「世界救世教」の版間の差分

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* 財団法人 微生物応用技術研究所
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* 株式会社 [[EM]]研究所
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* NPO法人 MOA 自然農法文化事業団
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* 新田記念総合医学研究所
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2008年8月10日 (日) 03:44時点における版

世界救世教(せかいきゅうせいきょう)とは、大本教の幹部であった岡田茂吉1935年(昭和10年)に立教した新宗教系の教団。現在の教主は四代目の岡田陽一

神奈川県箱根町強羅に箱根神仙郷[1]静岡県熱海市熱海瑞雲郷[2]京都府嵯峨野(広沢池隣接地)に京都平安郷[3]と、国内3ヶ所に教団の聖地と定めた神殿および庭園を有している[4]。箱根の聖地・箱根神仙郷には箱根美術館、熱海の聖地・熱海瑞雲郷にはMOA美術館があり、教団所蔵の美術品を展示している。

分派と和解

世界救世教は、過去において組織からの離脱や分派活動が目立つ教団でもあった。

それは、強大なカリスマ性を有していた教祖の死去という事件が、教団に大きな動揺をもたらしたことに端を発し、教祖の死去以降、教団の変革が激しく行われたため、教義上の理由から反対する余地が多かったことや、教団の変革のなかに各教会に経済上の不利益を課すものがあったこと、また、改革以前は傘下の教会の独立性が強く離脱しやすかったと同時に、各々の教会主宰者のカリスマ性が強かったことなどが、こうした分派活動を促した側面があると言える。

事実、分派が目立ったのは、激しく変革が行われた岡田茂吉死去の1955年以降(晴明教世界浄霊会など)と、教団運営の中央集権化が図られた1970年以降(救世神教神慈秀明会など)に多い。

上記団体以外にも世界真光文明教団崇教真光など「真光系」と呼ばれる教団も、教祖である岡田光玉が世界救世教の布教師として活動していたことや、教義の酷似性などから、一般的には世界救世教の分派として捉えられている(真光系教団は、教祖が世界救世教の布教師として活動していた事実を公表はしていない)。

その後、組織運営の主導権をめぐって世界救世教自体が、松本康嗣らの新生派・川合輝明らの再建派・中村力らの護持派に分裂した。数々の法廷闘争などを経て、三派は1997年に和解、2000年に宗教法人世界救世教を包括法人とし、三派がそれぞれ被包括法人として、世界救世教いづのめ教団(新生派)・東方之光(再建派)・世界救世教主之光教団(護持派)として独立した。

なお、世界救世教の被包括法人である三派は、和解時の合意に基づき、2010年に統一され、統合される予定となっている。一度分裂した宗教団体が再度統合する例は、宗教界においても前例がない希有な事例とされている。また、世界救世教いづのめ教団は、複数の分派教団と友好協定を結んでいるなど、世界救世教には、分派も多いが和解も多いという特徴がみられる。

関連団体

関連項目

脚注

  1. ^ 箱根神仙郷”. 世界救世教いづのめ教団. 2008年8月7日閲覧。
  2. ^ 熱海瑞雲郷”. 世界救世教いづのめ教団. 2008年8月7日閲覧。
  3. ^ 京都平安郷”. 世界救世教いづのめ教団. 2008年8月7日閲覧。
  4. ^ 聖地”. 世界救世教いづのめ教団. 2008年8月7日閲覧。

外部リンク