想は大正時代に具現化し、1915年(大正4年)に木村與作(木村与作)によって用水建設の申請が行われた。しかし当時は県知事による許可が得られなかった<ref name="旧百科_赤城大沼用水"/><ref name="赤城大沼用水土地改良区"/>。その後、1935年(昭和10年)にも白川の洪水が発生している<ref name="角川地名_富士見村用水"/>。

この事業はのちに樺沢政吉(椛沢政吉)によって継承され、1941年(昭和16)年に着工にこぎつけた<ref name="旧百科_赤城大沼用水"/>。しかし[[太平洋戦争]]の時局下のため建設資材の調達が滞り、また山の下を通る全長約2200メートル{{refnest|group="注"|うち、トンネル部分は約1700メートル<ref name="赤城大沼用水土地改良区"/>。}}の隧道の工事も軟弱な地盤や湧水などにより技術的に困難だった<ref name="PREF-水"/><ref name="PREF-用水概要"/><ref name="赤城大沼用水土地改良区"/>。トンネルが完成したのは1956年(昭和31年)<ref name="PREF-用水概要"/>、用水路の竣工・通水は1957年(昭和32年)となった<ref name="旧百科_赤城大沼用水"/><ref name="赤城大沼用水土地改良区"/>{{refnest|group="注"|この間、1947年(昭和22年)の[[カスリーン台風]]では白川で土石流が発生、下流部の小沢地区・原東地区で死者104人、家屋の流失50戸などの大被害を出した<ref name="角川地名_富士見村用水"/>。}}。

この用水のため、赤城大沼の湖水面は約2メートル水位をあげられた。そして北西の沼尻(湖尻)に設けられた[[頭首工]]から毎秒0.81トンの割合で取水し、地蔵岳の北西の丘陵(新坂平)を隧道で通り抜け、白川に導かれる<ref name="旧百科_赤城大沼用水"/><ref name="角川地名_富士見村赤城山"/>。その後、白川に建設された取水口から用水路を通って南西麓へ導かれ{{refnest|group="注"|白川自体の水は、中流部で[[伏流水]]となってしまうため、自然の状態では白川は「[[水無川]]」と化す。大沼から引いた水と白川の水はいったん合流するが、そのあと伏流してしまわないように、取水口で人工用水路に導かれて下流へ流れる<ref name="赤城大沼用水土地改良区"/><ref name="旧百科_赤城白川"/>。}}、標高499メートル地点と標高450メートル地点に設けられた[[円筒分水工]]で4水系に分かれ、約360ヘクタール{{refnest|group="注"|『群馬県百科事典』(1979年)では375ヘクタール<ref name="旧百科_赤城白川"/>、群馬県庁農政部農村整備課の県営水利施設整備事業概要(2015年更新)では358ヘクタール<ref name="PREF-用水概要"/>、同2017年の資料では386ヘクタール<ref name="PREF-H28"/>、赤城大沼用水土地改良区の資料では355ヘクタール<ref name="赤城大沼用水土地改良区"/>など。}}の土地で灌漑に供されている<ref name="PREF-用水概要"/><ref name="旧百科_赤城大沼用水"/>。この用水整備によって耕作地は大幅に増え、水田が増加したほか、一帯は従来の[[養蚕]]からウシ・ブタを飼育する酪農やホウレンソウ、キャベツ、サトイモ、ダイコンなどの野菜栽培にシフトした<ref name="角川地名_富士見村用水"/>。

用水は完成から半世紀あまりが経過し、老朽化が懸念されている。部分的には石積の崩落や漏水もあるため、群馬県の事業として修繕や補修が行われている<ref name="PREF-用水概要"/><ref name="PREF-水"/><ref name="PREF-H28"/>。

取水口である火口瀬付近には、1978年(昭和53年)に樺沢政吉の顕彰碑が設置された<ref name="角川地名_富士見村赤城山"/>。


== 交通 ==
== 交通 ==
===道路===
*[[群馬県道4号前橋赤城線]] - [[前橋市]]中心部から西斜面を登り山頂カルデラに至る県道。山岳部は有料道路の旧[[赤城南面道路]](通称:赤城白樺ライン)として建設された。[[上毛三山パノラマ街道]]の一部を成す。1995年に無料化。
*[[群馬県道16号大胡赤城線]] - 旧[[大胡町]]中心部から[[三夜沢町]]・[[赤城温泉郷]]・[[牛石峠]]を経て南斜面を登り山頂カルデラに至る県道。
*[[群馬県道70号大間々上白井線]] - 大沼南岸を走る県道。路線としては赤城山西麓の渋川市から赤城山を横断、山頂を経由して東麓の[[桐生市]]・[[みどり市]]へ至るが、山岳部は未通(車両通行不能)。
*[[群馬県道157号赤城山敷島停車場線]] - 北西岸を通る県道。路線としては渋川市の[[敷島駅]]付近までだが、山岳部は未通(車両通行不能)で登山道があるのみ。
*[[群馬県道251号沼田赤城線]] - 東岸を通る県道。大洞から湖岸を通り、北麓へ下る。[[上毛三山パノラマ街道]]の一部を成す。

===鉄道・索道===
*[[赤城登山鉄道]] - 1957年開業、1968年廃止。赤城山南東麓の旧[[黒保根村]]から鳥居峠を経て山頂カルデラを結んでいた。
*[[赤城山ロープウェイ]] - 1957年開業、1998年廃止。地蔵岳の麓と山頂を結んでいた。

===アクセス===
JR[[前橋駅]]からバス。[[富士見温泉]]で乗り換えて、赤城ビジターセンター下車。
JR[[前橋駅]]からバス。[[富士見温泉]]で乗り換えて、赤城ビジターセンター下車。

== ギャラリー ==
<gallery>
File:Lake Ono 01.jpg|春(5月初旬)
File:Fujimimachi Akagisan, Maebashi, Gunma Prefecture 371-0101, Japan - panoramio.jpg|湖畔の遊覧ボート(10月)
File:赤城山大沼 20141103 - panoramio.jpg|湖畔の遊覧ボート(11月初旬)
File:地蔵岳から見た黒檜山.JPG|地蔵岳から見た黒檜山
File:Jizō-dake (Q31701320).jpg|湖畔から見た地蔵岳
File:Akagiyama07.JPG|啄木鳥橋(1月)
File:結氷した赤城大沼と赤城神社.JPG|結氷した赤城大沼と赤城神社(1月)
</gallery>
{{Clearright}}
==脚注==
===注釈===
<references group="注"/>
===出典===
{{Reflist|colwidth=30em |refs=
<!--概要-->
*<ref name="旧百科_赤城大沼">『群馬県百科事典』p6-7、「赤城大沼」</ref>
*<ref name="旧百科_赤城大沼用水">『群馬県百科事典』p7、「赤城大沼用水」</ref>
*<ref name="旧百科_赤城白川">『群馬県百科事典』p9、「赤城白川」</ref>
*<ref name="新百科_赤城山">『群馬新百科事典』p10、「赤城山」</ref>

*<ref name="平凡地名_赤城山">『日本歴史地名大系10群馬県の地名』p476-477、「赤城山」</ref>
*<ref name="平凡地名_沼尾川">『日本歴史地名大系10群馬県の地名』p478、「沼尾川」</ref>
*<ref name="平凡地名-榛名湖">『日本歴史地名大系10群馬県の地名』p349-350「榛名湖」</ref>

*<ref name="角川地名_赤城大沼">『角川日本地名大辞典10 群馬県』p64、「赤城大沼」</ref>
*<ref name="角川地名_赤城神社">『角川日本地名大辞典10 群馬県』p65、「赤城神社」</ref>
*<ref name="角川地名_赤城山">『角川日本地名大辞典10 群馬県』p65、「赤城山(富士見村)」</ref>
*<ref name="角川地名_山">『角川日本地名大辞典10 群馬県』p67、「赤城山」</ref>

*<ref name="角川地名_富士見村中世">『角川日本地名大辞典10 群馬県』p1287、「富士見村 中世」</ref>
*<ref name="角川地名_富士見村用水">『角川日本地名大辞典10 群馬県』p1288、「富士見村 赤城大沼用水」</ref>
*<ref name="角川地名_富士見村公園">『角川日本地名大辞典10 群馬県』p1288、「富士見村 県立赤城公園」</ref>
*<ref name="角川地名_富士見村赤城山">『角川日本地名大辞典10 群馬県』p1289、「富士見村 赤城山」</ref>

*<ref name="河川大事典_沼尾川">『河川大事典』p766、「沼尾川」</ref>

<!--おの-->
*<ref name="赤城学_おの">『なるほど赤城学』p118、「大沼、小沼の正しい読み方」</ref>
*<ref name="大辞泉_おの">[[小学館]],[[大辞泉|デジタル大辞泉]],コトバンク版,[https://kotobank.jp/word/大沼-218284 大沼] 2018年1月5日閲覧。</ref>
*<ref name="講談社_おの">[[講談社]],日本の地名がわかる事典,コトバンク版,[https://kotobank.jp/word/大沼-218284 大沼] 2018年1月5日閲覧。</ref>
*<ref name="ブリタニカ_おの">[[ブリタニカ百科事典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典]],コトバンク版,[https://kotobank.jp/word/大沼-218284 大沼] 2018年1月5日閲覧。</ref>
*<ref name="PREF_赤城公園">群馬県庁,環境森林部自然環境課,[http://www.pref.gunma.jp/01/e2310243.html 県立赤城公園] 2018年1月5日閲覧。</ref>
*<ref name="Portal_おの">群馬県・赤城山広域振興協議会,赤城山ポータルサイト,[http://akagi-yama.jp/archives/4677 大沼(おの)] 2018年1月5日閲覧。</ref>

<!--成因-->
*<ref name="赤城学_I">『なるほど赤城学』p29、「噴火の開始」</ref>
*<ref name="赤城学_II">『なるほど赤城学』p30-32、「山頂部の大爆発と山体崩壊」</ref>
*<ref name="赤城学_III">『なるほど赤城学』p32-33、「マグマの噴出」</ref>
*<ref name="赤城学_IIII">『なるほど赤城学』p33-35、「深山カルデラの形成と棚下火砕流・古沼田湖」</ref>
*<ref name="赤城学_V">『なるほど赤城学』p35、「寄生火山の形成」</ref>
*<ref name="赤城学_VI">『なるほど赤城学』p36-37、「山頂カルデラの形成と大胡火砕流」</ref>
*<ref name="赤城学_VII">『なるほど赤城学』p37-39、「中央火口丘の出現」</ref>
*<ref name="赤城学_VIII">『なるほど赤城学』p40-41、「火山活動の末期」</ref>
*<ref name="大地_赤城山I">『ぐんまの大地 生いたちをたずねて』p24-25、「赤城山(1)」</ref>

<!--自然-->
*<ref name="赤城学_植物">『なるほど赤城学』p51-66、「赤城山の植物」</ref>
*<ref name="赤城学_鳥">『なるほど赤城学』p74、「コガモ」</ref>
*<ref name="赤城学_氷">『なるほど赤城学』p77、「大沼、小沼の全面結氷」</ref>
*<ref name="新百科_動物">『群馬新百科事典』p11、「赤城山の動物」</ref>

<!--水質-->
*<ref name="PREF-水質">群馬県庁、{{PDFlink|[https://www.pref.gunma.jp/contents/000234243.pdf 環境基準設定水域]}} 2018年1月5日閲覧。</ref>
*<ref name="PREF-水環境">群馬県庁、環境森林部環境政策課、2015年10月8日更新、[https://www.pref.gunma.jp/04/e0100582.html 水環境、土壌環境、地盤環境の保全] 2018年1月5日閲覧。</ref>
*<ref name="産経20150829">産経ニュース,2015年8月29日付,[http://www.sankei.com/region/news/150829/rgn1508290029-n1.html 赤城大沼、榛名湖のワカサギ、出荷自粛要請を解除 4年ぶり持ち帰り可能に 群馬] 2018年1月5日閲覧。</ref>

<!--人文-->
*<ref name="赤城学_伝説">『なるほど赤城学』p83-104、「赤城山をめぐる伝説」</ref>
*<ref name="榛名学_伊香保姫">『なるほど榛名学』p121-122「伊香保姫」</ref>

*<ref name="赤城学_人物">『なるほど赤城学』p111-116、「赤城山ゆかりの人物」</ref>
*<ref name="Portal_青木">群馬県・赤城山広域振興協議会,赤城山ポータルサイト,[http://akagi-yama.jp/archives/24241 青木旅館] 2018年1月5日閲覧。</ref>
*<ref name="Portal_雪まつり">群馬県・赤城山広域振興協議会,赤城山ポータルサイト,[http://akagi-yama.jp/archives/31050 冬の赤城山を楽しもう!! 赤城山雪まつり情報] 2018年1月5日閲覧。</ref>

*<ref name="神社_由緒">[[赤城神社 (前橋市富士見町赤城山)|赤城神社]]公式HP、[http://akagijinja.jp/yuisyo/yuisyo.html 由緒] 2018年1月5日閲覧。</ref>
*<ref name="焚火">[[志賀直哉]]『焚火』([[新潮文庫]]『小僧の神様・城の崎にて』(2017(84刷)、ISBN 978-4-10-103225-0)収録、p163)</ref>

<!--スキー-->
*<ref name="Portal_スキー場">群馬県・赤城山広域振興協議会,赤城山ポータルサイト,[http://akagi-yama.jp/archives/8650 赤城山第1スキー場] 2018年1月5日閲覧。</ref>

<!--赤城大沼用水-->
*<ref name="PREF-用水概要">[[群馬県庁]],農政部農村整備課,[http://www.pref.gunma.jp/06/f3600149.html 赤城大沼用水地区の概要] 2018年1月5日閲覧。</ref>
*<ref name="PREF-水">[[群馬県庁]],農政部農村整備課,[http://www.pref.gunma.jp/06/f3600148.html 私たちの水、地域の水] 2018年1月5日閲覧。</ref>
*<ref name="PREF-H28">[[群馬県庁]],農政部農村整備課,[http://www.pref.gunma.jp/06/f3600200.html 水の保全整備 平成28年度実施地区] 2018年1月5日閲覧。</ref>
*<ref name="赤城大沼用水土地改良区">赤城大沼用水土地改良区 {{PDFlink|[http://www.inakajin.or.jp/Portals/0/resource/01katsudou/kakutiinfo/news2010/nn/100715_01.pdf 赤城大沼用水土地改良区の花いっぱい活動]}} 2018年1月5日閲覧。</ref>

<!--観光-->
*<ref name="赤城学_一周">『なるほど赤城学』p143-145、「赤城山のハイキングコース」</ref>
*<ref name="赤城学_行事">『なるほど赤城学』p105-109、「赤城山の行事」</ref>

<!--登山-->
*<ref name="分県登山_27">『分県登山ガイド09群馬県の山』p78-79、「長七郎山・地蔵岳」</ref>

}}

===参考文献===
*『河川大事典』,[[日外アソシエーツ|日外アソシエーツ(株)]]・編,1991年,ISBN 9784816910173
*『[[都道府県別百科事典|群馬県百科事典]]』,[[上毛新聞|上毛新聞社]],1979年
*『[[都道府県別百科事典|群馬新百科事典]]』,[[上毛新聞社]],2008年,ISBN 9784880589886
*『[[角川日本地名大辞典]]10 群馬県』,角川日本地名大辞典編纂委員会・[[竹内理三]]・編,[[角川書店]],1988,ISBN 4040011007
*『[[日本歴史地名大系|日本歴史地名大系10群馬県の地名]]』,[[平凡社]],1987
*『なるほど赤城学』,栗原久/著,[[上毛新聞社]],2007,ISBN 978-4-88058-973-2
*『なるほど榛名学』,栗原久/著,[[上毛新聞社]],2009,ISBN 9784863520042
*『分県登山ガイド09群馬県の山』,太田ハイキングクラブ/著,[[山と渓谷社]],2016,ISBN 9784635020398
*『ぐんまの大地 生いたちをたずねて』,「ぐんまの大地」編集委員会,[[上毛新聞社]],2009,2010(初版第2刷),ISBN 9784863520158
*『[[山と高原地図]] 2017年版 40 赤城・皇海・筑波・榛名山』,2017年9版1刷,[[昭文社]],ISBN 978-4-398-76340-2
*『群馬の川』,斎藤叶吉・山内秀夫<!--宝石職人の[[山内秀夫]]ではない-->/監,[[上毛新聞社]],1978


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Ōnuma (Mount Akagi)}}
* [[日本の湖沼一覧]]
* [[日本の湖沼一覧]]
* [[覚満淵]]
* [[覚満淵]]
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2018年1月16日 (火) 17:50時点における版

大沼

大沼と赤城神社
大沼と赤城神社

大沼の位置(群馬県内)
大沼
大沼
大沼の位置
所在地 日本の旗 日本
群馬県前橋市富士見町赤城山
位置 北緯36度33分15秒 東経139度10分45秒 / 北緯36.55417度 東経139.17917度 / 36.55417; 139.17917座標: 北緯36度33分15秒 東経139度10分45秒 / 北緯36.55417度 東経139.17917度 / 36.55417; 139.17917
流出河川 沼尾川
面積 0.88[1] km2
周囲長 4.0[1] km
最大水深 16.5[2][3] - 19.0[1] m
水面の標高 1,310[4] m
成因 火口原湖[2]
淡水・汽水 淡水
湖沼型 富栄養湖[3]
透明度 4.0[3] m
凍結 12-4月
プロジェクト 地形
テンプレートを表示
大沼周辺拡大図
赤城大沼の夏と冬。写真右の山が地蔵岳、左は小地蔵[5]
赤城大沼の夏と冬。写真右の山が地蔵岳、左は小地蔵[5]

大沼(おの[6][7][3]、おおぬま[2][3]赤城大沼[2])は群馬県赤城山の山頂カルデラにある火口原湖[2]、赤城山のカルデラ湖としては最大のもの[3]

水系としては利根川に属し、湖水は北西の火口瀬から沼尾川として流出、赤城山の西麓を流れ下って直接利根川に注ぐ[2]。半島部の小鳥ヶ島には赤城神社が鎮座する。冬期のワカサギ釣りやスキー・スケート地として知られ、1970年代には関東地方のスキー場として多くのレジャー客を集めた。

呼称

大沼周辺概略図

大沼の「正しい」読み方は「おの[7][8]」、小沼は「この」であるとされている[6][9]。しかし近年は「おおぬま」「こぬま」の読み方をする者が増えている[9]赤城湖という異称もある[7]

古い呼び名としては、「石垣沼」、「葛葉湖[注 1]」といったものもある[3]

地形

赤城大沼は赤城山の山頂カルデラ内にあり、周囲を赤城山の中央火口丘である地蔵岳や外輪山黒檜山に囲まれている[2]。山頂カルデラの大きさは南北約4キロメートル、東西約2.3キロメートル[10]。湖面の標高は1310メートル[2][4]ないし1345メートル[3]。成因として火口原湖である[2]

形状は「長い曲玉状[2]」「楕円形[3]」とされている。湖の東岸には「小鳥ヶ島」と呼ばれる半島状の岬があり、島全域を神域とする赤城神社が鎮座する[2]

周囲は約4.0キロメートル[注 2]。面積は0.8[2]ないし0.9[7]平方キロメートル[注 3]。赤城山山頂カルデラの湖のなかでは最も大きい[3]

水深は、最深部で16.5メートル[2][3][注 4]。小鳥ヶ島の周辺は最も浅く、水深0.2メートル[3]。透明度は4メートル程度[3]

夏季には、表層の水温は摂氏22度から25度、底部で5度。冬季は12月下旬ごろから4月上旬まで結氷し、氷の厚さは40センチメートル以上[3]、年によっては50センチ以上に達する[13]。厳冬期には氷が昼夜に伸縮して湖面に小規模な「御神渡」ができる。大沼は南北方向に長いため、氷の伸縮によって生じる「御神渡」は東西方向に発達し、高さ20センチメートルほどとなる[13]

流入河川は覚満淵からくる覚満川のほかは小河川のみで、湖水の水源のほとんどは雨水と湖底の湧水である。そのために季節による水位の変動は少ない[3]

湖水は大沼の北西端である「沼尻(湖尻)」でカルデラの外輪を破って火口瀬をつくり、沼尾川として西方へ流出している[6][14]。沼尾川は旧赤城村(現渋川市赤城町深山)を貫流して津久田(渋川市)で利根川に注いでいる[15][16]

東南岸の大洞(だいどう)地区には土産物店や旅館などが集まり、観光の拠点となっている[2][11][3][10]。地蔵岳山麓にはスキー場が整備されている[2]。北岸の沼尻地区には企業・学校の寮や厚生施設、山荘が散在する[2][3][10]

形成史

3万2000年前頃の赤城山山頂付近

赤城山は約50万年前[17]から約40万年前[18]柏崎千葉構造線(利根川構造線)始まった火山活動で、数万年かけて標高2500メートルほどの成層火山へと成長した[19]。その後、約20万年前の大爆発と山体崩壊[18]、その後の休止期をはさんで、15万年前に再び火山活動を活発化させ、現在の赤城山外輪山の最高峰である黒檜山(1828m)と駒ケ岳(1695m)などを形成[20]。次いで12万年前に西方で大爆発と陥没が起き、深山カルデラができた[21]

いまの赤城山の山頂カルデラの生成が始まったのは約4万5000年前と推定されている。このときは山頂で起きた噴火によって膨大な量の噴出物を関東一円に堆積させ、軽石は栃木県鹿沼市付近で鹿沼土となり、火山灰は関東ローム層を形成した。この噴火によって山頂部は陥没してカルデラとなり、現在の外輪山とカルデラの原型ができた[22][23]。ここにできたカルデラ湖は現在の大沼の7倍ほどの大きさがあり[17]、現存する湖の母体となった[4]

約3万2000年前ごろから、この山頂カルデラ内で新たな火山活動が始まった。これにより地蔵岳、見晴山、長七郎山などの中央火口丘が出現し、山頂カルデラにあった湖が分断され、大小2つの湖となった。このうち北側は、現在の大沼と覚満淵や、現在の坂平方面にあった入江(新坂平湖)をあわせた広がりを持ち、「古大沼」と呼ばれている。古大沼は現在の覚満淵の東側に火口瀬があり、落差200メートルの滝をつくって渡良瀬川方面へ流出していた[4]。南側の湖は「オトギの森湖[注 5]」と呼ばれている。この湖は今の小沼と同じように粕川から南斜面へ流出していた[4]

その後、古大沼の西側の入江(新坂平湖)は土砂の流入で埋め立てられた。また、外輪山の侵食によって西側に新たな火口瀬ができて、沼尾川として湖水が流出し、現在のように覚満淵と大沼に分断された[4]

一方、南にあったオトギの森湖は埋め立てられて消失した[4]。その後、2万7000年前に新たな火口が出現し、これが直径約1kmの火口湖となった。これが現在の小沼である。小沼はその後に侵食によって湖水がガラン沢(粕川)へ流出し、いまは直径300メートルほどに縮小している[24]。これらよりさらに後に小規模な噴火があり、血の池という小さな火口湖も生まれた[24]

自然環境

湖岸の植生

植物

赤城山では標高1000メートル以上の地域ではミズナラが代表的である。ただし山頂付近では、角閃石安山岩が風化した酸性土壌のためミズナラが成長できず、シラカバの純林が形成されている[25]

大沼の周囲では針葉樹のコメツガがみられる。これは、大沼が数千年前まで今よりも大きく、湖面が高かった頃に形成された湖底堆積物の土壌に生育しているもので、現在の湖面から概ね30メートル高い位置まで分布している。これはミズナラ林に遷移する途中の段階の植生である[25]

大沼の南東に位置する覚満淵の周辺はミズゴケモウセンゴケニッコウキスゲなどを中心とした湿原になっている。湿原の北側には泥炭が2メートルから3メートルの層を形成しており、高層湿原へと遷移する途上にある[25]

かつて湖の一部だった新坂平は標高が1400メートルから1480メートルに位置している。ここは開拓されて乳牛を飼育する牧場(赤城白樺牧場)となった。この一体にはレンゲツツジが生育している。毒性があるレンゲツツジを乳牛は食べないので、結果としてレンゲツツジだけが牧場の敷地内に群落状に残ることになり、これが春の名物になっている[25]

動物

貝類ではマルタニシ[26]、魚類ではワカサギヘラブナコイウグイギンブナモツゴドジョウなどが分布している[1][3][26]。ウグイは繁殖期に覚満川を遡上する[26]。両生類ではヒキガエルヤマアカガエルツチガエルが生息[26]。鳥類ではコガモがつがいをつくる[27]

覚満川ではナミウズムシ、上流にあたる覚満淵にはマメシジミが生息[26]

水質

観光客の増加に伴って水質の劣化がみられ、宿泊施設からの排水の流入の影響が大きい。栄養塩に基づく分類では中栄養湖から富栄養湖へ遷移した[3]

赤城大沼は群馬県によって環境基準の類型が指定が行われている。これは利水を行う水域について化学的酸素要求量( COD )に基づく分類を行ったもので、水質環境基準類型は1973年(昭和48年)に「湖沼A」を「5年以内で可及的速やかに達成」すべきものと指定を受けた。その後、1986年(昭和61年)に「累計II」を「5年以内で可及的速やかに達成」すべきとされた[28]。2014年(平成26年)の調査でも環境基準を達成していない。なお、群馬県で指定を受けている湖沼は12水域あり、環境基準を達成していないのは自然湖沼である赤城大沼と尾瀬沼の2箇所となっている[29]

水生生物保全水質環境基準としては、2010年(平成22年)に「湖沼生物A」を「直ちに達成」となった[28]。2011年には、東日本大震災に伴う原発事故の影響で赤城大沼で釣り上げたワカサギから放射性セシウムを検出、釣りは可能だが持ち出しは「自粛」となり、事実上の禁漁となった。その後、セシウム量が安定的に基準値を下回るようになり、2015年に「解禁」となった[30]

人文史

氷結した赤城大沼と地蔵岳
小鳥ヶ島の赤城神社境内へと渡る啄木鳥橋
赤城神社(拝殿)
赤城神社の旧遷座地(元宮)の弁天宮

伝承と信仰

赤城大沼と中禅寺湖

赤城山の神と日光(栃木県)の神(二荒山)が、赤城大沼や中禅寺湖をめぐって争ったとする伝承がある。この伝承にはさまざまな亜種があり、北関東地方の各地にこれにまつわる伝承の地がある。両神はかねてから仲が悪く、武力をもって衝突したり、ムカデや大蛇に化身して戦ったりした。戦場ヶ原がその戦地であるといった伝承や、坂上田村麻呂鹿島神猿丸が加勢したというエピソードもあるが、大筋では赤城山の神が敗れる物が多い[31]

これらの伝承は古代における上毛野国造下毛野国造との領地争いや利水権をめぐる争いを反映したものであるとみなす者もある[31]

赤城姫の伝承

神道集』(室町時代に成立)には、赤城大沼と榛名湖をめぐる伝承が採譜されている[32]

上野国に「高野辺家成」(高野辺大将)という公卿が配流された。高野辺大将には美しい娘が3人いて、それぞれ「淵名姫[注 6]」「赤城姫」「伊香保姫[注 7]」といった。娘たちの母はやがて亡くなり、高野辺大将は信濃国から後添いを迎えた。その後、高野辺大将は罪を免じられて上野国国司に任じられ、娘達を継母に委ねて出仕した[31]

ところがこの継母は3人の娘を疎んじ、弟の更科次郎兼光に命じ、3人の娘を殺害させた。長女の淵名姫が利根川に沈められて殺されると、次女の赤城姫は赤城山へ、末娘の伊香保姫は榛名山(古名:伊香保山)へ逃げた。赤城姫は赤城大沼の竜神(または「晻佐羅魔女」)によって赤城明神に転生し、伊香保姫は榛名湖の竜神によって榛名明神となった[31]

3人の娘には都に出仕していた実弟がおり、事態を知って上野へ引き返すと更科次郎兼光を討ち、継母を捕らえて信濃に追放した。継母はその後冠着山(姥捨山)で死んだという[31][33]

この弟は、赤城大沼の畔で、神となった淵名姫と赤城姫(赤城大明神)に再会を果たした。このとき淵名姫を乗せていたは大沼に降り立って小鳥ヶ島へ姿を変えたという。弟はその後、庵を結んで3昼夜にわたり姉を祀った。その地を「三夜沢」と称したという[31]

小鳥ヶ島の赤城神社

平安時代に成立した『延喜式神名帳』(延長5年・西暦927年)には、上野国名神大社として「赤城神社」が記載されている(式内社)。赤城山の周辺には「赤城神社」と称する主要な神社が3社あり、いずれを『延喜式神名帳』の赤城神社とするかは見解が分かれている。赤城山山頂の赤城神社はその一つである。

旧来は湖畔に湖を背にして祀られていた神社だが、1968年(昭和43年)に現在地の小鳥ヶ島に遷座した[34][6][注 8]

この赤城神社がいつ創建されたものであるかは不詳[2]。境内の安山岩製宝塔(赤城塔)には応安5年(1376年)の銘がある[36]。社伝では崇神天皇の時代[注 9]豊城入彦命が創建したとする[34]。また、神社では大同元年(806年)に地蔵岳中腹から大沼の湖畔へ遷宮したという記録を有するとしており[6][35]、湖畔の地名「大洞」はこの年号に由来するという[35]。近世には前橋城(厩橋城)の歴代の城主の崇敬を受けており[2]酒井家の時代には社殿造営を5回行っている[34]

もともとは赤城大沼と赤城山を祭祀していたもので[34]、明治時代には赤城山周辺の小社を合祀[35]、現在は豊城入彦命大国主命徳川家康公など6柱を祭神としている[2][34]

観光地として

氷上ワカサギ釣り(2月)

明治時代から観光地として知られており、大正時代になると冬季スポーツの開催地として知られるようになった[2]。ただしもっぱら登山客が訪れる山だった[37]。昭和初期には本格的な観光開発が始まり、公共交通機関や道路が整備され手軽な観光地となった。春の新緑、秋の紅葉など、四季を通じて観光客が集まる[2][37]

関東近郊では、自然に結氷する湖としてはもっとも早い時期から氷が張ることで知られている[3]。このため昭和初期までは採氷・製氷が行われていたほか[3][37]、湖水を取水して天然水として利用されていた。スケート地としても早くから知られていた[2]

一年を通じて釣りを楽しむことができ、とりわけ冬季の氷上ワカサギ釣りは赤城大沼の名物とされている[3]。このほか夏季にはボート遊びなどが行われる[2]

湖周辺はミズナラ、シラカバ、ブナなどの落葉広葉樹林となっており、春の新緑、秋の紅葉が楽しめる[3]。6月中旬のレンゲツツジの見ごろにあわせてツツジ祭りも行われる[38]。 毎年8月初旬には、赤城神社の例夏大祭(8月8日)にあわせて「赤城山夏祭り」が開かれ、沼の神に神饌を献じ、緋鯉を供える。例祭のある週末には湖上で花火大会などが行われる[38]。このほか8月下旬にはマラソン大会、冬季にはワカサギ釣りの祭りが催されている[38]

文芸

湖畔の志賀直哉の石碑

赤城山では、明治元年に湖畔に定住をはじめたという「猪谷旅館」と「青木旅館」が知られている[39]

南湖畔の大洞にあった猪谷旅館は、関東の文人が赤城山を訪れる際の宿所として知られており、1904年(明治37年)には与謝野鉄幹高村光太郎、1915年(大正5年)には志賀直哉が投宿している[40]

志賀直哉はこのとき湖畔に山小屋を欲し、旅館の猪谷六合雄(1890 - 1986)がその建設を請け負った。志賀直哉はここで5月から9月まで夫妻で滞在し、小説『焚火』の構想を練ったという[40]

Kさんは氷蔵から楢の厚い板を抱えて来た。四人は大きい樅の木に被われた神社の暗い境内を抜けて行く。神楽堂の前を通る時、Kさんはお札を売る人に、
「お湯にお入りなさい」と声をかけた。樅の太い幹と幹の間に湖水の面が銀色に光って見えた。
小舟は岸の砂地へ半分曳き上げてあった。昼の雨で溜まった水をKさんが掻き出す間、三人は黒く濡れた砂の上に立っていた。
Kさんは抱えて来た厚い板を船縁のいい位置に渡して、「お乗り下さい」と云った。妻から先へ乗せた。小舟は押し出された。[41] — 志賀直哉、『焚火

作品には、黒檜山と鳥居峠に虹が架かる情景や、月あかりの下で小鳥ヶ島へ舟で渡る様子、岸辺の白樺の植生、周辺の牧場開発の様子などが織り込まれている[注 10]。夫妻のために湖畔に小屋を作る「Kさん」や画家の「Sさん」も登場する。湖中の赤城神社には『焚火』の石碑も置かれ、『焚火』の一節が刻まれている[40]

一方、北西岸の沼尻にあった青木旅館も文人の宿として知られており、志賀直哉は高村光太郎のほか、与謝野鉄幹・与謝野晶子夫妻が訪れている[42]。とくに与謝野晶子は赤城山を詠んだ作品を残している[40]

ウィンタースポーツ

猪谷六合雄猪谷千春父子
赤城登山鉄道廃線跡

猪谷六合雄はのちにスキーのプロとなり、とくに山スキーを得意とした。1929年(昭和4年)には、猪谷の設計で地蔵岳に建設された「地蔵岳大ジャンプ台」で、ノルウェーのスキー選手3名を招いて日本初の国際スキージャンプ競技大会が開催されている[43][44][45]

この大会のあと、赤城山には日本全国からスキーヤーが集まるようになった。翌1930年(昭和5年)からは明治大学のスケート部の合宿地となり、スケートの地としても知られるようになった[44]。関東近郊では自然に結氷する湖としてはもっとも早い時期から結氷することでも知られている[3]

六合雄の長男猪谷千春(1931 - )は幼少期より父からスキーの英才教育を受けて育ち、1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピックで日本人初の冬季オリンピックのメダリストとなった[43]

厳冬季の赤城山山頂付近は降水量が少ないものの、平均気温が氷点下になるため、ウィンタースポーツにとって上質とされるアスピリンスノーとなる。東京からは比較的アクセスもよいため、1970年代にはスキーリゾート地として賑わった。スキー場は3箇所整備され、とくに地蔵岳の山頂から大沼・黒檜山を観望しながら滑降する3キロメートルのコースは人気を博した[44]

しかし時代が変わると利用客も減り、ゲレンデは閉鎖、ロープウェイは1998年(平成10年)に廃止となった。その後、スキー場はゲレンデ1箇所が再開され、「自称日本一小さいスキー場」と称して営業している[44]

群馬県立赤城公園

赤城公園ビジターセンター(大洞)

1935年(昭和10年)、群馬県は大沼一帯の御料地を皇室から払い下げを受け、県有地とあわせて群馬県立赤城公園とした。1955年からは自動車用道路として有料道路赤城白樺ライン(のちに無料化、現在の群馬県道4号前橋赤城線の一部)を整備、バスの運行がはじまった。さらに赤城登山鉄道ケーブルカー。1957年開業、1968年廃止)、地蔵岳山頂へは赤城山ロープウェイやリフトも建設され[44][37]、山麓から湖畔、山頂を経て山麓への周回コースができた[37]

1970年(昭和45年)には県営の国民宿舎が開設、1983年(昭和58年)にはあかぎ国体が開催され、馬術や自転車競技の開催地にもなった[44]

自動車が通行可能な道路が湖畔を一周できるように整備されている。一周は約5kmで平坦で、徒歩でも1時間半ほどで一周できる[46]。また、湖畔には散策路が整備されており、湖水が少ない時期には水辺を歩くこともできる[2][46]

赤城大沼用水

赤城大沼用水の隧道出口

赤城大沼から自然に流出する川は北西端の沼尾川だけだが、赤城山の外輪山の下を穿って南斜面の白川(赤城白川)へ導水する灌漑用水路がある。これを赤城大沼用水という[47]

広大な火山性の裾野をもつ赤城山の山麓では、河川は伏流水となってしまい、常に水不足に悩まされてきた。江戸時代には水を巡って村と村の争議が絶えなかった[48]。反面、常態的に枯れ川の白川は大雨の際の流下能力は小さく、集中豪雨などでは容易に氾濫した。1910年(明治43年)にも白川扇状地に洪水被害をもたらしていた[49]

赤城大沼から水を引水するという構想は江戸時代末期からあり、赤城山南西山麓の原之郷(旧富士見村)の名主、船津伝次平[注 11]に遡るという。その構想は大正時代に具現化し、1915年(大正4年)に木村與作(木村与作)によって用水建設の申請が行われた。しかし当時は県知事による許可が得られなかった[47][48]。その後、1935年(昭和10年)にも白川の洪水が発生している[49]

この事業はのちに樺沢政吉(椛沢政吉)によって継承され、1941年(昭和16)年に着工にこぎつけた[47]。しかし太平洋戦争の時局下のため建設資材の調達が滞り、また山の下を通る全長約2200メートル[注 12]の隧道の工事も軟弱な地盤や湧水などにより技術的に困難だった[50][51][48]。トンネルが完成したのは1956年(昭和31年)[51]、用水路の竣工・通水は1957年(昭和32年)となった[47][48][注 13]

この用水のため、赤城大沼の湖水面は約2メートル水位をあげられた。そして北西の沼尻(湖尻)に設けられた頭首工から毎秒0.81トンの割合で取水し、地蔵岳の北西の丘陵(新坂平)を隧道で通り抜け、白川に導かれる[47][14]。その後、白川に建設された取水口から用水路を通って南西麓へ導かれ[注 14]、標高499メートル地点と標高450メートル地点に設けられた円筒分水工で4水系に分かれ、約360ヘクタール[注 15]の土地で灌漑に供されている[51][47]。この用水整備によって耕作地は大幅に増え、水田が増加したほか、一帯は従来の養蚕からウシ・ブタを飼育する酪農やホウレンソウ、キャベツ、サトイモ、ダイコンなどの野菜栽培にシフトした[49]

用水は完成から半世紀あまりが経過し、老朽化が懸念されている。部分的には石積の崩落や漏水もあるため、群馬県の事業として修繕や補修が行われている[51][50][53]

取水口である火口瀬付近には、1978年(昭和53年)に樺沢政吉の顕彰碑が設置された[14]

交通

道路

鉄道・索道

アクセス

JR前橋駅からバス。富士見温泉で乗り換えて、赤城ビジターセンター下車。

ギャラリー

脚注

注釈

  1. ^ 万葉集』では赤城山は「くろほ(の嶺)」と呼ばれている。万葉仮名では「久路保乃祢呂」(久路保の嶺ろ)と表す。これを詠みこんだ東歌として「上野の 久路保の嶺ろの 葛葉がた かなしけ児らに いや離り来も」(3431)がある。この「葛葉がた」は、「クズの葉」(植物)と解釈するものと、水域としての大沼(固有名詞)と解釈するものがある。
  2. ^ 資料によりばらつきがあり、4.0km[7][1]、4.2km[11]、4.5km[3]など。
  3. ^ 資料によりばらつきがあり、0.8平方km[2][11]、0.88平方km[12][1]、0.9平方km[7]など。
  4. ^ 資料によりばらつきがあり、19m[1]など。
  5. ^ 「オトギの森」は山頂カルデラの南の辺縁部の森林の呼称[17]
  6. ^ 淵名荘も参照。
  7. ^ 「伊香保」は榛名山一帯の旧称。榛名湖#伝説も参照。
  8. ^ この地にはかつて厳島神社があった[35]
  9. ^ 崇神天皇の実在性や年代については議論がある。『日本書紀』の記述にしたがえば紀元前1世紀となる。上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧参照。
  10. ^ 『焚火』が著された大正9年には、赤城神社はまだ小鳥ヶ島ではなく湖畔にあった。作中でも神社は湖畔に位置しており、夫妻は小屋を出て神社の境内をぬけ、岸辺の砂浜から小鳥ヶ島を目指して舟を出す。
  11. ^ 船津伝次平は安政年間に赤城山に植林を行った人物[49]
  12. ^ うち、トンネル部分は約1700メートル[48]
  13. ^ この間、1947年(昭和22年)のカスリーン台風では白川で土石流が発生、下流部の小沢地区・原東地区で死者104人、家屋の流失50戸などの大被害を出した[49]
  14. ^ 白川自体の水は、中流部で伏流水となってしまうため、自然の状態では白川は「水無川」と化す。大沼から引いた水と白川の水はいったん合流するが、そのあと伏流してしまわないように、取水口で人工用水路に導かれて下流へ流れる[48][52]
  15. ^ 『群馬県百科事典』(1979年)では375ヘクタール[52]、群馬県庁農政部農村整備課の県営水利施設整備事業概要(2015年更新)では358ヘクタール[51]、同2017年の資料では386ヘクタール[53]、赤城大沼用水土地改良区の資料では355ヘクタール[48]など。

出典

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参考文献

関連項目