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新ヘッドコーチ就任
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'''デンヴァー・ブロンコス''' ('''Denver Broncos''') は、[[コロラド州]][[デンバー|デンヴァー]]に本拠地を置くプロ・[[アメリカンフットボール]] ([[NFL]]) チームである。アメリカンフットボール・カンファレンス西地区所属。チャンピオンシップに出場するたび飛び抜けた強豪と対戦したことはよく知られており、日本ファンにも「出るたびに相手がとんでもなかったブロンコス」とて記憶されて
'''デンー・ブロンコス''' (Denver Broncos) は、[[コロラド州]][[デンバー]]に本拠地を置くプロ・[[アメリカンフットボール]] ([[NFL]]) チームである。[[アメリカンフットボール・カンファレンス]]西地区所属。愛称のブロンコスは西部の荒々しいイメージから


== 歴史 ==
:'''創設''':[[1960年]]
1960年に[[アメリカン・フットボール・リーグ|AFL]]の一員としてチームが創設された。同年9月9日に行われた[[ニューイングランド・ペイトリオッツ|ボストン・ペイトリオッツ]]戦で13-10と初勝利をあげた。1967年8月5日に行われた[[デトロイト・ライオンズ]]とのプレシーズンゲームで13-7と初めてNFLのチーム相手に勝利をあげた.<ref name="profootballhof1">{{cite web|url=http://www.profootballhof.com/history/team.jsp?franchise_id=10 |title=Team - Pro Football Hall of Fame |publisher=Profootballhof.com |date= |accessdate=2009年1月12日}}</ref>。1960年代の成績は39勝97敗4分と大きく負け越していた<ref>{{cite web|url=http://www.conigliofamily.com/Broncos.htm |title=Denver Broncos: American Football League Charter Members|work=Conigliofamily.com |date= |accessdate=2009年1月12日}}</ref>。チームの最初のスーパースターは1967年に加入した[[フロイド・リトル]]である。
:'''本拠地''':[[インベスコ・フィールド・アット・マイル・ハイ]] (2001-)

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チーム創設後13年目の1973年に初めて勝ち越しでシーズンを終えた。AFLに所属したチームの中でブロンコスだけがプレーオフ出場を果たしていなかった<ref>{{cite web|url=http://www.pro-football-reference.com/teams/den/ |title=Denver Broncos Team Encyclopedia |work=Pro-football-reference.com |date= |accessdate=2009年1月12日}}</ref>。1965年には[[フランチャイズ]]を失うおそれもあったが地元のオーナーグループによってチームの再建が図られた<ref>{{cite web|url=http://www.nflteamhistory.com/nfl_teams/denver_broncos/team_history.html |title=Denver Broncos Team History |work=Nflteamhistory.com |date= |accessdate=2009年1月12日}}</ref>。
:'''愛称の由来''':西部の荒々しいイメージから

[[レッド・ミラー]]がヘッドコーチに就任した1977年、[[オレンジ・クラッシュ・ディフェンス]]、その年加入したベテラン[[クォーターバック|QB]]の[[クレイグ・モートン]]の活躍でプレーオフに初出場を果たし[[第12回スーパーボウル]]まで勝ち上がったが[[ダラス・カウボーイズ]]に10-27で敗れた)<ref>{{cite web|url=http://www.pro-football-reference.com/teams/den/1977.htm |title=1977 Denver Broncos Statistics |work=Pro-football-reference.com |date= |accessdate=2009年1月12日}}</ref>。

1983年のNFLドラフトで全体1位で[[インディアナポリス・コルツ|ボルチモア・コルツ]]に指名された[[ジョン・エルウェイ]]がコルツに入団を拒否、ブロンコスはQBの[[マーク・ヘルマン]]、オフェンスラインの[[クリス・ヒントン]]、翌1984年のドラフト1巡目指名権と引き換えにエルウェイを獲得した<ref>{{cite web|url=http://www.sportingnews.com/archives/elway/timeline.html |title=John Elway Timeline |work=Sportingnews.com |date= |accessdate=2009年1月12日}}</ref>。チームはそれまでの23年間で24人ものQBを起用するなど安定したQBを得ることができないでいた.<ref>{{cite web|url=http://www.football.com/nfl/denverbroncos/index.html |title=Denver Broncos |work=Football.com |date= |accessdate=2009年1月12日}}</ref>。エルウェイはチームを5回スーパーボウルに出場させ[[第21回スーパーボウル]]では[[ニューヨーク・ジャイアンツ]]に20-39、[[第22回スーパーボウル]]では[[ワシントン・レッドスキンズ]]に10-42、[[第24回スーパーボウル]]では[[サンフランシスコ・フォーティナイナーズ]]に10-55と敗れたが1995年に[[マイク・シャナハン]]がヘッドコーチに就任し、[[ランニングバック|RB]]の[[テレル・デービス]]がチームに加入した後、[[第32回スーパーボウル]]で[[グリーンベイ・パッカーズ]]を31-24と破り初優勝を果たした。この試合エルウェイはパス22回中12本の成功、0TD、1INTと不調であった(ただしTDランを決めている)がテレル・デービスが157ヤードを走りスーパーボウル記録の3TDをあげてMVPに選ばれた。翌年の[[第33回スーパーボウル]]では長年ブロンコスのヘッドコーチをつとめエルウェイを指導していた[[ダン・リーブス]]率いる[[アトランタ・ファルコンズ]]を34-19と破りスーパーボウル連覇を達成した。エルウェイはこの試合でパスで336ヤードを獲得、[[ロッド・スミス]]への80ヤードPのTDパス、TDランも決めてMVPに選ばれた。エルウェイはこのシーズンで現役を引退した。

エルウェイが引退した1998年以降もチームが負け越したのはわずか2回(1999年、2007年)で地区優勝1回(2005年)、ワイルドカードでのプレーオフ出場3回(2000年、2003年、2004年)と良い成績をあげているがそのうちプレーオフで勝ち星をあげたのは2005年のわずか1回となっている。チームはシーズン序盤は好成績をあげるが終盤失速するといった傾向があり2003年、2004年は5勝1敗と好スタートをきりながらいずれも10勝6敗で終えた。2005年には13勝3敗でプレーオフ第2シードを獲得しスーパーボウル3連覇を目指すニューイングランド・ペイトリオッツを27-13と破りペイトリオッツのプレーオフ連勝記録を10で止めたがホームで行なわれた[[ピッツバーグ・スティーラーズ]]との[[AFCチャンピオンシップゲーム]]を17-34と落としスーパーボウル出場は果たせなかった。

2006年には守備陣が相手のオフェンスに開幕から5試合でわずか1TDしか許さず7勝2敗と好成績をあげていたがその後連敗するとシャナハンは先発QBを[[ジェイク・プラマー]]から[[ジェイ・カトラー]]に変えその後2勝3敗、シーズンを9勝7敗で終えた。2007年1月1日には[[コーナーバック|CB]]の[[ダレント・ウィリアムズ]]が射殺されて亡くなった<ref>{{cite web|url=http://www.afpbb.com/article/sports/nfl/2161876/1206435 |title=ブロンコスのダレント・ウィリアムズが射殺される |work=[[AFP]]国際ニュース |date=2007年01月01日 23:52 |accessdate=2009年1月12日}}</ref>。

2007年シーズンはロッド・スミスや[[トム・ネイレン]]、[[ベン・ハミルトン]]など故障者が続出し7勝9敗に終わった。

2008年シーズンはシーズン最終節の[[サンディエゴ・チャージャーズ]]との地区優勝をかけた試合に敗れこれがシャナハンヘッドコーチの最後の試合となった。2009年1月11日、ニューイングランド・ペイトリオッツのオフェンスコーディネーター、[[ジョシュ・マクダニエルズ]]が新ヘッドコーチに就任した。

== ホームスタジアムでの応援 ==
1970年のAFLとNFLの合併以来チケットの完売が続いている。チケットが売れ残ったのは1987年シーズンの[[ストライキ]]の際に代替選手によって行なわれた2試合のみである(ストライキ前にはいったん完売していた。)。ブロンコスの[[ホームコートアドバンテージ|ホームフィールドアドバンテージ]]はNFL随一で1974年から2006年までの32年間ほどで191勝65敗1分である。以前の[[マイル・ハイ・スタジアム]]のクラウドノイズはNFLのスタジアムの中でも最も騒がしい本拠地の1つとしてブロンコスを後押しした。2001年からインヴェスコ・フィールド・アット・マイルハイを本拠地としている。


== 主な選手 ==
=== 殿堂入り選手 ===
* 7 ジョン・エルウェイ
* 24 [[ウィリー・ブラウン]]
* 33 [[トニー・ドーセット]]
* 65 [[ゲイリー・ジマーマン]]

=== 永久欠番 ===
* 7 ジョン・エルウェイ
* 18 フランク・トリプカ
* 44 フロイド・リトル


== 歴代ヘッドコーチ ==
== 歴代ヘッドコーチ ==
* フランク・フィルコック (1960-1961)
* [[フランク・フィルコック]] (1960-1961)
* ジャック・フォークナー (1962-1964)
* [[ジャック・フォークナー]] (1962-1964)
* マック・スピーディ (1964-1966)
* [[マック・スピーディ]] (1964-1966)
* レイ・マラヴェシ (1966)
* [[レイ・マラヴェシ]] (1966)
* ルー・セイバン (1967-1971)
* [[ルー・セイバン]] (1967-1971)
* ジェリー・スミス (1971)
* [[ジェリー・スミス]] (1971)
* ジョン・ラルストン (1972-1976)
* [[ジョン・ラルストン]] (1972-1976)
* ボブ "Red" ミラー (1977-1980)
* レッド・ミラー (1977-1980)
* ダン・リーブス (1981-1992)
* ダン・リーブス (1981-1992)
* ウェイド・フィリップス (1993-1994)
* [[ウェイド・フィリップス]] (1993-1994)
* [[マイク・シャナハン]] (1995-2008)
* マイク・シャナハン (1995-2008)
* ジョシュ・マクダニエルズ (2009-)
* ジョシュ・マクダニエルズ (2009-)

== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.denverbroncos.com/ デンヴァー・ブロンコス公式サイト]
* [http://www.denverbroncos.com/ デンー・ブロンコス公式サイト]
* [http://www.nfljapan.com/team/profile/den.html デンバー・ブロンコス] (NFL JAPAN)


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2009年1月13日 (火) 17:35時点における版

デンヴァー・ブロンコス
創設 1960年
所属地区

AFC西地区

チームデザイン
チームロゴ
精悍な白馬の横顔(以前はDの中に鼻息の荒い白馬)
チームカラー
オレンジ、ブロンコズネイヴィブルー、白
ユニフォーム
{{{ユニフォーム}}}
ホームタウン

デンヴァー(コロラド州)

インヴェスコ・フィールド・アット・マイルハイ

永久欠番

{{{永久欠番}}}

獲得タイトル
スーパーボウル・チャンピオン ({{{SB回}}}回)
カンファレンス・チャンピオン ({{{CC回}}}回)
地区優勝 ({{{DC回}}}回)
ワイルドカード
球団組織
オーナー
GM
ヘッドコーチ ジョシュ・マクダニエルズ (2009-)

デンバー・ブロンコス (Denver Broncos) は、コロラド州デンバーに本拠地を置くプロ・アメリカンフットボール (NFL) チームである。アメリカン・フットボール・カンファレンス西地区所属。愛称のブロンコスは西部の荒々しいイメージから。

歴史

1960年にAFLの一員としてチームが創設された。同年9月9日に行われたボストン・ペイトリオッツ戦で13-10と初勝利をあげた。1967年8月5日に行われたデトロイト・ライオンズとのプレシーズンゲームで13-7と初めてNFLのチーム相手に勝利をあげた.[1]。1960年代の成績は39勝97敗4分と大きく負け越していた[2]。チームの最初のスーパースターは1967年に加入したフロイド・リトルである。

チーム創設後13年目の1973年に初めて勝ち越しでシーズンを終えた。AFLに所属したチームの中でブロンコスだけがプレーオフ出場を果たしていなかった[3]。1965年にはフランチャイズを失うおそれもあったが地元のオーナーグループによってチームの再建が図られた[4]

レッド・ミラーがヘッドコーチに就任した1977年、オレンジ・クラッシュ・ディフェンス、その年加入したベテランQBクレイグ・モートンの活躍でプレーオフに初出場を果たし第12回スーパーボウルまで勝ち上がったがダラス・カウボーイズに10-27で敗れた)[5]

1983年のNFLドラフトで全体1位でボルチモア・コルツに指名されたジョン・エルウェイがコルツに入団を拒否、ブロンコスはQBのマーク・ヘルマン、オフェンスラインのクリス・ヒントン、翌1984年のドラフト1巡目指名権と引き換えにエルウェイを獲得した[6]。チームはそれまでの23年間で24人ものQBを起用するなど安定したQBを得ることができないでいた.[7]。エルウェイはチームを5回スーパーボウルに出場させ第21回スーパーボウルではニューヨーク・ジャイアンツに20-39、第22回スーパーボウルではワシントン・レッドスキンズに10-42、第24回スーパーボウルではサンフランシスコ・フォーティナイナーズに10-55と敗れたが1995年にマイク・シャナハンがヘッドコーチに就任し、RBテレル・デービスがチームに加入した後、第32回スーパーボウルグリーンベイ・パッカーズを31-24と破り初優勝を果たした。この試合エルウェイはパス22回中12本の成功、0TD、1INTと不調であった(ただしTDランを決めている)がテレル・デービスが157ヤードを走りスーパーボウル記録の3TDをあげてMVPに選ばれた。翌年の第33回スーパーボウルでは長年ブロンコスのヘッドコーチをつとめエルウェイを指導していたダン・リーブス率いるアトランタ・ファルコンズを34-19と破りスーパーボウル連覇を達成した。エルウェイはこの試合でパスで336ヤードを獲得、ロッド・スミスへの80ヤードPのTDパス、TDランも決めてMVPに選ばれた。エルウェイはこのシーズンで現役を引退した。

エルウェイが引退した1998年以降もチームが負け越したのはわずか2回(1999年、2007年)で地区優勝1回(2005年)、ワイルドカードでのプレーオフ出場3回(2000年、2003年、2004年)と良い成績をあげているがそのうちプレーオフで勝ち星をあげたのは2005年のわずか1回となっている。チームはシーズン序盤は好成績をあげるが終盤失速するといった傾向があり2003年、2004年は5勝1敗と好スタートをきりながらいずれも10勝6敗で終えた。2005年には13勝3敗でプレーオフ第2シードを獲得しスーパーボウル3連覇を目指すニューイングランド・ペイトリオッツを27-13と破りペイトリオッツのプレーオフ連勝記録を10で止めたがホームで行なわれたピッツバーグ・スティーラーズとのAFCチャンピオンシップゲームを17-34と落としスーパーボウル出場は果たせなかった。

2006年には守備陣が相手のオフェンスに開幕から5試合でわずか1TDしか許さず7勝2敗と好成績をあげていたがその後連敗するとシャナハンは先発QBをジェイク・プラマーからジェイ・カトラーに変えその後2勝3敗、シーズンを9勝7敗で終えた。2007年1月1日にはCBダレント・ウィリアムズが射殺されて亡くなった[8]

2007年シーズンはロッド・スミスやトム・ネイレンベン・ハミルトンなど故障者が続出し7勝9敗に終わった。

2008年シーズンはシーズン最終節のサンディエゴ・チャージャーズとの地区優勝をかけた試合に敗れこれがシャナハンヘッドコーチの最後の試合となった。2009年1月11日、ニューイングランド・ペイトリオッツのオフェンスコーディネーター、ジョシュ・マクダニエルズが新ヘッドコーチに就任した。

ホームスタジアムでの応援

1970年のAFLとNFLの合併以来チケットの完売が続いている。チケットが売れ残ったのは1987年シーズンのストライキの際に代替選手によって行なわれた2試合のみである(ストライキ前にはいったん完売していた。)。ブロンコスのホームフィールドアドバンテージはNFL随一で1974年から2006年までの32年間ほどで191勝65敗1分である。以前のマイル・ハイ・スタジアムのクラウドノイズはNFLのスタジアムの中でも最も騒がしい本拠地の1つとしてブロンコスを後押しした。2001年からインヴェスコ・フィールド・アット・マイルハイを本拠地としている。


主な選手

殿堂入り選手

永久欠番

  • 7 ジョン・エルウェイ
  • 18 フランク・トリプカ
  • 44 フロイド・リトル

歴代ヘッドコーチ

脚注

  1. ^ Team - Pro Football Hall of Fame”. Profootballhof.com. 2009年1月12日閲覧。
  2. ^ Denver Broncos: American Football League Charter Members”. Conigliofamily.com. 2009年1月12日閲覧。
  3. ^ Denver Broncos Team Encyclopedia”. Pro-football-reference.com. 2009年1月12日閲覧。
  4. ^ Denver Broncos Team History”. Nflteamhistory.com. 2009年1月12日閲覧。
  5. ^ 1977 Denver Broncos Statistics”. Pro-football-reference.com. 2009年1月12日閲覧。
  6. ^ John Elway Timeline”. Sportingnews.com. 2009年1月12日閲覧。
  7. ^ Denver Broncos”. Football.com. 2009年1月12日閲覧。
  8. ^ ブロンコスのダレント・ウィリアムズが射殺される”. AFP国際ニュース (2007年01月01日 23:52). 2009年1月12日閲覧。

外部リンク