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玉春日良二

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玉春日良二
基礎情報
四股名 玉春日
本名 松本 良二
生年月日 (1972-01-07) 1972年1月7日(52歳)
出身 愛媛県東宇和郡野村町(現:西予市
身長 182cm
体重 154kg
所属部屋 片男波部屋
成績
現在の番付 引退
最高位 西関脇
生涯戦歴 603勝636敗39休(89場所)
幕内戦歴 444勝537敗24休(67場所)
優勝 十両優勝1回
殊勲賞1回、敢闘賞2回、技能賞2回
データ
初土俵 1994年1月場所
入幕 1996年1月場所
引退 2008年9月場所
備考
金星7個
貴乃花3個、若乃花2個、1個、武蔵丸1個)
2008年9月28日現在

玉春日 良二(たまかすが りょうじ、本名:松本 良二(まつもと りょうじ)、1972年1月7日 - )は、愛媛県東宇和郡野村町(現在の西予市)出身で片男波部屋所属の元大相撲力士。身長182cm、体重154kg[注 1]。最高位は西関脇1997年7月場所)。得意手は突き、押し。現在は年寄片男波

趣味は音楽鑑賞、血液型はO型。

来歴

農家の六人兄姉の三男。野村高校から中央大学法学部に進んだ。大学では相撲部で活躍したが目立った実績を残しておらず、体重別大会で優勝した程度であったが、プロになってから頭角を表した[注 2]

1994年1月場所、幕下付出初土俵を踏む。初土俵から「玉春日」[注 3]四股名で相撲を取った。なお、学生時代の同期に武双山土佐ノ海がいた。

1995年3月場所に十両に昇進し、1996年1月場所には幕内に昇進した。初土俵から入幕まで負け越し知らずだった。その新入幕の場所では10勝を挙げ敢闘賞を受賞した。1997年5月場所では、横綱貴乃花を破る初金星を挙げて勝ち越し、殊勲賞を受賞し、翌7月場所には関脇への昇進を果たした。関脇はこの1場所だけで、以後2度の小結を経験するも、三役での勝ち越しはなかった。それでも、全盛期には幕内上位の地位で7個の金星を挙げるなど、上位キラーとして活躍した。しかし、2003年1月場所に右半月板を痛めて休場し幕内から陥落した後は、怪我にも悩まされ幕内中下位や十両に甘んじることが増えた。

2006年7月場所では、本来の押し相撲が久々に鋭さを見せ、11勝4敗の好成績で技能賞を受賞した。この三賞受賞は前述した1997年5月の殊勲賞受賞以来55場所ぶりとなったが、これは史上最も2回の三賞受賞の間隔が開いた事例となった。また、この場所は幕内で初めて11勝をあげた[注 4]。しかし、東前頭4枚目に昇進して久々の幕内上位となった翌9月場所は初日から12連敗で、1勝14敗と散々な成績だった。2007年1月場所は鋭い突き押しで初日から7連勝し、一時は優勝争いの先頭に立ったが、中日から6連敗を喫し、結局9勝6敗に終わった。3月場所は2日目から9連敗を喫するなど一転して不調に陥り4勝11敗だった。その後は首の痛みもあり幕内の中位~下位を行き来していたが、十両に下がった2008年9月場所の千秋楽に引退を表明した。

引退と同時に年寄株を取得し、年寄・楯山を襲名した。引退相撲は2009年5月30日に行われた。その後、2010年2月4日に師匠である玉ノ富士茂との名跡交換により年寄・片男波(14代目)を襲名すると共に、片男波部屋を継承した。

取り口

基本に忠実な突き押し相撲は高く評価された。土俵生活も後半にさしかかると若い頃の突き押しの馬力はやや影を潜め、左右のおっつけ、いなしなどの技を生かした押し相撲を取った。体が柔らかく、土俵際でのしぶとさがあり、突き落としや捨て身の首投げも時として鮮やかに決まった。

エピソード

人物

  • 野村高校時代は生徒会役員を務めた。
  • 真面目な性格、誠実な人柄で知られている。ある親方は玉春日の人柄を「真面目で素直。人のいうことをよく聞く」と評していた[注 5]。現役時代は、負けた時でも報道陣の受け答えに必ず応じていた。
  • 現役時代、場所中はサインには応じなかった。だが、現役引退後に年寄楯山となってからは、サインにも気さくに応じる姿がみられる。
  • 子犬を飼い始めたことなどが、2008年12月から始めたブログで報告されている。ちなみに犬種はゴールデン・レトリバー、名前はタロウでブログにも写真付でたびたび登場している。

大相撲

  • 中央大学相撲部出身の幕内力士は元小結・豊國範以来2人目であった[注 6]
  • 2008年9月の引退場所では14日目に猛虎浪を破り白星を挙げた相撲が最後となった。場所途中で引退(あるいは休場)となる場合、その旨を審判部に申し出ても既に次の日の取組が決まっているために、次の日の不戦敗が記録上の最後の一番となる、という場合が多いため、場所途中における白星を最後とする引退は非常に珍しいといえる。これは、玉春日が14日目の取組の直後に千秋楽の取組を編成していた(通例千秋楽の取組が他の日に比べ決まるのが遅いこともこの珍事の一因)審判部に行き、「明日の割から自分を抜いて下さい」と依頼し千秋楽の取組から名前を外してもらったことによる。

その他

  • 1998年6月に久万高原天体観測館の職員が発見した小惑星の一つが、同じ愛媛県出身の力士として勝ち星を挙げてほしいと願い、「Tamakasuga」と名付けられた。また、天体に力士名が命名されたのは世界初のことだった。
  • デーモン小暮閣下明石家マンション物語のコーナー「クレーマークレーマー」に出演した際、大相撲中継におけるアナウンサーの「玉春日出る」という実況が卑猥な意味に聞こえると指摘した。


主な成績

  • 通算成績:603勝636敗39休(89場所) 勝率.487
  • 幕内成績:444勝537敗24休(67場所) 勝率.453
  • 三役在位:3場所(関脇1場所、小結2場所)
  • 三賞:5回
    • 殊勲賞:1回(1997年5月場所)
    • 敢闘賞:2回(1996年1月場所、1997年3月場所)
    • 技能賞:2回(1996年5月場所、2006年7月場所)
  • 金星:7個(貴乃花3個、若乃花2個、1個、武蔵丸1個)
  • 十両優勝:1回(2003年9月場所)

場所別成績

玉春日良二
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1994年
(平成6年)
幕下付出60枚目
4–3 
西幕下48枚目
4–3 
東幕下36枚目
5–2 
東幕下22枚目
5–2 
西幕下13枚目
4–3 
西幕下10枚目
5–2 
1995年
(平成7年)
東幕下3枚目
6–1 
西十両12枚目
9–6 
西十両9枚目
8–7 
東十両7枚目
9–6 
東十両3枚目
8–7 
西十両筆頭
10–5 
1996年
(平成8年)
東前頭16枚目
10–5
西前頭5枚目
7–8 
東前頭6枚目
9–6
東前頭筆頭
6–9 
東前頭3枚目
6–9 
東前頭5枚目
9–6 
1997年
(平成9年)
東前頭2枚目
5–10 
東前頭6枚目
10–5
東前頭筆頭
8–7
西関脇
7–8 
東小結
6–9 
東前頭筆頭
4–11 
1998年
(平成10年)
西前頭6枚目
6–9 
西前頭9枚目
8–7 
西前頭4枚目
4–11 
西前頭10枚目
9–6 
西前頭3枚目
6–9
西前頭4枚目
8–7
1999年
(平成11年)
西前頭2枚目
5–10
西前頭4枚目
7–8 
西前頭5枚目
7–8 
西前頭6枚目
9–6 
西前頭筆頭
8–7
東前頭筆頭
3–12
2000年
(平成12年)
東前頭8枚目
8–7 
東前頭2枚目
5–10 
西前頭4枚目
9–6 
西小結
2–13 
東前頭9枚目
7–8 
東前頭10枚目
8–7 
2001年
(平成13年)
西前頭5枚目
7–8 
東前頭7枚目
9–6 
西前頭4枚目
6–9 
東前頭7枚目
8–7 
西前頭3枚目
5–10
東前頭7枚目
6–9 
2002年
(平成14年)
東前頭9枚目
8–7 
西前頭7枚目
8–7 
西前頭5枚目
7–8 
東前頭6枚目
6–7–2[1] 
西前頭8枚目
10–5 
西前頭3枚目
2–13 
2003年
(平成15年)
東前頭12枚目
0–5–10[2] 
西十両7枚目
休場
0–0–15
西十両7枚目
12–3 
東前頭15枚目
7–8 
東十両筆頭
10–5 
東前頭13枚目
6–9 
2004年
(平成16年)
西前頭16枚目
7–8 
東十両2枚目
8–7 
東十両筆頭
7–8 
西十両筆頭
11–4 
西前頭14枚目
8–7 
西前頭13枚目
7–8 
2005年
(平成17年)
西前頭14枚目
7–8 
東前頭15枚目
7–8 
東前頭16枚目
8–7 
東前頭13枚目
0–3–12[3] 
西十両8枚目
11–4 
東十両2枚目
5–10 
2006年
(平成18年)
東十両6枚目
12–3 
東前頭15枚目
9–6 
東前頭10枚目
6–9 
西前頭12枚目
11–4
東前頭4枚目
1–14 
東前頭14枚目
9–6 
2007年
(平成19年)
東前頭11枚目
9–6 
西前頭5枚目
4–11 
東前頭12枚目
5–10 
西前頭15枚目
8–7 
東前頭11枚目
8–7 
東前頭9枚目
8–7 
2008年
(平成20年)
西前頭5枚目
4–11 
西前頭10枚目
6–9 
西前頭12枚目
8–7 
西前頭11枚目
3–12 
西十両2枚目
引退
6–8–1[4]
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  1. ^ 左下肢蜂窩織炎により途中休場
  2. ^ 右膝内側半月板損傷により途中休場
  3. ^ 頸椎椎間板障害・左C7放散痛により途中休場
  4. ^ 14日目に引退。年寄楯山襲名


改名歴

  • 玉春日 良二(たまかすが りょうじ)1996年1月場所-2000年5月場所、2000年9月場所-2008年9月場所
  • 玉春日 公二(- こうじ)2000年7月場所

年寄変遷

  • 楯山 良二(たてやま りょうじ)2008年9月-2010年2月
  • 片男波 良二(かたおなみ -)2010年2月-

脚注・出典

  1. ^ 水野尚文・亰須利敏編著『平成22年版大相撲力士名鑑』共同通信社、2009年、250頁
  2. ^ 同上。
  3. ^ この四股名は野村高校在学時代の下宿先である相撲道場『春日館』に由来する。
  4. ^ この場所では、同部屋弟弟子の玉乃島も11勝を挙げ、こちらは敢闘賞を受賞している。
  5. ^ 『平成22年版大相撲力士名鑑』250頁
  6. ^ 同上。

関連項目

外部リンク