竹駒神社

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竹駒神社
竹駒神社
所在地 宮城県岩沼市稲荷町1-1
位置 北緯38度6分18秒
東経140度51分44.4秒
主祭神 倉稲魂神
社格 県社別表神社
創建 (伝)承和9年(842年)
本殿の様式 三間社流造
別名 竹駒稲荷
(旧称)武隈明神
例祭 3月21日
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竹駒神社(たけこまじんじゃ)は、宮城県岩沼市中心部にある稲荷神社である。旧社格は県社で、第二次大戦後神社本庁別表神社となった。

別名竹駒稲荷とも呼ばれ、旧称は武隈明神(たけくまみょうじん)。日本三大稲荷の一つとされることがある[1]陸奥国一宮鹽竈神社東北地方で一、二を争うほどの初詣客が訪れることで知られる。

祭神[編集]

倉稲魂神(うかのみたま・稲荷神)を主祭神とし、相殿に保食神(うけもち)・稚産霊神(わくむすひ)を祀る。「竹駒稲荷大神」とも呼ばれるこれら三柱の神々は、人間生活の基礎である衣食住を守護する神々として崇敬されている。

立地[編集]

当社は、宮城県南東部の旧名取郡南部の仙台平野にあり、東流する阿武隈川左岸(北岸)に位置している。当社の所在地である岩沼は、畿内を始点にして東進する東山道岐阜塩尻高崎宇都宮を経由する)と東海道名古屋浜松東京水戸を経由する)の双方が、初めて合流する地点である。ここから宮城郡北部の松島丘陵まで両者は合流したまま北上し、陸奥国府多賀城関ヶ原以後は仙台)で分岐する。

このため、当社は、太平洋岸ルート内陸ルートの2本の主要幹線が分岐・合流する交通の要衝に創建され、畿内政府や奥州藤原氏伊達氏など、当地を支配した歴代の統治者に重視されてきた。

歴史[編集]

社伝では、承和9年(842年)、小野篁陸奥国司として赴任した際、伏見稲荷勧請して創建したと伝える。後冷泉天皇の治世(1045年 - 1068年)に陸奥国を歴遊中の能因が、竹駒神社の神が竹馬に乗った童の姿で示現したとして、当社に隣接してを結び、これが後に別当寺の竹駒寺となった。戦国時代には衰微していた当社に伊達稙宗が社地を寄進するなど、伊達家の崇敬を受け発展した。文化4年(1807年)には正一位の神階を受けた。

明治政府の神仏分離により、明治2年(1869年)、竹駒寺は少し離れた現在地に移転した。この際、国家神道の流れの中で、明神思想に基づく、武隈明神が否定され、これ以降、稲荷神が主祭神とされた。明治7年(1874年)、竹駒神社は県社に列格した。

かつての社殿は、仙台藩の5代藩主伊達吉村によって造営されたものであったが、平成2年(1990年)11月21日未明、過激派の放火により焼失し[2][3]、平成6年(1994年)に再建された。

「竹駒」という社名は、現岩沼市域の旧称「武隈」の転訛であり、もともとは、市内を流れる阿武隈川に由来する。

境内[編集]

  • 参道・随神門(楼門)- 文化9年(1812年)の建立。随神門内部には随神像と神狐像が安置されている。岩沼市指定文化財。
  • 向唐門(むかいからもん) - 天保13年(1842年)建立、総欅造り。岩沼市指定文化財。
  • 社殿(拝殿・幣殿・三間社流造の本殿)
  • 拝殿の地下には通路があり、そこには放火事件消失前の竹駒神社元宮跡地がある。
  • 元宮跡地の北側には、命婦社(祭神:稲荷大神の神使である神狐)と竹駒神社奥宮が鎮座している。
  • 境内南側には御神田があり、宇賀神社(祭神:宇迦之御魂神)の社殿が祀られている。
  • その他に、境内には授与所、参集殿、馬事資料館(正月三が日と初午大祭期間中に開館)、弓道場などの施設がある。

脚注[編集]

  1. ^ ただし、「日本三大稲荷」を自称する神社は全国に三社以上存在し、総本社である伏見稲荷大社も「日本三大稲荷」について特定していない。
  2. ^ 「革労協が犯行声明 - 竹駒神社放火」 河北新報、1990年11月23日付朝刊、31面。
  3. ^ この時期、今上天皇皇位継承に伴う大嘗祭関連儀式が皇室の公的行事として行われていた。

参考文献[編集]

  • 由緒書「日本三稲荷 竹駒神社」(竹駒神社社務所)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]