富山競輪場

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富山競輪場
(ドリームスタジアムとやま)
富山競輪場(競輪場前駅方向より撮影)
地図
基本情報
所在地 富山県富山市岩瀬池田町8-2
座標 北緯36度45分26.1秒 東経137度14分5.4秒 / 北緯36.757250度 東経137.234833度 / 36.757250; 137.234833座標: 北緯36度45分26.1秒 東経137度14分5.4秒 / 北緯36.757250度 東経137.234833度 / 36.757250; 137.234833
電話投票 46#
開設 1951年昭和26年)4月3日
所有者 チャリ・ロト[1]
民間委託 株式会社JPF
施行者 富山市(商工労働部公営競技事務所)
走路 333m
開催期間 4月-11月(2021年は5月-11月)
重勝式投票 Kドリームス
公式サイト ドリームスタジアムとやま 富山競輪場公式サイト
実況
担当 池田孝宏(2023年9月まで)[2]
記念競輪
名称 瑞峰立山賞争奪戦
開催月 8月
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富山競輪場の位置(富山県内)
富山競輪場

富山競輪場(とやまけいりんじょう)は、富山県富山市岩瀬池田町にある競輪場。主催は富山市。競技実施はJKA中日本地区本部中部支部。愛称ドリームスタジアムとやま

施設所有者は株式会社桝田酒造店からチャリロトを運営する株式会社チャリ・ロトに変更されている[1]

概要[編集]

富山競輪場は1950年3月に着工し、1951年4月3日開設、4月6日に開場された[3](開設と同時に開場とならなかったのは、労働者の賃金の未払いで紛糾したため)。初日の入場者は3,000人で、男子18人女子6人の選手が出場した。また、第2レースで11,000円の大穴が発生した[4]

1978年4月13日にはバックスタンドを改築(この時点で施設は富山地所が保有)[5]1979年にはバンクの滑り止め工事などの補修および木造の施設の鉄骨化の改修を実施[6]1984年2月より車券発売業務の一部を機械化、場内テレビによるオッズ表示といった施設改善に踏み切り[7]1985年3月13日には、選手宿泊施設(1973年に建設)を改修した上で富山市に無償譲渡された[8]1990年1月から1991年4月20日には、取付道路やバンク補修、8車立てから9車立てへの改修、高性能緩衝フェンス設置、選手宿舎や控室の増築、駐車場の防犯カメラの設置といった大規模改修が行われた[9]1992年4月13日には、富山競輪会館が[10]2001年6月7日には、選手管理センターが[11]それぞれ竣工している。

寒冷地の競輪場であるため、本場での開催は春(3月除く)から秋にかけてのみ行なわれる[12](ただし場外発売は通年で実施)。

特別競輪は、GIの開催実績はないが、1995年1996年2001年2006年には『ふるさとダービー富山』が、2016年には共同通信社杯(いずれもGII)が開催された。

開設記念競輪GIII)は『瑞峰立山賞争奪戦』が開催され、優秀競走は富山県の名峰「剱岳」にちなんで『峻峰剱賞』の名称で行われる。なお記念競輪は近年8月に開催されているが、2017年は元の時期である6月に行われた。

マスコットキャラクターは「ライちゃん」(雷鳥をモチーフ)で、それにちなみ『raichan cup』も開催されている。

実況は2023年9月までは池田孝宏が担当していたが降板し、以降は三浦耕司が担当している。(尚、三浦がスケジュールの都合で担当できない際は藤澤宏己が担当する。)

トータリゼータシステムは2017年度までは日本トーターで、2018年度以降は日本ベンダーネットを採用していたが、2024年に再び機器更新し、日本トーターに戻った。

2010年度より株式会社JPFによる開催事務の包括委託が行われている[13][14]。また、同年8月13日より重勝式投票にあたるKドリームスの発売を開始した。ただし本場や場外売場では購入できず、会員制のネット販売に限定される。

2021年度の車券売上額は143億2210万円[15]

バンク[編集]

一周333mの短走路バンク。カント(最大33.41°)がややきつく風がバックストレッチで追い風となる為、逃げ先行の選手だけでなく捲り中心の自力選手にも有利である。地元選手によると、春先はフェーン現象による影響でバンクが軽くなり、良い上がりタイムが出ることがある模様[16]

特筆すべきところはセンター及びバックの走路が極度に狭い事である。1990年にバンク改修が行われたが、センターはあまり改良されず現在のようになった。一目見ると非常に扁平で押しつぶされた形になっていて、センター部ではカントの割に際立っており、番手競りをしている選手がバランスを誤り落車してしまう事が多い。あまりに多いため欠場選手の補充が足らず、最終日で6車立てのレースを開催したという主催者泣かせな所がある。また、このバンク改修が行われるまでホームの幅が狭いため危険防止のため、9車立てのレースを行わなかった時期もある。だが、バンク改修後はグレードレース開催が多く地方競輪場の中でも優良である。

バンク形状が国際的な自転車競技場に近い333バンク(海外の競技用ピストは最大でも333)であることから、2011年の伊豆ベロドローム(250mバンク)開場前を中心に世界選手権などへ派遣される選手の合宿等にもよく使われる。

なおバックスタンド裏は岩瀬浜と繋がった運河となっており、吹き込む海風に注意が必要となっている。

アクセス[編集]

歴代記念競輪優勝者[編集]

優勝者 登録地
2002年 小嶋敬二 石川
2003年 松本整 京都
2004年 小嶋敬二 石川
2005年 加藤慎平 岐阜
2007年 武田豊樹 茨城
2008年 石毛克幸 千葉
2009年 山賀雅仁
2010年 市田佳寿浩 福井
2011年[17] 五十嵐力
成田和也
神奈川
福島
2012年 渡邉一成 福島
2013年 長塚智広 茨城
2014年 金子貴志 愛知
2015年 南修二[18] 大阪
2017年 牛山貴広 茨城
2018年 浅井康太 三重
2019年 松浦悠士 広島
2020年 稲垣裕之 京都
2021年
2022年 松浦悠士 広島
2023年 郡司浩平 神奈川
2024年
※1節4日間制開催となった、2002年4月以降の歴代記念競輪優勝者を列記。

エピソード[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b “「チャリ・ロト」が富山競輪場の施設所有”. スポーツ報知. (2020年2月28日). https://hochi.news/articles/20200228-OHT1T50176.html 2020年4月5日閲覧。 
  2. ^ 【お知らせ】FMとやま(82.7MHz)にて、「ドリームスタジアムとやま」のラジオCMスタート!”. 富山競輪場公式サイト (2017年4月13日). 2020年4月5日閲覧。
  3. ^ 『北日本新聞』1951年4月2日付朝刊2面『あす富山競輪場開く 初レースは6日 素人競技も』より。
  4. ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第2巻』(1999年7月30日、北日本新聞社発行)61ページ。
  5. ^ 『富山市史 続年史〈上巻〉』(2015年3月20日、富山市発行)348ページ。
  6. ^ 『富山市史 続年史〈上巻〉』(2015年3月20日、富山市発行)350ページ。
  7. ^ 『富山市史 続年史〈上巻〉』(2015年3月20日、富山市発行)360ページ。
  8. ^ 『富山市史 続年史〈上巻〉』(2015年3月20日、富山市発行)361ページ。
  9. ^ 『富山市史 続年史〈上巻〉』(2015年3月20日、富山市発行)369、372ページ。
  10. ^ 『富山市史 続年史〈上巻〉』(2015年3月20日、富山市発行)374ページ。
  11. ^ 『富山市史 編年史<上巻>』(2015年3月20日、富山市発行)388ページ。
  12. ^ 現在は行っていないが、以前は12月にも開催を行った時もあった。
  13. ^ 富山競輪包括業務委託提案競技(公募型)の実施について”. 富山市商工労働部公営競技事務所 (2019年11月20日). 2020年4月5日閲覧。
  14. ^ 富山競輪包括業務委託業者選定委員会会議概要” (PDF). 富山市商工労働部公営競技事務所 (2019年11月7日). 2020年4月5日閲覧。
  15. ^ 15年ぶり140億円台 富山競輪、今年度の本場終了 ネット販売好調続く 北國新聞、2021年11月22日
  16. ^ a b “小堺浩二、前回の富山で42年ぶりにバンクレコード更新 再度のシャープな差し足に注目/京王閣”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2023年4月14日). https://www.nikkansports.com/public_race/news/202304140000589.html 2023年4月14日閲覧。 
  17. ^ 同着優勝
  18. ^ 1着で入線した山田英明佐賀)の失格による繰り上がり
  19. ^ 史上最高払戻金の記録更新について(4,495,120円) KEIRIN.JP 2003年9月8日
  20. ^ バンクレコード更新(富山競輪場)”. keirin.jp (2023年4月11日). 2023年4月11日閲覧。

外部リンク[編集]