ハリー・ベラフォンテ

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ハリー・ベラフォンテ
Harry Belafonte
Harry Belafonte
1954年撮影
本名 Harold George Bellanfanti Jr.
生年月日 (1927-03-01) 1927年3月1日(97歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 歌手、俳優
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ハリー・ベラフォンテHarry Belafonte1927年3月1日 - )は、アメリカ合衆国歌手俳優、社会活動家。「バナナ・ボート」などのヒット曲や「ウィ・アー・ザ・ワールド」を送りだした。「USAフォー・アフリカ」の提唱者として知られる。

来歴・人物

「バナナ・ボート」

ニューヨーク市ハーレム生まれ。父親は仏領マルティニーク系黒人、母はジャマイカ系である。1956年に「バナナ・ボート」が世界的な大ヒットとなり、アルバム『カリプソ』も当時としては珍しいミリオンセラーを記録し、一躍スターとなった。


「バナナ・ボート」はジャマイカの労働者がバナナを船に積み込むときに歌う労働歌を元に作られた曲で、"Day-o, Day-ay-ay-o ・・・ Day, me say day, me say day, me say day Me say day, me say day-ay-ay-o・・・"。という掛け声が特徴的。この掛け声の語感のコミカルさから、日本でも浜村美智子江利チエミカバーバージョンがヒットした。またその後も「マティルダ」や「ダニー・ボーイ」などの世界的なヒット曲を連発した。

ベラフォンテのコンサートを観た三島由紀夫は、「ベラフォンテがどんなにすばらしかは、舞台を見なければ、本当のところはわからない。ここには熱帯の太陽があり、カリブ海の貿易風があり、ドレイたちの悲痛な歴史があり、力と陽気さと同時に繊細さと悲哀があり、素朴な人間の魂のありのままの表示がある。そして舞台の上のベラフォンテは、まさしく太陽のやうにかがやいてゐる。(中略)歌はれる歌には、リフレインが多い。全編ほとんどリフレインといふやうな歌がある。これは民謡的特色だが、同時に呪術的特色でもある。わづかなバリエーションを伴ひながら『夏はもうあらかた過ぎた』(ダーン・レイド・アラウンド)とか『夜ごと日の沈むとき』(スザンヌ)とかいふ詩句が、彼の甘いしはがれた声で、何度となくくりかへされると、われわれは、ベラフォンテの特色である、暗い粘つこい叙情の中へ、だんだんにひき入れられる。声が褐色の幅広いリボンのやうにひらめく。われわれは、もうその声のほかには、世界中に何も聞かないのである。(中略)(私は)『バナナ・ボート』や、たのしい『ラ・バンバ』をことに愛する」[1]と、その歌声を絶賛した。

社会活動

日本でもよく知られているように、ベラフォンテはアメリカのフォークリヴァイヴァル運動を支えた一人であり、多くの民謡を取り上げた。また、演奏するフォークソングなどの楽曲には核兵器、人種差別や戦争に対するプロテスト(抗議)を込めたものが多く、音楽を越えて公民権運動ベトナム戦争反核運動に積極的に携わっている。

またハリーは自身のテレビ番組のプロデューサーとして、1960年に黒人では初めてエミー賞を受賞した。以降は財団を設立して黒人の地位向上のために力を注ぎ、公民権運動に積極的に関わるなど、音楽よりも社会活動家として活躍するようになる。1963年には、アラバマ州バーミングハム市でバーミングハム運動中の運動家キング牧師が投獄されたことを受け、保釈金を用意して彼を保釈させている[2]

1985年には「USAフォー・アフリカ」の提唱者として、アフリカの飢餓救済のために、マイケル・ジャクソンブルース・スプリングスティーンスティービー・ワンダーシンディ・ローパーなどのアメリカのスーパースターたちを集結させた。

反体制的な過激な発言で物議をかもすことがたびたびあった。かつてはマッカーシズムによる赤狩りに巻き込まれ、「ハリウッド・ブラックリスト」に名前を連ねる事にもなった。最近ではジョージ・ウォーカー・ブッシュ政権の黒人閣僚であるコリン・パウエルコンドリーザ・ライスのことを「白人の主人に媚びる奴隷」と痛烈に批判。また2006年には反米色を強めるベネズエラウゴ・チャベス大統領のもとに訪問し、「世界中にいかなる暴君がいようともブッシュこそ最大のテロリストだ」と意見を述べて大きな反響を呼んでいる。

俳優

一方、俳優としても活躍し、多くの作品に出演している。2006年には、エミリオ・エステヴェス監督の映画『ボビー』で、老いに悩むホテルの元ドアマンを演じた。ちなみに、この作品で重要な意味合いを持つキング牧師ロバート・ケネディとは個人的にも親交があった。

主なヒット曲

主な出演作品

日本公演

1976年
8月2日,3日,4日,5日 東京厚生年金会館
1979年
6月29日,30日 中野サンプラザ、7月4日 NHKホール、5日,6日 フェスティバルホール、7日 石川厚生年金会館、9日 京都会館、10日 名古屋市公会堂、11日 神奈川県立県民ホール、12日 函館市体育館

脚注

  1. ^ 三島由紀夫「偉大な官能の詩―ベラフォンテの初公演」(毎日新聞夕刊 1960年7月15日に掲載)。三島由紀夫「ベラフォンテ讃」(『美の襲撃』)(講談社、1961年)に所収。
  2. ^ 「人物アメリカ史(下)」p374 ロデリック・ナッシュ、グレゴリー・グレイヴズ著 足立康訳 講談社学術文庫 2007年9月10日第1刷

外部リンク