松本薫 (柔道)

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松本 薫
基本情報
ラテン文字 Kaori Matsumoto
日本の旗 日本
出生地 石川県の旗石川県金沢市
生年月日 (1987-09-11) 1987年9月11日(36歳)
身長 163cm
選手情報
階級 女子-57kg級
所属 ベネシード
段位 四段
JudoInside.comの詳細情報
獲得メダル
日本の旗 日本
柔道
オリンピック
2012 ロンドン 57kg級
世界柔道選手権
2010 東京 57kg級
2015 アスタナ 57kg級
2011 パリ 57kg級
世界団体
2008 東京 57kg級
2011 パリ 57kg級
ワールドマスターズ
2010 水原 57kg級
2012 アルマトイ 57kg級
2011 バクー 57kg級
グランドスラム
2014 東京 57kg級
2011 東京 57kg級
2010 リオ 57kg級
2010 パリ 57kg級
2010 東京 57kg級
2009 モスクワ 57kg級
2009 東京 57kg級
2009 パリ 57kg級
アジア大会
2010 広州 57kg級
アジア柔道選手権
2008 済州 57kg級
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松本 薫(まつもと かおり、1987年9月11日 - )は日本の女子柔道選手。階級は57kg級。帝京大学法学部卒業、ベネシード所属。身長163cm。段位は四段。血液型はA型。組み手は右組み。得意技は袖釣込腰小外刈寝技[1]。兄弟は兄と姉2人と弟がいる[2]。愛称は「野獣」。

経歴

2007年まで

石川県金沢市出身。兄弟が既に柔道を始めていたこともあり、親の勧めで6歳の時に岩井柔道塾で柔道を習い始めた[3]。岩井柔道塾では週1回レスリングの練習も取り入れていた関係から、味噌蔵町小学校時代には、レスリングの全国少年少女レスリング選手権大会にも出場して、2年生の時に22kg級で2位、3年生の時には24kg級で3位、4年生の時には27kg級に出場して3位を記録している[2][4]

兼六中学校2年の時には全国中学校柔道大会44キロ級で3位に入るも、その時1つ年上の姉である松本明子が48kg級で優勝したのに発奮して、翌年の全国中学校柔道大会では2階級上の52キロ級に出場して、優勝を果たした[5]

高校は金沢から上京して藤村女子高校に進学した。高校1年の3月に全国高校選手権の52kg級に出場するが、3回戦で埼玉栄高校三木千尋に有効を取られて敗れた。高校2年になると57kg級に階級を上げてインターハイに出場すると、決勝ではその年の世界ジュニアで優勝することになる津幡高校広村麻衣を判定(3-0)で破り優勝した[6]

しかし、三井住友海上と合同で練習する藤村女子高校の練習方法が肌に合わず[7]、また、東京の生活が馴染めなかったこともあり[8]、高校2年の10月には郷里の金沢学院東高校に転校することとなった。これにより、高校3年の時は全国高等学校体育連盟の規約でインターハイには出場できなかったものの、全日本ジュニアでは、決勝で大阪工大高校牧志津香横四方固で破ったのをはじめ、オール一本勝ちして優勝を果たした[9]。さらに、ブルガリア国際に出場して準決勝でオーストリアのサブリナ・フィルツモザー腕挫十字固で敗れるが3位となった。 高校3年の夏にはドイツジュニア国際に出場して、決勝で地元ドイツの選手を破って優勝した[1]

一度上京しながら郷里に戻ってしまったこともあり、大学進学にあたっては地元の短大に進んで栄養士の資格を取得することも考えたものの、環境の整った帝京大学で柔道に取り組みたいという気持ちが上回ったことで2006年4月には同大学への進学を果たし、国会議員谷亮子を輩出したことでも有名な同大学柔道部の一員となった[8]。ドイツジュニア国際では3位に終わり2連覇ならずも、全日本ジュニアの決勝では、筑波大学藤田康恵を指導1で破って2連覇を達成して世界ジュニア代表に選ばれた。世界ジュニアでは初戦でスロベニアのタイダ・ケティスと対戦して、GSに入ってから相手の頭が鼻を直撃したことにより骨折が疑われるくらいの出血となった。止血と柔道衣を取替えて試合再開となったが、再び出血したところ審判団が合議の上、治療に時間がかかるのみならず、また出血すると危険だという理由で棄権負けを言い渡した。この裁定に抗議したものの受け入れられなかった。その後は気力を振り絞って3位決定戦まで進むが、そこでハンガリーのドラ・ヘゲダスに腕挫十字固で敗れて5位に終わった[10]

2007年に入ると、2月のベルギー国際では3位に入り、秋の講道館杯では決勝で牧志津香に効果を取って優勢勝ちで優勝して、シニアの全国大会での初優勝を果たした。これが評価されて嘉納杯に出場するも、3回戦でハンガリーのバツコー・ベルナデット掬投で敗れるが、3位決定戦では、この階級で長きにわたって活躍してきた元オリンピック及び世界チャンピオンであるスペインのイサベル・フェルナンデスを判定(3-0)で破って3位になった[1]

2008年

2008年に入ると2月のドイツ国際に出場するが、2回戦でルーマニアのコリーナ・カプリオリウ小外刈であっけなく敗れた。この試合後の国際合同合宿での練習を通して、本格的な外国選手対策の必要性を自覚するに至った[2]

続く選抜体重別決勝では、世界選手権3位である了徳寺学園佐藤愛子をGSの末に判定(3-0)で破り優勝するが、佐藤に較べて実績の点で及ばないこともあってか、オリンピック代表には選ばれなかった。その後アジア選手権に出場して、決勝で韓国の姜信英に指導1で優勢勝ちして優勝した[1]

5月には全日本学生柔道優勝大会の東京予選に出場するが、東海大学との決勝で広村麻衣に反則の対象となる立ち姿勢から一挙に身体を捨てる脇固めを掛けられたことにより、試合そのものは反則勝ちになったものの、右肘を骨折して翌月の優勝大会には出場できなかった[11]

10月には東京で開催された世界柔道団体選手権大会に出場して、決勝では、2月の合宿の際に何度も投げられたというフランスのサラ・ロコ崩上四方固で破ったのをはじめ、3試合オール一本勝ちを果たして、日本の団体優勝に貢献した[1]

翌週開催された学生体重別では、決勝で日本大学粟野壽子延長戦の末判定(3-0)で勝って学生チャンピオンになった。さらに12月の嘉納杯では、準決勝でロコに指導2を取って優勢勝ちして、決勝では了徳寺学園の宮本樹理から大外刈で技ありを取って破り、優勝を果たした[1]

2009年

2009年に入ると、2月のグランドスラム・パリの2回戦で、今まで日本の選手がなかなか勝てなかった元世界チャンピオンであるキューバのユリスレイディス・ルペティに対して、1991年の世界選手権86キロ級決勝で岡田弘隆がきめたような非常に豪快で力強い小内刈で一本勝ちして、3回戦でも世界選手権2位で52キロ級から階級を上げたポルトガルのテルマ・モンテイロを判定で破るも、準決勝でギリシャのユリエッタ・ブクバラ払腰を返されて技ありを取られて敗れ、3位にとどまった[1]

翌週のワールドカップ・ウィーンでは準決勝でオリンピックチャンピオンであるイタリアのジュリア・クインタバレに指導2で優勢勝ちして、決勝でも帝京大学の3年先輩であるコマツ宇高菜絵隅返で技ありを取って優勢勝ちをおさめ優勝を果たした。さらに翌週のグランプリ・ハンブルクにも出場したが、準決勝でモンテイロに朽木倒で一本負けして3位に終わった。このヨーロッパ遠征では3連戦をこなして、3位、優勝、3位とまずまずの成績を残した[1]

続く体重別では、準決勝で三井住友海上徳久瞳を袖釣込腰で一本勝ち、決勝でも宇高菜絵を判定(3-0)で破り、2連覇を達成して世界選手権代表に選ばれた。さらにグランドスラム・モスクワにも出場して、準決勝ではモンテイロを延長戦の末判定(3-0)で破り、決勝でもハンガリーのヘドヴィグ・カラカスから小外掛で有効を取って優勢勝ちして優勝した。その後出場した団体戦の全日本学生優勝大会では、5戦4勝1分けの大活躍で帝京大学の優勝に大きく貢献した[1]

優勝候補として臨んだ世界選手権では、初戦を指導2勝ち、3回戦を袖釣込腰で一本勝ちするが、準々決勝では世界ジュニアチャンピオンであるブラジルのラファエラ・シルバ相手に指導2を取って優勢に試合を進めながら、ラスト30秒くらいのところで釣り手を取りにいった時に右手の甲を負傷して、釣り手がほとんど使えなくなるも、何とか優勢勝ちした。その後、準決勝ではフランスのモルガネ・リボーと対戦するが、右釣り手が相手の柔道衣を掴めないため試合にならず、大腰で一本負けした。 3位決定戦にも出場するが、やはりこの状況では試合にならず、カラカスに掬い投げで一本負けして5位に終わった[12]

大会終了後、日本に帰国した後の検査にて世界選手権で負傷した右手の甲は骨折していたことが判明した[13]

その後、まだ怪我も完治していないなか出場した講道館杯では、準決勝で佐藤愛子相手に延長戦までもつれこむが、払腰で有効を取って勝つものの、決勝では宇高菜絵に終了間際の豪快な大外刈で一本負けして2位に終わった。続くグランドスラム・東京では準決勝で佐藤愛子を延長戦の末判定(3-0)で破るが、決勝では徳久瞳に開始早々、内股で技ありを取られ指導2まで取って反撃するが、結局優勢負けして2位に終わった[1]

2010年

2010年になると、1月にはワールドマスターズに出場して、準々決勝で昨年のグランドスラムパリで敗れたブクバラを小内巻込、準決勝では世界選手権で敗れたカラカスに上四方固でそれぞれ一本勝ちして、決勝でも講道館杯で敗れた宇高菜絵を指導2で破って優勝を成し遂げて、年間王者決定戦とも言えるこの大会を制した[14]

2月のグランドスラム・パリでは、準決勝で世界選手権3位のカラカスと延長戦になったが、浮腰で技ありを取って破り、決勝では世界選手権で敗れた地元の世界チャンピオンであるリボー相手に優勢に試合を進めて、試合半ばに腕挫十字固で一本勝ちして優勝した[1]。 続くグランプリ・デュッセルドルフでも、準決勝でグランドスラム東京で敗れた徳久瞳に合技で一本勝ち、さらに決勝ではモンテイロから指導2を取って優勢に試合を進めて、残り30秒ほどのところで送襟絞で一本勝ちするなど、オール一本勝ちで優勝を果たした。3月には帝京大学を卒業した[1]

4月からはフォーリーフジャパンの所属となった。体重別では準決勝で佐藤愛子から払腰で有効を取って優勢勝ちして、決勝でも昨年に続いての対戦となった宇高菜絵に対して、指導1でリードするものの中盤に小外掛で一本負けを喫して体重別3連覇はならなかった。しかし、世界選手権代表には選出された[1]

5月にはグランドスラム・リオに出場して、最初の3試合は一本勝ち、準決勝ではフィルツモザーを指導2で退け、決勝ではグランプリデュッセルドルフに続く対戦となったモンテイロ相手に先に指導を取られるが、後半は攻勢に出て指導2を取り返して優勢勝ちで優勝を果たした[15]

6月の実業団体ではフォーリーフジャパンの2部優勝に貢献したものの、準決勝でJR東日本上原円に小外刈で技ありを取られ敗れて、トータル3勝1敗の成績となった[1]

9月11日世界選手権では初戦から3回戦までの3試合を一本勝ちして、続く準々決勝ではルペティにやや苦戦するも払腰を返して有効を奪い優勢勝ち、準決勝ではカプリオリウを開始早々横四方固めで破り、決勝では今年3度目の対戦となったモンテイロ相手に延長戦の末に小外刈一本で破って優勝、57kg級で日本初の金メダルをもたらした。また、このメダルは世界選手権における日本代表100個目の記念すべき金メダルであり、しかもこの日は自身23回目の誕生日であった[16][17]

11月のアジア大会では、準決勝で北朝鮮の林妍姫を小外刈の有効で破ると、決勝でも韓国の金ジャンディから終盤に小外刈で有効を奪って優勢勝ちして優勝を果たした[18]

12月にはグランドスラム・東京に出場して、準々決勝で佐藤愛子に2-1の判定で辛勝すると、準決勝では台湾の蓮珍羚をGSにおいて崩上四方固で破り、決勝では63kg級から階級を下げてきた自衛隊体育学校平井希と対戦して、準決勝に続いてGSまでもつれこむものの、横四方固で一本勝ちを収め優勝を果たした[19]。 また、今大会を放映したテレビ東京からは「美しき野獣」と形容された[20]

これで2010年は世界選手権をはじめ、出場した国際大会7大会全てで優勝を果たして、総計34連勝を記録することとなった[21]。また、今大会で優勝したことにより、三井住友海上中村美里に続いてグランドスラム大会を全制覇した2人目の選手となった(2008年にこの大会の前身である嘉納杯に優勝しているが、2009年にIJFグランプリシリーズが始まって、この大会がグランドスラム大会と新たに位置付けられて以降での優勝は今回が初めてとなる)[1]

2011年

2011年になると、1月にはワールドマスターズに出場して、初戦から順当に勝ち上がり、準決勝でスペインのコンチ・ベロリンに横四方固で一本勝ちしたが、決勝ではモンテイロに背負い投げで技有り、さらに終了間際にも朽木倒で有効を取られて敗れる。これで国際大会での優勝は7大会連続優勝でストップすることになった。また、国際大会での連勝記録は37、対外国選手の連勝記録も35でストップした[1]

2月にはグランプリ・デュッセルドルフに出場して、準々決勝ではアゼルバイジャンのキファヤト・ガシモワに先に大腰で有効を取られるが、大外刈で有効を取り返した後にすかさず袈裟固に入って一本勝ち、準決勝ではカプリオリウに小外刈で技有りと有効を取り快勝するが、決勝ではシルバに小外刈を隅落で切り替えされて技有りを取られ2位に終わった[1]

4月には体重別に出場して、準決勝でコマツの岩田千絵を小外刈の有効で破り、決勝では平井希から指導2を取って優勢勝ちして、今大会2年ぶり3度目の優勝を飾った。そしてパリ世界選手権代表に選ばれた[1]

5月には実業団体2部に出場して、準決勝で日光警備柔道部の石井明菜に袖釣込腰で一本勝ちすると、決勝では昨年敗れたJR東日本の上原円から指導1を取るものの引き分けとなったが、フォーリーフジャパンの3連覇に貢献した[1]

8月にパリで開催された世界選手権では、1回戦でブラジルのケトレイン・クアドロスに小外刈で技ありと有効を取って優勢勝ち、2回戦でセネガルのホルタンス・ディエディオウを横四方固、3回戦でドイツのマーレン・ハインを同じく横四方固、準々決勝でスペインのフェルナンデスに棄権勝ちするが、準決勝では佐藤相手に先に大外刈で有効を取りながら、終盤に体落で技ありを取られ、さらに袈裟固めで抑え込まれて合技の一本負けを喫した。佐藤とは6度目の対戦にして初めて敗れた。3位決定戦ではドイツのミリアム・ローパーに小外刈と横四方固の合技で一本勝ちして3位となった[22]。続く世界団体では、決勝には出場しなかったものの初戦と準決勝に出場して勝利するが、チームは2位にとどまった[1]

11月には講道館杯に出場して準決勝までオール一本勝ちで勝ち進むが、決勝で大学の1年後輩であるコマツの石川慈に内股と後袈裟固の合技による一本負けを喫して2位に終わった[1]

12月のグランドスラム・東京では初戦から順調に勝ち上がり、準決勝でも今年のグランプリ・デュッセルドルフ決勝で敗れたシルバを横四方固で一本勝ちして雪辱を果たすと、決勝ではパリ世界選手権準決勝で敗れた佐藤愛子から指導1を取るなどして優勢に試合を進め、GSに入ると佐藤の背負投を返して浮落で有効を奪って今大会2連覇を達成した[23]

2012年

2012年1月には ワールドマスターズに出場して、準々決勝ではクインタバレに先に払巻込で技ありを取られるが、小外刈で逆転の一本勝ちをすると、準決勝ではシルバに上四方固で一本勝ち、決勝ではモンテイロを横四方固で一旦は抑え込むも途中で解けてポイントにならずも、その後、送襟絞で一本勝ちして昨年の決勝で敗れた雪辱を果たすとともに、今大会2年ぶり2度目の優勝を飾った[24]

2月にはグランプリ・デュッセルドルフに出場して、準々決勝までの3試合を一本勝ちするも、準決勝ではモンゴルのドルジスレン・スミヤにGSに入ってから指導2を取って優勢勝して、続く決勝では桐蔭学園高校山本杏を指導2で破って、今大会2年ぶり2度目の優勝を飾った[25]

5月の体重別では、決勝で宇高に延長戦に入ってからの大外返で有効を取られて敗れるが、代表を争っていたライバルの佐藤が初戦で敗れたこともあり、ロンドンオリンピック代表に選ばれた[26][27]

7月のロンドンオリンピックでは、初戦でスロベニアのベスナ・ジュキッチを大外刈の技あり、2回戦でアゼルバイジャンのガシモワを小外刈の技あり、準々決勝でイタリアのクインタバレを同じく小外刈の技あり、準決勝ではフランスのパヴィアを延長戦に入ってからの大外刈の有効でそれぞれ下すと、決勝戦ではルーマニアのコリーナ・カプリオリウと対戦し、ゴールデンスコアの延長戦で、カプリオリウが河津掛けのように松本の足を内側から引っ掛けたと反則判定を受け、松本の勝利となる。本大会に於ける日本の金メダル第1号[28]、また、男女合わせて今大会唯一の日本柔道の金メダリストとなった。今回の優勝により、オリンピック世界選手権ワールドマスターズ及び全てのグランドスラム大会を完全制覇した最初の選手となった。また、石川県出身の人物が個人種目で金メダルを獲得したのはこれが史上初である[29]

9月10日には地元の石川県から松井秀喜以来二人目の県民栄誉賞を受賞することとなった[30]。 さらに、午後からは金沢市内で凱旋パレードを行った[31]。10月5日には東京都にゆかりのある選手として東京都栄誉賞・都民スポーツ大賞を受賞したが、その際に都知事の石原慎太郎は次のように語った。「あなたの試合をテレビで見てオオカミ少女かと思ったけど、こうしてみると美人だね」と絶賛。「あれぐらい闘志を見せなきゃダメ。日本人もああいう顔を見せなきゃいけない」[32][33]

10月25日には秋の園遊会に招待され、吉田沙保里と振袖姿で出席した[34]。 11月には紫綬褒章を受章した[35]

11月にはグランドスラム・東京に出場予定だったが、右腕の手術を施したために欠場することになった。復帰は来年の体重別になるという[36]

12月の強化合宿に参加した際には、来年から試験導入される帯から下に触れることの全面禁止や組み合うことが奨励される新ルールに関して尋ねられると、「両手で組み手を切ることが出来ないのが厳しいが、対策は3つほど考えていて、練習でも意識して取り組んでいる」「相手がちゃんと組んでくれれば私の反応も変わるから大丈夫」と語った[37][38]

2013年

1月25日には全柔連による「感謝のつどい」が開かれて、2012年度の最優秀女子選手に選ばれた[39]

3月6日には2020年のオリンピック招致を目指す東京の調査をするために来日した国際オリンピック委員会評価委員会を歓待するための、首相の安倍晋三主催による東京オリンピック開催50周年記念夕食会が迎賓館赤坂離宮において行われたが、ロンドンオリンピック体操個人総合金メダリストである内村航平や女子レスリング55kg級オリンピック3連覇の吉田沙保里らとともに、その席に招かれることになった[40]

3月8日には東京運動記者クラブ柔道分科会によって2012年度の記者クラブ賞が贈られることに決まった[41]

3月20日には右肘を手術した影響による調整不足で5月の体重別への出場を断念することが決まった。これにより、今年の世界選手権代表から外れることになった[42]

3月25日には新たに南條充寿が監督となった全日本代表チームにおける初めての強化合宿に参加したが、その際に「合宿の雰囲気が今までと変わった」と述べるとともに「今までは先生方が責任を持ってくれていたのが、一人一人が責任を持つようになってきた」と語った[43]

8月には約1年1ヶ月ぶりの試合となる実業選手権に出場するが、準決勝で三井住友玉置桃に小外刈で有効を取られて3位にとどまり、復帰戦を優勝で飾ることは出来なかった。試合後のインタビューでは、「子供たちに夢を与えるのが自分の役目」「これでもうチャンピオンじゃないから楽になる。松本薫はまた、ここから始まります」と新たに決意を語った[44][45]

11月には講道館杯に出場すると、準決勝で石川を袖釣込腰、決勝では宇高を指導2で破り、6年ぶりの優勝を飾った。今大会は「本能のままに野生のカンだけで戦った」ものの、今後は「野性のカンだけだと、理性を失う。野性の勘と人間の勘、半分半分」が理想の形だとコメントした[46][47]

しかし講道館杯後の練習で、右肩の亜脱臼と右太もも裏を肉離れして、グランドスラム・東京2013への出場を見合わせることになった[48]

12月には強化合宿に参加すると、ケガは「もう問題ない」と積極的に稽古を行った。「この1年は自分が求めている柔道が明確になった」と、これからも理想とする一本柔道を追い求めることを強調した[49]

2014年

2014年2月には、ロンドンオリンピック以来約1年半ぶりの国際大会となるグランプリ・デュッセルドルフに出場すると、決勝でドルジスレンを指導2で破り、今大会2年ぶり3度目の優勝を飾った。試合をしたことで「かなり感覚が戻ってきた」という。また、今年から女子の試合が5分から4分に変更された点に関して、「私は攻める柔道だから、4分間なら全てを出し切れる」と肯定的に語った[50][51]

4月の選抜体重別では大会1週間前にインフルエンザに罹患したことも影響してか、初戦でコマツの大友真貴子に一本背負投で敗れた。試合後、「勝たなきゃという気持ちが強すぎた。野性の勘というか、反応が遅れた」「ここで勝って、もう一度、世界の頂点に立ちたかった。こういう結果になって情けない」と敗戦の弁を語った[52] [53]。その後、2月にグランプリデュッセルドルフを優勝した時の内容がロンドンオリンピックで優勝した時の内容に近いとの首脳陣による判断から、世界選手権代表の2枠目に追加で選出されることになった[54] [55]

6月のグランプリ・ブダペストでは、決勝でフランスのエレーヌ・ルスボーを大内返の技ありで破って優勝を飾った[56]。この際に、世界選手権に向けて「投げ技系の新技がある。本番で見せたい」と語った[57]。この新技は「くるりんぱ」と名付けられた。内股の一種だが、通常のように相手を引き出して投げるのではなく、相手が寄ってきた勢いを利用して遠心力で投げる技だという[58]。また、現在の状態については「余裕ができた。自分がどういう状態かを自分で感じられている」「悟りですかね」と、野性の勘だけではない新たな境地に達したことをアピールした[59]

8月の最終合宿の際には、ライバルの宇高や63キロ級代表の田代未来などとともに烈車戦隊トッキュウジャーのお面を買い揃えて、「柔道戦隊柔レンジャー」の結成を宣言した。世界選手権で勝ったら、表彰式でお面を付けて登場するとまで宣言した[60][61][62]。しかしながら世界選手権では、2回戦でアメリカのマルティ・マロイに開始24秒で腕挫十字固を極められてよもやの敗戦となった。なお、松本が自身のトレードマークとも言うべき得意の寝技で外国選手に敗れたのは、2006年の世界ジュニア以来8年ぶりのこととなった。本人は今回の敗戦に関して、「今までは『勝ちたい』だったが、今回は勝たないといけないという気持ち。そうなることで技が出なかった」「初めて怖さを感じた」と語った[63][64]。後にこの試合に関して、「立ち技から寝技に移る時に審判を見てしまう悪い癖が出た」のが敗因だったと振り返った[65]。この試合で腕の靭帯を伸ばす負傷もしていることから、今後長期の休養を取る可能性もあるとしている[66]

しかしながら、12月のグランドスラム東京には「最初からこの大会に出ないという決断はなかった」として、今だに右肘の靱帯が伸びた状態でありながらもあえて出場することになった。この際に、「世界選手権では勝たなきゃいけない、野獣にならなきゃいけないと決めつけていた。もっと自然体でいく」と語り、再出発を誓った[67]。そのグランドスラム・東京では準決勝でコマツの芳田司を指導1で破ると、決勝ではモンテイロを横四方固で破って今大会3年ぶりの優勝を飾った[68][69]

2015年

2015年2月にはヨーロッパオープン・オーバーヴァルトに出場すると、決勝でルスボーを袖釣込腰の技ありで破って優勝を飾った[70]。3月いっぱいでフォーリーフジャパンの柔道部が廃部となったことに伴い、4月からはベネシードが新たに設けた柔道部に監督の中橋治美とともに移ることになった[71]

賞味期限切れの卵をよく熱せずに食して食中毒にかかり、そこから回復して間もない時期に出場した4月の体重別では、決勝で国士舘大学3年の山本杏をGSに入ってから指導1で破り、4年ぶり4度目の優勝を飾った。これにより、世界選手権代表に選ばれた[72][73][74][75][76]

5月にはワールドマスターズに出場するものの、初戦でフィルツモザーに有効で敗れた。「調整不足。次はポカしないように」と反省の弁を語った。また、リオデジャネイロオリンピックを最後に現役を引退する意向であることを明らかにした[77][78]

7月には「実戦感覚を養うために、試合を重ねたかった」として予定外だったグランプリ・ウランバートル に出場するが、準決勝で地元のドルジスレンにGS開始早々に有効を取られて敗れた。3位決定戦ではフィルツモザーと対戦して技ありを先取されるも、崩上四方固で逆転勝ちして3位になった[79][80]。以前から抱いていたものの、最近は試合中でも「なぜ柔道をしているのか? 戦っているのか?」と思案を巡らすあまりその疑問を隠しきれなくなり、試合でも苦戦が続くことになった。しかし、今大会の3位決定戦で技ありを先取された時に「負けたいのか、勝ちたいのか」と自問したところ、「やっぱり勝ちたいですよね。本能なんでしょうね」と素直に勝ちたいという気持ちが出てきた。すると、それまでの蟠りが吹き飛び、逆転勝ちを収めた。結論として辿り着いたのが、「答えはないという答え」だった。「なぜ私は人間なのかと思っても、答えは出ないですよね。一生解決しない。柔道をやめたら分かるのかな」。 一方、ロンドンオリンピック後は大技狙いの柔道に色気を見せていた時期もあったが、これからは泥臭く、粘り強く、低重心で相手を足技で追い詰めて「狩る」といった本来得意にしていた柔道スタイルに戻すという[81][82]

その後の所属先の世界選手権壮行会では、「最近は本当に柔道しかやっていなかったので、日本語をしゃべっていなかった…。意味が分からなかったらほっといてください」とスピーチした。続いて、「今年の世界選手権、私は勝ちにいきます。金メダルを取りにいきます!」と決意を語った[83]

8月の世界選手権では準々決勝で世界ランク3位のドルジスレンを有効で破ると、準決勝ではパヴィアに指導1で優勢勝ち、決勝ではカプリオリウに小外刈の技ありで勝利して、5年ぶり2度目の世界選手権優勝を飾ることになった。オリンピックの金メダリストのみに着用が許される背中の金文字のゼッケンがプレッシャーになったこともあったが、今回は目の前の相手だけを見ればよいと吹っ切ることができたという。また、「勝つのは当たり前なんで」と述べると、ロンドンオリンピックの頃に比べて「今の方が強いです」とも語った[84][85][86]。12月のグランドスラム・東京では2回戦でシルバと対戦すると、有効を先取しながら飛びついての腕挫十字固で一本負けを喫してメダルも取れずに終わった。試合後には、「気持ちをつくり切れていないままだった。何を考えてもネガティブになっていた」「飛びつき腕十字は頭になかった。悔しい気持ちでいっぱい」とコメントした[87][88]。その後のインタビューでは、「今年はいろんなことを疑って、いろいろ試して、世界選手権で集中できた」として、今年の漢字に「疑」を選んだ。続けて、「来年の漢字は“念”です。ロンドン以降、積み重ねてきたものをつなぎ合わせて(勝利を)念じていい年だと思っている」と語った[89]

2016年

2016年1月にはオリンピックへ向けた意気込みを尋ねられると、「ことしの目標は五輪2連覇。いかに平常心で自分を信じることができるか。挑戦していきたい」述べた[90]

風邪で体調が良くない中で迎えた2月のグランプリ・デュッセルドルフでは、準々決勝でシルバを指導1で破ると、準決勝で金ジャンディを崩袈裟固、決勝でもルスボーを同じく崩袈裟固で破って、今大会2年ぶり4度目の優勝を飾った。試合後には、「今回は寝技がすごく充実していた。ここで勝てたということは自分でも評価したい」と語った[91][92][93]

4月の選抜体重別では準決勝で大学の後輩の石川に横返しからの横四方固で敗れた。この敗戦に関しては、寝技の攻防で上から石川を攻めていたら審判の『待て』の声が聞こえたので力を緩めたところを、構わず攻めてきた相手に抑え込まれてしまったと説明した。また、本人は抑え込まれている最中に主審に向けて右手を突き出して、「待てって言いましたよね?」とも訴える挙に出た。試合後のインタビューでは憤懣遣る方無い表情で、これからは相手の動きが止まるまで動きを決して止めないようにすると語った。さらには、畳の上の選手は主審の声しか聞こえないにもかかわらず、主審が場外のジュリーや副審の指示に頼って主体性を十分に打ち出せず、容易に判断を変える現行のジュリー制度をも批判した。これに対して審判委員長の西田孝宏は、「本人の勘違いです」、審判副委員長の大迫明伸も「ビデオで確認したところ、審判の口は動いていない」とそれぞれ指摘すると、この試合を受け持った女性審判も、「私は待てと言っていませんし、手も動かしていません。松本選手の勘違いだと思います」と反論した。所属するべネシード柔道部監督の中橋がこの試合をVTRで確認したところ、『待て』の声は観客席から発せられたものだと確認されて、結局松本の勘違いであることが判明した。その後、松本自身も「審判の方に抗議して申し訳ありませんでした。自分の勘違いで観客席からの声だった。最後まで試合に集中してなかったということ」と、自らの非を認めて反省の弁を述べた。この1件に関して、オリンピックの本番では絶対にしてはならない勘違いであり、今後に向けての教訓にすべきだとの意見も出された[94][95][96]。結果として今大会は3位にとどまったものの、実績でリオデジャネイロオリンピック代表には選出された[97]。代表決定後の会見ではオリンピックで印象に残っている場面を聞かれると、「チョー気持ちいい!」のフレーズで有名な「水泳の北村さん…?」と北島康介を北村と間違えるも、「あ、違う、北島さん!」と訂正して周囲を笑わせた。また、「野獣ではなく、知性を持った野獣で戦いたい。」とオリンピックへ向けた意気込みを語った[98][99]

世界ランキング

IJF世界ランキングは1956ポイント獲得で3位(16/5/2現在)[100]

主な戦績

年月 大会 成績
2001年8月 全中 3位
2002年8月 全中 1/優勝
2004年8月 インターハイ 1/優勝
2005年1月 ブルガリア国際 3位
2005年8月 ドイツジュニア国際 1/優勝
2005年9月 全日本ジュニア 1/優勝
2006年08月 ドイツジュニア国際 3位
2006年09月 全日本ジュニア 1/優勝
2006年10月 世界ジュニア 5位
2007年02月 ベルギー国際 3位
2007年11月 講道館杯 1/優勝
2007年12月 嘉納杯 3位
2008年04月 選抜体重別 1/優勝
2008年04月 アジア選手権 1/優勝
2008年10月 世界団体 1/優勝
2008年10月 学生体重別 1/優勝
2008年12月 嘉納杯 1/優勝
2009年02月 グランドスラム・パリ 3位
2009年02月 ワールドカップ・ウィーン 1/優勝
2009年02月 グランプリ・ハンブルク 3位
2009年04月 選抜体重別 1/優勝
2009年05月 グランドスラム・モスクワ 1/優勝
2009年06月 全日本学生柔道優勝大会 1/優勝
2009年08月 世界選手権 5位
2009年11月 講道館杯 2位
2009年12月 グランドスラム・東京 2位
2010年01月 ワールドマスターズ 1/優勝
2010年02月 グランドスラム・パリ 1/優勝
2010年02月 グランプリ・デュッセルドルフ 1/優勝
2010年04月 選抜体重別 2位
2010年05月 グランドスラム・リオ 1/優勝
2010年06月 実業団体 1/優勝
2010年09月 世界選手権 1/優勝
2010年11月 アジア大会 1/優勝
2010年12月 グランドスラム・東京 1/優勝
2011年01月 ワールドマスターズ 2位
2011年02月 グランプリ・デュッセルドルフ 2位
2011年04月 選抜体重別 1/優勝
2011年06月 実業団体 1/優勝
2011年08月 世界選手権 3位
2011年08月 世界団体 2位
2011年11月 講道館杯 2位
2011年12月 グランドスラム・東京 1/優勝
2012年01月 ワールドマスターズ 1/優勝
2012年02月 グランプリ・デュッセルドルフ 1/優勝
2012年05月 選抜体重別 2位
2012年07月 ロンドン五輪 1/優勝
2013年08月 実業選手権 1/3位
2013年011月 講道館杯 1/優勝
2014年02月 グランプリ・デュッセルドルフ 1/優勝
2014年06月 グランプリ・ブダペスト 1/優勝
2014年12月 グランドスラム・東京 1/優勝
2015年2月 ヨーロッパオープン・オーバーヴァルト 1/優勝
2015年04月 選抜体重別 1/優勝
2015年07月 グランプリ・ウランバートル 1/3位
2015年08月 世界選手権 優勝
2016年02月 グランプリ・デュッセルドルフ 1/優勝
2016年04月 選抜体重別 1/3位

(出典[1]JudoInside.com)。

国際大会での連勝記録

2010年は1月のワールドマスターズ2010から12月のグランドスラム・東京2010まで国際大会では7大会連続優勝で総計34連勝を記録して、1年間を国際大会無敗で過ごすことになった。しかし2011年1月のワールドマスターズ2011の決勝で敗れたため、国際大会での優勝は7大会連続優勝でストップすることになった。また、国際大会での連勝記録も37連勝でストップと相成った[1]

日本の女子選手では谷亮子が1996年12月の福岡国際から2007年9月の世界選手権まで約11年9ヶ月かけて13大会連続優勝(個人戦のみの記録で団体戦は含まないが、団体戦を含めるとワールドカップ団体戦に2度出場して、そこではそれぞれ3位及び5位と敗れているので、それ以降に出場した1999年1月の福岡国際から10大会連続優勝ということになる)を果たしているが、それに次ぐ記録となった(他にも、48kg級の浅見八瑠奈は2009年1月のワールドカップ・ソフィアから2010年2月のワールドカップ・ブダペストまでの約1年1ヶ月、また、52kg級の中村美里は2009年2月のググランプリ・ハンブルクから2010年5月のグランドスラム・リオまでの約1年3ヶ月の間に、それぞれ国際大会で7大会連続優勝を成し遂げている、但し浅見の場合はユニバーシアード団体戦での優勝も含めると8大会連続となる)[1]

さらに外国選手に対する連勝記録としては、2009年12月のグランドスラム・東京2回戦から2011年1月のワールドマスターズ準決勝まで35連勝を記録することとなった。なお、テレビ東京グランドスラム・東京2011の放映において松本に言及した際(2011年12月10日放送分)、松本は対外国人選手との戦いで34連勝を記録したと報じたが、実際には2009年12月のグランドスラム・東京20092回戦から2011年1月のワールドマスターズ2011準決勝までの約1年1ヶ月の間に35連勝しており、34連勝というのは誤報である(上記にも記したように、松本は2010年においては、1月のワールドマスターズ2010から12月のグランドスラム・東京2010まで国際大会で7大会連続優勝を果たして総計34連勝を記録した)。(参考資料:ベースボールマガジン社発行の近代柔道バックナンバー、全柔連ホームページの大会結果)。

連勝数 ラウンド 対戦相手 内容
ワールドマスターズ2010 (2010年1月16日) 優勝
1 1回戦 朱柱蓉 (中国) 一本勝ち (横四方固)
2 準々決勝 ブクバラ (ギリシャ) 一本勝ち (小内巻込)
3 準決勝 カラカス (ハンガリー) 一本勝ち (上四方固)
4 決勝 宇高菜絵 (日本) 優勢勝ち (指導2)
グランドスラム・パリ2010 (2010年2月6日) 優勝
5 1回戦 イスラスバレホ (メキシコ) 一本勝ち (袖釣込腰)
6 2回戦 ラリッツァ (フランス) 一本勝ち (横四方固)
7 準々決勝 ロコ (フランス) 一本勝ち (大内刈)
8 準決勝 カラカス (ハンガリー) GS技あり優勢勝ち (浮腰)
9 決勝 リボー (フランス) 一本勝ち (腕挫十字固)
グランプリ・デュッセルドルフ (2010年2月20日) 優勝
10 1回戦 レギス (イギリス) 一本勝ち (横四方固)
11 2回戦 フランセン (オランダ) 一本勝ち (小外掛)
12 準々決勝 サブルディナ (ロシア) 一本勝ち (縦四方固)
13 準決勝 徳久瞳 (日本) 一本勝ち (合技)
14 決勝 モンテイロ (ポルトガル) 一本勝ち (送襟絞)
グランドスラム・リオデジャネイロ2010 (2010年5月22日) 優勝
15 1回戦 ファルコ (ブラジル) 一本勝ち (横四方固)
16 2回戦 メルニコワ (ロシア) 一本勝ち (横四方固)
17 準々決勝 クインタバレ (イタリア) 一本勝ち (袖釣込腰)
18 準決勝 フィルツモザー (オーストリア) 優勢勝ち (指導2)
19 決勝 モンテイロ (ポルトガル) 優勢勝ち (指導2)
2010年世界柔道選手権大会 (2010年9月11日) 優勝
20 1回戦 ボンチャルー (タイ) 一本勝ち (腕十字固)
21 2回戦 ベンステッド (オーストラリア) 一本勝ち (大外刈)
22 3回戦 パヴィア (フランス) GS一本勝ち (横四方固)
23 準々決勝 ルペティ (キューバ) 有効優勢勝ち (谷落)
24 準決勝 カプリオリウ (ルーマニア) 一本勝ち (横四方固)
25 決勝 モンテイロ (ポルトガル) GS一本勝ち (小外刈)
2010年アジア大会 (2010年11月15日) 優勝
26 1回戦 ライ (ネパール) 一本勝ち (小外掛)
27 準々決勝 テン (カザフスタン) 一本勝ち (上四方固)
28 準決勝 林妍姫 (北朝鮮) 有効優勢勝ち (小外刈)
29 決勝 金珍迪 (韓国) 有効優勢勝ち (小外刈)
グランドスラム・東京2010 (2010年12月12日) 優勝
30 1回戦 カーミッシェル (アメリカ) 一本勝ち (崩上四方固)
31 2回戦 フランセン (オランダ) 技あり優勢勝ち (小外刈)
32 準々決勝 佐藤愛子 (日本) GS優勢勝ち (判定2-1)
33 準決勝 連珍羚 (台湾) GS一本勝ち (崩上四方固)
34 決勝 平井希 (日本) GS一本勝ち (横四方固)
ワールドマスターズ2011 (2011年1月15日) 2位
35 1回戦 ハイン (ドイツ) 一本勝ち
36 準々決勝 パヴィア (フランス) 技あり優勢勝ち
37 準決勝 ベロリン (スペイン) 一本勝ち (横四方固)

有力選手との対戦成績

(2016年2月現在)

対戦成績
国籍 選手名 内容
日本の旗 佐藤愛子 6勝1敗 (6勝のうち5勝がGSでの勝利)
日本の旗 宇高菜絵 5勝3敗
日本の旗 山本杏 2勝
ポルトガルの旗 テルマ・モンテイロ 7勝2敗
フランスの旗 オトーヌ・パヴィア 4勝
ブラジルの旗 ラファエラ・シルバ 4勝2敗
ルーマニアの旗 コリーナ・カプリオリウ 6勝1敗
モンゴルの旗 ドルジスレン・スミヤ 4勝1敗
キューバの旗 ユリスレイディス・ルペティ 2勝1敗
オーストリアの旗 サブリナ・フィルツモザー 3勝2敗
アメリカ合衆国の旗 マルティ・マロイ 1敗

(参考資料:ベースボールマガジン社発行の近代柔道バックナンバー、JudoInside.com等)。

IJFワールド柔道ツアーにおける獲得賞金一覧

大会 開催日 順位 獲得賞金
グランドスラム・パリ2009 2009年02/07-2月7日 3位 1,500ドル
グランプリ・ハンブルク 2009年02/21-2月21日 3位 1,000ドル
グランドスラム・モスクワ2009 2009年05/31-5月31日 1/優勝 5,000ドル
グランドスラム・東京2009 2009年12/13-12月13日 2位 3,000ドル
ワールドマスターズ2010 2010年01/16-1月16日 1/優勝 6,000ドル
グランドスラム・パリ2010 2010年02/06-2月6日 1/優勝 4,000ドル
グランプリ・デュッセルドルフ 2010年02/21-2月21日 1/優勝 3,000ドル
グランドスラム・リオデジャネイロ2010 2010年05/21-5月21日 1/優勝 5,000ドル
2010年世界柔道選手権大会 2010年09/11-9月11日 1/優勝 6,000ドル
グランドスラム・東京2010 2010年12/12-12月12日 1/優勝 5,000ドル
ワールドマスターズ2011 2011年01/15-1月15日 2位 4,000ドル
グランプリ・デュッセルドルフ 2011年02/20-2月20日 2位 2,000ドル
グランドスラム・東京2011 2011年12/10-12月10日 1/優勝 5,000ドル
ワールドマスターズ2012 2012年01/14-1月14日 1/優勝 6,000ドル
グランプリ・デュッセルドルフ 2012年02/18-2月18日 1/優勝 3,000ドル
グランプリ・デュッセルドルフ 2014年02/18-2月21日 1/優勝 3,000ドル
グランプリ・ブダペスト 2014年02/18-6月21日 1/優勝 3,000ドル
グランドスラム・東京2014 2014年12/10-12月5日 1/優勝 4,000ドル
グランプリ・ウランバートル 2015年07/3-7月3日 1/3位 800ドル
2015年世界柔道選手権大会 2015年09/11-8月26日 1/優勝 7,200ドル
グランプリ・デュッセルドルフ 2014年02/18-2月21日 1/優勝 2,400ドル
総計 / 21大会 79,900ドル
  • 日本選手の場合は、獲得賞金の半分は全柔連の取り分となっていたが、2013年3月からは競技者規定が改訂されて、賞金は全額選手が受け取れることになった[101]。なお、2010年のグランドスラム・パリの場合は、獲得賞金の20%がコーチの取り分となったので、3位の賞金は1,500ドルではなく1,200ドルとなった[102]。2011年の世界選手権ではメダリストに賞金ではなく贈り物が与えられた[103]。2014年7月からはIJF主催の各大会でコーチにも賞金が支給されるようになったために、選手の賞金が従来の2割減となった[104]

柔道スタイル

右組み手から大外刈、小外刈、袖釣込腰などをよく繰り出す。特に2010年頃からは小外刈を頻繁に見せるようになった。但し本人によれば、最も得意としているのは大外刈だという。以前は組み手のことをあまり考えたことはなかったが、最近は持ちたいところをいかに持てるようになれるかを色々と研究するようになった。 外国の強豪選手相手でも組み勝つケースが多い反面、受けは必ずしも強い方ではない。立ち技はあまり切れる方ではないが、立ち技で相手を崩したりポイントを奪うと、すかさず抑込技に持ち込み一本を取る堅実さを持ち合わせている。寝技は抑込技だけでなく、絞め技関節技も使いこなせる。日本の女子選手は寝技の巧い選手が多いが、その中でも特に巧い選手である。関節技を得意とするライバルのテルマ・モンテイロでさえも松本との寝技勝負になるとすかさず場外に逃げる姿勢を見せる。なお、強敵としてモンテイロ、オトーヌ・パヴィア、ラファエラ・シルバの名を挙げている。特にモンテイロは肉体的にも精神的に自分に似ており、最も嫌な相手だという[105][106][107]

人物

身体能力

  • リーチは164cm。視力は左右ともに1.5。握力は右36kg、左39kg。足のサイズは24.5cm[2]
  • 子供の頃から体を動かすのが大好きで、スケートボードキャッチボールによく興じたりする。50mを7秒0で走る[2][108]
  • ロンドンオリンピック前の強化合宿で、一定のスピードで20mの間隔を往復してその回数を競うシャトルランに取り組んで125回を記録した。これは男子大学生のバスケットボール選手並の数字だという[109]
  • 減量がほとんどないので試合後半になってもスタミナが持続して、その点では他の選手より有利だという[110]

考え方など

  • 親からは「頭下げるな」「下を向いていてもいいことはない。どんなときでも消極的になるな」と教えられ育ってきた [3]
  • 松本家のモットーは、「一番以外はビリと同じ」[111]
  • それまではきつい練習をすることによって強くなるとばかり考えていたが、大学2年の時に監督である稲田やチームメイトが楽しんで柔道に取り組んでいるのに気付いて、きついとは思わず楽しんで取り組めばよいと考えるようになってから、気が楽になって結果を出し始めたという[2]
  • 以前から頻繁に骨折をすることから、ジャンクフード中心(お菓子やアイスクリームなどを好んでいた)食生活の改善に最近は努めるようになる[105]
  • ロンドンオリンピックから帰国後メダリストとして東日本大震災の被災地を訪れた際、会場から「憧れの選手はいますか?」との問いに、松本は「目指しているのはドラゴンボール孫悟空」と答えている[112]

周囲からの評価

  • 女子監督の園田隆二に「野性児」と呼ばれるだけあって、それまでは直情型の攻撃スタイルに走りがちだったが、2009年の世界選手権を契機に、野性味あふれる攻撃のみならず自らをコントロールして冷静に対処する術も身に付け始めるようになった[113]
  • かつて東福岡柔道教室で谷亮子を指導していた帝京大学女子柔道部監督の稲田明をして、「松本は、野性味のあるオオカミ。獲物を狙うような目にほれた。そんな目をした子は初めて見た」と言わしめた[114]
  • その野性味あふれる顔つきや柔道スタイルから、一部のマスメディアによって「野獣」「野生児」、海外メディアからは「アサシン(暗殺)」というニックネームを付けられている[115]。本人はもののけ姫と呼んでほしいと主張した[116]
  • Ippon.TV の実況を務めるシェルドン・フランコ=ロックスが、試合会場で常に鋭い眼差しを向ける松本のことを、度々「アサシン」と形容していた[117]。もともとは2010年の世界選手権でゲスト解説を務めていたデイヴィッド・マックフォールがこのような表現を使い始めた。

その他

  • 上記のような野性味あふれるイメージとは違い、大学時代の同級生からは「普段はどちらかと言うと天然」と松本を評している[118]
  • 柔道で海外遠征をするようになると、母親から「薫はいろんな所に行けていいね」と言われた。その時に将来オリンピックに連れて行くことを約束したという。「7人家族の私の家では、両親はいつも働きづめだった。旅行なんてなかった。連れて行くとしたら、柔道しかないと思っていた。それで、『オリンピックに連れて行く』と約束をしました」[119][120]
  • 本人によると帝京大学2年の時、「大学の道場で麦茶の入ったクーラーボックスから体長約7cmほどの全身緑色をした妖精が顔を出して、辺りを見渡しながら何処かへ飛んでいった光景を目撃した」と、俄かには信じがたい話を強化合宿における公開練習の際に語った。さらに、「その妖精が見守ってくれているから世界選手権での2連覇も大丈夫だ」と続けて話した[121]
  • ロンドンオリンピック(2012年)から帰国後に行われたイベントでは、会場に来ていた子供から妖精を見る方法を尋ねられた。それについて、「普通に飛んでくるので、それをジッと見ていれば、見られます」と答えている[122]
  • シドニーオリンピックの女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子との対談では、ロンドンオリンピック後の周囲の変化について次のように語った。「以前とは全然違いますよ。ロンドンに向けて出発するとき、「行ってらっしゃい」って、成田で誰も見送ってくれなかったのに、帰国したら大勢の人が「お帰りなさい」って大歓迎ですよ(笑)。エッ? こんなに私の周りに人がいたの? って、それが驚きでした。それと“ジロジロ度”です。ラーメン屋さんでラーメン食べているときも、「松本、ラーメンなう」ってツイートされるし、周りが気になって気になって。いい意味での窮屈ですけどね。」[123]
  • ロンドンオリンピックにおける松本の活躍を見てロック歌手の矢沢永吉は、「何が何でも金を獲るというあの目つき。カッコよかったです」「アレには先方(相手選手)もびびったんじゃないの!」[124]、歌手で俳優の泉谷しげるは、「『野獣』松本薫にはコーフンした!(笑) あの獲物を捕らえる『鋭い目つき』は久しぶり!」「今どきっ子って、けっしてギラギラしないだろーと勝手にキメつけてはイカンなぁ(笑)。若くて凄くてナリフリかまわずのチカラこそに美しさを感じるのは今もムカシもないのだな〜!」[125]プロ野球東北楽天ゴールデンイーグルスの監督だった星野仙一は、「彼女はええ目つきをしとる。あれぐらいじゃなきゃ、世界で戦えん」「講演だけじゃ分からんから、ウチのやつらに稽古をつけてもらいたい。まったくかなわんやろうけどな。道着で締め上げてほしいよ」[126]と、それぞれ感想を述べた。
  • 2010年の世界選手権日本代表になった際の記者会見において、他の代表選手が好きな言葉として「不屈」、「努力」などといった如何にもな言葉を色紙に認めるなか、「空」という言葉を書いた。その言葉を書いた理由を尋ねられると、「好きな物かと思って…。でも空は好きです」と返答した[127]
  • 子供の頃は忍者戦隊カクレンジャーのファンで、よく「カクレンジャーごっこ」をしていたという[62]
  • 地元金沢にいたころは、飼い猫が兼六園の方から銜えてきたというハクビシンを飼っていて、時々一緒に散歩をすることもあったという[128][129]
  • 色黒なので、蝉が自分のことを木と間違えて止まってくることもあり、虫嫌いなこともあって、その時はさすがに恐怖を覚えたという[130]
  • オリンピック優勝後のインタビューではビッグパフェが食べたいと何度も発言して話題になると[131]、帰国後にはテレビ番組で理想のタイプだという俳優の小泉孝太郎に特大パフェを食べさせてもらった[132]
  • フランスの柔道雑誌であるL'Esprit du Judoにおいて、オリンピック後は柔道のコーチか天文学者パティシエになりたいと語った[133]。しかし、その後の月刊武道とのインタビューにおいて、パティシエになりたいと言った覚えはないと否定した。また、お菓子は作るより食べる方が好きだとも付け加えた。さらに、得意料理は豆板醤を使った本格的な麻婆豆腐だと語った[134]
  • 観光庁が応援していることをホームページで表明している[135]

書籍

映画出演

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 「柔道全日本強化選手名鑑 2016」近代柔道 ベースボールマガジン社、2016年4月号
  2. ^ a b c d e f 「解体新書 松本薫」近代柔道 ベースボールマガジン社、2008年12月号、102-105頁
  3. ^ a b 新歓!期待の新人特集 帝大の柔ちゃん、世界目指す/帝大 <柔道部・松本薫> 日刊スポーツ 2006年4月24日
  4. ^ 柔道金メダリストの松本薫選手は、全国少年少女レスリング選手権の出場経験者 全日本レスリング連盟 2012年8月1日
  5. ^ 「第33回全国中学校柔道大会」近代柔道 ベースボールマガジン社、2002年10月号、34頁
  6. ^ 「詳報・インターハイPart1」近代柔道 ベースボールマガジン社、2004年9月号、20頁
  7. ^ 松本、攻撃柔道が結実=57キロ級で日本に初の金 時事通信 2012年7月31日
  8. ^ a b [松本薫さんインタビュー] スポーツで生きていこう - 大学・専門学校・各種スクール検索サイト 2012年7月1日
  9. ^ 全日本女子ジュニア柔道、松本薫がオール一本で優勝
  10. ^ 「世界ジュニア選手権大会」近代柔道 ベースボールマガジン社、2006年12月号、53頁
  11. ^ 「平成20年度全日本学生優勝大会展望」近代柔道 ベースボールマガジン社、2008年7月号、40頁
  12. ^ 松本右手負傷も…「全然ダメ」/世界柔道 - 世界柔道選手権大会2009 日刊スポーツ 2009年8月28日
  13. ^ 女子57キロ級代表の松本の右手は骨折 スポーツニッポン 2009年9月13日
  14. ^ マスターズ・スウォンマッチレポート(3)57kg級、63kg級 柔道サイト eJudo 2010年2月16日
  15. ^ 柔道、中村ら日本勢6階級制覇 グランドスラム第1日 47NEWS 2010年5月23日
  16. ^ 松本初V!日本100個目の金 世界柔道 サンケイスポーツ 2010年9月12日
  17. ^ 【美女カタログ】肉食系ファイター、女子柔道の松本薫 MSN産経ニュース 2010年9月19日
  18. ^ “中村、秋本、松本が金=アジア大会・柔道”. 時事通信. (2010年11月15日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201011/2010111500886 2011年3月21日閲覧。 
  19. ^ 「逃げないで~」…松本寝技で制す/柔道 日刊スポーツ 2010年12月12日
  20. ^ 柔道グランドスラム東京2010 テレビ東京
  21. ^ 松本薫が出場国際大会すべてV 日刊スポーツ 2010年12月12日
  22. ^ 闘志復活も連覇ならず=松本、けが押し「今の柔道」-世界柔道 時事通信 2011年8月24日
  23. ^ 松本、激闘!連覇!佐藤にリベンジ サンケイスポーツ 2011年12月10日
  24. ^ 57キロ級V松本「よかった」/柔道 日刊スポーツ 2012年1月15日
  25. ^ 松本薫が優勝、五輪へ前進/柔道 日刊スポーツ 2012年2月19日
  26. ^ 女子柔道五輪代表に 金沢出身の松本薫選手 テレビ金沢 2012年5月13日
  27. ^ 母の日に約束果たす 柔道・松本薫が五輪切符 富山新聞 2012年5月13日
  28. ^ 松本が金、中矢は銀 柔道・30日 日本オリンピック委員会 2012年7月31日閲覧
  29. ^ ロンドンオリンピック柔道女子57キロ級 松本 薫 選手「金メダル」おめでとう!!
  30. ^ 柔道金の松本薫に松井以来の県民栄誉賞 日刊スポーツ 2012年9月10日
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外部リンク