分別説部
初期仏教・部派仏教 |
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分別説部(ふんべつせつぶ、梵: Vibhajyavāda, ヴィバジヤヴァーダ ; 巴: Vibhajjavāda, ヴィバッジャワーダ )とは、第三結集(ca. 250 BCE)において、部派仏教の上座部(Sthaviravāda)の教えを拒絶した上座部系統の仏教徒グループ(部派)。
名称と語源[編集]
「ヴィバジヤヴァーダ」(Vibhajyavāda)は、大まかには「分離」「分析」を意味する「ヴィバジヤ」(vibhajya)と、「教義」「教説」といった意味を持つ「ヴァーダ」(vāda)に分解される[1][2]。アンドルー・スキルトンによると、現象(dharma)の分析は分別説部の教義において強調・専心されることであるという[3]。
歴史[編集]
分別説部は初期の仏教において独立した教派として他の部派と並べて記録されてはいないし、他の部派と結びつけられてもいない[4]。正量部と大衆部ではそれぞれ異なるやり方ではあるものの分別説部に言及されている[5]。正量部によれば、分別説部は説一切有部から別れて発展した[6]。しかし、大衆部は分別説部を仏教の根本分裂の際にほかの部派とともに生じたとみなしている。大衆部によれば根本分裂によって上座部、大衆部、分別説部の三部派に分かれたのである[7]。大衆部はさらに分別説部に由来する部派として化地部、法蔵部、飲光部、赤銅鍱部を並べ挙げている[8]。
説一切有部の『阿毘達磨大毘婆沙論』では、分別論者(毘婆闍縛地、梵: Vibhajyavādin)が、説一切有部に対して「異議を唱え、有害な教義を支持し、真のダルマを攻撃する」ある種の異端者として描かれている[9]。
分別説部がさらに分派することはなかったが「分別説部」と言う言葉が教義上のいくつかの点で主流派と異なる部派の名称として貼り付けられることがあったと信じている学者もいる[10]。この意味では、それらは特定の部派の「分別説部」であろう[11]。こういったことは大衆部の分派説仮部にも見出される。この部派の成員は多聞分別説部と呼ばれることを好んだ[12]。スリランカの上座部仏教は上座部―分別説部であって教義の解釈上、上座部主流派とは幾分異なると主張されてきた[13]。
上座部の伝統において[編集]
第三回仏典結集では、モッガリプッタ・ティッサの主導の下、こういった分析的なアプローチが強調された[要出典]。上座部内の、このアプローチを採用する部派は分別説部に従うものとして再編成・呼称された[14]。分別説部の集団に含まれなかったのは大衆部、説一切有部、正量部であり、分別説部の『論事』(kathāvatthu)において、これらの部派は「間違った考え方」をしているとみなされている。
上座部では伝統的に、第三回仏典結集の後に分別説部は化地部、飲光部、法蔵部、赤銅鍱部の四派に分かれたと考えられている。現在の上座部仏教は赤銅鍱部に由来し、赤銅鍱部(Tāmraparṇīya)とは「スリランカの系統」を意味する。一方、化他部、飲光部、法蔵部は直接的には分別説部に由来せず、これらの部派の本来のつながりはそれぞれの律の類似性によって仮定されたものであると主張する文献もある。
分別説部は自身を正統派の上座部だとみなしていたと主張されている[15][16]。
シンハラ人の伝承によれば、分別説部の名称の下での仏教はアショーカ大王の息子と信じられているマヒンダによってスリランカに伝えられた。これが起こったのは紀元前246年のことだと近代の学者に考えられている。
関連項目[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ Skilton, Andrew. A Concise History of Buddhism. 2004. p. 67
- ^ 阿毘達磨大毘婆沙論: 分別論者言。此應作分別記。故名應分別。
- ^ Skilton, Andrew. A Concise History of Buddhism. 2004. p. 67
- ^ Baruah, Bibhuti. Buddhist Sects and Sectarianism. 2008. p. 51
- ^ Baruah, Bibhuti. Buddhist Sects and Sectarianism. 2008. p. 51
- ^ Baruah, Bibhuti. Buddhist Sects and Sectarianism. 2008. p. 51
- ^ Baruah, Bibhuti. Buddhist Sects and Sectarianism. 2008. p. 51
- ^ Baruah, Bibhuti. Buddhist Sects and Sectarianism. 2008. p. 51
- ^ Baruah, Bibhuti. Buddhist Sects and Sectarianism. 2008. p. 51; Tripathi, Sridhar. Encyclopaedia of Pali Literature. 2008. p. 113
- ^ Dutt, Nalinaksha. Buddhist Sects in India. 1998. p. 211
- ^ Dutt, Nalinaksha. Buddhist Sects in India. 1998. p. 211
- ^ Baruah, Bibhuti. Buddhist Sects and Sectarianism. 2008. p. 48
- ^ Dutt, Nalinaksha. Buddhist Sects in India. 1998. p. 211
- ^ 『南伝大蔵経』65巻, 1941, OD版: 2004「一切善見律註序」77頁; 平川彰『インド仏教史』上巻, 1974, 148頁
- ^ 平川彰『インド仏教史』上巻, 1974, 149頁
- ^ 塚本啓祥、「上座部教団史研究の問題点」 『印度學佛教學研究』 1980-1981年 29巻 2号 p.547-551, doi:10.4259/ibk.29.547,
参考文献[編集]
- Lance Cousins, On the Vibhajjavādins, Buddhist Studies Review 18-2, 2001
- Prasad, Chandra Shekhar, "Theravada and Vibhajjavada: A Critical Study of the Two Appellations"' East & West Vol 22 (1972)
- 印順,印度之佛教第六章 學派之分裂
外部リンク[編集]
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