岡部将和

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岡部 将和 Football pictogram.svg
名前
愛称 ドリブルデザイナー
カタカナ オカベ マサカズ
ラテン文字 OKABE Masakazu
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-08-01) 1983年8月1日(35歳)
出身地 神奈川県横浜市
身長 168cm
体重 55kg
選手情報
ポジション アラ
利き足
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

岡部 将和(おかべ まさかず、1983年8月1日 - )は、神奈川県横浜市出身の元フットサル選手。ポジションはアラ。現フットサル指導者。職業はドリブルデザイナー[1]

来歴[編集]

サッカー時代[編集]

神奈川県横浜市生まれ。兄の影響で5歳からサッカーをはじめ、幼少期からプロサッカー選手を目指す。小学1年生よりあざみ野FCに所属し、15期生として第20回全日本少年サッカー大会神奈川県大会初優勝[2]に貢献し、神奈川県選抜にも選ばれた。

中学校入学と同時に横浜マリノスジュニアユースに所属。入団当初から上の学年に交じってプレーしていたが、身体も小さく足も遅かったため、主に藤本淳吾栗原勇蔵らにパスを供給する役割を担っていた[3]。フィジカル重視のチーム方針もあって出場機会は減り、最終的にはチームを離れることとなった[4]

高校では神奈川県立荏田高等学校サッカー部に所属。県ではベスト8程度の実力で、また小柄な体格にも悩まされた。しかし、当時憧れていた海外選手のプレーに感化され、サッカーを楽しむという本質に気づき、その頃から大好きなドリブルに磨きをかけていくようになった[5]。さらに、プロのスカウトマンの目に留まるためには、ドリブルで敵を抜くことがベストであると考え、身体的な逆境を打破するためにドリブル技術を徹底的に研究した[6][7]

そして、桐蔭横浜大学ではサッカー部に所属し、5期生[8]キャプテンとして神奈川県1部リーグ優勝、神奈川県知事杯優勝、神奈川県選抜にも選ばれた。

フットサル時代[編集]

先輩の助言により、大学卒業後はフットサルへの転向を決めた[9]。バルドラール浦安セグンドを経て、2007年にはバルドラール浦安フットボールサラに入団、Fリーガーとなった[10]

初年度は日本フットサルリーグで2位を経験し、2008年には第13回JFA 全日本フットサル選手権大会において全国優勝。同年、単身でスペインに渡り、フットサル2部リーグであるLaguna Playas de Salouで経験を積んだ[11]

2010年には湘南ベルマーレフットサルクラブに活躍の場を移し、その年の第15回JFA 全日本フットサル選手権大会では準優勝を飾った[12]。そして、2009-10シーズン終了後、Fリーグでの現役選手を引退した。

引退後[編集]

2010年10月には「Make Smile Project」を立ち上げ、幼稚園や小中高サッカー部、少年サッカーチーム、街のイベントなどでフットサル教室を開催し、フットサルの普及活動に従事した。(2014年にはNPO法人化し、ONE理事長に就任。)

その後、指導者としてコーチや監督などを兼任し、全国各地で開催されるドリブルクリニックをメインに活動。動画投稿サイトやSNSでは「99%抜けるドリブル」といった独自のドリブル理論などを公開し、特にYouTubeにおいてドリブル動画を配信していくと、それらが様々な場所で話題を呼び、総動画閲覧数は1億回を超えた[13][14]

これまで前例のなかった「ドリブルデザイナー」として、老若男女問わず、プロで活躍する現役選手にもドリブルを専門的に指導している。

ドリブルデザイナーとは[編集]

サッカーやフットサルにおける「ドリブル」を言葉で理論的に説明しながら、一人ひとりのプレースタイルや特徴に合ったドリブルをデザインしていく職業の事である[15]

岡部自身は「十人十色のドリブルに一緒に色をつけるという意味で、ドリブルデザイナーという名前を考えた」と言及している[16]

ドリブルデザインに関わった主な選手一覧 [編集]

原口元気乾貴士宇佐美貴史堂安律齋藤学大野忍梅崎司小林祐希山田大記長谷川竜也荒木大吾森岡亮太金子翔太ガイ・アスリン [17][18]

人物、エピソード[編集]

  • お笑い芸人である岡部は実の兄である[19]
  • 自らのドリブルテクニックを肉食動物から逃げる草食動物の姿をイメージして「カモシカ理論」と呼んだ[20]
  • ジーコロナウジーニョなどの海外選手も岡部のドリブル技術を賞賛し、本田圭佑は「凄いじゃないですか。僕はこういうの教えられないんで。」とその指導技術の高さを絶賛した[21]

所属クラブ[編集]

サッカー歴
  • 1990年 - 1996年 あざみ野FC
  • 1996年 - 1999年 横浜マリノスジュニアユース
フットサル歴
  • 2006年 - 2007年 日本の旗 PREDATOR URAYASU FC SEGUNDO

タイトル[編集]

出演番組[編集]

脚注[編集]


  1. ^ News every. 日本テレビ 2017年4月19日放送
  2. ^ 神奈川新聞 1996年2月21日13面より抜粋
  3. ^ 「誰にも止められないドリブルの極意 (前編)」NTT SBSP、2018年4月16日”. 2018年12月5日閲覧。
  4. ^ 「ドリブルに勝機を見いだした男の果てない夢」 東洋経済オンライン、瀬川泰祐、2018年6月14日10時”. 2018年12月5日閲覧。
  5. ^ 「ドリブルに勝機を見いだした男の果てない夢」 東洋経済オンライン、瀬川泰祐、2018年6月14日10時”. 2018年12月5日閲覧。
  6. ^ 「誰にも止められないドリブルの極意 (前編)」NTT SBSP、2018年4月16日”. 2018年12月5日閲覧。
  7. ^ News every. 日本テレビ 2017年4月19日放送
  8. ^ 桐蔭横浜大学サッカー部公式ホームページOB情報”. 2018年12月5日閲覧。
  9. ^ 「ドリブルに勝機を見いだした男の果てない夢」 東洋経済オンライン、瀬川泰祐、2018年6月14日10時”. 2018年12月5日閲覧。
  10. ^ バラドラール浦安フットボールサラ退団選手”. 2018年12月5日閲覧。
  11. ^ "El japonés Okabe se entrena con el Laguna Playas de Salou" 26/02/2008”. 2018年12月5日閲覧。
  12. ^ Hey! Say! Jump! いただきハイジャンプ  フジテレビ 2016年12月7日放送
  13. ^ 「代表選手を魅了するドリブル理論。岡部将和がサッカーに革命を起こす。」Number Web、木崎伸也、2018年9月1日8時”. 2018年12月5日閲覧。
  14. ^ ジャンクSPORTS フジテレビ 2018年2月11日放送
  15. ^ News every. 日本テレビ 2017年4月19日放送
  16. ^ 「代表選手を魅了するドリブル理論。岡部将和がサッカーに革命を起こす。」Number Web、木崎伸也、2018年9月1日8時”. 2018年12月5日閲覧。
  17. ^ 「代表選手を魅了するドリブル理論。岡部将和がサッカーに革命を起こす。」Number Web、木崎伸也、2018年9月1日8時”. 2018年12月5日閲覧。
  18. ^ ドリブルデザイナー岡部将和オフィシャルWEBサイト”. 2018年12月6日閲覧。
  19. ^ 「あざみ野FC・OB列伝 その3」あざみ野FCホームページ、2010年7月30日”. 2018年12月5日閲覧。
  20. ^ 「誰にも止められないドリブルの極意 (前編)」NTT SBSP、2018年4月16日”. 2018年12月5日閲覧。
  21. ^ News every. 日本テレビ 2017年4月19日放送
  22. ^ 「誰にも止められないドリブルの極意 (後編)」NTT SBSP、2018年4月16日”. 2018年12月5日閲覧。
  23. ^ J SPORTS ABA青森毎日放送 2017年9月4日放送
  24. ^ 「誰にも止められないドリブルの極意 (前編)」NTT SBSP、2018年4月16日”. 2018年12月5日閲覧。
  25. ^ 「あのネイマールにも認められた男の驚愕のドリブル理論とは」EMIRA 2018年6月5日”. 2018月12月6日閲覧。
  26. ^ 「誰にも止められないドリブルの極意 (前編)」NTT SBSP、2018年4月16日”. 2018年12月5日閲覧。
  27. ^ 「ドリブルに勝機を見いだした男の果てない夢」東洋経済オンライン、瀬川泰祐、2018年6月14日10時”. 2018年12月5日閲覧。
  28. ^ 「ドリブルに勝機を見いだした男の果てない夢」東洋経済オンライン、瀬川泰祐、2018年6月14日10時”. 2018年12月5日閲覧。

外部リンク[編集]