ポール・ストッダート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Logical consequences (会話 | 投稿記録) による 2022年11月11日 (金) 10:55個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎コスワースF1エンジン(V10 3.0L))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ヨーロピアン航空グループ
現地語社名
European Aviation Group [6]
種類
非公開株式会社群
事業分野 航空機部品および航空宇宙部品の製造
販売・リース・運用支援、他
航空機の特装
航空貨物特殊輸送
航空旅客輸送
F1 Experiences carの製造
ジェットエンジンリビルト
過去には、コスワースバッヂF1エンジンのリビルトとサプライ
設立 1989
創業者 ポール・ストッダート
本社 ボーンマス空港[7]
Christchurch, Dorset
UK
事業地域
インディアナポリスにもパーツ保管庫がある
従業員数
201-500人 (2022)
部門

European Aviation Ltd [8]
レドベリー[1][2]
European Skybus Ltd [9]
ボーンマス[10]

European Cargo Ltd [11]
ボーンマス[12]
European Formula Racing Ltd
ウェブサイト http://www.euroav.com
Paul Stoddart adjusted
BAC 1-11 408 Okada Air MAN
新品1機の転売先が使用する同型機
Mike gascoyne driving a Tyrell f1 car in Boss GP series (1999)
with Rumi's wallet
Mark Blundell - Tyrrell 022 at the 1994 British Grand Prix
Tyrrell026-Ford Takagi 1998 Spanish GP
Honda RA099 (Tyrrell 027)
Honda Collection Hall
2007-Minardi-F1X2
コスワースのファクトリー
のあった Milton Keynes サイト
Minardi PS01
#21 Fernando Alonso
Stoddart's first car as team owner
Pressconference of Minardi in Tel-Aviv

ポール・ストッダートPaul Gerard Stoddart, 1955年5月26日 - )は、オーストラリア出身の北欧系の英国在住の実業家。 F1にかつて存在したミナルディチームのオーナーであったことで知られる。 日本語表記はポール・スタッダートと書かれる場合もある。

ビクトリア州メルボルン郊外のコバーグ市出身で、26歳の1981年から渡英を繰り返し、1986年には英国に定住化している。[3]

初期の経歴

GTカーの地方レースに参加しつつ、自動車販売業で、最初の1億円を稼いだとされる小財をなし、1981年から渡英を繰り返し、自動車輸入・販売チャンネルの形成を試みた。

34歳の1989年8月、ロンドンで、オーストラリア空軍からブリティッシュエアクラフトコーポレーション製の旅客機BAC 1-11新品1機を含むセットの放出があるという情報を受取り、すぐさま現地に飛び、数百万ドルで多くのものを落札入手することができた。機体5機のその付録として落札された雑品は宝の山でこれがすべての始まりだったという。[3]

1991年、ブリティッシュ・エアウェイズ(British Airways)のダンエア(DanAir(en))買収時に、24機のBAC 1-11を入手し、BAC 1-11の豊富なスペアパーツとのセットで、整備部門を併せ持つ航空機リース・販売・スペア会社としての企業基盤が確立された。

オーストラリアではタスマニアがギャンブル特区とされていることに目をつけ、賭博目的の客をオーストラリア本土とタスマニア島との間で往復させることを目的に、自らチャーター便を運営し、ヨーロピアン航空エアチャーター(European Aviation Air Charter Ltd)(en)で、上客(VIP)専門のチャーター便事業からスタートし、その後その規模を拡大して成功を収めた。(1993.09.03 - 2009.12)

F1への関わり

ボス フォーミュラ

ティレルミナルディベネトンブラバムのF1カーのコレクションで、1995年発足の、F1・ヒストリカル・チャンピオンシップBOSS Formula series(en)に参戦した。

ナイジェル・グリーンソール(Nigel Greensall)をドライバーに起用して1994年F1車のTyrrell 0221997年1998年に優勝した。

1999年には、マイク・ガスコインが自身でデザインしたTyrrell 022Tyrrell 025を運転して、ブランズハッチでの最初のレースで3位表彰台に立つたという。[13]

このシリーズは、2000年からユーロ・ボス・シリーズ:EuroBOSS Series(en)となり、2010年まで続き、終末期にはSA06の出走もあった。

1997年

ティレルはストッダートとヨーロピアン航空を技術パートナーとして採用し、本社にチーム風洞を建設する計画を立てていた。

11月、エイドリアン・レイナード(15%)、BAT(55%)、クレイグ・ポロック(30%)の共同出資者グループによってティレル2600万ドルで買収された。 (支払い総額は3000万ドルで、差額は1998年のチーム運用費用の負担に関連するものでしょうか) (この時のストッディの付け値は2500万ドルでケンが泣いて詫びたという)

1998年

これは、新規チームのブリティッシュ・アメリカン・レーシングのF1参戦権を確保するための買収であったため、ティレル資産の多くは売りに出された。 ストッダートは、ブリティッシュ・アメリカン・レーシングが必要としなかったティレルの7.5トンのスペアパーツと装備を、クレイグ・ポロックレイナードのゼネラル・マネージャーのリック・ゴーン(Rick gorne)との交渉で100万ドルで購入した。 また、ケン・ティレルから100万ドルでティレル車の車体の大部分が購入された。 [4] [5]

航空機パーツ事業の本部があるイングランド西部のレドベリーで、F1施設の建設に着手した。

1998年の、ティレルの名前で出走した最終年、鈴鹿での最終戦のフラッグがおろされた直後にレースチームそのものを買収した。(自身のチーム)

この年には、ハーベイ・ポスルスウェイトティム・デンシャムを含む設計チームがティレル・027と成り損ねた車両の設計をした。(この設計のIPはストッディにあるが故に、後の改造が許容される)

この車はダラーラがモノコック製作を担当したホンダ・RA099で一般的にはよく知られ、7台が製造されたとされる。

1999年

日の目をみなかった1999年ティレルをツーシーターのレースカーに改造する計画が着手され、8台の見本が製造され収益性の高いビジネスが始まる。 彼のレドベリーのファクトリーには、ふたりの空力専門家(うち1名はマイク・ガスコイン)を含めたスタッフがティレルのツーシーターをゼロから製造することが可能になっていた。 ある時点で、このプロジェクトには40人のスタッフが関わり、2000年の予算は200万ドルで、ツーシーター・マシンの製造コストは1台50万ドルだった。

さらに、フォードの所有となったコスワース・レーシング社(1998-2004)バーナード・ファーガソン(Bernard Ferguson)からエンジン設計図(JD Zetec-R ?)を購入し、エンジンのリビルトも開始した[6]。 (CR-1系のIPの運用とコスワースによる技術支援によってエンジンリビルト業務が許容される契約の締結も展望される)

(コスワースバッヂのF1エンジン群の中には、コスワースの支援を受けてストッダートがエンジンのリビルト・開発にかかわった個体も存在する。)[7]

また、自身のチーム(European Edenbridge Racing)国際F3000に参戦し始めた。

ヨーロピアン・フォーミュラ・レーシング (European Formula Racing Ltd)を設立しているが、現在も整理されてはいない。

同年は、ヨーロピアン航空の名義でジョーダンのスポンサーとなる。

2000年

アロウズのスポンサーとなり、アロウズのジュニアチームとなった自身のF3000チーム(European Arrows F3000)オーストラリア人のマーク・ウェバー(#25)をドライバーに起用した。

「テレフォニカが引き上げを決めた後のミナルディの窮状については隣のピット(アロウズ)にいたからよく知っていた」と云う。

翌2001年1月、癌に侵されていることが判明していたミナルディの共同オーナーのガブリエーレ・ルミ(Gabriele Rumi)からの緊急要請に応じて[8]フォンドメタル所有のチーム株式を買い取り、チームの負債を肩代わりするという内容の契約をかわし、チームの運営権を掌握した。 (参照:フォンドメタル F1 SpAルミの風洞サービスイタリアのビジネスマングループ)

ミナルディ救済

周囲からの思惑

“万年最下位”“万年金欠”で知られた同チームだが、ストッダートが買い取った当時は、チームの歴史の中でも特に深刻なチーム存続の瀬戸際に立たされており、ストッダートの登場はまさに地獄に仏といってよいものであった。しかし、チームの参戦枠の転売などを目的に同チームに触手を伸ばした、あるいは伸ばそうと試みた実業家は過去にも少なくなかったため、運営するとなると実利はまず見込めないミナルディの買収にあえて踏み切ったストッダートという実業家に対しても、当初、それらの同類といぶかしむ人間は少なくなかった。また、当初はチームをイギリスの自らの本拠地に移し、ファエンツァを離れてしまうのではないか、という声もあがった。

ファエンツァへと飛ぶ

(自伝の「ポール・ストッダート物語」に従って追記します)

ヨーロピアン・ミナルディ・チーム

ストッダートが指揮するようになって後も、チームは慢性的なスポンサー不足を解消するには到らず、後方集団に埋もれて各シーズンを送ることとなる。

2002年末、ストッダートはヨーロピアン航空の代わりとして、オランダの浴槽・トイレ製品製造企業であるウィラックス(Wilux)を新たにタイトルスポンサーに迎えた。しかし、2004年のイギリスGP直前に同チームで長年にわたってスポーティング・ディレクターを務めていたジョン・ウォルトンが心臓病により亡くなり、それに弔意を示すべく同GPにおいて全てのスポンサーロゴを事前の通知もせずに外してしまったことで、ウィラックスの逆鱗に触れ、支援が打ち切られるという事態に陥ってしまった。これにより、再びチームは窮状に陥り、オーナーであるストッダート自身が自身のF1カーコレクションを売却するなどの方法すら用いつつ、ミナルディは厳しい財政事情の下で数シーズンを送り、2005年9月12日、ストッダートはチームをオーストリアの飲料会社レッドブルのオーナーであるディートリヒ・マテシッツに売却すると発表し、F1の世界から去った。

(詳細は、2000年代のミナルディチーム売却)

チーム売却後の動向

ミナルディチーム売却に前後して、VIPを対象としたチャーター便会社「Ozジェット (OzJet)」をオーストラリアで設立した[9][10]。 レッドブルにチームを売却した際の売却額については、多額にのぼると噂されており、この新会社の設立にあたってそれをあてたといわれている。

F1からの撤退後も、Ozジェットとヨーロピアン航空のプロモーションの一環として、“ヨーロピアン・ミナルディ”の2シーターF1カーをイベントなどで走行させている。また、2007年のジャンカルロ・ミナルディのGP2への参戦とは別に、アメリカのチャンプカーへの参戦準備を始めた。

2017年現在は、F1の各グランプリへの旅行ツアー(基本的にサーキットの指定席・パーティ・宿泊施設のパック)を運営する「F1 Experiences」も経営している。「F1 Experiences」では2シーターカーの同乗やピット作業の実体験といったファン向けサービスも手がけており、消滅したマノー・レーシングの機材の一部などを購入してサービスに充てている[11]

F1チーム復活への動き

チームをレッドブルに売却してからほぼ半年後の2006年3月、ストッダートは2008年のF1選手権に参戦すべく、FIAに“ミナルディ”の名で参加の申請を行ったことを明らかにしている。このニュースを聞いた同胞のマーク・ウェバーは「素晴らしいね。彼は負けず嫌いで情熱的な人物だ。ポールがカムバックできれば嬉しいね。彼はパドックにふさわしい人間だよ」とコメント。しかし、この申請は却下されてしまった。理由は不明。

チャンプカー参戦

2006年12月18日、インディアナポリスを本拠地とするCTEレーシングHVMチャンプカーチームの株式の過半数を取得し、ミナルディチームUSAとして2007年シーズンからチャンプカーに参戦することを発表した。しかしチャンプカーが2008年よりインディカー・シリーズ(IRL)と統合され(事実上IRLによるチャンプカーの吸収合併)、ミナルディチームUSAはチーム名を元の「HVMレーシング」に戻したため、「ミナルディ」の名前はわずか1年強で消滅した。


コスワースF1エンジン(V10 3.0L)

Cosworth Engineering logo ico Cosworth Ford Racing logo ico

エンジン 形式 供給チーム 車体 win 製造/リビルト E/Gバッヂ 備考 判定 #
1996 JD Zetec-R 72 V10 3.0 Ford Performance logo ザウバー 0 Cosworth Engineering フォード ワークス 最初のコスワースのV10エンジン (01)
1997 JD Zetec-R 72 V10 3.0 Ford Performance logo スチュワート SF-1 0 Cosworth Engineering フォード ワークス (02)
1998 VJ Zetec-R 72 V10 3.0 Ford Performance logo スチュワート SF-2 0 Cosworth Engineering フォード ワークス (03)
JD Zetec-R 72 V10 3.0 ティレル 0 Cosworth Engineering フォード カスタマー (01)or(02)のリビルド (04)
JD Zetec-R 72 V10 3.0
Fondmetal Logo
ミナルディ 0 Cosworth Engineering フォード カスタマー (02)or(01)のリビルド (05)
1999 CR-1 72 V10 3.0 Ford Performance logo スチュワート SF-3 1 Cosworth Racing フォード ワークス フォード社がコスワース社を短期間買収していた1998年設計エンジン (06)
VJ Zetec-R 72 V10 3.0
Fondmetal Logo
ミナルディ M01 0 Cosworth Racing フォード カスタマー (03)のリビルド (07)
2000 CR-2 72 V10 3.0 Ford Performance logo ジャガー SF-4 0 Cosworth Racing コスワース ワークス この年からフォードの名前を欠くコスワースバッヂのワークスエンジンが登場 (08)
VJ Zetec-R 72 V10 3.0 ミナルディ M02 0 フォンドメタル フォンドメタル コスワースレーシング社屋内でリビルド[12] IP をレンタル (07)のリビルド (09)
2001 CR-3 72 V10 3.0 Ford Performance logo ジャガー R2 0 Cosworth Racing コスワース ワークス (10)
VJ Zetec-R 72 V10 3.0 ミナルディ PS01 0 ストッダート ヨーロピアン レドベリーで自社リビルド[6] ストッダートがIP を買収 (09)のリビルド (11)
AT01 V10 3.0 アロウズ A22 0 アジアテック プロスト2000年使用エンジン(A20)のリビルド
2002 CR-4 72 V10 3.0 Ford Performance logo ジャガー R3 0 Cosworth Racing コスワース ワークス (12)
CR-3 72 V10 3.0 アロウズ A23 0 Cosworth Racing コスワース カスタマー (10)のリビルド (13)
AT02 V10 3.0 ミナルディ PS02 0 アジアテック アロウズ2001年使用エンジン(AT01)のリビルド
2003 CR-5 V10 3.0 Ford Performance logo ジャガー R4 0 Cosworth Racing コスワース ワークス 新設計低重心挟角90度V10エンジン, 2002年の企画設計 ロブ・ホワイト (14)
RS1 72 V10 3.0 ジョーダン 1 Cosworth Racing フォード カスタマー コスワースにとって最後の優勝 (06)のリビルド (15)
CR-3 72 V10 3.0 ミナルディ PS03 0 ストッダート コスワース 自社リビルド (10)のリビルド (16)
2004 CR-6 V10 3.0 Ford Performance logo ジャガー R5 0 Cosworth Racing コスワース ワークス 新設計低重心挟角90度V10エンジン, 2002年の企画設計 ロブ・ホワイト (17)
RS2 72 V10 3.0 ジョーダン 0 Cosworth Racing フォード カスタマー (08)のリビルド (18)
CR-3L 72 V10 3.0 ミナルディ PS04B 0 ストッダート コスワース 自社リビルド (12)のリビルド (19)
2005 CK2004 72 V10 3.0 ミナルディ PS04B 0 ストッダート コスワース 自社リビルド =CR-3L (12)のリビルド (20)
TJ2005 V10 3.0 ミナルディ PS05 0 ストッダート コスワース 自社リビルド (17)のリビルド (21)
TJ2005 V10 3.0 レッドブル R6 0 ストッダート コスワース リビルド供給 (14)のリビルド (22)
2006 TJ2005 V10 3.0 トロ・ロッソ R6 0 ストッダート コスワース リビルド供給 レブ制限とリストリクター装着 (21)(22)のリビルド (23)
1980年以降の、所有者・分社・その後の変遷の概要については、Cosworth went through a number of ownership changes (en)

keywords は、United Engineering Industries (UEI), en:Carlton Communications, en:Vickers plc, en:Audi,
en:Cosworth Technology, Pi Research, en: Mahle GmbH, en:MAHLE Powertrain,
Cosworth Racing, en:Gerald Forsythe, en:Kevin Kalkhoven, Cosworth Group, Aston Martin, en:Ford,
Jaguar premium car company, Delta Cosworth, Cosworth Ltd, Northampton, Bernard Ferguson

関連項目

参照リスト

  1. ^ Minardi strengthens technical team (Ledbury)”. grandprix.com (2001年9月29日). 2022年11月8日閲覧。
  2. ^ (地図)European Aviation Ltd · Ledbury HR8 1LG UK”. google maps. 2022年11月11日閲覧。
  3. ^ a b The Coburg boy who found the formula for winning - The Age. 2002年3月10日
  4. ^ [1] ポール・ストッダート物語 1 - F1通信(翻訳サイト) 2006年09月24日
  5. ^ [2] The Paul Stoddart Story Part One: F1i.com 2006年08月07日 (アーカイブ)
  6. ^ a b [3] The Paul Stoddart Story Part One: F1i.com 2006年08月07日 (アーカイブ) - bought an engine design from Cosworth and started rebuilding engines
  7. ^ [4] The Paul Stoddart Story Part One: F1i.com 2006年08月07日 (アーカイブ) - involved Stoddart rebuilding the engines with support from Cosworth
  8. ^ [5] The Paul Stoddart Story Part One: F1i.com 2006年08月07日 (アーカイブ) - at the request of Mr Rumi
  9. ^ 豪州でビジネスクラスのみの航空会社が就航 日経ベリタ 2005年12月02日
  10. ^ ビジネスクラスだけの航空会社が定期便廃止:豪州 日経ベリタ 2006年03月14日
  11. ^ マノーとミナルディ、F1スペインGPのファン向け企画で活躍。立役者はストッダート - オートスポーツ・2017年5月22日
  12. ^ モータースポーツに関連する略歴 fondmetal.com - Fondmetal buys from Cosworth the rights, the support of qualified engineers and the facilities to develop the project, build and overhaul the V10 engine

外部リンク