兼六園

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兼六園
霞ヶ池
霞ヶ池
所在地 北緯36度33分43.7秒 東経136度39分45.0秒 / 北緯36.562139度 東経136.662500度 / 36.562139; 136.662500座標: 北緯36度33分43.7秒 東経136度39分45.0秒 / 北緯36.562139度 東経136.662500度 / 36.562139; 136.662500
分類 池泉回遊式日本庭園
面積 総面積 11.7ヘクタール
前身 蓮池庭(1676年(延宝4年))
開園 一般公開は1874年(明治7年)5月7日
備考 名勝指定:大正11年3月8日
特別名勝指定:昭和60年3月20日
公式サイト 兼六園(石川県)
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兼六園(けんろくえん)は、石川県金沢市にある日本庭園。国の特別名勝であり、日本三名園の一つに数えられる。

概要[編集]

17世紀中期、加賀藩により金沢城の外郭に造営された藩庭を起源とする江戸時代を代表する池泉回遊式庭園である。広さは約11.7ヘクタール岡山市後楽園水戸市偕楽園と並んで、日本三名園の一つに数えられる。1922年に国の名勝、1985年には国の特別名勝に指定されている。

金沢市の中心部に位置し、旧百間堀の底を道路とした百間堀通り(百万石通り)を橋で渡ったところの石川門から、金沢城を復元中の金沢城公園へと続いている。

庭の歴史[編集]

江戸時代[編集]

春:徽軫灯籠と霞ヶ池
秋:徽軫灯籠と霞ヶ池
冬:徽軫灯籠と霞ヶ池

江戸時代、加賀藩の庭園として造られたことに端を発する。延宝4年(1676年)に5代藩主前田綱紀が「蓮池亭(れんちてい)」を造り、その庭を「蓮池庭(れんちてい)」と呼んだのが始まりとされている。これは、蓮池門(れんちもん)を入った辺りであり、現在7つある門の中で正門とされている。当時は、金沢城の外郭として城に属していた。

13代藩主前田斉泰が現在のものにほぼ近い形にしたとされる。「兼六園」の名称が定められたのもこの頃である。

名称は宋代の詩人・李格非が『洛陽名園記』の中で、中国洛陽の名園「湖園」を謳った「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六つを兼ね備える名園」[1]に倣い、文政5年に白河楽翁公(松平定信)によって命名された[2]。とくに、小立野台地の先端部に位置していることから、園内に自然の高低差がある。これによって、園路を登りつめていく際の幽邃な雰囲気と、高台にある霞ヶ池周辺の宏大さ、眼下の城下町の眺望を両立させている。

春夏秋冬それぞれに趣が深く、季節ごとに様々な表情を見せるが、特に雪に備えて行われる雪吊は冬の風物詩として情緒を添える。霞ヶ池を渡る石橋を琴に見立てて徽軫(ことじ)をなぞらえた徽軫灯籠(ことじとうろう)は、兼六園を代表する景観となっている。

園内の噴水は、日本に現存する最も古い噴水であるといわれる。これより高い位置にある園内の水源、霞ヶ池から石管で水を引き、水位の高低差だけを利用して、水を噴き上げさせている。そのため、水が噴き上がる最高点は、ほぼ霞が池の水面の高さに相当する。ポンプなどの動力は一切用いておらず、位置エネルギーのみを利用したものである。

11代藩主前田治脩が翠滝、夕顔亭を、12代藩主前田斉広が竹沢御殿を建設した。13代藩主前田斉泰は竹沢御殿を取り壊し、天保8年(1837年)霞ヶ池を掘り広げて増庭させ、栄螺山を築いた[3]

園の東南側には、13代藩主前田斉泰が母親である眞龍院の隠居所として建てられた成巽閣が現存する。なお、金沢の地名は園内にある湧き水「金城霊沢」(きんじょうれいたく)を由来としている。

明治以降[編集]

長らく殿様の私庭として非公開であったが、1871年から日時を限っての公開が始まり、1874年5月7日から正式に一般公開された。1876年には兼六園観光案内組合が組織され、積極的な観光利用の歴史が始まった。

同年、園内の山崎山麓にあった異人館と成巽閣を利用して、常設としては国内初の博物館である金沢勧業博物館が開かれた。同館は1909年に廃止されるが、その間1879年に図書館が、1887年に金沢工業学校(後の石川県立工業高等学校)が附属されるなど、大規模なものに拡張された。また、1880年には西南戦争の戦没者を祀る明治紀念之標が建てられた。

こうして明治以降に構造物が付加されたことが、1922年名勝に指定されたものの、特別名勝に指定されない一因となっていたが、その後の上記施設の移転などの整理と整備により、1985年特別名勝に指定された。

開園以来、無料で24時間開放されていた[4]が、深夜何者かによって徽軫灯籠が破壊されるなどの事態が発生した(当時のものは別のところに保管されている。現在の灯籠(灯篭)は新造された物)ことや維持、保存費用の捻出の為に1976年から後楽園栗林公園に倣って有料とし(お盆休みなどには無料開放されることもある)、時間を限って公開されるようになった。

兼六園広坂休憩所[編集]

兼六園広坂休憩所

兼六園広坂休憩所(けんろくえんひろさかきゅうけいじょ)は、資料展示室、談話室等からなる兼六園に隣接する休憩施設。資料展示室には、兼六園や金沢城に関する史料が展示されている。もともとは、大正11年(1922年)に陸軍第9師団長の官舎として建てられた木造2階建の洋館。戦後は家庭裁判所、児童会館、野鳥園などに使用され、平成元年(1989年)から現在の用途で使用されている。

ギャラリー[編集]

交通[編集]

車:北陸自動車道金沢森本ICまたは金沢東IC、もしくは金沢西ICから金沢市中心部方向へ車で15〜25分。

公共交通:JR北陸本線金沢駅もしくは西金沢駅より北陸鉄道グループバス利用「兼六園下」もしくは「広坂」下車徒歩5分。

  • 金沢駅東口ターミナルからは90〜95・97番、11〜14・16番、城下町金沢周遊バスが「兼六園下」、18番が「広坂」を経由する。
  • 金沢駅西口ターミナルからは10番のバスが「兼六園下」、19番のバスが「広坂」を経由する。
  • 西金沢駅からは96番のバスが「兼六園下」を経由する。
  • 金沢駅東口より「まちバス」も利用可。「金沢21世紀美術館・兼六園」下車。

周辺施設[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ 洛陽名園記の湖園の項に次のようにある。 洛人云、園圃之勝、不能相兼者六 務宏大者少幽邃、人力勝者少蒼古、多水泉者艱眺望 兼此六者、惟湖園而已 洛人の云う、園圃の勝、相い兼ねるあたわざるは六。 宏大を務むるは幽邃少なし、人力勝れるは蒼古少なし、水泉多きは眺望艱し。 この六を兼ねるは、ただ湖園のみ。
  2. ^ 入園券 (2010)
  3. ^ 入園券
  4. ^ この時代には「兼六公園」という通称もあった。兼六園下交差点やバス停はこれに倣って「公園下」の名称で呼ばれた時代もある。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]