長崎競輪場
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長崎競輪場 | |
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長崎競輪場跡 | |
基本情報 | |
所在地 | 長崎市松山町 |
開設 | 1949年 |
閉場 | 1967年 |
所有者 | 長崎市 |
施行者 | 長崎市 |
走路 | 333.3m |
長崎競輪場(ながさきけいりんじょう)は、かつて長崎県長崎市にあった市営の競輪場。
設置の経緯
[編集]1948年(昭和23年)に福岡県小倉市が第1回競輪を開始し好成績を上げたため、多くの地方自治体で競輪場設置運動が起こった。それに対し、政府は戦災都市に限り、全国20カ所の枠内で認可する旨を通達した。長崎市では長崎県自転車振興会に協力を求め、原爆の被害による市財政の窮乏を訴えた。その結果、全国で15番目、九州では小倉市、久留米市に次いで3番目の競輪場として登録を受けた。
沿革
[編集]- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)
- 1959年(昭和34年)12月23日 - 市議会、議員提出の競輪事業廃止に関する決議案を可決。
- 戦後15年で復興が進んできたことから、競輪場を継続する必要性がうすくなっていたことから。
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)9月25日 - 市議会、調査特別委員会の「1963年(昭和38年)3月31日廃止が適切」という報告を了承。
- しかし、市側は存続を決定。
- 1965年(昭和40年)
- 長崎市、自転車競技法の改正に伴い、予算計上の上、競輪場の改修整備を計画していたが、県から難色を示され、改修整備工事の施行を断念。
- 理由 - 競輪場が松山町の都市公園内(総合運動場建設予定地)に設けられており、都市公園内での競輪場の恒久的存続は都市公園法に抵触すると考えられたため。
- 長崎市、自転車競技法の改正に伴い、予算計上の上、競輪場の改修整備を計画していたが、県から難色を示され、改修整備工事の施行を断念。
- 1966年(昭和41年)
- 1967年(昭和42年)
競輪収益の用途
[編集]原爆の投下により、甚大な被害を受けた長崎市にとって、競輪の収益は戦後復興のため、学校建設資金や道路・橋梁等の公共事業費、福祉・清掃費用等に使用された。
跡地
[編集]現在は長崎市営ラグビー・サッカー場がある。
参考文献
[編集]- 市制百年 長崎年表 (1989年(平成元年)4月1日 長崎市役所)