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* [[ジョン・レノン]] - [[ビートルズ]]のギタリストで中心的人物の一人。ジョンのソロ・プロジェクトである[[ザ・ダーティー・マック]]や[[プラスティック・オノ・バンド]]に参加し、ライブやレコーディングを残している。
* [[ジョン・レノン]] - [[ビートルズ]]のギタリストで中心的人物の一人。ジョンのソロ・プロジェクトである[[ザ・ダーティー・マック]]や[[プラスティック・オノ・バンド]]に参加し、ライブやレコーディングを残している。
* [[ピート・タウンゼント]] - [[ザ・フー]]のギタリストで、薬物依存症だったクラプトンを支えた人物。
* [[ピート・タウンゼント]] - [[ザ・フー]]のギタリストで、薬物依存症だったクラプトンを支えた人物。
* [[パティ・ボイド]] - ジョージ・ハリスンの元妻。クラプトンの前妻。「[[いとしのレイラ]]」は彼女に対する想いを綴ったもの<ref group="注">結婚直後にクラプトンは浮気をしている。</ref>
* [[パティ・ボイド]] - ジョージ・ハリスンの元妻。クラプトンの前妻。「[[いとしのレイラ]]」は彼女に対する想いを綴ったもの<ref group="注">結婚直後にクラプトンは浮気をしている。</ref>
* [[ネイザン・イースト]] - 近年のツアー・ベーシスト
* [[ネイザン・イースト]] - 近年のツアー・ベーシスト
* [[スティーヴ・ガッド]] - 近年のツアー・ドラマー
* [[スティーヴ・ガッド]] - 近年のツアー・ドラマー
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* [[アンディ・フェアウェザー・ロウ]] - 近年のツアー・ギタリスト。
* [[アンディ・フェアウェザー・ロウ]] - 近年のツアー・ギタリスト。
* [[スティーヴ・ウィンウッド]] - [[ブラインド・フェイス]]以前からの友人で、ライブやレコーディングでも共演。
* [[スティーヴ・ウィンウッド]] - [[ブラインド・フェイス]]以前からの友人で、ライブやレコーディングでも共演。
* [[B.B.キング]] - [[1998年]]公開の[[アメリカ映画]][[ブルース・ブラザース2000]]で共演。[[2000年]]には、キングと共に「[[Riding with the King]]」を共作している。クラプトンにとって憧れのブルースマンの一人。
* [[B.B.キング]] - [[1998年]]公開の[[アメリカ映画]][[ブルース・ブラザース2000]]で共演。[[2000年]]には、キングと共に「[[Riding with the King]]」を共作している。クラプトンにとって憧れのブルースマンの一人。
* [[キース・リチャーズ]] - 半世紀以上に渡っての友人。[[ローリング・ストーンズ]]のギタリストで中心的人物の一人。[[ジョージ・ハリスン]]と共に互いに兄弟と呼ぶ仲でもある。この知己により、[[ローリング・ストーンズ]]のライヴにたびたびゲスト参加している。また、お互いに幼い息子を亡くすという経験を持っているため、クラプトンのことを気遣い、支えたという。
* [[キース・リチャーズ]] - 半世紀以上に渡っての友人。[[ローリング・ストーンズ]]のギタリストで中心的人物の一人。[[ジョージ・ハリスン]]と共に互いに兄弟と呼ぶ仲でもある。この知己により、[[ローリング・ストーンズ]]のライヴにたびたびゲスト参加している。また、お互いに幼い息子を亡くすという経験を持っているため、クラプトンのことを気遣い、支えたという。
*[[金正哲]] - エリック・クラプトンの大ファン。彼が[[ピョンヤン]]で公演できないかを韓国側に打診するよう要望したとされているが、クラプトン側が「独裁体制で公演した初の有名ミュージシャン」になるのを嫌がり取り消された。
*[[金正哲]] - エリック・クラプトンの大ファン。彼が[[ピョンヤン]]で公演できないかを韓国側に打診するよう要望したとされているが、クラプトン側が「独裁体制で公演した初の有名ミュージシャン」になるのを嫌がり取り消された。

2019年7月14日 (日) 07:59時点における版

エリック・クラプトン
Eric Clapton

CBE
USA・ニューヨーク公演 (2015年5月)
基本情報
別名 スローハンド(Slowhand)
生誕 (1945-03-30) 1945年3月30日(79歳)
出身地 イングランドの旗 イングランド
リプリー
ジャンル ブルース
ブルースロック
フォークロック
ハードロック
サイケデリック・ロック
職業 ミュージシャン
シンガー・ソングライター
ギタリスト
美術家
レコード・プロデューサー
アレンジャー
担当楽器 ボーカル
ギター
活動期間 1963年 - 現在
共同作業者 ヤードバーズ
ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ
パワーハウス
クリーム
フリー・クリーク
ブラインド・フェイス
ザ・ダーティー・マック
JJ・ケイル
デラニー&ボニー&フレンズ
デレク・アンド・ザ・ドミノス
プラスティック・オノ・バンド
ザ・ビートルズ
エルトン・ジョン
フィル・コリンズ
ザ・ローリング・ストーンズ
ルチアーノ・パヴァロッティ
ザ・バンド
フレディ・キング
B.B.キング
公式サイト ericclapton.com
著名使用楽器

ブラッキー
ブラウニー
ギブソン・SG
ギブソン・ES-335

ギブソン・レスポール
B.B.キング
ロバート・ジョンソン
アルバート・キング
エルモア・ジェイムズなど

エリック・クラプトン(Eric Clapton, CBE1945年3月30日 - )は、イングランド出身のミュージシャンシンガーソングライター

「スローハンド」と呼ばれるギターの名手として知られ、ソングライティングも優れた世界的なアーティスト。ジェフ・ベックジミー・ペイジと並ぶ世界3大ロック・ギタリストの一人とされている。

ロックの殿堂』を3度(ヤードバーズ、クリーム、ソロ)受賞。2015年『ブルースの殿堂』入り。ローリング・ストーン誌選出「最も偉大な100人のギタリスト」第2位。

概要

1960年代からヤードバーズクリームなどのバンドでギタリストとして活動。その演奏について、エリック・クラプトンは神だとロンドン市内に落書きされた。「スローハンド[注 1]」というニックネームで知られる[注 2]

1970年代には薬物依存症1980年代にはアルコール依存症交通事故胃潰瘍を経験。妻パティ・ボイド(親友ジョージ・ハリスンの前妻)と結婚していたが、イボンヌ・ケリーと一年に渡って関係を持ち、1985年の1月に娘のルースを出産[注 3]。1986年にはイタリア人女優ローリ・デル・サントとの間に息子をもうけ、1988年にパティとは離婚が成立した。しかし1991年3月に息子コナー(4歳)がニューヨークの高層マンション53階のから転落死する。波乱万丈の人生を送りながらも、大規模なワールドツアーやアルバム制作などで創作活動を続けている。

デビューからヤードバーズ脱退まで

クラプトンのキャリアは、ルースターズから始まる。クラプトンは1963年1月から8月まで在籍。その後、ケイシー・ジョーンズ・アンド・ジ・エンジニアズに参加。ほどなくロンドンでも注目を集めていたバンド、ヤードバーズに迎えられる。1963年の秋である。ヤードバーズでのプレイが認められ、その存在が注目されるようになったが、バンドはポップ路線を志向するようになり、クラプトンは他のメンバーと意見が対立。1965年にバンドを去ることになる。その後、ジェフ・ベックジミー・ペイジが相次いで「ヤードバーズ」に参加する。

ブルースブレイカーズ

ヤードバーズ脱退後、ジョン・メイオール・ブルースブレイカーズに参加。オーティス・ラッシュフレディ・キングらの曲を盛んに演奏した。彼らの楽曲はその後のクラプトンのキャリアにおいても度々取り上げられた他、本人たちとの共演も行っている。この頃、ロンドンの街中に“CLAPTON IS GOD”の落書きが現れ、「ギターの神」と呼ばれるようになった[1]

クリーム〜ブラインド・フェイス時代

その後、ジャック・ブルースジンジャー・ベイカーらと「クリーム」を結成[2]。メンバーの即興演奏を中心としたジャム・セッションや実験的な音楽を追求。しかし、メンバーの人間関係の悪化により、バンドは空中分解する形で解散。その直後、スティーヴ・ウィンウッドや先のベイカーらとブラインド・フェイスを結成し、1枚のアルバムを残して解散した。

「レイラ」の発表とソロ活動の開始

クラプトンは新天地を求めてアメリカに渡り、アメリカ南部のミュージシャンとデレク・アンド・ザ・ドミノスを結成。デュアン・オールマンをゲストに迎えて「レイラ」を録音した。

その後もクラプトンは様々なセッションにギタリストとして参加する。その一方で本格的なソロ活動もスタートした。1974年9月14日付のシングルチャートではボブ・マーリーのカバー曲である、「アイ・ショット・ザ・シェリフ」 (I Shot The Sheriff) でナンバー1を獲得している[注 4]

ジョージ・ハリスンとの共演

1991年ジョージ・ハリスンのサポートとして自分のバンドを引き連れて日本だけのツアーを敢行。コンサートの中ほどで(ジョージの休憩を兼ねて)自らの楽曲を演奏するコーナーもあった。ジョージからは世界ツアーの提案もなされたが、亡くなった自分の息子に捧げる楽曲の録音のため、クラプトンはこれを断った(ジョージは、これが最後のツアーとなった)。この時に録音されたのが「ティアーズ・イン・ヘヴン」 (Tears In Heaven) である。この曲は1992年に全米シングルチャート第2位を記録し、1993年には年間最優秀曲に選ばれ、この歌が収録されたアルバムも最優秀アルバム賞を獲得。

1996年、映画『フェノミナン』にカバー曲、「チェンジ・ザ・ワールド」を提供している(元々はカントリー・シンガーのワイノナ・ジャッドが歌っている)。この曲でクラプトンはグラミー賞のソング・オブ・ザ・イヤーを獲得している。プロデューサーはベイビーフェイス

1998年にはB.B.キングらとともにアメリカ映画ブルース・ブラザース2000』に出演した。1999年には、かねてから自身の所有するドラッグ更生診療所「クロスロードセンター」への資金捻出のために所有するギター104本をニューヨーククリスティーズのオークションに出品した。その中には「いとしのレイラ」をレコーディングしたストラトキャスター「ブラウニー」が含まれていた。

受勲と「ブラッキー」の売却

ファイル:EricClaptonCrash12002.jpg
(2002年)

2002年のイギリス女王即位50周年式典のライヴでは、ジョージ・ハリスン死去への追悼としてポール・マッカートニーと共に、ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープスを演奏し、当時の録音同様リードギターを担当し、加えて特別にリードボーカルも担当する。2004年11月3日、イギリス政府より、ナイトの爵位に次ぐ「大英帝国勲章 CBE」が授与された。

2004年6月24日には自身のギターコレクションの2度目のオークションを開催。出品された56本の中には彼の使用したギターで最も有名で長年愛用したブラッキー('56年製のフェンダー・ストラトキャスター)の愛称を持つギターも含まれていた。「ブラッキー」は当初の落札予想価格を大幅に越え最終的に95万9,500ドル(およそ1億520万円)の価格がつけられ当時「世界一値段の高いギター」となった(現在は塗り替えられている)。

2005年にはクリームの再結成ライヴが5月に4公演(5月2、4、5、6日)、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホール、10月にニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンで3夜連続で当時のオリジナルメンバーで行われた。

2007年5月19日には旧友スティーヴ・ウィンウッドのライヴにゲスト参加し、同年7月28日に開催されたクロスロード・ギター・フェスティバルでは、ウィンウッドがクラプトンのステージにゲスト参加した[3]。そして、2008年2月にはマディソン・スクエア・ガーデンで3日にわたってウィンウッドとの共演ライヴを行い、その模様は2009年にライヴ・アルバム『ライヴ・フロム・マディソン・スクエア・ガーデン』として発表された。

近年

2015年、『ブルースの殿堂』入り[4]

2016年、通算21回目の来日公演を果たし[5]、初日はクラプトンのファンであるエドシーランが飛び入りで参加した。

2017年9月17日には、リリー・フィニー・ザナック監督による自身のドキュメンタリー映画、『Eric Clapton: Life in 12 Bars』がトロント映画祭にて上映された。

2018年1月には自らの聴覚障害や、ギターを弾くのが難しい状態であることを明かしている[6]


日本におけるクラプトン

30年以上コンスタントにワールドツアーを行い、日本公演も多数(2019年春=22回目)。特に日本武道館公演は外国人アーティストとしては最多公演回数91回公演を行った。

日本でのアルバム売り上げは1999年発売のベストアルバム『BEST OF』が200万枚[7]1992年発売のライブアルバム『アンプラグド』が120万枚[8](全世界では1500万枚)

2000年の日本ツアーは18万人と驚異的な動員数を誇った。

エヴァンゲリオンのキャラクターデザイナー貞本義行のファンであり、自身のアルバムPilgrim(1998)のジャケット制作を依頼している。

日本公演

ウェールズカーディフミレニアム・スタジアムにおける津波救済コンサートで演奏するクラプトン(2005年1月22日
10月31日・11月1日・2日 日本武道館
11月5日・6日 大阪厚生年金会館
10月22日・23日 フェスティバルホール
10月24日 京都会館
10月27日 北九州市立総合体育館
10月29日 静岡駿府会館
1月1日・2日 日本武道館
9月26日・10月1日 フェスティバルホール
9月27日 岡山県体育館
9月29日 京都会館
9月30日 名古屋市公会堂
10月4日 真駒内アイスアリーナ
10月6日・7日 日本武道館
11月23日 茨城県立県民文化センター
11月25日 名古屋市公会堂
11月26日 京都会館
11月27日 大阪厚生年金会館
11月28日 広島郵便貯金ホール
11月30日 新日鐵大谷体育館
12月1日 大阪府立体育館
12月3日・4日 日本武道館
12月6日 道立産業共進会場
11月27日 新潟県民会館
11月30日 愛知厚生年金会館
12月1日 フェスティバルホール
12月3日 福岡サンパレス
12月4日 京都会館
12月7日 日本武道館
12月8日 横浜文化体育館
12月9日 東京厚生年金会館
10月5日・6日 国立代々木競技場第一体育館
10月7日 大阪厚生年金会館
10月9日 名古屋市民会館
10月10日 フェスティバルホール
10月11日 福岡サンパレス
  • opning act : ロバート・クレイ・バンド
11月2日・4日・5日 日本武道館
11月7日 愛知県体育館
11月9日 大阪城ホール
エリック・クラプトン with エルトン・ジョン & マーク・ノップラー
10月31日 名古屋レインボーホール
11月2日 東京ドーム
11月4日 日本武道館
11月5日 大阪スタヂアム
12月4日・5日・6日 日本武道館
12月9日 国立代々木第一体育館
12月10日 名古屋レインボーホール
12月11日 大阪城ホール
12月13日 横浜アリーナ
ジョージ・ハリスン with エリック・クラプトン and ヒズ・バンド
12月1日 横浜アリーナ
12月2日・3日・10日・12日 大阪城ホール
12月5日 名古屋市国際展示場
12月6日 広島サンプラザ
12月9日 福岡国際センター
12月14日・15日・17日 東京ドーム
10月12日・13日・21日・22日・25日・26日・27日・31日 日本武道館
10月14日 名古屋レインボーホール
10月17日 福岡国際センター
10月23日・30日 横浜アリーナ
10月1日・3日・5日・6日 国立代々木第一体育館
10月8日・9日 大阪城ホール
10月11日・12日・13日 日本武道館
10月13日・14日・16日・17日・27日・28日・30日・31日 日本武道館
10月20日 マリンメッセ福岡
10月21日・22日 大阪城ホール
10月24日 広島グリーンアリーナ
10月25日 名古屋レインボーホール
11月9日・19日・20日・22日・26日・27日・29日・30日 日本武道館
11月11日 愛知県体育館
11月13日 マリンメッセ福岡
11月15日・16日・17日 大阪城ホール
11月24日 横浜アリーナ
11月19日・20日・21日 大阪城ホール
11月24日 愛知県体育館
11月26日 マリンメッセ福岡
11月28日・30日・12月3日・4日・5日・10日・11日 日本武道館
12月8日 宮城県総合運動公園総合体育館
12月14日・15日 横浜アリーナ
11月15日 広島グリーンアリーナ
11月17日・19日・20日 大阪城ホール
11月22日 名古屋レインボーホール
11月24日 さいたまスーパーアリーナ
11月26日・27日 横浜アリーナ
11月29日・30日・12月2日・3日・9日・10日・12日・13日 日本武道館
12月5日 宮城県総合運動公園総合体育館
12月7日 札幌ドーム
11月11日・12日・14日・15日 大阪城ホール
11月17日・18日 名古屋レインボーホール
11月20日・21日・23日・24日・29日・30日・12月5日・6日・8日・9日 日本武道館
11月26日 札幌ドーム
12月2日 さいたまスーパーアリーナ
2月12日・13日 大阪城ホール
2月15日・18日・19日・24日・25日・27日・28日 日本武道館
エリック・クラプトン & ジェフ・ベック
2月21日・22日 さいたまスーパーアリーナ
エリック・クラプトン & スティーブ・ウインウッド
11月17日 北海きたえーる
11月19日 横浜アリーナ
11月21日・22日 大阪城ホール
11月24日 マリンメッセ福岡
11月26日 広島グリーンアリーナ
11月28日 いしかわ総合スポーツセンター メインアリーナ
11月30日 日本ガイシホール
12月2・3日・6・7・10日 日本武道館
2月18日・20日・21日・28日 日本武道館
2月23日 横浜アリーナ
2月25日 愛知県体育館
2月26日 大阪城ホール
※2月18日公演は、来日公演200回目[9]
4月13日・15日・16日・18日・19日 日本武道館[10]
4月13日・15日・17日・18日・20日 日本武道館

ディスコグラフィ

愛用・使用ギター

フェンダー・ストラトキャスター(ブラッキー)
マーティン・000-28EC

ギターコレクターであり、数百本ものギターをコレクションしたりオークションに出している。それらギターの中でもとりわけ使用頻度の高いものを挙げる。

  • フェンダー・テレキャスター
    主にヤードバーズ時代に使用していた。またサンバーストのテレキャスターをブラインド・フェイスの1969年6月のハイドパーク公演でメインで使用しているのが映像で確認できる[11]。この個体はネックがストラトキャスターのものに変更されている。
  • ギブソン・レスポール・スタンダード(サンバースト)
    1960年製。フレディ・キングの1954年製レスポール・ゴールド・トップに憧れて購入。ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ時代に使用していた。ピックアップのカバーは両方外されている。ピックアップのボビンがフロントはダブルホワイト、リアはダブルブラック。ペグがグローバー。先述のジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ時代のアルバム・「BluesBreakers」でレスポールとマーシャルアンプの組み合わせを確立した。
  • ギブソン・ES-335
    クリーム時代に使っていた。1964年製。ブロックポジション・インレイ、グローバー・ペグ仕様。2005年にギブソン・カスタムショップから世界限定250本で復刻された。
  • ギブソン・SG
    ストラトキャスターの前にメインとして使っていたエレクトリックギター。サイケデリックペイントが施されておりクリーム時代に使っていた。ドキュメンタリー映画の中で「レスポールモデルと同じネックで新しいギター。」と呼んでいる。
  • フェンダー・ストラトキャスター
    何本か所有しているが、とりわけ以前所有していたカスタマイズド・ストラトキャスターの通称ブラッキー(色はブラック)が有名。[注 5]その後はフェンダーが開発した自身のシグネチャーモデルやニューヨークで活動するアートディレクター、クラッシュが施したグラフィティ・ペイントのストラト(クラッシュキャスター)を使用していたが、2006年のジャパン・ツアーではニューカラーのメタリックグレー(ピューター)のストラトに持ち替えていた。
    なお、フィンガービブラートを主としてトレモロ・アームでのビブラートはしない、またアームプレイはしないためトレモロ・アームを外し、トレモロ・ユニット自体も木のブロックをはめ込んで固定してある。(ジミ・ヘンドリクストリビュートアルバムで"Stone Free"を演奏した際には、初めてトレモロ・アームを使用したという)[注 6]。ストラトでは、21フレットネックも22フレットネックも使用する。また、シグネチャーモデルは、ミッドブースター回路が特徴である。
  • マーティン000-28000-42
    アンプラグドで使用したのがビンテージの000-42である。
    近年のライブツアーでは、000-28や、自身のオリジナルモデルである000-28ECを主に使っている。マーティンにとっては公式には初めてとなるアーティストモデルのギターでもあった。
    ヘリンボーン・トリムが特徴。
  • 000-28ECモデルは何度か発売され、Bellezza Neraという真っ黒と真っ白のモデルまで発売されている。

慈善事業

1993年から1997年まで、薬物・アルコール依存者の治療センター「クラウズ・ハウス」のディレクター、役員を務めた。1994年から1999年まで、ケミカル・ディペンデンシー・センターの役員を務めた。この二つの組織は、2007年にAction on Addictionに統合された。

1998年、カリブ海のアンティグアにクロスロード・センターを設立。薬物とアルコール依存症者の回復を助けるための施設である。この施設への募金を募るために、クロスロード・ギター・フェスティバルを2004年、2007年、2010年、2013年に開催した。

趣味

フェラーリ SP12EC

スポーツカー、その中でもフェラーリのコレクターとして世界的に有名で、2012年にはワンオフモデル(世界に1台の特別注文モデル)の「SP12EC」をフェラーリに発注したことで話題となった。

関連人物

脚注

注釈

  1. ^ 音数が多い場合でもチョーキング(ベンド)を多用する為指の動きが遅いように見える、こだわるのでチューニング(弦の張り替え)が遅い、の2つの理由から。
  2. ^ このニックネームの由来については、ヤードバーズ時代のマネージャー、バンドのメンバーであったクリス・ドレヤ、そして本人が複数の説を語っている。 Slowhand: How did Eric get his nickname?
  3. ^ クラプトンとケリーは娘の誕生について一切公表しておらず、ボイドは1991年までルースの存在を知らなかった
  4. ^ 現在の所、クラプトンのシングル第1位は、この1曲のみとなっている
  5. ^ ブラッキーは数本のストラトキャスターの気に入った部分を自分で組み合わせたもの。
  6. ^ 「フィクストブリッジは好きではない」とのことで、裏面のスプリングの共鳴が彼の音の好みを左右しているものと考えられる。
  7. ^ 結婚直後にクラプトンは浮気をしている。

出典

  1. ^ Gibson Eric Clapton 1960 Les Paul”. Gibson.com. Gibson. 2014年12月30日閲覧。
  2. ^ クリームの誕生と解散〜ロック史に新たな潮流を生み出したトリオバンドの強烈なグルーヴと不協和音〜 - TAP the POP
  3. ^ 『ライヴ・フロム・マディソン・スクエア・ガーデン』日本盤CD(WPCR-13545/6)ライナーノーツ(大友博、2009年4月)
  4. ^ Eric Clapton 2015 Blues Hall Of Fame Inductee THE ERIC CLAPTON FAN CLUB MAGAZINE 2015年2月19日
  5. ^ エリック・クラプトン、2016年4月に来日公演が決定 - RO69
  6. ^ “エリック・クラプトン、聴覚障害を告白”. ローリング・ストーン. (2018年1月24日). http://rollingstonejapan.com/articles/detail/27956 2018年1月23日閲覧。 
  7. ^ international newsワーナーミュージック・ジャパン、2000年5月29日。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
  8. ^ エリック・クラプトン 最新アルバム100万枚突破中日スポーツ、1999年10月15日。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
  9. ^ エリック・クラプトン2014年2月来日公演決定! ユニバーサルミュージック公式サイト 2013年10月18日付
  10. ^ 聖地へ、再び。5夜限定の、武道館公演決定! ワーナーミュージック・ジャパン公式サイト 2015年11月16日付
  11. ^ Blind FaithLondon Hyde Park 1969』(2006、DVD、EAN 0060768842397)

参考文献

外部リンク