小平邦彦
小平邦彦 | |
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生誕 |
1915年3月16日 日本、東京都 |
死没 |
1997年7月26日 (82歳) 日本、山梨県甲府市 |
国籍 | 日本 |
研究分野 | 数学 |
研究機関 | プリンストン高等研究所 |
出身校 | 東京大学 |
博士課程 指導教員 | 彌永昌吉 |
主な業績 | 代数幾何学、複素多様体 |
主な受賞歴 |
フィールズ賞 (1954年) ウルフ賞数学部門 (1984年) |
プロジェクト:人物伝 |
小平 邦彦(こだいら くにひこ、1915年3月16日 - 1997年7月26日)は、日本の数学者。東京都出身。日本初のフィールズ賞受賞者。
来歴・人物
農政官僚だった小平権一の長男として生まれる。東京府立第五中学(東京都立小石川高等学校の前身)、第一高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学理学部数学科および物理学科卒。
フィールズ賞を1954年に日本人として初めて受賞(調和積分論、二次元代数多様体(代数曲面)の分類などによる)。1948年、ヘルマン・ワイルによりプリンストン高等研究所に招聘された。変形の理論(モジュライ空間の局所理論)でも有名。小平は代数幾何に(楕円型微分方程式論など)複素解析的手法を持ち込み、これらの業績を次々と上げていった[1]。これはアンドレ・ヴェイユなどの目指した徹底的な代数化の方向とは趣を異にするものであり、後年のマイケル・アティヤ、サイモン・ドナルドソンらによる (Yang-Mills) ゲージ理論のさきがけとも見なせる[2][3]。帰国後東京大学、学習院大学で教鞭をとった。小平次元、小平消滅定理、小平・スペンサー理論等に名を残している。
この他に1990年代前半まで、東京書籍が発行した算数・数学教科書(新しい算数、新しい数学等)の監修も担当していた。
ピアノを趣味とした。本格的な教育を受けていたこともあり、かなりの腕前であった。
略歴
- 1915年 - 小平権一の長男として東京都に生まれる。
- 1935年 - 東京帝国大学数学科に入学。
- 1938年 - 同学科卒業後、同大学物理学科入学。
- 1944年 - 東京帝国大学物理学科助教授に就任。
- 1948年 - プリンストン高等研究所に招聘される。
- 1949年 - 東京大学より理学博士号、「Harmonic fields in Riemannian manifolds(リーマン空間に於ける調和場)」
- 1954年 - 国際数学者会議においてフィールズ賞を受賞。
- 1957年 - 日本学士院賞、文化勲章を受賞。
- 1962年 - ジョンズ・ホプキンズ大学数学科教授に就任。
- 1965年 - スタンフォード大学数学科教授に就任、日本学士院会員に選任。
- 1967年 - 東京大学数学科教授に就任。
- 1975年 - 東京大学を定年退官、学習院大学教授に就任。藤原賞を受賞。
- 1985年 - イスラエルのウルフ財団よりウルフ賞数学部門を受賞。
- 1987年 - 勲一等瑞宝章受章。
- 1990年 - 国際数学者会議において組織委員長を務める。
小平次元
詳細は「小平次元」を参照
X は非特異射影多様体とする。m が十分に大きく十分割り切れるならば、
の像の双有理同値は m の選択に依らない。この像の次元を X の小平次元という。
小平消滅定理
- 小平消滅定理I
- X は非特異射影多様体とする。L はその上の豊富線束とする。
- このとき が成立。
- 小平消滅定理II
- X は非特異射影多様体とする。L は X 上の線束。L は、を満たすもの。ただし、
- M はネフで巨大な -因子
- はsnc因子
- 0 ≤ ai < 1 と が全ての i について成立する。
- このとき が成立。
- 一般小平消滅定理
- (X; Δ) は固有なklt対とする。
- N は M 上に -Cartier因子とする。
- このとき が成立。
著書
出典
- ^ 秋月康夫『調和積分論(上下)』岩波書店。
- ^ 中村 郁. “小平の変形理論とその後の発展”. 2015年8月11日閲覧。
- ^ 深谷賢治『複素多様体論あるいは小平数学における超越的方法』数学書房(日本数学会編「小平邦彦 人と数学」)、274-292頁。
補足
外部リンク
- O'Connor, John J.; Robertson, Edmund F., “小平邦彦”, MacTutor History of Mathematics archive, University of St Andrews.