肥前国分寺跡

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肥前国分寺跡
肥前国分尼寺跡

肥前国分寺跡(ひぜんこくぶんじあと)は、佐賀県佐賀市大和町にある寺院跡。現在は佐賀市の史跡に指定されている。

奈良時代聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、肥前国国分寺の寺院跡にあたる。本項では肥前国分尼寺跡についても解説する。

概要[編集]

佐賀市北部、北方1キロメートルに山を控える傾斜地に位置する[1]。東に僧寺跡、西に尼寺跡があり、現在も「尼寺(にいじ)」や「国分北」「国分南」という地名に名残を伝えている。両寺跡は住宅街の中にあるため、史跡整備はされていない。

聖武天皇の詔による建立とされるが、創建の記録は残っていない[1]。国分寺は鎌倉時代には地頭職に国分氏の名も見え、かなりの勢力を持っていたとされる[1]。その後、南北朝時代から室町時代にかけて衰退したと見られている[1]江戸時代寛政4年(1792年)の絵図には当時の寺域が描かれているが、創建時からはかなりの縮小が指摘される[1]

伽藍[編集]

寺域は方2町(約216メートル四方)[2]。伽藍配置は中門・金堂・講堂を一直線に配置し、中門左右から出た回廊がこれらを囲むと推定される[2]。塔は金堂の南東方に配置された[2]。その版築基壇は全国国分寺のうちでも最大規模で、七重塔と想定される[2]。僧寺の東方では、4基の瓦窯も見つかっている[2]

肥前国分尼寺跡[編集]

尼寺跡は僧寺跡の西方に推定されている。寺域は1町四方(約108メートル四方)[3]

文化財[編集]

佐賀市指定史跡[編集]

現地情報[編集]

所在地

周辺

国府について『肥前国風土記』に記録がない。『和名抄』に「乎岐国府」(おぎ)とある。しかし、奈良時代には久池井に置かれていたので移転したと推定される。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 『佐賀県の地名』国分寺跡項。
  2. ^ a b c d e 佐賀市史跡>肥前国分寺跡(佐賀市ホームページ)。
  3. ^ 現地説明板。
  4. ^ 『佐賀県の地名』印鑰神社項。

参考文献[編集]

  • 各所説明板
  • 『日本歴史地名体系 佐賀県の地名』(平凡社)佐賀郡 国分村項・国分寺跡項・尼寺村項・印鑰神社項

外部リンク[編集]