知葉友雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

知葉 友雄(ちば ともお、1905年6月2日 - 1974年4月13日)は、昭和初期の日本の元ラグビー選手。戦後は指導者としても活動した。

プロフィール[編集]

来歴[編集]

正則中等学校から明治大学へ進む。相撲部に在籍していたが北島忠治に誘われてラグビー部に入部。木元規矩男(後の九州ラグビー協会会長、RKB毎日放送副社長)とセカンドローを組み、活躍。4年連続で明早戦に出場し、1929年度には主将を務めた。1930年の日本代表カナダ遠征に明治大学ラグビー部初の日本代表として選出され22人のメンバー中で唯一7戦全戦に出場。ブリティッシュコロンビア州代表戦でキャップ1を獲得した。 大学卒業後は、朝鮮総督府鉄道に入社しプレーを継続。1934年主将兼監督に就任。独特のスパルタ指導により神宮大会で1939年1942年まで優勝する名門チームに育て上げた。

終戦後、朝鮮から引揚した知葉がアメ横でアイスクリーム製造業を初め、現役の明大ラグビー部員を雇ったのは有名な話である。

1949年日本大学ラグビー部の監督に就任。1955年関東大学ラグビー対抗戦を制し、同大学に初の関東一をもたらした。その後、1959年に日本代表監督を務めた。

参考文献及び出典[編集]

  • 『ザ・ワールドラグビー』 (大友信彦 編、新潮社ISBN 4104627011)の39ページ
  • 『ラグビー 早明戦80年』 (ベースボール・マガジン社ISBN 4583613016)の50ページ
  • 『ラグビーフットボール1961年』(日本ラグビー協会)の22ページ
  • 『鮮鉄ラグビー史』(元鮮鉄ラグビー部)
  • 『ラグビー 戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)の38ページから39ページ

エピソード[編集]

関連項目[編集]