香山蕃

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香山 蕃(かやま しげる、1894年2月9日 - 1969年5月3日)は、日本ラグビーフットボール協会(以下、日本ラグビー協会)第3代会長、ラグビー日本代表初代監督。

来歴[編集]

京都府出身。京都府立一中卒業後4浪の末、第三高等学校(旧制高校、略称:三高)に入学。その3年後の1920年東京帝国大学政治学科に入学した。当初は陸上部に所属していたが、1921年11月、31人の同志とともに、学士ラガー倶楽部(現在の東京大学運動会ラグビー部)を創設。同月、YCACと部として初の試合を行い、さらに翌1922年1月、三高グランドに遠征し、京都帝国大学ラグビー部(現在の京都大学ラグビー部、以下 京都帝大)と初の対抗戦を行なった。

1924年1925年までイギリスに留学。帰国後の1925年11月、日本ラグビー蹴球協会(現在の日本ラグビーフットボール協会)の理事に就任する傍ら、京都帝大を指導。1927年度シーズン、京都帝大は東西学生ラグビーフットボール対抗王座決定戦早稲田大学を破って初の『全国制覇』を果たした。また1927年、大日本人造肥料(現在の日産化学工業)に入社。

1930年、カナダに遠征するため、ラグビー日本代表が初めて結成されたが、その初代監督に就任。1932年1月31日花園ラグビー場で行われたカナダ戦で、キャップ対象試合における初勝利をもたらした。その後1934年まで代表監督を務めた。

第二次世界大戦後となる1947年伊集院浩難波経一、岡田秀平ら、鹿島建設と共に東京ラグビー場(後の秩父宮ラグビー場)の建設に尽力。1955年、日本ラグビー協会第3代会長に就任した。1965年勲四等瑞宝章を叙勲。1969年5月3日、東京都大田区の自宅で死去した。75歳没。

参考文献[編集]