稲荷神

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稲荷神(いなりのかみ、いなりしん)は、日本におけるの1つ。稲荷大明神(いなりだいみょうじん)ともいい、お稲荷様お稲荷さんとも呼ばれる。

概要

稲荷神を祀る神社稲荷神社(いなりじんじゃ)と呼ぶ。京都市伏見区にある伏見稲荷大社が日本各所にある神道上の稲荷神社の総本社となっている。朱い鳥居と、神使の白いがシンボルとなっている神社として、広く知られている[1]。「稲荷」と表記するのが基本だが、「稲生」や「稲成」とする神社も存在する[2]

稲荷神(稲荷大神、稲荷大明神)は、山城国稲荷山(伊奈利山)、すなわち現在の伏見稲荷大社に鎮座する神で、伏見稲荷大社から勧請されて全国の稲荷神社などで祀られる食物神・農業神・殖産興業神・商業神・屋敷神である。また神仏習合思想においては仏教における荼枳尼天と同一視され、豊川稲荷を代表とする仏教寺院でも祀られる[3][4]

神仏分離の下、神道の稲荷神社では『古事記』、『日本書紀』などの日本神話に記載される宇迦之御魂神(うかのみたま、倉稲魂命とも書く)、豊宇気毘売命(とようけびめ)、保食神(うけもち)、大宣都比売神(おおげつひめ)、若宇迦売神(わかうかめ)、御饌津神(みけつ)などの穀物・食物の神を主祭神とする[5]

総本宮である伏見稲荷大社では宇迦之御魂大神を主祭神として、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神とともに五柱の神として祀るが、これら五柱の祭神は稲荷大神の広大な神徳の神名化としている[6][7][8]

日本の神社の内で稲荷神社は、2970社(主祭神として)[9]、3万2千社(境内社・合祀など全ての分祀社)[10]を数え、屋敷神として個人や企業などに祀られているものや、山野や路地の小祠まで入れると稲荷神を祀る社はさらに膨大な数にのぼる。江戸の町の至る所で見かけられるものとして「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」とまで言わるようになった。本来は穀物農業の神だが、現在は産業全般の神として信仰されている[5]

伏見稲荷大社が総本社となっているが、宮城県、栃木県、愛知県など全国に広がっており、東日本のほうが多く信仰されている。たとえば武蔵国国府所在地においては、明治初期に市内に6ヶ所で稲荷神社が祀られており[11]、市内の家々の屋敷神は566件にも上る[12]など、多摩地域においては顕著である。

由来

伏見稲荷大社について『日本書紀』では次のように書かれている[13]

稲荷大神は欽明天皇が即位(539年または531年)する前のまだ幼少のある日「秦(はた)の大津父(おおつち)という者を登用すれば、大人になった時にかならずや、天下をうまく治めることができる」と言う夢を見て、早速方々へ使者を遣わして探し求めたことにより、和銅4年(711年二月初午の日に秦(はたの)伊呂巨(具)(いろこ(ぐ))が鎮座した。

諸蕃(渡来および帰化系氏族)のうち約3分の1の多数を占める「秦氏」の項によれば、中国・始皇帝13世孫、孝武王の子孫にあたる功徳王が仲哀天皇の御代に、また融通王が応神天皇の御代に、127県の秦氏を引率して朝鮮半島の百済から帰化したという記録があるが、加羅(伽耶)または新羅から来たのではないかとも考えられている[13](新羅は古く辰韓=秦韓と呼ばれ秦の遺民が住み着いたとの伝承がある[14])。また一説には五胡十六国時代に前秦の王族ないし貴族が戦乱の中、朝鮮半島経由で日本にたどり着いたと言う説もある。

雄略天皇の頃には、当時の国の内外の事情から、多数の渡来人があったことは事実で、とりわけ秦氏族は、先に見たように絹織物の技に秀でており、後の律令国家建設のために大いに役立った[13]。朝廷によって厚遇されていたことがうかがわれるのも、以上の技能を高く買われてのことだと考えられている[13]。彼らは畿内の豪族として専門職の地位を与えられていた[13]。こうして深草の秦氏族は、和銅4年(711年)稲荷山三ケ峰の平らな処に稲荷神を奉鎮し、山城盆地を中心にして神威赫々たる大神社を建てた[13]。深草の秦氏族は系譜の上で見る限り、太秦の秦氏族、すなわち松尾大社を祀った秦都理《はたのとり》の弟が、稲荷社を祀った秦伊呂巨(具)となっており、いわば分家と考えられていたようだ[13]

その他

  • 稲荷木(とうかぎ)(稲架掛け(はさかけ)の木)と呼ぶ町が千葉県市川市にある。また「稲荷」と付く地名も日本には多くある[15][16]
  • 広島市中区円隆寺境内の稲荷大明神(とうかだいみょうじん)や福岡県大牟田市の稲荷神社(とうか神社)の様にいなりと読まない場合もある。
  • 構造様式分類として稲荷鳥居(inari torii いなりとりい)や[17]複数の鳥居を連ね、稲への感謝や豊作祈願を表した[18]
  • 稲荷木落(いなりぎおとし):1850年頃(嘉永年間)に出来た中川水系の排水路。埼玉県加須市(旧・大利根町)から、久喜市(旧・栗橋町)を経て久喜市(旧・栗橋町)新井と同市(旧・鷲宮町)八甫二丁目の境界で、中川の左岸へ合流する[19]
  • 出雲国風土記の飯成(いいなし)郷(現:島根県安来市)の説話では大国魂命の降臨譚が述べられており、倉稲魂命と共に意多伎神社に祀られている。

歴史

伏見稲荷大社(楼門正面から)

全国の稲荷神社の総本社は、京都市伏見区の稲荷山の西麓にある伏見稲荷大社である[20]。元々は京都一帯の豪族・秦氏氏神で、現存する旧社家は大西家である[21]。また江戸後期の国学の祖、荷田春満を出した荷田家も社家である[21]

『山城国風土記』逸文には、伊奈利社(稲荷社)の縁起として次のような話を載せる[13]。秦氏の祖先である伊呂具秦公(いろぐの はたの きみ)は、富裕に驕って餅を的にした[13]。するとその餅が白い鳥に化して山頂へ飛び去った。そこに稲が生ったので(伊弥奈利生ひき)、それが神名となった[13]。伊呂具はその稲の元へ行き、過去の過ちを悔いて、そこの木を根ごと抜いて屋敷に植え、それを祀ったという[13]。また、稲生り(いねなり)が転じて「イナリ」となり「稲荷」の字が宛てられた[22]

都が平安京に遷されると、元々この地を基盤としていた秦氏が政治的な力を持ち、それにより稲荷神が広く信仰されるようになった。さらに、東寺建造の際に秦氏が稲荷山から木材を提供したことで、稲荷神は東寺の守護神とみなされるようになった[23]。『二十二社本縁』では空海が稲荷神と直接交渉して守護神になってもらったと書かれている。

東寺では、真言密教における荼枳尼天(だきにてん、インドの女神ダーキニー)に稲荷神を習合させ、真言宗が全国に布教されるとともに、荼枳尼天の概念も含んだ状態の稲荷信仰が全国に広まることとなった[23]。荼枳尼天は人の心臓を食らう夜叉、または、羅刹の一種で、中世には霊狐と同一の存在とみなされた[5]。このことにより祟り神としての側面も強くなったといわれる[5]

稲の神であることから食物神の宇迦之御魂神と同一視され、後に他の食物神も習合した[23]。中世以降、工業・商業が盛んになってくると、稲荷神は農業神から工業神・商業神・屋敷神など福徳開運の万能の神とみなされるようになり、勧請の方法が容易な申請方式となったため、農村だけでなく町家や武家にも盛んに勧請されるようになった[24]江戸時代には芝居の神としても敬われるようになり、芝居小屋の楽屋裏には必ず稲荷明神の祭壇が設けられるようになった[24]

明治の神仏分離の際、多くの稲荷社は宇迦之御魂神などの神話に登場する神を祀る神社になったが、一部は荼枳尼天を本尊とする寺になった[24]

稲荷神と狐

伏見稲荷の狐

狐は古来より日本人にとって神聖視されてきた[23]711年に、最初の稲荷神が登場する[23]。 宇迦之御魂神は別名「御饌津神」(みけつのかみ)と言う[23]の古名を「けつ」と言い、御饌津神を「三狐神」と解して、狐は稲荷神の使い、あるいは眷属に収まった[23]。 時代が下ると、稲荷狐は命婦の格(朝廷の屋敷の出入りが可能となる格。)を受け、命婦神あるいは白狐神として上下社に祀られるようになった[23]。 

江戸時代に入り、稲荷が商売の神と公認され、大衆の人気を集めると共に、稲荷狐が稲荷神という誤解が一般に広がった[21]。 またこの頃から稲荷神社の数が急激に増え、流行神(はやりがみ)と呼ばれる時もあった[21]。また仏教の荼枳尼天は、日本では狐に乗るとされ、稲荷神と習合されるようになった[25]。稲荷神社に祀られている狐の多くは白狐(びゃっこ)である[24]

稲荷神社の前には狛犬の代わりに宝玉をくわえた狐の像が置かれる例が多い[23]。他の祭神とは違い稲荷神には神酒赤飯の他に狐の好物といわれる油揚げが供えられ、ここから油揚げを使った料理を稲荷と称するようになった[23]

信仰

旧初午の幟と地口行燈(千葉県香取市

稲荷神社では、2月の最初の午の日に「初午祭」が行われる。これは、伏見稲荷神社の祭神が降りたのが和銅4年(711年)2月の初午だったからと言われる[26]。これに際し東京では、行灯に地口とそれに合わせた絵を描いた「地口行灯」を街頭に飾ることがある。

稲荷信仰には祭祀者により大別して3系統あり、一つは神道的稲荷で祭祀者が神職であり、宇迦之御魂神・保食神などを祀る神社によるもの。二つ目は仏教的稲荷で祭祀者が僧侶・修験者で、寺の鎮守堂で荼枳尼天を祭祀している場合が多い。もう一つは民俗的稲荷で祭祀者が土地所有者や氏子・講員などで、狐神・山の神・水神・福神・御霊神などとして信仰されている[27]

著名な稲荷

いくつかの稲荷神社や稲荷を祀る寺院では、「当社は日本三大稲荷の一つ」ということを宣伝文句としている。しかし、それらの内容は寺社によって異なっている。「総本宮」である伏見稲荷大社では、「三大稲荷は地域により異なる」として、三大稲荷の三社を限定することはしていない。

一般に総本社の伏見稲荷大社のほか祐徳稲荷神社豊川稲荷妙厳寺が日本三大稲荷とされる[5][28]。因みに豊川稲荷妙厳寺は曹洞宗の寺院であり、豊川稲荷で祀られる仏教伝来の荼枳尼天は、伏見稲荷大社が主祭神とする宇迦之御魂神とは系統が全く異なる。

その他の文献には瓢箪山稲荷神社笠間稲荷竹駒神社最上稲荷などが日本三大稲荷の候補に上がる。これらの神社は実際、地元に深く信仰が根付いているのも事実であり、地元では決して伏見稲荷大社に負けない知名度である(むしろ、伏見稲荷大社から勧請した稲荷信仰がしっかりと根付いている)という郷土の誇りの表れと見做すこともできる。

日本三大稲荷

豊川稲荷妙厳寺の霊狐塚

以下に、日本三大稲荷といわれている寺社の一部と、各寺社が他の2つを何としているかを挙げる。

日本五大稲荷

他に、以下の稲荷神社もその名が知られている。

更に細分化されたものでは、関東三大稲荷や九州三大稲荷などがある。現在別表神社として社格が認められているものは、志和稲荷神社、竹駒神社、笠間稲荷神社、箭弓稲荷神社、太鼓谷稲成神社、祐徳稲荷神社、高橋稲荷神社のみであり、これらが特に影響力を持っていた稲荷社だったと言える(尤も、旧官社は伏見稲荷大社のみで、あとは県社郷社だった。なお、伏見稲荷大社は神社本庁との被包括関係にないため、別表神社ではない)。

脚注

  1. ^ 中村陽・監修 『稲荷大神』26,30頁 戎光祥出版。
  2. ^ 河堀稲生神社、太皷谷稲成神社など。
  3. ^ 円福山 豊川閣 妙厳寺 - 豊川稲荷略縁起
  4. ^ 大本山成田山新勝寺 東京別院 深川不動堂 - 開運出世稲荷
  5. ^ a b c d e f g h 戸部民夫 『八百万の神々』「宇迦之御魂神」 新紀元社
  6. ^ 伏見稲荷大社略記, 平成八年
  7. ^ 伏見稲荷大社 - 稲荷信仰 - ご祭神
  8. ^ 生玉稲荷神社(名古屋市守山区)では、倉稲魂神を主祭神として、大己貴命、保食神、大宮能姫神、太田神とともに五柱の神を稲荷五社大明神として祀るが、伏見稲荷大社と同様にこれら五柱の祭神は稲荷大神の広大な神徳の神名化としている。生玉稲荷神社 - 由緒・沿革
  9. ^ 岡田莊司・加藤直弥 『現代・神社の信仰分布』 国学院大学。
  10. ^ 岡田米夫 『全国神社祭神御神徳記』 神社新報社。
  11. ^ 「寺院明細帳」明治時代
  12. ^ 府中市史談会「府中市内屋敷神調査報告」「府中市立郷土館紀要」第8号
  13. ^ a b c d e f g h i j k 稲荷信仰”. 伏見稲荷大社. 2012年3月24日閲覧。
  14. ^ 水谷千秋『謎の渡来人秦氏』2009年、文春新書 36頁
  15. ^ 稲荷木自治会会長. “稲荷木の由来”. 市川市自治会連合協議会. 2009年7月20日閲覧。
  16. ^ 「稲荷」と付く地名一覧”. 2009年7月20日閲覧。
  17. ^ inari torii 稲荷鳥居” (英語). Japanese Architecture and Art Net Users System. 2010年1月10日閲覧。
  18. ^ 千本鳥居”. 伏見稲荷大社. 2012年3月24日閲覧。
  19. ^ 稲荷木落(いなりぎおとし)”. フカダソフト. 2008年10月19日閲覧。
  20. ^ 伏見稲荷大社”. 伏見稲荷大社. 2012年3月24日閲覧。
  21. ^ a b c d 山折哲雄 『稲荷信仰事典』 戎光祥出版
  22. ^ Q&A”. 伏見稲荷大社. 2012年3月24日閲覧。
  23. ^ a b c d e f g h i j 川口謙二 『日本の神様読み解き事典』 柏書房
  24. ^ a b c d e f g h 大森惠子 『稲荷信仰の世界』 慶友社
  25. ^ ダキニ天(辰狐王菩薩)に関する一試論 日光山輪王寺蔵「伊頭那 (飯縄)蔓茶羅図」を中心として (PDF)
  26. ^ 前掲 『稲荷大神』140頁。
  27. ^ 大森惠子 『稲荷信仰の世界』2,3頁 慶友社。
  28. ^ 三橋健 『決定版 知れば知るほど面白い!神道の本』 西東社
  29. ^ 最上稲荷山妙教寺 最上稲荷について”. 最上稲荷山妙教寺. 2012年3月24日閲覧。
  30. ^ 宮城県神社庁検索サイト”. 宮城県神社庁. 2012年3月24日閲覧。
  31. ^ 道の駅 クレール平田 お千代保稲荷”. クレール平田. 2012年3月24日閲覧。
  32. ^ 瓢箪山稲荷神社 東大阪市”. 東大阪市. 2012年3月24日閲覧。
  33. ^ 施設情報 さわやか信州旅.net”. 社団法人信州・長野県観光協会. 2012年3月24日閲覧。
  34. ^ 島根県津和野町 太鼓谷稲成”. 太鼓谷稲成神社. 2012年3月24日閲覧。
  35. ^ 高橋稲荷神社 熊本観光 九州”. 有限会社ニューメディアエンジニアリング. 2012年3月24日閲覧。

関連項目

外部リンク

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