西川将人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。WCCbot (会話 | 投稿記録) による 2016年3月25日 (金) 12:52個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (WP:BOTREQ#民主党 (日本 1998-2016)の改名に基づくリンク変更依頼 (oldid=59086345)による)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

西川将人
にしかわ まさひと
生年月日 (1968-11-07) 1968年11月7日(55歳)
出生地 日本の旗 北海道旭川市
出身校 北海道大学工学部
前職 日本航空操縦士
所属政党 無所属
称号 工学士
配偶者
公式サイト 西川まさひと公式ホームページ

第9代 北海道旭川市長
当選回数 3回
在任期間 2006年 - 現職
テンプレートを表示

西川将人(にしかわ まさひと、1968年11月7日 - )は、日本政治家北海道旭川市長(第6代)。

来歴

北海道旭川市生まれ。北海道旭川東高等学校北海道大学工学部卒業。大学卒業後、日本航空に入社する。アメリカカリフォルニア州ナパでの2年間の航空訓練を経て、主に欧州路線に乗務した。1999年自由党の候補者公募(Lカデット)に応募し、合格したため日本航空を退社した。

2000年第42回衆議院議員総選挙に自由党公認で北海道第6区から出馬したが、落選。2001年第19回参議院議員通常選挙にも自由党公認で北海道選挙区から出馬したが、再び落選した。2003年民由合併により自由党は民主党に合流したが、西川は一旦自由党を離れ、民主党には加わらなかった。北海道6区には民主党現職の佐々木秀典がおり、現職の公認が優先されたため、西川は2003年第43回衆議院議員総選挙では公認を得られず、やむなく無所属で北海道6区から出馬したが、自由民主党今津寛、民主党の佐々木に次ぐ3位で落選した(今津が当選し、佐々木も比例復活)。この時、党執行部からは北海道第11区第12区への鞍替えを提案されたが、固辞した。民主党には総選挙後に入党した。2004年第20回参議院議員通常選挙では、民主党は北海道選挙区で2議席独占を目論み、現職の峰崎直樹、西川の2人を擁立する。西川には連合をはじめ労働組合組織票もなく、また出馬表明も遅れたため「犠牲フライ候補」の印象が強かったが、選挙戦では先行する峰崎や自民党の中川義雄を猛追。票数では2位当選の峰崎に6万6千票差まで迫るも、落選した。翌2005年第44回衆議院議員総選挙では北海道6区の佐々木秀典が引退を表明し、後継に西川の名前が挙がるも、士別市選出の北海道議会議員・佐々木隆博が公認され、西川は比例北海道ブロック単独で出馬して佐々木の応援に回ったが落選した。

2006年、民主党を離党し、無所属旭川市長選挙への出馬を表明。当初、労組の勢力が強い旭川では、自由党出身の西川に対する「小沢アレルギー」の存在が憂慮されたが、内閣官房長官建設大臣、旭川市長を歴任した旧日本社会党五十嵐広三の尽力もあり、旭川市の民主党支持層を固めた。また、保守勢力が候補を一本化できず分裂選挙に陥る「敵失」もあり、新人5人が立候補した混戦を制して初当選する。旭川市長選挙で非自民系の候補が当選するのは、実に28年ぶりであった。市長就任時の年齢は38歳で北海道の首長の中では最も若く、中核市の中でも当時は最年少であった。2010年、旭川市長再選。2014年11月には任期を修了するも、同年、立候補者である東国幹を破り当選し、旭川市長として3期目を担っている。

人物

外部リンク

先代
菅原功一
北海道旭川市長
公選第9代:2006年 -
次代
(現職)