甲賀寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
甲賀寺の位置(滋賀県内)
甲賀寺跡推定地
甲賀寺跡
推定地
甲賀寺跡推定地の位置

甲賀寺(こうかでら/こうがでら、甲可寺)は、近江国甲賀郡の紫香楽(しがらき、信楽)にあった古代寺院廃寺)。寺跡は滋賀県甲賀市信楽町黄瀬・牧地区に推定される(国の史跡紫香楽宮跡内裏野地区)。

奈良時代聖武天皇により、紫香楽宮(信楽宮/甲賀宮)と並行して総国分寺として造営が計画された寺院である。紫香楽宮廃都に伴い、近江国分寺に転用されたとする説が有力視される。

歴史[編集]

聖武天皇天平14年(742年)2月[原 1]恭仁京から近江国甲賀郡への道を開いたのち、同年8月[原 2]に近江国甲賀郡紫香楽村での離宮の造営を命じる。そして天平15年(743年)10月15日[原 3]に大仏造立の詔を出し、同年10月19日[原 4]に盧舎那仏像を安置するために紫香楽に寺地を開いており、これが甲賀寺にあたる[1]

天平16年(744年)11月13日[原 5]には「甲賀寺」の寺名が文献上で初めて見え、盧舎那仏像の体骨柱が建てられ、聖武天皇自らその縄を引いている[1]。同年11月17日[原 6]には元正太上天皇が難波から「甲賀宮」(紫香楽宮から名称変更)に移って甲賀宮は皇都としての様相を強めており、天平17年(745年)1月[原 7]には紫香楽宮は「新京」として事実上の皇都として位置づけられていた。その後も造営は進展していたが、同年4月から山火事や地震が連続的に発生したため、同年5月に聖武天皇は恭仁宮次いで平城宮に移り、甲賀宮は廃都とされた。

廃都後の甲賀寺の変遷は詳らかでないが、廃都に伴って甲賀寺の本格的な造営も中止されたと見られている[1]。ただし『正倉院文書』の天平17年(745年)10月21日の「造甲可寺所解」によって「甲可寺」造営の一部存続が認められるほか、同文書天平19年(747年)1月19日の「甲可寺造仏所牒」でも造仏所の存在が認められ[2][1][3]、同文書「種々収納銭注文」の記載から天平19年5月27日までの名称の存続を指摘する説もある[3]。その後の史料としては、『正倉院文書』天平勝宝3年(751年)12月18日の「奴婢見来帳」に見える「甲賀宮国分寺」が、甲賀寺のその後にあたるとする説が挙げられている[1][4][3]

なお大仏造立については、平城京還都後に東大寺に継承された。『東大寺要録』の「大仏殿碑文」によれば、天平17年(745年)8月23日に造立再開、天平19年(747年)9月29日に鋳造開始、天平勝宝元年(749年)10月24日に鋳造完成と見える[5]。その後の工程・大仏殿建立等を経て、天平勝宝4年(752年)4月9日に開眼供養に至っている[5]

伽藍[編集]

寺跡の所在地は詳らかでないが、紫香楽宮跡内裏野地区(滋賀県甲賀市信楽町黄瀬・牧、内裏野遺跡/内裏野廃寺跡)に比定する説が古くから知られる。同地区は古くは紫香楽宮跡に比定され、「紫香楽宮跡」として国の史跡にも指定されているが[6]、その後の調査で宮殿跡ではなく寺院跡であることが判明している(現在では紫香楽宮跡は紫香楽宮跡宮町地区に比定)。

内裏野地区の性格に関しては、上述の『正倉院文書』の「甲賀宮国分寺」の記載から廃絶時点は近江国分寺とする説が有力で[4][3]、寺域で検出された火災痕は『日本紀略[原 8]での延暦4年(785年)の近江国分寺の焼失記事とも対応する[4][3]。そして甲賀寺はその近江国分寺の前身寺院にあたり、甲賀寺の伽藍を改めて国分寺に移行されたと想定されている[4][3]。一方、近江国分寺と甲賀寺とは別々に計画されたとして、近江国分寺の建立を近江国府付近に想定し(候補地として瀬田廃寺跡が存在)、内裏野地区は甲賀寺として廃絶したとする説もある[4]

いずれの説の場合でも、現在の内裏野地区の主要伽藍は東大寺と似た様相(東大寺式伽藍配置)でありながら、内裏野地区の寺域は東大寺よりも大幅に小さい点(面積は3割弱)[7]、内裏野地区の金堂跡には大仏が収まらない点等で、内裏野地区と甲賀寺を巡る解釈には課題も残されている[4][8]。そのため様相の解明には、下層遺構の有無確認等の調査が必要とされる[4][8]

脚注[編集]

[ヘルプ]

原典

  1. ^ 『続日本紀』天平14年(742年)2月庚辰(5日)条。
  2. ^ 『続日本紀』天平14年(742年)8月癸未(11日)条。
  3. ^ 『続日本紀』天平15年(743年)10月辛巳(15日)条。
  4. ^ 『続日本紀』天平15年(743年)10月乙酉(19日)条。
  5. ^ 『続日本紀』天平16年(744年)11月壬申(13日)条。
  6. ^ 『続日本紀』天平16年(744年)11月丙子(17日)条。
  7. ^ 『続日本紀』天平17年(745年)正月己未朔(1日)条。
  8. ^ 『日本紀略』所引『日本後紀』逸文 弘仁11年(820年)11月庚申(22日)条。

出典

  1. ^ a b c d e 甲賀寺(平凡社) & 1991年.
  2. ^ 甲賀寺(国史).
  3. ^ a b c d e f 須田勉 & 2016年, pp. 155-168.
  4. ^ a b c d e f g 天平の都と大仏建立 改訂版 & 2012年.
  5. ^ a b 「東大寺」『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』 平凡社、1981年。
  6. ^ 紫香楽宮跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  7. ^ 紫香楽宮跡内裏野地区 史跡説明板。
  8. ^ a b 鈴木良章 & 2014年, pp. 65-75.

参考文献[編集]

関連項目[編集]