コンテンツにスキップ

矢板市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Tribot (会話 | 投稿記録) による 2012年3月3日 (土) 16:05個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (bot: WP:BOTREQ#電話番号・FAX番号の削除依頼 oldid=41478493 Wikipedia:井戸端/subj/電話番号・FAX番号記載について)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

やいたし ウィキデータを編集
矢板市
矢板市旗
矢板市章
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 栃木県
市町村コード 09211-8
法人番号 8000020092118 ウィキデータを編集
面積 170.46km2
総人口 29,727[編集]
推計人口、2024年5月1日)
人口密度 174人/km2
隣接自治体 大田原市那須塩原市
さくら市塩谷町
市の木 ナツツバキ
市の花 レンゲツツジ
他のシンボル 市の鳥 : キジバト
市の日 : 11月1日
矢板市役所
市長 森島武芳
所在地 329-2192
栃木県矢板市本町5番4号
外部リンク 矢板市ホームページ

矢板市位置図

― 市 / ― 町

ウィキプロジェクト
ふるさとのやま高原山

矢板市(やいたし)は、栃木県北部のである。

概要

高原山(たかはらさん)の南麓に広がり、山岳地帯及び森林、里山に囲まれ、箒川、宮川、内川などの河川が北から南へ流れる。北部山岳・森林地帯は全国名水百選に選ばれた尚仁沢湧水水源となっており水源の森百選に選定されている高原山水源の森森林浴の森100選に選定されている栃木県民の森、八方自然休養林八方ヶ原など豊かな自然の宝庫で環境教育、ハイキング向けに整備されている。高原山は古くは山岳宗教の対象でもあった。中部は南北に小高い丘が連なる塩那丘陵の尾根に挟まれた宮川、中川、内川が流れる平地があり水田地帯が広がっている。南部は関東平野の北端ともいえる平地と小河川に刻まれた小高い丘の丘陵地からなり塩谷町から流れてくる荒川に接している。また中央部から丘陵をひとつ隔てた西部は箒川、江川流域に那須野が原に連なる平地が広がり水田地帯となっている。

地理

各種交通機関が集中通過する矢板市郊外の塩那丘陵東北自動車道東北新幹線宇都宮線国道4号が狭い範囲に集中する

東京より北へ約130km、県都宇都宮より北へ約30km、東北本線宇都宮線)でそれぞれ2時間30分、30分の距離である。主な交通機関は市域を南北に通り、片岡地区は幅1000mの地域に、国道4号東北本線宇都宮線)、東北自動車道東北新幹線が集中する。各交通機関はこの片岡で丘陵地帯に入り、関東平野から那須野が原へと移っていく。

隣接している自治体

人口

矢板市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 30,063人
1975年(昭和50年) 31,132人
1980年(昭和55年) 32,747人
1985年(昭和60年) 34,582人
1990年(平成2年) 35,603人
1995年(平成7年) 36,650人
2000年(平成12年) 36,466人
2005年(平成17年) 35,685人
2010年(平成22年) 35,343人
2015年(平成27年) 33,354人
2020年(令和2年) 31,165人
総務省統計局 国勢調査より


歴史

有史以前

日本最古と推定される黒曜石採掘坑遺跡がある高原山
  • 市北部にある活火山高原山を構成する一峰である剣ヶ峰が原産の黒曜石を使用した石器が当市より200km以上離れた静岡県三島市長野県信濃町の遺跡で発見され研究が進められている。産出時期は古いものでは石器の特長より今から約3万5千年前の後期旧石器時代と考えられており、その採掘坑遺跡(高原山黒曜石原産地遺跡群)は日本最古のものと推定されている。氷河期の寒冷な時期に人が近付き難い当時の北関東の森林限界を400mも超える標高1,500m近い高地[1]で採掘されたことや、従来の石器時代の概念を覆すような活動・交易範囲の広さ、遺跡発掘により効率的な作業を行っていたこと等が分かってきて注目が集まっている。またこの新しい発見により日本人の起源、人類の進化をたどる手掛かりになると言う研究者の発言も報道もされている[2][3][4]。最新の研究では南関東を中心に高原山産の黒曜石製石器が広範囲に流通していたことが分かってきている。
    • 矢板市教育委員会は平成20年度調査で、1万2千年~1万5千年前に製作されたと推定できる国内最大級の尖頭器とその採掘坑跡を発見したと発表した。また同時に19年度の調査で発掘した黒曜石採掘坑跡は1万9千年前のものと推定していたが、放射性炭素年代測定により8千5百年~9千年前の縄文時代早期のものと修正を行った。[5][6][7]
    • 高原山黒曜石原産地遺跡群発見・発掘がもたらすもの
  • 市西部の幸岡地区などで貝殻の化石、矢じりなどが発掘できる。

有史以降

※ 一部矢板市ホームペ-ジより要約

近代

かつては塩谷郡役所があり、古くは栗山村藤原町(共に現在の日光市)、塩原町(現在の那須塩原市)、塩谷町など塩谷郡一円の木材、家畜の集積地として繁栄した。 現在は栃木県庁塩谷庁舎、塩谷広域行政組合、国際医療福祉大学塩谷病院、県立矢板東附属中・高校、私立矢板中央高など塩谷地区における行政・医療・教育の中心機関が置かれている。 1959年(昭和34年)頃まで東武鉄道矢板線矢板駅-新高徳駅間を結んでいたが、自動車交通の発達とともに現在は廃線になっている。近年は東北本線宇都宮線)、国道4号東北自動車道矢板インターチェンジが集中する交通の要衝となっている。

地名の由来

「矢板」の地名の由来については、確定的なものはなく諸説ある。例えば、美田という意味の「八重田(やえた)」が転じたもの、あるいは、田畑を焼く「焼田(やきた)」が転じたものという説があるが、美田に関するような伝承はなく、焼田焼畑については、この地方のどこでも行われていたものなので、それを特別に地名にするような要素はほとんどない。また、土留めの板という意味の「矢板」が地名となったとも考えられるが、そのきっかけが全く不明であり、またそれを推測するのも難しく、これも根拠に乏しい。矢板市の市名となった矢板市大字矢板は、矢板氏の発祥の地でもあるが、あるいは、地名が先ではなく、矢板氏という一族が支配したことで、その土地が矢板と呼ばれた可能性もあり、地名が先ではなく、氏姓が先で地名になった可能性もあるが、これも推測の域を出ない。

市の沿革

行政

歴代市長

  • 1958年(昭和33年) 大島喜一郎 初代
  • 1959年(昭和34年)2月 高柳宰正 2代
  • 1963年(昭和38年)3月 山縣有信 3代
  • 1967年(昭和42年)2月 山縣有信 再任
  • 1974年(昭和49年)9月 大谷英一 4代
  • 1978年(昭和53年)8月 大谷英一 再任
  • 1982年(昭和57年)9月 山口公久 5代
  • 1986年(昭和61年)9月 山口公久 再任
  • 1988年(昭和63年)4月 大氣弘久 6代
  • 1992年(平成4年)4月 大氣弘久 再任
  • 1996年(平成8年)4月 山口公久 7代
  • 2004年(平成16年)4月 遠藤忠 8代
  • 2008年(平成20年)4月 遠藤忠 9代、現職、任期:2012年(平成24年)4月16日まで

国の機関

県の機関

  • 栃木県庁塩谷庁舎
    • 矢板県税事務所
    • 塩谷南那須農業振興事務所
    • 塩谷南那須教育事務所
    • 塩谷県民相談室
    • 矢板林務事務所
    • 矢板土木事務所
  • 矢板健康福祉センター
  • 栃木県住宅供給公社 矢板支所
  • 栃木県建設総合技術センター 北部出張所
  • 栃木県民の森管理事務所
  • 那珂川水系ダム管理事務所

警察

塩谷広域行政組合

郵便局(元 郵政公社)

経済

大きな産業としては、一時は花形であった関西系大手家電メーカーの工場があるが、組立工場が主であり、海外移転の影響を受けている。また、市北部には、赤滝小滝寺山の各鉱泉宿が古くからある。近年は城の湯温泉センター矢板温泉(館の川)、コリーナ矢板などの温泉も市内各所で掘削され、市民はもとより観光客にも憩いの場を提供している。矢板インターチェンジ近くには、流通大手の配送センターも立地する。

第一次産業

水田の圃場整備はほぼ終了し米作とともに、市北西部の長井地区などでは、寒冷な気候を利用したリンゴなどの果樹栽培が盛んである。県民の森近くの高原(たかはら)開拓では終戦後入植による酪農が行われている。

  • 林業
    • 現在は塩那森林管理署(大田原市)に統合されたが、かつては矢板営林署(現塩那森林管理署 矢板森林事務所)があり、栃木県北西部の広大な山林地帯を管理していた。終戦直後は被災した東京復興のために大量の木材が栃木県内はもとより、南会津からも集められ鉄道貨物として積み出された。昭和50年頃までは市内各所に大きな製材所が見られた。
  • 農業
    • 幸岡ねぎ(高級食材として東京の料亭などに出荷される)
    • りんご[8]

第二次産業

  • シャープ(株)AVシステム事業本部
    • 所在地の町名は「早川町」。旧社名の早川電機工業から付けられた。
    • 建設当初はカラーテレビ受像機の組み立てが行われていた。その後、VTRの組み立てなどを経て、現在は液晶テレビ、太陽電池パネル等の組み立てが行われている[9]
    • AVシステム開発機能強化に伴い500人増員。これまで分散していた企画、開発、資材調達などの部隊が集結。[10]
  • 東京計器(株)(旧社名・トキメック) 矢板工場 [11]
  • (株)エンプラス 2010年1月閉鎖[12]
  • 日本調理機(株)栃木工場
  • (株)壱番屋 栃木工場

第三次産業

  • 中心商店街は駐車場が整備されておらず空洞化が進んでいる。かつては、福島県会津若松市リオン・ドール(旧ライオン堂)、群馬県館林市とりせんなどのスーパーも出店したが、出店時期が早く旧市街地に立地したために駐車場が無く、自動車交通社会の発展とともに撤退していった。
スーパー
  • ベイシア矢板店、ヨークベニマル矢板店、ダイユー矢板店・片岡店、サンユー片岡店
ホームセンター
  • カインズホーム、コメリホームセンター
量販店
  • ケーズデンキ
  • カワチ薬品 、マツモトキヨシ、サンドラッグ
  • ダイソー、コナカ、しまむら、サンキ、オートアールズ

またトヨタ自動車日産自動車系列の自動車販社が市西部を貫通する国道4号(旧バイパス)沿線に立地している。

地場産品

統計データ

現在の市勢

  • 総人口 - 35,685人(2005年)
  • 世帯数 - 11,997世帯(2005年)
  • 年少(15歳未満)人口率 - 14.3%(2005年)
  • 高齢(65歳以上)人口率 - 20.4%(2005年)
  • 昼間人口 - 35,655人(2000年)
  • 労働力人口 - 19,668人(2000年)
  • 第1次産業就業者数 - 1,550人(2000年)
  • 第2次産業就業者数 - 7,270人(2000年)
  • 第3次産業就業者数 - 10,027人(2000年)
  • 農業産出額 - 5,200百万円(2004年)
  • 製造品出荷額等 - 469,751百万円(2004年)
  • 商業年間商品販売額 - 49,020百万円(2003年)
出典
  1. 総務省統計局『統計で見る市区町村のすがた2007』2007年

姉妹都市・提携都市

地域

市街地

市街地は矢板駅を中心とする矢板地区、片岡駅を中心とする片岡地区、旧泉村である泉地区の3つがあるが、他にも旧野崎村より編入された沢地区、市西部の幸岡地区、泉地区の長井、伊佐野、他にも市街地を形成する集落がある。

県都宇都宮まで電車で24分の通勤距離を生かして、片岡駅近くには栃木県住宅供給公社開発による大規模住宅団地つつじが丘ニュータウンがある。

教育

小学校

  • 矢板市立矢板小学校
  • 矢板市立東小学校
  • 矢板市立川崎小学校
  • 矢板市立西小学校
  • 矢板市立豊田小学校
  • 矢板市立泉小学校
  • 矢板市立片岡小学校
  • 矢板市立乙畑小学校
  • 矢板市立安沢小学校

中学校

  • 矢板市立泉中学校
  • 矢板市立矢板中学校
    • 矢板中学校沢分校
  • 矢板市立片岡中学校

高等学校

専門学校

  • 国際医療福祉大学塩谷看護専門学校

交通

空港

鉄道路線

廃線

バス路線

道路

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

市北部の高原山系に広がる標高1000mから1200mの台地状の高原である。5月、6月頃の20万株のレンゲツツジの群生は見事で有名である。ハイキングの適地として整備され、ハイキングコース、キャンプ場、アクセス道路、駐車場、展望台、季節営業の売店などが整備され気軽に訪れることが出来る。また、アクセス道路は高原山の北側に当たる塩原温泉郷にも通じている。
八方ヶ原からも近く、県が設営したキャンプ場、天皇が来場した全国植樹祭全国育樹祭会場、展示館、少年自然の家、ハイキングコースなどの施設が整備されている。
明治の元老・山縣有朋の小田原別邸「古稀庵」にあった洋館を、関東大震災の翌年に移築したもの。明治維新前後の遺品が常設展示され、2階の客間では、往時の雰囲気を味わえる。
日本の都市公園100選にも選ばれ、北関東でも有数のツツジの名所である。矢板駅から徒歩10分程度の至近距離にあり、電車でのアクセスも便利である。
中世塩谷氏のの近くにふるさと創生資金を活用して開発した温泉で、市民に憩いの場を提供している。また、川崎城址の奥側、塩谷町寄りには、矢板温泉がある。
尾形光琳乾山の美術 [13]
  • コリーナ矢板
人間、自然、健康をテーマとして自然林間に開発されたリゾートタウン。地域内には温泉が沸き、スポーツレジャー施設も整っている。
  • 運動公園
市西部の丘陵地帯を開発した、サッカー競技場を備えた運動公園が整備されている。栃の葉国体などでサッカー会場となった。公園内には、運動公園開発時に発掘された古墳が保存展示されている。
江戸時代前期延宝年間(1673年から1681年)の頃に建てられた庄屋の住宅
高原山山岳宗教の流れを受け継ぐ
市内で塩水を用いた製塩が行われていた時代から続く神社

那須疏水開削に功労のあった矢板武の居宅

マスメディア

矢板中継局

東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)東京タワーからの電波直接受信による難視聴解消のため栃木県で最初に整備された中継局。(詳細

出身有名人

脚注