山本巌

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山本 巖(やまもと いわお、1947年2月27日 - )は、日本の元ラグビー選手及び同指導者。

プロフィール[編集]

来歴[編集]

新田高校を経て、早稲田大学(以下、早大)へ進む。

早大1年時に出場した、1966年1965年度)1月15日近鉄花園ラグビー場で行われた第3回日本ラグビーフットボール選手権大会(以下、日本選手権)において、9対9の同点で迎えたノーサイド寸前に、同大会連覇を狙う八幡製鐵が痛恨のペナルティを取られ、早大がペナルティ・キック(PK)を得た。キッカーを務めた山本はそれを決め、早大は初の日本一を手中にした。

早明戦は2年時より3年連続で出場。4年時には早大の主将を務めた。また、全国大学ラグビーフットボール選手権大会(大学選手権)でも1965年度1966年度において優勝を経験。

早大卒業後、リコーに入社。『和製オールブラックス』の異名を取り、大卒のスタープレーヤーばかりを集めたタレント軍団の一員として、全国社会人ラグビーフットボール大会(全国社会人大会)で3回、日本選手権で2回の優勝に貢献した。そして1973年カーディフで行われたウェールズ代表との一戦で、ラグビー日本代表(以下、日本代表)に選出されて出場し、キャップ1を獲得した。

現役引退後、日本代表監督を3回(1980年1982年1996年)、またチームが結成されたばかりだったサントリーの監督等を歴任した後、2007年より松山大学ラグビー部監督に就任した。

関連項目[編集]

参考文献[編集]