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参院選での躍進により同年8月1日、非改選の[[山田耕三郎]]とともに、会派として'''連合参議院'''を結成。代表には山田が就いた。連合の会の議員活動は連合参議院に事実上移行した。 |
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[[1992年]](平成4年)1月、連合参議院代表の山田が参院選への不出馬を表明し、[[星川保松]]が就任した。同年2月9日に施行された参院[[奈良県選挙区]][[補欠選挙]]で連合の会公認候補の[[吉田之久]]が、[[3月8日]]に施行された参院[[宮城県選挙区]]補選では連合の会公認候補の[[萩野浩基]]がそれぞれ初当選した。 |
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しかしその後の[[国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律]]案(PKO協力法案)を巡る野党間の対立から選挙協力が進まず、6月には星川とともに社会経済国民会議議長で元産経新聞社長の[[稲葉秀三]]が連合の会共同代表に就任するも、7月26日に施行された[[第16回参議院議員通常選挙]]では、公認候補が全員落選する結果となった。 |
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=== 民主改革連合 === |
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**9月16日 - [[日本新党]]と統一会派「日本新党・民主改革連合」を結成する。 |
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**11月18日 - さらに[[新生党]]と統一会派「日本・新生・民主改革連合」を結成する。 |
**11月18日 - さらに[[新生党]]と統一会派「日本・新生・民主改革連合」を結成する。 |
2021年9月25日 (土) 12:51時点における版
民主改革連合 Democratic Reform Party | |
---|---|
成立年月日 | 1989年6月9日[注釈 1] |
解散年月日 | 1998年4月27日 |
解散理由 | 新党結成のため |
後継政党 | 民主党 |
本部所在地 | 東京都 |
政治的思想・立場 | 社会民主主義[要出典]、中道主義[要出典] |
民主改革連合(みんしゅかいかくれんごう、英語:Democratic Reform Party)は、かつて存在した日本の政党及び院内会派である。略称は民改連(みんかいれん)。
沿革
連合の会
1987年(昭和62年)に発足した全日本民間労働組合連合会(全民労連、「連合」)は、1989年(平成元年)秋に官公労も加入した新しいナショナルセンター「日本労働組合総連合会」(連合)を発足することが確定し、労働組合の再編は既定路線となった。
労働界の再編に合わせて、非自民・非共産勢力の連携、とくに日本社会党と民社党の「社・民統一」を求める声が高まっていた。
第15回参議院議員通常選挙が迫る中で、連合は社・民両党に公明党と社会民主連合を含めた野党連携を仲介し、4野党の推薦する無所属統一候補の擁立を主導した。結果的に12名の候補を擁立し、確認団体として同年6月9日に連合の会を発足した。代表は情報通信労働組合連合会会長の豊田稔、最高顧問には連合議長の竪山利文と、連合役員が就任した。
参院選では消費税導入やリクルート事件など、国民の自民党への批判の受け皿として11名が当選した。
連合参議院
参院選での躍進により同年8月1日、非改選の山田耕三郎とともに、会派として連合参議院を結成。代表には山田が就いた。連合の会の議員活動は連合参議院に事実上移行した。
1992年(平成4年)1月、連合参議院代表の山田が参院選への不出馬を表明し、星川保松が就任した。同年2月9日に施行された参院奈良県選挙区補欠選挙で連合の会公認候補の吉田之久が、3月8日に施行された参院宮城県選挙区補選では連合の会公認候補の萩野浩基がそれぞれ初当選した。
しかしその後の国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律案(PKO協力法案)を巡る野党間の対立から選挙協力が進まず、6月には星川とともに社会経済国民会議議長で元産経新聞社長の稲葉秀三が連合の会共同代表に就任するも、7月26日に施行された第16回参議院議員通常選挙では、公認候補が全員落選する結果となった。
民主改革連合
1993年(平成5年)1月20日に参院会派を民主改革連合に改称。同年6月、政党としての連合の会も民主改革連合に改称した。
- 1994年(平成6年) - 中村鋭一が代表に就任する。2月4日、「民社党・スポーツ・国民連合」と統一会派「新緑風会」を結成する。細川内閣退陣後の羽田内閣にも引き続き参加。なお、同年に結成された新進党には参加しなかったが、代表の中村が会派を離脱して新進党に参加。民改連は磯村修が代表に就任した。
- 12月1日 -民主改革連合を政党化する。
- 1995年(平成7年)
- 1996年(平成8年)
- 1997年(平成9年)
- 1998年(平成10年)
歴代民主改革連合代表一覧
代 | 代表 | 在任期間 | |
---|---|---|---|
1 | 山田耕三郎 | 1989年(平成元年)7月 - 1992年(平成4年)7月 | |
2 | 星川保松 (常任代表幹事) |
1992年(平成4年)7月 - 1994年(平成6年)1月 | |
3 | 中村鋭一 | 1994年(平成6年)1月 - 1994年(平成6年)12月 | |
4 | 磯村修 | 1994年(平成6年)12月 - 1995年(平成7年)7月 | |
5 | 笹野貞子 | 1995年(平成7年)7月 - 1998年(平成10年)4月 |
政権ポスト
党勢の推移
衆議院
選挙 | 当選/候補者 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|
(結成時) | 0/- | 512 | 第41回総選挙前には2 |
第41回総選挙 | 1/3 | 500 |
参議院
選挙 | 当選/候補者 | 非改選 | 定数 |
---|---|---|---|
(結成時) | 1/- | - | 252 |
第15回通常選挙 | 11/12 | 0 | 252 |
第16回通常選挙 | 0/20 | 11 | 252 |
第17回通常選挙 | 2/10 | 0 | 252 |
(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2)
- 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。
所属議員一覧
連合参議院から参加 | ||||
---|---|---|---|---|
第14回参議院議員通常選挙(1986年)当選 | ||||
山田耕三郎 滋賀県選挙区[注 1] | ||||
第15回参議院議員通常選挙(1989年)当選 | ||||
中村鋭一 滋賀県選挙区[注 2] |
星川保松 山形県選挙区[注 3] |
磯村修 山梨県選挙区[注 4] |
粟森喬 石川県選挙区[注 4] |
古川太三郎 福井県選挙区[注 4] |
高井和伸 岐阜県選挙区[注 5] |
井上哲夫 三重県選挙区[注 4] |
笹野貞子 京都府選挙区 |
新坂一雄 奈良県選挙区[注 6] |
乾晴美 徳島県選挙区[注 4] |
池田治 愛媛県選挙区[注 4] | ||||
補欠選挙当選 | ||||
吉田之久 奈良県選挙区[注 7] |
萩野浩基 宮城県選挙区[注 8] | |||
民主改革連合から参加 | ||||
第17回参議院議員通常選挙(1995年)当選 | ||||
国井正幸 栃木県選挙区 | ||||
他政党・無所属より入党 | ||||
衆議院議員 | ||||
土肥隆一 旧兵庫1区→兵庫3区 |
吉岡賢治 旧兵庫5区 |
北橋健治 福岡9区 | ||
参議院議員 | ||||
本岡昭次 兵庫県選挙区 |
久保亘 鹿児島県選挙区 |
- ^ 改選期にあたる第16回参議院議員選挙に立候補せず、引退。
- ^ 1994年12月に離脱し新進党結成に参加。
- ^ 日本社会党から出馬した第17回参議院議員選挙で落選。
- ^ a b c d e f 第17回参議院議員選挙で落選。
- ^ 任期途中、1993年の第40回衆議院議員総選挙に日本新党公認で立候補のため辞職(落選)。その後新進党へ入党。
- ^ 任期途中の1991年12月28日、死去。
- ^ 新坂一雄の死去に伴う、1992年2月9日の補欠選挙で当選。その後、同年8月に離脱し民社党へ復党。
- ^ 栗村和夫の死去に伴う、1992年3月8日の補欠選挙で当選。第17回参議院議員選挙で落選し、その後新進党へ入党し第41回衆議院議員総選挙で当選。さらに自由民主党へ入党。
解党後
- 1998年4月の民友連4党が民主党へ移行した際に、現職議員として民主改革連合に残っていたのは、笹野、久保、本岡、土肥、北橋の5人で、国井は民主党に参加せず、自由民主党へ入党している。
- 過去に落選した元議員のうち、古川、吉岡、乾はその後民主党(ただし、古川は民改連が合流する前の旧民主党)へ参加し、各種国政選挙に党公認候補として議員復帰を目指したが、いずれも落選している。
脚注
注釈
- ^ 連合の会として発足。