多聞部

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多聞部 (サンスクリット:Bahuśrutīya; 繁体字: 多聞部; ピン音: duōwén-bù)とは部派仏教の一派。世友の『Śariputraparipṛcchā』やその他の古い文献によると、多聞部は大衆部から別れた分派であるという。

語源[編集]

「バフシュルティーヤ」(Bahuśrutīya)という名称は語義上は「多く聞いた者」つまり「よく学んだ者」を意味する。漢訳された名称「多聞部」(拼音: Duōwén-bù)ももちろん「多く聞いた宗派」を意味しており、サンスクリットでの語源に一致している。世友の史書『異部宗輪論』(Samayabhedoparacanacakra)に以下のように多聞部の名称の説明とその特徴が記されている:

廣學三藏 三蔵を広く学び
深悟佛言 深く仏言を悟る;
從德為名 徳に従って名を為す
名多聞部 名を多聞部と

起源[編集]

多聞部の開祖はヤージュニャヴァルキヤ(Yājñavalkya)という名前であったと6世紀のインドからの渡来僧真諦が記している[1]。真諦の説明では、ヤージュニャヴァルキヤはブッダと同時代に生きブッダの談話を聞いたが、ブッダが般涅槃に入るに至ってやっと三昧の状態になったとされる[2]。ヤージュニャヴァルキヤはこの三昧の状態から200年後に戻ってきて、大衆部が経典の表面的な意味しか教えていないことに気づき、それゆえに経典の意味を全て説明するために多聞部を創始したという[3]

真諦は多聞部の起源を大乗仏教の教えと結び付けている:[4]

大衆部の中でこの阿羅漢は表面的な意味と深い意味とを完全に説明した。深い意味の中には、大乗仏教で説かれているような意味が含まれる。これを信じない者もいた。これを信じる者はこの教えを自分も教え後代に伝えた。大衆部の中にはこの教えを広める者もおり、広めない者もいた。前者は「おおく聞いた者」(Bahuśrutīya)と呼ばれる分派を形成した。[...]この部派から『成実論』が生まれた。こういうわけで『成実論』には大乗仏教の思想が混ざりこんでいるのである。

教説と文献[編集]

多聞部はその保持する文献の中に菩薩蔵(Bodhisattva Piṭaka)を含んでいたとされる。多聞部は「小乗」の教えと大乗の教えとの両方を受け入れていたと6世紀に中央インドのウッジャインからやってきた訳経僧真諦が書き記している[5]。真諦によれば、多聞部は「世俗の真理」と「究極的な真理」の両方を余す所なく奉ずるために形成されたという[6]。Sree PadmaとAnthony Barberによれば、この完全な展開に関する多聞部の理解には大乗の教えも含まれていたという[7]

世友によれば、多聞部では、ブッダの無常無我涅槃といった教えは超越的なものだと考えられていたが、その他の主題に関するブッダの教えは超越的なものとはみなされなかった[8]

他の大衆部の分派と同様に、多聞部では阿羅漢も過ちを犯しうると信じられていた[9]

成実論[編集]

『成実論』(Satyasiddhi ŚāstraTattvasiddhi Śāstraとも呼ばれる)は多聞部から生まれた現存するアビダルマ文献である。今日では大蔵経第16巻に収録されている(『大正新脩大藏經』1646)[10]。著者は三世紀中央インドの僧訶梨跋摩とされる。真諦はこの多聞部のアビダルマが「小乗」と大乗の教説の混淆から成ると言及しており、Joseph Walserもこの評価の正しさに同意している[11]。Ian Charles Harrisもこの文献を「小乗」と大乗の総合であると特徴づけており、その教説は中観派および瑜伽行唯識学派のそれに非常に近いと述べている[12]

『成実論』には多聞部の聖典に含まれる菩薩蔵に関する言及も見られる[13]

成実宗[編集]

多聞部の『成実論』は中国仏教で高い人気を獲得し[14]、中国の仏教において独自の宗派成実宗(拼音: Chéngshí-zōng)が412年に生み出されることにもなった[15]南懐瑾英語版が以下のように概説している:[16]

中観派の三つの論に基づく宗派、『倶舎論』に基づく宗派、『成実論』に基づく宗派といった様々な宗派が生まれてきた。これらは皆互いに優劣を競い、多くのすばらしい副産物を生み出し、それぞれ独自の理論体系を生み出した。

成実宗は『成実論』の教えに基づき、悟りを開くための二十七段階の発展を説く。成実宗は訶梨跋摩をインドにおける自派の創設者とみなし、鳩摩羅什を中国における自派の創設者とみなした[17]。成実宗は代仏教十派の一つに数えられる[18]。中国から日本へは625年に成実宗が伝わり、日本では成実宗(じょうじつしゅう)として知られた。日本の成実宗は奈良時代(710年-794年)の南都六宗の一つとして知られる[19]

脚注[編集]

  1. ^ Warder, A.K. Indian Buddhism. 2000. p. 267
  2. ^ Warder, A.K. Indian Buddhism. 2000. p. 267
  3. ^ Warder, A.K. Indian Buddhism. 2000. p. 267
  4. ^ Walser, Joseph. Nāgārjuna in Context: Mahāyāna Buddhism and Early Indian Culture. 2005. pp. 51-52
  5. ^ Baruah, Bibhuti. Buddhist Sects and Sectarianism. 2008. p. 48
  6. ^ Walser, Joseph. Nāgārjuna in Context: Mahāyāna Buddhism and Early Indian Culture. 2005. p. 52
  7. ^ Sree Padma. Barber, Anthony W. Buddhism in the Krishna River Valley of Andhra. 2008. p. 61
  8. ^ Dutt, Nalinaksha. Buddhist Sects in India. 1998. p. 117
  9. ^ Walser, Joseph. Nāgārjuna in Context: Mahāyāna Buddhism and Early Indian Culture. 2005. p. 218
  10. ^ The Korean Buddhist Canon: A Descriptive Catalog (K 966), http://www.acmuller.net/descriptive_catalogue/files/k0966.html 
  11. ^ Walser, Joseph. Nāgārjuna in Context: Mahāyāna Buddhism and Early Indian Culture. 2005. p. 52
  12. ^ Harris, Ian Charles. The Continuity of Madhyamaka and Yogacara in Indian Mahayana Buddhism. 1991. p. 99
  13. ^ Williman, Charles. Dessein, Bart. Cox, Collett. Sarvastivada Buddhist Scholasticism. 1997. p. 9
  14. ^ Warder, A.K. Indian Buddhism. 2000. p. 398
  15. ^ Nan, Huai-Chin. Basic Buddhism: Exploring Buddhism and Zen. 1997. p. 91
  16. ^ Nan, Huai-Chin. Basic Buddhism: Exploring Buddhism and Zen. 1997. p. 90
  17. ^ Nan, Huai-Chin. Basic Buddhism: Exploring Buddhism and Zen. 1997. p. 91
  18. ^ Nan, Huai-Chin. Basic Buddhism: Exploring Buddhism and Zen. 1997. p. 90
  19. ^ Nan, Huai-Chin. Basic Buddhism: Exploring Buddhism and Zen. 1997. p. 112