エディー・ジョーンズ (ラグビー指導者)

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エディー・ジョーンズ (2009年2月)

エディー・ジョーンズ英語: Eddie Jones, 1960年1月30日 - )は、オーストラリアタスマニア州バーニー出身のラグビーユニオンの元選手、指導者。ラグビーイングランド代表ヘッドコーチ(2015年12月 - )、ラグビー・フットボール・ユニオン所属(2015年12月 - )、ゴールドマン・サックス日本アドバイザリーボード(2016年1月 - )[1]

来歴[編集]

現役時代

現役時代のポジションはフッカー。身長173センチ、体重82キロ(公式発表)と大柄なフッカー選手が揃うオーストラリアラグビー界では小柄な体形であるが機敏な動きで活躍した。ニューサウスウェールズ州代表に選出された経歴を持つが、オーストラリア代表(ワラビーズ)に選出された経歴はない。1992年シーズンで現役生活から引退した。

マトラヴィル・ハイスクール在学時にはD・ノックス(ワラビーズ13キャップ)、エラ兄弟(マーク(ワラビーズ25キャップ)、ギャリー(ワラビーズ6キャップ)、グレン(ワラビーズ4キャップ))らと共にランドウィッククラブでプレーした。

シドニー大学体育学を専攻し1982年に卒業(学位は教育学士)。大学卒業後は教員となり高校で体育を教える。プロラグビーコーチ転身前の1994年はオーストラリアの高校で学校長を務めていた。日本人妻とはこの高校で知り合い結婚する。

東海大学ラグビー部監督 兼 日本代表スタッフ

1995年東海大学体育会ラグビーフットボール部の青森合宿に参加するため初来日。1996年に同部コーチに就任。ラグビー指導者としてのキャリアは日本が始発点となる。同年ラグビー日本代表フォワードコーチを兼任。

ブランビーズヘッドコーチ

1997年4月、サントリーサンゴリアスフォワードコーチに就任するも、スーパーラグビーACTブランビーズヘッドコーチに内定したため同年9月に移籍。ACTブランビーズとは4年契約を結び2001年までヘッドコーチを務める。2001シーズンにはスーパー12ファイナルで南アフリカのシャークスに36-6で勝利し初タイトルを獲得。オーストラリアのラグビーチームとしては初となるリーグ制覇を達成。この間の通算成績は28勝20敗。

1999年にオーストラリアン・バーバリアンズコーチを兼任。

オーストラリア代表ヘッドコーチ

2001年、ロッド・マックイーンの後任として、ノンキャップながらワラビーズのヘッドコーチに就任。代表キャプテンにジョージ・グレーガンを指名。2003年ワールドカップではワラビーズを決勝戦延長まで進めるもイングランド代表を前に17-20で敗北。オーストラリアラグビー協会とは2007年ワールドカップ終了までの契約を結んでいたが、2005年シーズンに9戦8敗と大きく負け越しこの年に代表ヘッドを更迭された。ワラビーズでの通算成績は57戦33勝23敗1分。2007年、レッズのヘッドコーチに就任するもチームは14チーム中14位に終わり、ジョーンズのコーチ業は終わったと酷評された。

南アフリカ代表スタッフ

2007年南アフリカ代表(スプリングボクス)のチームアドバイザーに就任し、2007年ワールドカップでのスプリングボクスの優勝に貢献。

サラセンズヘッドコーチ

2008-2009シーズンはサラセンズヘッドコーチ(12チーム9位)。

サントリーサンゴリアスGM 兼 ヘッドコーチ

2009-2010シーズンはジャパンラグビートップリーグのサントリーサンゴリアスGM、2010-2011シーズンはサントリーサンゴリアスGM 兼 ヘッドコーチを務め日本選手権優勝。2011- 2012シーズンはトップリーグ制覇と日本選手権優勝の2冠達成。外国人指導者としては初となるリーグ制覇を達成した。

日本代表ヘッドコーチ

2011年12月、ラグビー日本代表ヘッドコーチに内定。契約期間は2012年4月からラグビーワールドカップ2015終了後の12月31日まで。2012年4月に正式就任し、同年6月にウェールズ代表から初勝利をあげるなど日本チームの向上に貢献した。2013年10月に脳梗塞と診断され、一時入院した[2]

2015年8月25日、同年11月1日付けで日本代表ヘッドコーチを退任することが日本ラグビーフットボール協会より正式に発表される[3]

2015年9月21日スーパーラグビーに参戦するストーマーズヘッドコーチに内定[4][2]。契約期間は2018年シーズン終了までの2年。

2015年ラグビーワールドカップでは世界的な強豪チームである南アフリカ代表に勝利し24年ぶりにワールドカップ2勝目を勝ち取るなど4戦3勝1負の成績を残すも、ボーナスポイントの不足により予選プール敗退。日本代表HCとしては、通算成績44戦29勝15負。勝率66%。

林敏之はジョーンズについて「彼は小さい選手だったし、日本人とのハーフで、日本のことを理解している。それは大きいと思います。単なる外国人の指導者ではない」と評価している。一方で松尾雄司は「FWであれば日本のサイド攻撃を使ってもらいたい。モールからもそう。単調に出していてはだめだと思う」「BKはある程度、キックを使わないと強くはなれない」と注文を付けている[5]

イングランド代表ヘッドコーチ

2015年11月13日、ストーマーズヘッドコーチに正式に就任。正式就任前よりイングランド代表HCを退任したスチュワート・ランカスターの後任候補として注目され、同年11月20日、ラグビー・フットボール・ユニオンはジョーンズがストーマーズとの契約を解除し、イングランド代表ヘッドコーチに同年12月に就任と発表した[6]。契約期間は2019年シーズン終了までの4年契約。イングランド代表としては初となる外国人ヘッドコーチに就任。

人物[編集]

父はメルボルン出身のオーストラリア人、母は広島県をルーツに持つ日系アメリカ人2世のハーフ[7][8][9]で、エディー本人はクォーター(1/4)になる。妻は日本人[10]日本語教師で、娘が1人と姉が2人いる。

コーチング・チームマネージメント哲学[編集]

  • ジョーンズは日本代表のスケジュールを、怪我人の発生や天候不順による練習や試合の中止などを考慮して、常に変化するものと割り切っていた。それをジョーンズは「まず考えるべきは、スケジュールではなく、チームをどこに連れて行きたいか。つまり目的地だ」と表現してる[11]。その上でジョーンズは、2か月ごとの目標を立てて定期的にレビューを行うことで、達成したい目標を明確化している[12]
  • ジョーンズは体格やフィジカルを言い訳とすることを決して許さず、それらを問題にしたことも1度もない。ジョーンズはバレーボールでは男子よりも女子の方が成績で優れていることに注目しており、バレーボール男子はパワー勝負中心なのに対し、女子はスキルで勝てる要素も比較的大きいという点に着目しているのだろう、というのは関連書籍のライターによる分析である[13]
  • 2015年の時点では、日本社会にある特長がラグビーとリンクしていない、つまり日本には独自のラグビー文化と呼べるものが無いと指摘。同時に「ゲームの進め方まで礼儀正しく序列を重んじるばかりでは、その先の道を閉ざしてしまうことにもなる」と言い切っている。また「『ノーサイドの精神』だけでは足りないんだ。ラグビーをしている限り勝たなければいけないのだから」とも述べている。ジョーンズはそれらを踏まえた上で「"できない理由"を探すよりも、"何ができるのか"を考えるべきだよ」と話している[14]
  • 人の名前を覚えるのが苦手、妻の誕生日を忘れるなど、ジョーンズの記憶力は一概に高いとは言い切れない。しかしジョーンズは会話の中で具体的な数値を用いて説明することが多く、手元に資料がなくてもそうした説明を行うことができる。そんなジョーンズは「データの活用法は、チームによって変わる」と前置きした上で「チェックする項目は3つに絞る」としている[15]
  • 「練習というものは、逆算して計画されるべきもの。チームをどうやって勝たせるかを決めたら、そのための最善の方法、環境を事前に計画していく」という考えの持ち主。オーストラリア代表の監督を務め、ニュージーランド代表に手痛い負け方をした時、その翌日物凄く過酷な練習が始まるように匂わせておきながら、選手達を連れて行った先はゴーカート場。もしここでハードな練習をさせていたら敗戦で落ち込んでいた選手たちの気分をさらに落ち込ませていたかも知れなかった。気分転換させたことによって選手達はその翌日しっかりと練習し、翌週の南アフリカ戦はいい試合をしてくれた[16]
  • 1991年のワールドカップでオーストラリアを優勝させたヘッドコーチ、ボブ・ドゥワイヤーの影響を受けている。試合を分析し、ゲームの中でプレイが継続する時間を割り出す作業を行い、そこで割り出された時間に基づいて、30秒を5回、45秒を6回という具合に有酸素運動のトレーニングを組み立てる方式をジョーンズはそのまま取り入れている。実戦から逆算して練習を計画するジョーンズからすれば、ランパスや1分以上継続したアタック練習は「実戦的でない」と批判的に見られるものである[16]
  • データを見る前に自分の目でビデオをチェックし、その後にデータが上がってきたら自分が見たことがデータ化されているかどうかを確認するのがジョーンズの仕事の1つである[17]
  • 雨中の試合対策としてボディソープをボールに塗ってわざと滑りやすくしたり、ボールを大切に扱えるようにと生卵でパスを交換し合う練習を行ったり、ジムの室温を30度まで上げた上で選手達のジャージの下にゴミ袋を着せてハードトレーニングを行わせたりすることがああるが、これには心理的なアドバンテージを得る狙いもある[18]
  • 練習では監督である自身が最も重要な人物となって選手に影響を与えるという考えを持っているが、試合では自身が最も重要でない人物となるべきと考えている。そのため、前者の場合では最後にグラウンドに入り、後者の場合では最初にグラウンドに入る[19]
  • トップリーグチームを指揮する際はシーズンレビューを作成するが、改善点は最大でも3つに絞る。その理由は「人は3つまでしか覚えられないからだ」というものから[20]
  • 「選手の習慣やリズムに変化があったら、コーチは気にかけなければいけない」と言う考えの持ち主であり、ジョーンズはその考えの下で自身の高い観察能力を発揮してきた。2009年にサントリーのGMに就任したジョーンズは選手達を観察している間に選手間のコミュニケーションが希薄であることに気付き、コミュニケーションの増加のために食堂内での携帯電話の使用を禁止した[21]
  • 選手とコーチの間、あるいはアシスタントコーチとヘッドコーチの間などで、率直な話し合いに基づいて議論を重ね、一貫性のあるコーチングを行うことを重視する考えの持ち主。ジョーンズは「日本では、会議の後に、裏の会議がもう一つ開かれると聞いた時代もあった。向き合って、正直に話し合うべきだ」とこのことに就いて言葉を残している[22]
  • 「チームにとって特別な存在であり、他の選手にはできないパフォーマンスをする選手であれば、その選手には特別な措置をすべきだ」と考えている。実際、アンドリュー・ウォーカーというブランビーズの選手に対しては「家族を置いて、長期遠征には行けない」といウォーカーの希望を飲んで遠征に妻を帯同させることを許し、他にも通常は遠征中ジャンクフードの摂取が認められない中でマクドナルドでの食事を認めた。2014年10月にオーストラリア代表のカートリー・ビールがチームスタッフへ暴言を吐いた問題に関しては「彼はアボリジニだが、所属先のワラスタでは、何の問題もなく過ごしていた。ヘッドコーチのマイケル・チェカが、しっかり面倒をみていたからだ。一方ワラビーズ(オーストラリア代表チームの愛称)では、全くケアをされていなかったのだろう」とビールを擁護する立場をとった。山田章仁がアメリカンフットボールとラグビーの「二刀流」を行えたのも、ジョーンズの理解と考えによるという[23]
  • プロコーチは1年で勝てなければ次の契約はないという、ある意味では自分に厳しい考えを持つ[24]
  • 学生ラグビーで、試合前にロッカールームで大泣きしたり、試合中に「気持ち!気持ち!」という掛け声を上げたりして気持ちを高ぶらせることに関しては「ナンセンス。その"気持ち"なるものが試合でどのぐらい保てるか。5分か10分程度だろう」と切り捨てている。ジョーンズ曰く、精神状態の一貫性を保つには、ゲームですべきこと明確にしておく必要もあるという[25]

2015年ワールドカップイングランド大会[編集]

2013年11月から歴代最多連勝記録11を達成し、2013年6月のウェールズ戦や2014年6月のイタリア戦での初勝利など数々の実績を挙げていたが[26]、ジョーンズは「日本ラグビーを変えるにはW杯で勝つことがすべて。サッカーみたいにW杯で勝てないチームになりたくはない」とW杯での勝利に強いこだわりをみせていた[27]。ジョーンズは、日本独自のスタイル「ジャパン・ウェー」を掲げ、俊敏性、フィットネス、スタミナを生かした攻撃ラグビーを磨き上げた[28]。また、2014年12月にはジョゼップ・グアルディオラと会談し「ラグビーとサッカーはボールを常にスペースに運ぶということでとても似ている。そしてバイエルンとグアルディオラが以前率いていたバルセロナは、私たちが見てきた中で一番素晴らしいパスサッカーをしていた。その原理原則は同じなんだ」と語るなど、ワールドカップへ向けての準備を進めていた[29][30]

2015年9月19日、W杯イングランド大会の初戦で南アフリカと対戦したが、英国の大手ブックメーカー・ウィリアムヒルにおける事前の南ア勝利の倍率は1倍で、勝利は確定的とされていた[31]。しかし、試合は終了間際に途中出場のカーン・ヘスケスが逆転トライを挙げ34-32で勝利。勝利宣言してきたジョーンズも「本当に感慨深いとしか言いようがない。南アフリカを破るなんて、最後の結果が本当かどうかを疑った。選手たちは勇敢なんてもんじゃない」と語るほどのW杯史上最大のアップセットとなった[32]。続くスコットランド戦は中3日の日程などに苦しみ敗れたが、サモア戦・米国戦と連勝し、目指してきた8強進出は逃したもののW杯で3勝を挙げた[33]。なお、ジョーンズが掲げた「ジャパン・ウェー」は社会現象となり[34]、例えば自民党の農林部会長に内定した小泉進次郎は「ジャパン・ウエー」を応用し農業分野での仕事に取り組むなどとこの言葉を使用した[35]

出演[編集]

テレビ[編集]

書籍[編集]

  • 柴谷晋『ラグビー日本代表監督エディー・ジョーンズの言葉 世界で勝つための思想と戦略』(ベースボール・マガジン社、2015年)

CM[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「エディー・ジョーンズ氏、ゴールドマン・サックス日本アドバイザリーボードメンバーに就任」 Goldman Sachs Japan, 2015年11月27日
  2. ^ a b 名将エディー、ストーマーズHC就任正式決定ラグビーリパブリック、2015年09月22日
  3. ^ ラグビー日本代表に激震! ジョーンズHC、W杯終了後に退任決定。「私は新しいチャレンジをする」Yahoo News, 2015年8月25日
  4. ^ ジョーンズHC来期は南アのストーマーズ指揮
  5. ^ ベースボールマガジン社『ラグビー 戦後70年史』p9
  6. ^ http://www.bbc.com/sport/rugby-union/34864504
  7. ^ http://www.suntory.co.jp/culture-sports/sungoliath/spirits/0606-20.html
  8. ^ “後任候補に清宮氏浮上 日本代表エディーHCがW杯後の退任発表”. スポーツニッポン. (2015年8月26日). http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/08/26/kiji/K20150826011008250.html 2015年9月21日閲覧。 
  9. ^ “広島ゆかりの名伯楽|中国新聞アルファ”. 中国新聞. (2015年9月26日) 
  10. ^ “日本、強豪南ア破る ラグビーW杯、24年ぶり勝利”. 中日新聞. (2015年9月21日) 
  11. ^ 柴谷晋(2015)、p14-17
  12. ^ 柴谷晋(2015)、p18-21
  13. ^ 柴谷晋(2015)、p22-25
  14. ^ 柴谷晋(2015)、p30-34
  15. ^ 柴谷晋(2015)、p36-41
  16. ^ a b 柴谷晋(2015)、p42-47
  17. ^ 柴谷晋(2015)、p48-53
  18. ^ 柴谷晋(2015)、p54-57
  19. ^ 柴谷晋(2015)、p74-79
  20. ^ 柴谷晋(2015)、p80-83
  21. ^ 柴谷晋(2015)、p86-91
  22. ^ 柴谷晋(2015)、p106-109
  23. ^ 柴谷晋(2015)、p110-115
  24. ^ 柴谷晋(2015)、p128-131
  25. ^ 柴谷晋(2015)、p144-147
  26. ^ 日本代表 エディー・ジョーンズヘッドコーチ ラグビーワールドカップ2015終了後 ヘッドコーチ退任決定のお知らせ2015年8月25日
  27. ^ ラグビー・リポビタンDチャレンジカップ2014 日本26-23イタリア(21日・秩父宮) スポーツ報知 2014年6月23日
  28. ^ エディー革命 パスラグビーと無限スタミナで大金星日刊スポーツ 2015年9月21日
  29. ^ エディーHC、“ペップ”バイエルンのパスサッカーに学ぶsanspo 2014年12月9日
  30. ^ ペップ監督がエディージャパンに助言か…ラグビーW杯での勝利を後押しsoccerking 2014年12月9日
  31. ^ 南アの勝利「確定的」…日本勝利のオッズは「34倍」sanspo 2015年9月19日
  32. ^ 日本代表 ラスト勝負のワケ エディーHC「引き分け選ばなかった主将称えたい」スポニチ 2015年9月21日
  33. ^ 「南ア撃破は必然」 コメントで読む日本ラグビー快進撃 日本経済新聞 2015年10月15日
  34. ^ 【ラグビーW杯】世界の称賛呼んだ「ジャパン・ウェイ」東スポ 2015年10月13日
  35. ^ 小泉進次郎氏「ジャパン・ウエー」で農業にトライ日刊スポーツ 2015年10月21日
  36. ^ 日本は、日本の道を行け
  37. ^ 常識を覆せ! ~ラグビー日本代表 名将エディー・ジョーンズ~

外部リンク[編集]