定岡智秋

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定岡 智秋
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県鹿児島市
生年月日 (1953-06-17) 1953年6月17日(64歳)
身長
体重
182 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手遊撃手
プロ入り 1971年 ドラフト3位
初出場 1974年9月14日
最終出場 1987年7月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

定岡 智秋(さだおか ちあき、1953年6月17日[1] - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手内野手)。

定岡3兄弟の長男で、弟に定岡正二(元巨人投手)、定岡徹久(元広島日本ハム外野手)がいる。二男は定岡卓摩

経歴[編集]

鹿児島実業時代の1971年夏の甲子園県予選決勝に進出するが、鹿児島玉龍に惜敗、甲子園には出場できなかった。同年のドラフト3位で南海ホークスに入団[1]1975年には、シーズン途中で移籍した佐野嘉幸に代わりレギュラー遊撃手となる。1980年に初めて規定打席に到達(34位、打率.241)。打率は決して高くなかったが長打力もあり、強肩の遊撃手として、同じ兄弟選手であった河埜敬幸(兄:河埜和正巨人))とともに二遊間を形成[2]1970年代後半〜1980年代のチームを支えた。1983年にはフル出場を果たすも、翌年アキレス腱を断裂するとその後は出場数が激減し、1987年限りで現役引退。

その後は南海、ダイエーの守備・走塁コーチに就任。1991年からはスカウトに転じる。1993年に二軍コーチとして現場復帰し、1997年には一軍コーチに昇格、三塁コーチを務めた。2001年、二軍監督に就任。2003年フロント入り。2005年ソフトバンク野球振興部次長に就任も、2006年限りで退団した。

2007年より野球解説者となる。その傍ら、NPO法人ホークスジュニアアカデミーにてOBコーチを務める。

2008年四国アイランドリーグplus[3]高知ファイティングドッグス監督に就任[2]。現役時代に二遊間コンビを組んだ河埜敬幸は同リーグの長崎セインツの監督を務めており、指導者として相まみえることになった。監督となった最初のシーズンである2008年の前期はチームを3期ぶりのAクラスとなる2位に浮上させ、後期は優勝を逃したものの2位を確保した。一方河埜は成績不振を理由に前期終了後に契約を解除され、明暗が分かれた格好になった。2009年後期には就任2年目で初の半期優勝(後期)を達成。前期優勝の長崎セインツとのリーグチャンピオンシップにも勝利してチームを4年ぶりの年間総合優勝に導いた。さらに、群馬ダイヤモンドペガサスとのグランドチャンピオンシップに勝利し、独立リーグ日本一に輝いた。2011年以降はチームの成績はふるわず、2012年からは2年連続で最下位であった。2013年のシーズン終了後、退任が発表された[4]。2014年8月1日に九州総合スポーツカレッジのヘッドコーチに就任した[5]。2015年8月1日に柳ヶ浦高等学校野球部監督に就任した[6]

エピソード[編集]

現役時代は非常に強肩であることで知られ、オールスターの遠投大会では120m超を記録し、優勝したこともある。 制球力もよく、『筋肉番付』のストラックアウトでは、9枚中7枚という成績を収めている。

『ホークス ヒーロー列伝』(B・Bムック、2015年6月刊行)で受けたインタビューによると、1980年のオフに智秋・門田博光巨人の河埜和正・新浦壽丈との交換トレードが決まりかけたが、巨人の監督が長嶋茂雄から藤田元司に替わり「新浦は出せない」という方針となったために頓挫したという。もし実現していれば、巨人で定岡兄弟、南海で河埜兄弟がチームメイトとなっていたことになる。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1974 南海 15 42 37 4 10 0 0 2 16 6 0 0 0 0 4 0 1 12 0 .270 .357 .432 .790
1975 97 208 185 16 35 2 0 3 46 14 3 2 3 2 14 0 4 39 4 .189 .259 .249 .507
1976 123 372 340 37 81 13 3 7 121 39 4 5 11 3 15 0 3 70 4 .238 .274 .356 .630
1977 101 334 309 32 67 12 0 8 103 32 3 3 0 2 23 1 0 69 4 .217 .269 .333 .603
1978 111 388 352 30 80 12 1 3 103 33 3 4 4 7 19 1 6 75 6 .227 .273 .293 .566
1979 115 385 360 46 89 13 3 11 141 41 2 2 7 1 17 0 0 83 7 .247 .280 .392 .672
1980 114 414 373 46 90 14 1 13 145 42 5 4 11 1 28 1 1 83 8 .241 .295 .389 .684
1981 90 277 249 27 61 15 0 4 88 32 3 3 7 3 16 0 2 39 7 .245 .293 .353 .646
1982 127 446 394 34 85 13 0 13 137 48 2 4 12 6 27 1 7 77 13 .216 .274 .348 .622
1983 130 464 417 37 107 14 2 9 152 47 2 5 21 1 23 0 2 57 9 .257 .298 .365 .662
1984 33 118 104 11 23 0 1 7 46 15 0 0 6 0 7 0 1 21 0 .221 .277 .442 .719
1985 45 116 108 7 27 1 0 3 37 8 0 0 3 1 3 0 1 21 2 .250 .274 .343 .617
1986 80 134 124 12 25 4 1 5 46 10 0 1 4 0 6 1 0 30 4 .202 .238 .371 .609
1987 35 41 34 1 5 0 0 0 5 3 0 0 3 0 4 0 0 13 0 .147 .237 .147 .384
通算:14年 1216 3739 3386 340 785 113 12 88 1186 370 27 33 92 27 206 5 28 689 68 .232 .279 .350 .630
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録[編集]

背番号[編集]

  • 44 (1972年 - 1974年)
  • 37 (1975年)
  • 3 (1976年 - 1987年)
  • 86 (1988年)
  • 72 (1989年 - 1990年、1992年 - 1996年)
  • 82 (1997年 - 1999年、2008年 - 2013年)
  • 73 (2000年 - 2002年)

脚注[編集]

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  1. ^ a b 『'86プロ野球選手写真名鑑』、日刊スポーツ出版社、1986年4月、P126。
  2. ^ a b SPORTS COMMUNICATIONS - 第144回 高知・定岡智秋「心強い弘田コーチの存在」” (2012年2月21日). 2012年7月11日閲覧。
  3. ^ 定岡の就任した2008年から2010年までは四国・九州アイランドリーグ。
  4. ^ 高知FD 来季の監督、コーチ契約について - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2013年10月28日)
  5. ^ 定岡智秋氏ヘッドコーチ就任決定!!! - 九州総合スポーツカレッジ
  6. ^ 元南海の定岡氏、柳ケ浦監督に 8月1日から新チーム指揮 共同通信、2015年7月31日閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]