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轟夕起子

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とどろき ゆきこ
轟 夕起子
本名 西山 都留子
にしやま つるこ
生年月日 (1917-09-11) 1917年9月11日
没年月日 (1967-05-11) 1967年5月11日(49歳没)
出生地 日本の旗 日本東京府東京市麻布区新堀町
死没地 日本の旗 日本東京都北多摩郡狛江町(現:狛江市
民族 日本人
職業 女優
ジャンル 映画
活動期間 1937年 - 1967年
著名な家族 長男:マキノ正幸
孫:牧野アンナ
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轟 夕起子(とどろき ゆきこ、1917年9月11日 - 1967年5月11日)は日本の女優。本名は西山 都留子(にしやま つるこ)。芸名は「轟夕紀子」とも。宝塚少女歌劇団の娘役としても活躍。宝塚での愛称は本名の都留子より、トルコ東京市麻布区新堀町出身。映画監督のマキノ雅弘島耕二は元夫。沖縄アクターズスクール校長 マキノ正幸は息子。牧野アンナ(元スーパーモンキーズ)は孫。 身長160cm。

来歴・人物

1931年京都府立第二高等女学校を中退し、宝塚少女歌劇団に入団。宝塚歌劇団20期生。娘役として活躍する。同期生に初代・糸井しだれ、水間扶美子(退団後は服部富子)、打吹美砂(入団時は打吹たもと)らがいる。日本的な美しさが人気を集め、娘役トップスターとなる。1937年、宝塚少女歌劇団退団と同時に日活作品『宮本武蔵 地の巻』のお通役で映画デビュー。この背景には東宝長谷川一夫引き抜きに対する既存4社(松竹、日活、新興キネマ大都映画)の意趣返しがあったという。『江戸の荒鷲』(1937年)の撮影中に失明騒ぎを起こしたことがきっかけで当時日活の監督だったマキノ正博(当時はこの名前)と出会い、1940年に結婚する。同年・長男正幸誕生。

1942年映画統制により、日活の製作部門は大映に統合されるが、彼女は大映には加わらず夫マキノ正博の所属している東宝へ移籍する。1943年黒澤明の監督デビュー作『姿三四郎』のヒロイン小夜役で人気を集める。同年「ハナ子さん」主題歌、「お使ひは自転車に乗って」がヒットしている。 戦後フリーとなるがマキノとの離婚(1950年)、島耕二との再婚(1953年)、離婚(1965年)を繰り返すなど私生活は波乱万丈であった。戦後は加齢によって肥満するなど容姿に変化が出てきたことや、時代の流れで新しいスターが次々に出て来たこともあり、脇役に転身。昭和30年以降は日活と専属契約を結び、40本を超える映画へ出演。シリアスからコメディまでこなせる性格俳優として活躍し、晩年は男の紋章シリーズ(1963-1966年)で高橋英樹の母親役を演じ、当たり役となった。1967年5月11日午後5時15分、北多摩郡狛江町(現在の狛江市)の東京慈恵会医科大学附属第三病院で閉塞性黄疸のため死去。49歳の若さであった。

主な出演

宝塚時代の主な舞台出演

  • 「巴里ニューヨーク」(月組、1933年2月1日 - 2月28日、宝塚大劇場白井鐵造・作)
  • 「ロマンス・オリエンタル」(雪組、1933年8月1日 - 8月20日、中劇場小西昌三・作)
  • 「古城の鐘」(月組、1934年9月1日 - 9月30日、宝塚大劇場、宇津秀男・作)
  • 「青春」(月組、1934年11月1日 - 11月30日、宝塚大劇場、堀正旗吉富一朗・作)
  • 「モオンブルウメン」(月組、1935年6月1日 - 6月30日、宝塚大劇場、堀正旗・吉富一朗・作)
  • 「七日公爵/宝塚むすめ祭」(月組、1935年9月25日 - 10月31日、宝塚大劇場)
  • 「ミュージック・アルバム」(1936年、宝塚大劇場、白井鐵造・作)
  • 「気まぐれジュリア」(月組、1936年3月10日 - 3月25日、中劇場、東郷静男・作)
  • 「になひ文」(月組、1936年、水田茂・作)
  • 「モンテクリスト伯爵」(月組、1936年6月1日 - 6月30日、宝塚大劇場、中西武夫・作)
  • 「牡丹書譜/若き日のハイネ」(月組、1936年7月10日 - 7月26日、中劇場)
  • 「プリマ・ドンナ」(花組、1937年2月1日 - 2月28日、宝塚大劇場、堀正旗・作)
  • 「シャンソン・ド・パリ/チョコレート中尉」(花組、1937年3月7日 - 3月21日、中劇場)

映画

ファイル:Sayo and sugata.png
『姿三四郎』で藤田進

バラエティー番組

NHK紅白歌合戦出場歴

  • 第2回(1952年1月3日、NHK東京放送会館第一スタジオ)『お使いは自転車に乗って』(『腰抜け二挺拳銃』の説もあり)

関連項目

外部リンク