日本ラグビーフットボール協会

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公益財団法人日本ラグビーフットボール協会
Japan Rugby Football Union
日本ラグビーフットボール協会 (2018年4月30日撮影)
日本ラグビーフットボール協会
(2018年4月30日撮影)
団体種類 公益財団法人
設立 2013年4月1日
所在地 東京都港区北青山二丁目8番35号
法人番号 2010405003181 ウィキデータを編集
起源 財団法人日本ラグビーフットボール協会
主要人物 彬子女王(名誉総裁)
森重隆(名誉会長)
土田雅人(会長)
岩渕健輔(専務理事)
活動地域 日本の旗 日本
活動内容 ラグビーユニオン競技の総括
基本財産 1億783万円(平成25年3月31日現在)
子団体 関東ラグビーフットボール協会
関西ラグビーフットボール協会
九州ラグビーフットボール協会
ウェブサイト https://www.rugby-japan.jp/
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日本ラグビーフットボール協会は秩父宮ラグビー場敷地内にある(2018年1月13日撮影)

公益財団法人日本ラグビーフットボール協会(にほんラグビーフットボールきょうかい、: Japan Rugby Football Union, 略称:JRFU)は、日本におけるラグビーラグビーユニオン)の高等学校大学ジャパンラグビートップリーグを総括している国内競技連盟。1926年11月に、それまで存在していた関東ラグビー蹴球協会(1924年設立)と西部ラグビー蹴球協会(1925年設立)を統合し発足[1]、1987年に国際ラグビー評議会(現:ワールドラグビー)に加盟した[2]

概要[編集]

協会本部は、東京都港区北青山の秩父宮ラグビー場内にある。旧所管は文部科学省

傘下団体として関東ラグビーフットボール協会関西ラグビーフットボール協会九州ラグビーフットボール協会の3支部協会があり、関東・関西・九州以外の地域については、北海道・東北・甲信越地域は関東ラグビーフットボール協会、東海・北陸と中国・四国地区は関西ラグビーフットボール協会の傘下に組み込まれて活動している。

放送局と放映権に関する契約を結んでいる[3]

主な主催大会[編集]

歴史[編集]

横浜 1874年

1926年11月30日に創立[4]2013年公益財団法人へと移行している。

歴代会長[編集]

  1. 高木喜寛(1928-1947)
  2. 田辺九萬三(1947-1955)
  3. 香山蕃(1955-1969)
  4. 湯川正夫(1969)
  5. 横山通夫(1969-1973)
  6. 椎名時四郎(1973-1979)
  7. 阿部譲(1979-1990)
  8. 磯田一郎(1990-1992)
  9. 川越藤一郎(1992-1994)
  10. 金野滋(1994-2001)
  11. 町井徹郎 (2001-2004)(代行:日比野弘(2004))
  12. 森喜朗 (2005-2015)
  13. 岡村正 (2015-2019)
  14. 森重隆 (2019-2022)
  15. 土田雅人(2022-)

現在の主な体制[編集]

2022年度・2023年度理事 26名(2022年6月26日発表)[5]。前会長の森重隆は名誉会長就任。その中から、7月20日に副会長5名と会計役1名を発表した[6]

役職 名前 肩書・その他の役職
会長 土田雅人 サントリーホールディングス­(株)常務執行役員 兼 サントリー酒類(株)専務執行役員
副会長(理事) 浅見敬子 ワールドラグビー理事、7人制女子日本代表ヘッドコーチ
副会長(理事) 清宮克幸 前 日本ラグビーフットボール協会副会長
副会長(理事) 水越豊 (株)ADKホールディングス社外取締役・監査等委員
副会長(理事) 山城泰介 前 日本ラグビーフットボール協会副会長
副会長(理事) 山本巧 防衛大学校教授
会計役(理事) 鈴木彰 前 日本ラグビーフットボール協会 理事・会計役
専務理事 岩渕健輔 日本ラグビー7人制代表総監督、元日本ラグビー15人制日本代表GM
理事 天野玲子 評論家、日本に健全な森をつくり直す委員会事務局長
理事 池口徳也 (株)ミスミ取締役副社長
理事 石井淳子 全日本柔道連盟 理事
理事 石原直子 (株)エクサウィザーズ、「はたらくAI&DX研究所」所長
理事 江田麻季子 インテル日本法人社長
理事 香川あかね 日本ラグビーフットボール協会
理事 木下康司 日本政策投資銀行会長
理事 久木元孝行 九州ラグビーフットボール協会理事長、ラグビーワールドカップ2019元地域担当
理事 齋木尚子 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事、(株)小松製作所取締役
理事 境田正樹 弁護士、東京大学理事、スポーツ庁スポーツ基本計画部会委員
理事 座間美都子 花王(株)人材開発部門D&I推進部長
理事 高木いづみ 弁護士
理事 玉塚元一 JAPAN RUGBY LEAGUE ONE理事長、ロッテホールディングス(株)代表取締役社長
理事 中村明彦 杉並区ラグビーフットボール協会会長、ラグビーワールドカップ2019元トーナメント・メディカル・ディレクター
理事 浜本剛志 関東ラグビーフットボール協会副会長、ラグビーワールドカップ2019元地域担当
理事 藤井雄一郎 男子15人制日本代表ナショナルチームディレクター、元サンウルブズGM
理事 松原忠利 兵庫県ラグビーフットボール協会副会長
理事 安田結子 ラッセル・レイノルズ・ アソシエイツ マネージング・ディレクター、村田製作所取締役、出光興産取締役


関連団体と組織構成[編集]

レフリー[編集]

A級から女子A級レフリーは日本協会が毎年度承認することでレフリー資格認定を受ける。またA級およびA1級は国際試合を含む、国内で行われる全ての試合のレフリーを担当可能となる[7]

現在のA級レフリー[編集]

2021年度時点[8]

男子A級[編集]

五十音順。太字は新規。

女子A級[編集]

公式マスコット[編集]

  • レンジー

歌舞伎演目の連獅子をモチーフにした親子ペア (白髪の「レン」と赤髪の「ジー」) で、2018年1月26日にラグビーワールドカップ2019日本大会のマスコットとして誕生。ともに顔はラグビーボール型となっている。

実績のあるデザイナー・制作チームなど計10組の指名コンペにて、50作品の応募があった。組織委職員の投票やワールドラグビーの意向などで決定した。

2020年8月24日からは日本ラグビーフットボール協会の公式マスコットとして、ラグビーの普及活動や日本代表戦などのイベントでの活動を予定している[9]

オフィシャルスポンサー・パートナー・サプライヤー[編集]

日本ラグビーフットボール協会が主催する各種大会(概ね各地の大学リーグ、日本代表、および2021年までの社会人リーグ[10]の開催会場において、広告幕を張り付けている。

日本代表トップパートナー[編集]

男子日本代表オフィシャルパートナー[編集]

女子日本代表オフィシャルパートナー[編集]

  • 太陽生命保険
  • セコム
  • カンタベリー・オブ・ニュージーランドジャパン

男子日本代表オフィシャルスポンサー[編集]

女子日本代表オフィシャルスポンサー[編集]

  • 三菱地所
  • 青南商事
  • アサヒビール(アサヒスーパードライ名義)

日本代表オフィシャルサポーター[編集]

日本代表サプライヤー[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 沿革|日本ラグビーフットボール協会
  2. ^ ワールドラグビーの日本ラグビーフットボール協会の情報ページ
  3. ^ 2020ムロオ関西大学ラグビーAリーグのYouTubeライブ配信中止のお知らせ . 関西ラグビーフットボール協会(2020年11月14日). 2020年11月15日閲覧。
  4. ^ 2015年11月30日放送 「ZIP!」内「きょう検定クライマーズ」
  5. ^ JRFU. “2022年度・2023年度理事決定のお知らせ|日本ラグビーフットボール協会|RUGBY:FOR ALL「ノーサイドの精神」を、日本へ、世界へ。” (日本語). www.rugby-japan.jp. 2022年6月27日閲覧。
  6. ^ JRFU. “2022 年度・2023 年度 副会長・会計役決定のお知らせ|日本ラグビーフットボール協会|RUGBY:FOR ALL「ノーサイドの精神」を、日本へ、世界へ。” (日本語). www.rugby-japan.jp. 2022年7月21日閲覧。
  7. ^ 審判(レフリー) . 日本ラグビーフットボール協会. 2020年12月27日閲覧。
  8. ^ 2021年度日本協会A級公認レフリーのお知らせ . 日本ラグビーフットボール協会(2021年10月21日). 2021年10月21日閲覧。
  9. ^ 日本ラグビー協会公式マスコット決定のお知らせ - RWC2019で活躍したレンジーが就任 - . 日本ラグビーフットボール協会(2020年8月24日). 2020年9月20日閲覧。
  10. ^ 2022年からのJAPAN RUGBY LEAGUE ONEでは、主催者が日ラ協から「一般社団法人ジャパンラグビー・リーグワン」に移ったこともあり、同法人のオフィシャルスポンサー・サプライヤーや、一部クラブでは各クラブの協賛社の広告幕が張られている。
  11. ^ 国立競技場 『国立競技場十年史』1969年、65頁。 

外部リンク[編集]