グリゴリー・ペレルマン
グリゴリー・ヤコヴレヴィチ・ペレルマンまたはペレリマン(Григорий Яковлевич Перельман、Grigory Yakovlevich Perelman、1966年6月13日 - )は、ユダヤ系ロシア人の数学者である。ミレニアム懸賞問題の一つであるポアンカレ予想を解決した。
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[編集] 概要
サンクトペテルブルク生まれ。元ステクロフ数学研究所数理物理学研究室所属。専門は幾何学・大域解析学 (Global Analysis) ・数理物理学。数学教師だった母親から幼少の頃から数学の英才教育を受け、サンクトペテルブルク大学で学びアレクサンドル・アレクサンドロフ (Aleksandr Danilovich Aleksandrov) のもとでカンジダート(欧米では博士号に相当)を取得。
学生時代、当時の最年少記録である16歳で国際数学オリンピックの出場権を獲得し、全問満点の金メダルを授与された。この時、物理学にも興味を持っており、その才能は当時の友人アレクサンドル・ガラバノフ曰く「もし国際物理オリンピックに出場していれば(国際数学オリンピックを優先するよう仕組まれたため、国際物理オリンピックには出場しなかった)そちらでも満点(金メダル)を取っていたに違いありません」というほどのものだった。その後、ソ連崩壊を受け1992年からニューヨーク州立大学ストーニブルック校、カリフォルニア大学バークレー校で研究をおこなった。この間にソウル予想を解決し注目を集める。1995年のロシア帰国後はサンクトペテルブルクのステクロフ数学研究所に所属していたが2005年12月に退職届を提出し、2006年1月以降は同研究所に現れていない。現在は実家で母親の年金で生活しているとされる。
ポアンカレ予想の解決以前にも、ユーリ・ブラゴ (Yuri Dmitrievich Burago) 、ミハイル・グロモフとともにアレクサンドロフ空間 (Alexandrov space) の幾何学を構築したことで、既に著名な業績を残していた。アレクサンドロフ空間の構造論を生み出し、リーマン多様体 (Riemannian manifold) の安定性定理を与えた。この分野におけるグロモフの予想 (Gromov's filling area conjecture) 、cheeger-gromoll soul予想 (Soul conjecture) の解決もペレルマンの仕事である。
[編集] ペレルマンとポアンカレ予想
arXivで以下の3つのプレプリント (Preprint) を発表しポアンカレ予想を解決したと宣言した。
- The entropy formula for the Ricci flow and its geometric applications、2002年11月11日
- Ricci flow with surgery on three-manifolds、2003年3月10日
- Finite extinction time for the solutions to the Ricci flow on certain three-manifolds、2003年7月17日
彼はウィリアム・サーストンの幾何化予想(ポアンカレ予想を含む)を解決してその系としてポアンカレ予想を解決した。手法もリチャード・S・ハミルトンの発見したリッチ・フロー (Ricci flow) (ハミルトン・ペレルマンのリッチ・フロー理論)と統計力学を用いた独創的なものである。ペレルマン論文に対する他の数学者達による検証は、国際的な数学者の助力の下2006年夏頃まで続いたが、結論として少なくともポアンカレ予想についてはペレルマンの証明は正しかったと考えられている。
2006年度、ポアンカレ予想解決の貢献により「数学界のノーベル賞」と言われているフィールズ賞(幾何学への貢献とリッチ・フローの解析的かつ幾何的構造への革命的な洞察力に対して)を受賞したが、「自分の証明が正しければ賞は必要ない」として受賞を辞退した。フィールズ賞の辞退は彼が初めてである。ペレルマンは以前にも昇進や欧州の若手数学者に贈られる賞を辞退するなどした経緯があり、賞金に全く興味を示さなかったり、自分の論文をあまり公表したがらない性格でも知られていた。アメリカの雑誌の取材に対しては「有名になると何も言えなくなってしまう」と答えている。
現在は故郷で母親と共にわずかな貯金と母親の年金で細々と生活しているらしく消息は不明だが、ひそかにケーラー・アインシュタイン計量 (Einstein-Kähler metric) の存在問題に取り組んでおり、数学者としての研究はいまだ放棄していないと言われる[誰?]。趣味はキノコ狩りとされ、人付き合いを嫌い、ほとんど人前に姿を見せない人物であるが、学生時代までは笑顔の絶えなかった少年として周囲から記憶されている[1]。
2010年3月18日に、クレイ数学研究所は、ペレルマンがポアンカレ予想を解決したと認定して、ミレニアム賞(副賞として100万ドル)授賞を発表した。彼は2010年6月8日の授賞式に姿を見せなかったが、クレイ数学研究所の所長は「選択を尊重する」と声明を発表し、賞金と賞品は保管されるという[2]。同年7月1日にロシアのインテルファクス通信がペレルマンの話として伝えたところによると、受賞を断った理由は複数あるが、ハミルトンのリッチ・フロー発見に対する評価が十分でないことなど、数学界の不公平さに異議があることをその主たるものとしてあげたという[3]。これをうけてクレイ数学研究所は、同年秋までに賞金の使途を数学界の利益になるかたちで決定すると述べた。
2011年4月、映画プロデューサーのAleksandr Zabrovskyが彼に関する映画を作ることで合意し、彼のインタビューを公開した[4]。しかしこれには彼の発言の矛盾点が指摘され、多くのジャーナリストはこのインタビューは「捏造の可能性が高い」としている[5][6] [7]。
[編集] 略歴
- 1966年 - ロシアに生まれる。その後サンクトペテルブルク第239高校卒。
- 1982年 - 国際数学オリンピックにおいて全問満点で金メダルを獲得。
- 1992年 - ニューヨーク州立大学ストーニブルック校博士研究員。
- 1994年 - ソウル予想を解決。
- 1995年 - ロシアに帰国。ステクロフ数学研究所に所属。
- 1996年 - ヨーロッパ数学会賞受賞を辞退。
- 2003年 - サーストン幾何化予想、及びその系としてポアンカレ予想の解決を宣言。
- 2005年 - ステクロフ数学研究所を退職。
- 2006年 - フィールズ賞受賞を辞退。
- 2010年 - ミレニアム賞受賞を辞退。
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
- 春日真人 『NHKスペシャル 100年の難問はなぜ解けたのか―天才数学者の光と影』 日本放送出版協会、2008年6月。ISBN 4-14-081282-6。
- 春日真人 『100年の難問はなぜ解けたのか―天才数学者の光と影』 新潮文庫、2011年5月。ISBN 4-10-135166-7。上記の文庫本版。
- マーシャ・ガッセン 『完全なる証明』 文藝春秋、2009年11月。ISBN 4-16-371950-4。
[編集] 外部リンク
- 100年の難問はなぜ解けたのか~天才数学者 失踪の謎~ - NHKで放映された特集番組のサイト
- ハイビジョン特集 数学者はキノコ狩りの夢をみる - 上記番組の拡大版
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