コンテンツにスキップ

濱錦竜郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。124.98.177.142 (会話) による 2012年5月11日 (金) 00:20個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (ちょいスポ)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

濵錦竜郎
基礎情報
四股名 濵錦 竜郎
本名 髙濵 竜郎
生年月日 (1976-11-23) 1976年11月23日(47歳)
出身 熊本県熊本市
身長 179.0cm
体重 123.0kg
所属部屋 追手風部屋
得意技 左四つ、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位 東前頭11枚目
生涯戦歴 360勝365敗30休(77場所)
幕内戦歴 44勝61敗(7場所)
データ
初土俵 1999年3月場所
入幕 2001年5月場所
引退 2012年2月29日
引退後 年寄 春日山
趣味 音楽鑑賞
備考
2012年2月27日現在

濵錦 竜郎(はまにしき たつろう、1976年昭和51年)11月23日 - )は、 熊本県熊本市出身で追手風部屋所属の元大相撲力士。本名は髙濵 竜郎(たかはま たつろう)。身長179.0cm、体重123.0kg。趣味は音楽鑑賞、血液型はO型。最高位は東前頭11枚目(2002年3月場所)。現在は年寄 春日山

人物

小学校時代から相撲を始め、熊本工大高等学校(現・文徳高等学校)時代から全国大会に出場し、日本大学では、田宮啓司(元大関・琴光喜)や加藤精彦(現・高見盛)らと共に活躍し、世界相撲選手権大会 中量級3連覇など12個のタイトルを獲得した。卒業後は九州電力への入社が内定していたがそれを拒否して追手風部屋に入門し、1999年3月場所に幕下付出初土俵を踏んだ。

以降、順調に番付を上げて行き、2000年7月場所に十両に昇進し四股名を『濱錦』へ改名、2001年5月場所には新入幕を果たした。四つ相撲で一時は幕内に定着しかけたが、2002年7月場所を最後に十両に陥落。十両に下がっていた2003年7月場所には右膝を故障して幕下まで陥落した。

2004年1月22日の1月場所12日目に日本大学の先輩である増健との取組に叩き込みで敗れた取組が無気力相撲であったとして当時の九重審判部副部長と伊勢ノ海監察委員長から増健とともに厳重注意を受けた。2005年11月場所から四股名を本名の『高濱』に戻した。

2006年11月場所は東幕下28枚目で全休したため、2007年1月場所では、自身初の三段目(8枚目)に陥落、その場所も1番相撲の不戦敗の後全休し、3月場所では68枚目まで番付を落とした。その後は三段目での勝ち越しや負け越しの状態が続いたが、2008年1月場所は6勝1敗と久々に好成績を挙げ、3月場所において幕下に復帰した。

2009年7月場所に再び四股名を濱錦に戻した。2011年1月場所では東幕下15枚目で4勝3敗と、2005年3月場所以来となる幕下15枚目以内での勝ち越しを果たした。5月技量審査場所で再び勝ち越しを決め、大相撲八百長問題で多くの力士が引退した影響もあり、7月場所で十両に再昇進した。所要39場所での再十両は史上最長記録となった。しかしその後は2場所連続で負け越して11月場所では幕下に戻った。

2012年1月場所は東幕下20枚目で3勝4敗と負け越したが、2月22日の日本相撲協会理事会において、2月29日付で引退し年寄春日山を襲名することが承認された。これにより、協会理事に専念する雷親方(元春日富士)に代わり、春日山部屋の師匠となった。[1]

2012年3月場所から既に部屋の指導を行っており、3月12日に大阪府立体育会館にて正式に引退記者会見を開いて13年の土俵生活への思いを述べ、今後は「我慢強い力士を育てて行きたい」と抱負を語っている。[2]

主な成績

通算成績

  • 通算成績:360勝365敗30休(77場所)
  • 幕内成績:44勝61敗 勝率.419
  • 幕内在位:7場所

場所別成績

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                               
濵錦 竜郎
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1999年
(平成11年)
x幕下付出60枚目
4–3 
東幕下51枚目
6–1 
西幕下24枚目
6–1 
東幕下8枚目
3–4 
西幕下14枚目
4–3 
2000年
(平成12年)
東幕下11枚目
4–3 
東幕下8枚目
4–3 
東幕下5枚目
5–2 
東十両13枚目
10–5 
西十両4枚目
5–10 
東十両8枚目
7–8 
2001年
(平成13年)
東十両10枚目
10–5 
東十両2枚目
9–6 
西前頭12枚目
4–11 
東十両3枚目
9–6 
西前頭14枚目
8–7 
東前頭12枚目
7–8 
2002年
(平成14年)
西前頭13枚目
8–7 
東前頭11枚目
7–8 
東前頭12枚目
6–9 
前頭14枚目
4–11 
西十両7枚目
8–7 
東十両7枚目
9–6 
2003年
(平成15年)
西十両5枚目
5–10 
東十両9枚目
10–5 
東十両4枚目
6–9 
東十両7枚目
2–3–10 
西幕下6枚目
0–0–7 
西幕下6枚目
4–3 
2004年
(平成16年)
東十両13枚目
8–7 
東十両10枚目
7–8 
東十両11枚目
9–6 
西十両5枚目
5–10 
東十両11枚目
6–9 
西十両14枚目
1–14 
2005年
(平成17年)
西幕下12枚目
4–3 
東幕下11枚目
5–2 
西幕下5枚目
2–5 
東幕下15枚目
3–4 
東幕下21枚目
3–4 
東幕下27枚目
2–5 
2006年
(平成18年)
西幕下41枚目
5–2 
東幕下28枚目
5–2 
東幕下19枚目
4–3 
西幕下14枚目
3–4 
東幕下19枚目
3–4 
東幕下28枚目
0–0–7 
2007年
(平成19年)
西三段目8枚目
0–1–6 
西三段目68枚目
4–3 
東三段目52枚目
4–3 
東三段目36枚目
4–3 
西三段目21枚目
3–4 
西三段目38枚目
4–3 
2008年
(平成20年)
東三段目23枚目
6–1 
東幕下45枚目
5–2 
東幕下30枚目
4–3 
東幕下26枚目
3–4 
東幕下34枚目
5–2 
西幕下17枚目
3–4 
2009年
(平成21年)
東幕下26枚目
4–3 
東幕下19枚目
3–4 
東幕下28枚目
2–5 
東幕下46枚目
5–2 
東幕下34枚目
4–3 
西幕下28枚目
2–5 
2010年
(平成22年)
東幕下44枚目
4–3 
東幕下38枚目
5–2 
西幕下23枚目
3–4 
西幕下31枚目
5–2 
西幕下15枚目
3–4 
西幕下19枚目
4–3 
2011年
(平成23年)
東幕下15枚目
4–3 
八百長問題
により中止
西幕下10枚目
6–1 
東十両9枚目
5–10 
東十両14枚目
2–13 
東幕下10枚目
2–5 
2012年
(平成24年)
東幕下20枚目
3–4 
西幕下26枚目
引退
0–0–0
xxxx
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

  • 髙濵 竜郎(たかはま たつろう)1999年3月場所 - 2000年5月場所
  • 濵錦 竜郎(はまにしき-)2000年7月場所 - 2005年9月場所
  • 髙濵 竜郎(たかはま-)2005年11月場所 - 2009年5月場所
  • 濵錦 竜郎(はまにしき-)2009年7月場所 - 2012年1月場所

年寄変遷

  • 春日山 嵩昌(かすがやま たかまさ)2012年2月 -

脚注

  1. ^ 「元前頭の浜錦が春日山部屋を継承」(毎日新聞)
  2. ^ 元幕内浜錦が引退会見「我慢強い力士を」 日刊スポーツ 2012年3月12日閲覧

関連項目

外部リンク