龔州
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龔州(きょうしゅう)は、中国にかつて存在した州。唐代から宋代にかけて、現在の広西チワン族自治区平南県一帯に設置された。
概要
[編集]629年(貞観3年)、唐により隋の永平郡武林県の地に鷰州が立てられた。633年(貞観7年)、鷰州は龔州と改称された。742年(天宝元年)、龔州は臨江郡と改称された。758年(乾元元年)、臨江郡は龔州の称にもどされた。龔州は嶺南道の桂管十五州に属し、平南・武林・隋建・大同・陽川の5県を管轄した[1]。
972年(開宝5年)、北宋により武林・隋建・大同・陽川の4県が廃止された。龔州は広南西路に属し、平南県を管轄した。1111年(政和元年)、龔州は廃止され、平南県は潯州に転属した。1113年(政和3年)、再び龔州が立てられた。1136年(紹興6年)、南宋により龔州は廃止され、平南県は潯州に転属した[2]。