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2019年12月22日 (日) 05:29時点における版
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名前 | ||||||
本名 |
ユルゲン・ノルベルト・クロップ Jürgen Norbert Klopp | |||||
愛称 | Normal One | |||||
ラテン文字 | Jurgen KLOPP | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ドイツ | |||||
生年月日 | 1967年6月16日(56歳) | |||||
出身地 | 西ドイツ・シュトゥットガルト | |||||
身長 | 192cm | |||||
体重 | 83kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW / DF[1] (RSB) | |||||
ユース | ||||||
1972-1983 | SVグラッテン | |||||
1983-1986 | TuSエルゲンツィンゲン | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1986-1987 | TuSエルゲンツィンゲン | |||||
1987 | 1.FCプフォルツハイム | 4 | (0) | |||
1987-1988 | アイントラハト・フランクフルト | |||||
1988-1989 | ヴィクトリア・ジンドリンゲン | |||||
1989-1990 | ロート=ヴァイス・フランクフルト | |||||
1990-2001 | マインツ | 325 | (52) | |||
監督歴 | ||||||
2001-2008 | マインツ | |||||
2008-2015 | ボルシア・ドルトムント | |||||
2015- | リヴァプール | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ユルゲン・ノルベルト・クロップ(Jürgen Norbert Klopp、1967年6月16日 - )は、ドイツ出身の元サッカー選手、同指導者。現役時代のポジションはフォワード、ディフェンダー(RSB)。
独ブンデスリーガの監督を歴任し「ボルシア・ドルトムント」ではリーグを連覇。2015年から英プレミアリーグ「リヴァプール」の監督を務め、UEFAチャンピオンズリーグを制覇している。
選手経歴
フォワードの選手としてキャリアを始めたが、1995年からディフェンダーとしてプレイするようになった。1990年から2001年まで1.FSVマインツ05に所属し、現役引退した。
監督経歴
1.FSVマインツ05
2001年にマインツ05の監督に就任すると、財政的に小規模なクラブを2004年にブンデスリーガ1部昇格に導き、初の1部挑戦となった翌2004-05シーズンにはマインツは11位でリーグ戦を終え1部残留と健闘をみせた。マインツでは、モハメド・ジダン、レオン・アンドレアセン、マヌエル・フリードリヒらを育成した。2006-07シーズンは降格となり、2007-08シーズンは2部4位となり昇格を逃した。
ボルシア・ドルトムント
2008-09シーズンより、低迷の続くボルシア・ドルトムントの監督に就任。前半戦はUEFAカップでウディネーゼ・カルチョに敗退するなど苦戦したものの、後半はチームがかみ合い快進撃を演出。ドルトムントにおいても、ネルソン・アエド・バルデスの復活やネヴェン・スボティッチのブレイクを助けるなど、優れた指導力を発揮している。最終節で6位となり、ヨーロッパカップ戦への出場権を獲得出来なかったが、終盤にリーグ戦7連勝を達成するなど、古豪復活に向けて基盤を固めた。
2009-10シーズン以降、ケヴィン・グロスクロイツ、ヌリ・シャヒン、スヴェン・ベンダー、マリオ・ゲッツェらの若手を次々とブレイクさせる。2010-11シーズンにおいては夏の移籍で獲得した香川真司が即フィットし、ドルトムントはリーグ前半戦終了時点でブンテスリーガ史上第2位となる勝ち点43を達成。後半に入っても勢いは止まらず、チームは2001-2002シーズン以来の優勝を果たした。2011-12シーズンでは開幕当初は低調なスタートに沈むも、その後は最終戦までブンデスリーガ新記録となるリーグ戦28試合連続で無敗・勝ち点81を成し遂げて2シーズン連続の優勝を果たした。
2012-13チャンピオンズリーグ決勝にチームを導いたが同国のライバルチームであるバイエルンに敗れた。2013年FIFAバロンドール最優秀監督賞の候補に挙がったがユップ・ハインケスに敗れ2位となった。
14-15シーズンは序盤から大苦戦し、前半戦をリーグ最下位で折り返すという波乱のシーズンとなった。2015年4月15日、7シーズン指揮したボルシア・ドルトムントの監督を退任することを発表した[2][3][4][5]。
リヴァプール
2015年10月8日、プレミアリーグの名門リヴァプールFCの監督に就任。プレミアリーグではフェリックス・マガトに次ぐリーグ史上2人目のドイツ人監督となる。 就任初年度は、フットボールリーグカップ、UEFAヨーロッパリーグと2つの大会で決勝進出を果たしたが、共にタイトル獲得はならなかった。
2016-17シーズンはプレミアリーグで第4位となり、プレーオフからの出場ながらUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得に成功した。
2017-18シーズンに、モハメド・サラー、アレックス・オックスレイド・チェンバレン、シーズン途中にビルヒル・ファン・ダイクを獲得。UEFAチャンピオンズリーグでは、準々決勝ではマンチェスターCを、準決勝ではASローマを破り、チームを2007年以来の決勝に導いた。決勝でレアル・マドリードに敗れ準優勝[6]。
2019年5月8日UEFAチャンピオンズリーグ準決勝バルセロナ戦にて1stレグを0-3と大敗しながらも2ndレグでホーム、アンフィールドにて主戦力であるモハメド・サラーやロベルト・フィルミーノ等の選手が怪我等で欠場した中ディヴォック・オリジ、ジョルジニオ・ワイナルドゥム、トレント・アレクサンダー=アーノルドらの活躍により4-0と奇跡の大逆転で勝利を収め2年連続決勝出場を果たすと[7]、決勝では後半途中に怪我上がりのフィルミーノに変えてオリギを投入、そのオリギが試合を決定付けるゴールを決める采配を的中させるなど、トッテナムを2-0で破りチームに14年ぶりのチャンピオンズリーグ優勝をもたらし、自身も3度目のチャンピオンズリーグ決勝にして初めての優勝を果たした[8]。一方リーグ戦では僅か1敗という好成績を残したがマンチェスターシティに勝ち点1及ばずリーグ優勝を逃した。
2019-20シーズンは開幕から順調に勝ち点を獲得し、12月4日のエヴァ―トン戦でプレミアリーグ通算100勝を達成した。監督就任から159試合での100勝はリヴァプール史上最速であり、プレミアリーグとしてもジョゼ・モウリーニョの143試合に続く歴代2位であった。また同試合において32試合無敗のクラブ新記録も達成した[9]。12月10日に行われたUEFAチャンピオンズリーグのRBザルツブルグ戦に勝利し決勝トーナメント進出を決め、2日後の13日には契約を2024年まで延長したことがクラブ公式サイトより発表された[10]。
指導者として
ボルシア・ドルトムント時代に実践したカウンター戦術「ゲーゲンプレス」を考案した第一人者でもある。本人は、スペインの強豪「FCバルセロナ」が2000年代に駆使していた守備戦術を参考にし、独自に構築したものと明かしている[11]。
ドルトムントで同戦術が最も機能し始めた2010年からの2シーズンは、ブンデスリーガを連覇。出場したUEFAチャンピオンズリーグでも、格上と評されていたレアル・マドリードなどの強豪を撃破し、2013年に決勝進出している[12]。
次に就任したプレミアリーグ「リヴァプールFC」においても同戦術を駆使し[13]、2017-18シーズンのUEFAチャンピオンズリーグで準優勝。翌2018-19シーズンにも決勝に進出し、悲願の優勝を果たした[14]。
家族
最初の妻サビーン・クロップとの間に二男あり。2001年にサビーンと離婚後、教師だったウラ・サントロックと2005年に再婚[15]。
前妻との息子のマルクは、下部組織ボルシア・ドルトムントIIに所属するディフェンダーであった。怪我の影響により現役を引退している[16]。
監督成績
- 2018年5月26日現在
チーム | 就任 | 退任 | 成績 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合数 | 勝ち | 引き分け | 負け | 勝率 | 脚注 | |||
1.FSVマインツ05 | 2001年2月27日 | 2008年6月30日 | 270 | 109 | 78 | 83 | 40.37 | |
ボルシア・ドルトムント | 2008年7月1日 | 2015年5月30日 | 318 | 179 | 69 | 70 | 56.29 | |
リヴァプールFC | 2015年10月8日 | 現在 | 152 | 80 | 44 | 28 | 52.63 | |
合計 | 641 | 318 | 163 | 160 | 49.61 | — |
獲得タイトル
- ボルシア・ドルトムント
- ブンデスリーガ : 2010-11, 2011-12
- DFBポカール : 2011-12
- DFLスーパーカップ : 2013, 2014
- UEFAチャンピオンズリーグ: 2018-2019
- UEFAスーパーカップ: 2019
個人
- ドイツ年間最優秀監督賞 : 2011[17], 2012[17]
- プレミアリーグ月間最優秀監督 2016年9月,2018年12月,2019年3月,2019年8月,2019年9月[18]
脚注
- ^ Jürgen Norbert Klopp
- ^ “Jurgen Klopp: Borussia Dortmund coach to leave at end of the season”. BBC Sport (2015年4月15日). 2015年4月15日閲覧。
- ^ “Klopp und der BVB: Trennung am Saisonende”. dfb.de (2015年4月15日). 2015年4月15日閲覧。
- ^ Hummel, Thomas (2015年4月15日). “Der große Kopf muss weg” (German). Süddeutsche Zeitung 2015年4月15日閲覧。
- ^ 今季限りでの退任を発表…クロップ監督「正しい決断だと信じている」soccerking 2015年4月16日
- ^ 決勝はレアル・マドリードに1-3で破れる。 Roma 4-2 Liverpool (Agg: 6-7): Jurgen Klopp's side book Champions League final with Real Madrid -Skysports 2018年5月3日(2018年5月5日閲覧)
- ^ [1]
- ^ “Tottenham 0-2 Liverpool: Mo Salah and Divock Origi goals hand Liverpool sixth European crown”. SKY (2019年6月2日). 2019年6月2日閲覧。
- ^ co.,Ltd, FromOne. “クロップ監督がプレミア通算100勝を達成…史上2番目の速さで到達”. サッカーキング. 2019年12月7日閲覧。
- ^ “Jürgen Klopp agrees new Liverpool FC contract to 2024”. Liverpool FC. 2019年12月13日閲覧。
- ^ “クロップを名将にした、5つの“特別な能力””. サッカーキング (2019年5月26日). 2019年6月2日閲覧。
- ^ ドルトムントが16年ぶりCL決勝進出…2戦合計でレアルを上回る - SoccerKING
- ^ “【クロップ戦術】ゲーゲンプレスとは〜近代サッカーの3つのモデルとリバプールの可能性”. pax-football (2017年1月29日). 2019年6月2日閲覧。
- ^ “歓喜の「You'll Never Walk Alone」。リバプールCL制覇にクロップも万感”. Number Web (2019年6月2日). 2019年6月2日閲覧。
- ^ “クロップの2番目の妻、ウラ・サントロックとは何者なのか?”. Qoly (2015年10月10日). 2018年12月31日閲覧。
- ^ Jürgen Klopp rallies neutrals to support 'special' Borussia Dortmund
- ^ a b Marco Reus ist Fußballer des Jahres
- ^ “Premier League Awards - Player, Manager & Goal of the Month” (英語). www.premierleague.com. 2019年10月20日閲覧。